ドイツ連邦

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ドイツ連邦
Deutscher Bund
ライン同盟
オーストリア帝国
プロイセン王国
1815年 - 1866年
ドイツの国旗 ドイツの国章
国旗 国章
ドイツの位置
1820年のドイツ連邦。二大国のオーストリア帝国(黄)とプロイセン王国(青)は連邦の国境線(赤)外にも領土を有している。
公用語 ドイツ語
首都 フランクフルト
連邦議会議長国
xxxx年 - xxxx年 オーストリア帝国
変遷
発足 1815年6月8日
3月革命勃発 1848年3月13日
オルミュッツ協定成立 1850年11月29日
普墺戦争勃発 1866年6月15日
解体 1866年8月23日
通貨 フェアアインスターラー
先代 次代
ライン同盟 ライン同盟
オーストリア帝国 オーストリア帝国
プロイセン王国 プロイセン王国
北ドイツ連邦 北ドイツ連邦
オーストリア帝国 オーストリア帝国
バイエルン王国 バイエルン王国
ヴュルテンベルク王国 ヴュルテンベルク王国
バーデン大公国 バーデン大公国
ヘッセン大公国 ヘッセン大公国
ルクセンブルク大公国 ルクセンブルク大公国
フランクフルトに集まった各加盟諸邦の君主たち(1863年

ドイツ連邦(ドイツれんぽう)ないしドイツ同盟(ドイツどうめい、Deutscher Bund)は、旧神聖ローマ帝国を構成していたドイツの35の領邦と4つの帝国自由都市との連合体。1815年のウィーン議定書に基づき、オーストリア帝国を盟主として発足、1866年普墺戦争プロイセン王国の勝利をもって解消された。

ドイツ連邦は、あくまでも複数の主権国家の連合体、つまり国家連合(Staatenbund)であり、連邦国家(Bundesstaat)でない。そのため、「ドイツ連合」や「ドイツ国家連合」などとも訳される(下記「訳語」の項目を参照)。

歴史[編集]

ドイツ連邦は、ライン同盟の解体を受け、ウィーン会議を経て1815年6月8日のドイツ連邦規約に基づいて成立した。オーストリア帝国(連邦議会議長)、プロイセン王国、4つの帝国自由都市リューベックフランクフルト・アム・マインブレーメンハンブルク)など39の領邦同盟を構成した。なお、旧神聖ローマ帝国の領域を範囲としたため、オーストリアおよびプロイセンの領土は連邦の内と外にまたがっていた。

それまで神聖ローマ皇帝が司ってきたドイツ全体に関わる懸案の審議と議決を目的に、フランクフルトに連邦議会(Bundestag des Deutschen Bundes あるいは Bundesversammlung)が常設された。軍隊、警察、関税は構成国の主権に属した。連邦議会の議員は諸邦の普通選挙で選ばれた官吏、大学教員等の市民階級の代表が務めた。プロイセンのビスマルクもその一人であった。

1848年三月革命によって存続を危ぶまれたが、1849年に復活した。しかし、1866年普墺戦争に勝利したプロイセンはドイツ連邦を解消、翌1867年プロイセンは北ドイツ連邦を成立させ、ドイツ統一の主導権を握り、後のドイツ帝国の母体とした。

加盟諸邦[編集]

連邦議会で4票を有する[編集]

連邦議会で3票を有する[編集]

連邦議会で2票を有する[編集]

ドイツの歴史
Coat of arms featuring a large black eagle with wings spread and beak open. The eagle is black, with red talons and beak, and is over a gold background.
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ゲルマン
ゲルマン人
民族移動時代
フランク王国
東フランク王国
神聖ローマ帝国
東方植民
ドイツの形成
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プロシア公領
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プロイセン王国
ドイツ統一
ライン同盟
ドイツ連邦関税同盟
1848年革命
北ドイツ連邦
ドイツ国
帝政ドイツドイツ帝国
ヴァイマル共和政
ザールダンツィヒズデーテン
ナチス・ドイツ
フレンスブルク政府
第二次世界大戦後
連合国軍政期 + 東部領土
ドイツ人追放
西ドイツザール東ドイツ
ドイツ再統一
再統一後のドイツ
関連項目
オーストリアの歴史

ドイツ ポータル
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連邦議会で1票を有する[編集]

訳語[編集]

Deutscher Bund はアメリカ合衆国のような連邦国家ではなく、国家の緩やかな連合体(国家連合)であるため、「ドイツ連邦」という訳語は問題があるとする考えもある。連邦国家でないものを「ドイツ連邦」と称するのは本来的にミスリーディングであり、「ドイツ同盟」と訳すほうが望ましいとする[4]。また、訳語に用いられるほかの例としては、「ドイツ連合」[5]や「ドイツ国家連合」[6]などがある。

参考文献[編集]

  1. ^ 1837年まで君主はイギリス
  2. ^ 1864年まで君主はデンマーク王、以後はオーストリアとプロイセンの共同管理
  3. ^ 君主はオランダ
  4. ^ 「ドイツ同盟」を用いる例に、イェリネク(芦部ほか訳)『一般国家学』学陽書房 や、栗城壽夫『一九世紀ドイツ憲法理論の研究』など。
  5. ^ 「ドイツ連合」を用いる例に、小畑郁「国際法の主体」『国際法 第5版』松井芳郎ほか、有斐閣。
  6. ^ 「ドイツ国家連合」を用いる例に、福田耕治『国際行政学 国際公益と国際公共政策』有斐閣。

関連項目[編集]