ヨハン (ザクセン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ヨハン
Johann
ザクセン王
Louis Ferdinand von Rayski - König Johann von Sachsen, 1870.jpg
ヨハン(ライスキ画、1870年
在位 1854年8月9日 - 1873年10月29日
全名 ヨハン・ネポムク・マリア・ヨーゼフ・アントン・クサヴァー・ヴィンツェンツ・アロイス・フランツ・デ・パウラ・スタニスラウス・ベルンハルト・パウル・フェリックス・ダマスス・フォン・ザクセン
出生 1801年12月12日
Flag of Electoral Saxony.svg ザクセンドレスデン
死去 1873年10月29日(満71歳没)
Flagge Königreich Sachsen (1815-1918).svg ザクセンピルニッツ
埋葬  
ドイツの旗 ドイツザクセン州ドレスデンカトリック宮廷教会
配偶者 アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン
子女 マリー
アルベルト
エリーザベト
エルンスト
ゲオルク
ジドーニエ
アンナ
マルガレーテ
ゾフィー
王家 ヴェッティン家アルブレヒト系
父親 マクシミリアン・フォン・ザクセン
母親 カロリーナ・ディ・ボルボーネ=パルマ
テンプレートを表示

ヨハンJohann1801年12月12日 - 1873年10月29日)は、ザクセン王国の第4代国王(在位:1854年 - 1873年)。ザクセン王太子マクシミリアン(1759年 - 1838年)の三男で、第3代ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世の弟。初代ザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世、第2代ザクセン王アントンの甥。全名はJohann Nepomuk Maria Joseph Anton Xaver Vincenz Aloys Franz de Paula Stanislaus Bernhard Paul Felix Damasus

1801年12月12日ドレスデンで、ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアンの五男マクシミリアンとその最初の妻であったパルマフェルディナンドの娘カロリーナの第六子として生まれた。

ヨハンは詩や音楽を好み、特に母親がイタリアのパルマ公家出身ということもあってイタリア文学に傾倒した。1821年には兄クレメンスとともにイタリアへ旅行している(なお同行したクレメンスは翌1822年ピサで客死した)。また、自らフィラレテスPhilalethes)の筆名でダンテ・アリギエーリの『神曲』をドイツ語へ翻訳している。

1822年11月21日にヨハンはバイエルンマクシミリアン1世の王女アマーリエ・アウグステ(1801年 - 1877年)とドレスデンで結婚した。

1830年に長兄フリードリヒ・アウグストは国王であった伯父アントンによって摂政に任命され、1836年にアントンが死去するとフリードリヒ・アウグスト2世として王位に即いた。フリードリヒ・アウグスト2世にも子供がいなかったためヨハンは王太弟となり、1854年に彼が事故死すると王位を嗣いだ。

ザクセン王国は首相のフリードリヒ・フェルディナント・フォン・ボイストの影響の下、大ドイツ主義を採ってオーストリア帝国と接近した。しかしオーストリア側で参戦した普墺戦争1866年)でプロイセン王国に敗れるとザクセンも北ドイツ連邦に加盟し、1871年ドイツ統一の際にはドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を誓っている。

ヨハンは1873年10月29日ピルニッツで死去し、王位は長男のアルベルトが嗣いだ。

子女[編集]

王妃のアマーリエ・アウグステとの間には以下の3男6女をもうけた。

先代:
フリードリヒ・アウグスト2世
ザクセン
1854年 - 1873年
次代:
アルベルト