ルッカ公国

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ルッカ公国
フランス帝国 1815年 - 1847年 トスカーナ大公国
ルッカの国旗
(国旗)
ルッカの位置
公用語 イタリア語
首都 ルッカ
1815年 - 1847年 カルロ・ルドヴィーコ・ディ・ボルボーネ
変遷
成立 1815年
トスカーナ公国への譲渡 1847年

ルッカ公国イタリア語: Ducato di Lucca)は、19世紀前半にイタリア中部にあった国家。現在のトスカーナ地方の一部にあたり、ルッカを首都とする。

1815年ウィーン会議の決定により建国されたが、トスカーナ大公国に併合された。

歴史[編集]

ルッカ公国は、1815年ウィーン会議の決定により、かつてのルッカ共和国の故地に成立した。会議では、カルロ・ルドヴィーコ・ディ・ボルボーネが領主に、その母のマリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネが摂政として指名された。カルロ・ルドヴィーコはパルマ公国のブルボン家(ブルボン=パルマ家)出身である。ウィーン会議では、パルマ公国がマリア・ルイーザ(ナポレオンの元皇后)に与えられたため、その代替としてルッカが与えられたのであった。

この公国は、最初から短命が約束された国家であった。会議の決定には「公国はカルロ・ルドヴィーコ・ディ・ボルボーネの死まで存続し、その後はトスカーナ大公国に併合される」との条項があったためである。

マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ1824年に亡くなり、その息子はカルロ1世の名とともに完全に主権を引き継いだ。まずは、幹線道路とさまざまな土地の改良を土台とした政策に着手した。

バーニ・ディ・ルッカという土地を温泉の中心だけではなく、貴族政治と全ヨーロッパの中産階級の再発見の様に発展させるすべを模索した。特にこの時期はヨーロッパで最初のカジノであるカジノ・ディ・ルッカが生まれた。これらの発展のために必要とされた巨大な財源が原因で破綻した。

1847年12月、パルマ女公マリア・ルイーザが没すると、カルロ・ルドヴィーゴは父祖の地であるパルマ公国を継承し、パルマ公カルロ2世となった。これとともにルッカ公の地位を失い、ルッカ公国はトスカーナ公国に編入された。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]