アンハルト公国
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- アンハルト公国
- Herzogtum Anhalt
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(国旗) (紋章) - 国歌 : Anhalt-Lied

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首都 デッサウ 君主号 公(Herzog) 君主家 アスカーニエン家(デッサウ系) 面積 2299 km² 人口 351,045人 (1925年) 人口密度 153 成立 アンハルト=デッサウ公のアンハルト=ベルンブルク・アンハルト=ケーテン継承(1863年) 消滅 ドイツ革命による君主制廃止(1918年、アンハルト州へ)
ザクセン県との合併(1945年、ザクセン県へ)連邦参議院での投票権数 1 ナンバープレート A
アンハルト公国(Herzogtum Anhalt)は、ドイツ中部にかつて存在した公国。1863年に成立し、北ドイツ連邦への加盟(1866年)を経て1871年にドイツ帝国の構成国となり、1918年のドイツ革命まで存続した。首都はデッサウに置かれた。
君主一覧 [編集]
- レオポルト4世(1863年 - 1871年)
- フリードリヒ1世(1871年 - 1904年)
- フリードリヒ2世(1904年 - 1918年)
- エドゥアルト(1918年)
- ヨアヒム・エルンスト(1918年)
版図 [編集]
アンハルト公国の版図は、互いに隣接するツェルプスト、デッサウ、ケーテン、ベルンブルクの東部4州と、西部のバーレンシュタット州、そしていくつかの飛び地から成っていた。
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