ルッカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ルッカ
Lucca
ルッカの風景
ルッカの旗 ルッカの紋章
紋章
行政
イタリア
Flag of Tuscany.svg トスカーナ
Blank.png ルッカ
CAP(郵便番号) 55100
市外局番 0583
ISTATコード 046017
識別コード E715
分離集落 一覧
隣接コムーネ ボルゴ・ア・モッツァーノカマイオーレカパンノリマッサローザペスカーリアサン・ジュリアーノ・テルメ(PI)、 ヴェッキアーノ(PI)
公式サイト リンク
人口
人口 82,245 人 (2006年12月31日)
人口密度 445 人/km2
文化
住民の呼称 lucchesi
守護聖人 ルッカの聖パオリーノ (San Paolino di Lucca)
祝祭日 7月12日
地理
座標 北緯43度51分0秒 東経10度31分0秒 / 北緯43.85000度 東経10.51667度 / 43.85000; 10.51667座標: 北緯43度51分0秒 東経10度31分0秒 / 北緯43.85000度 東経10.51667度 / 43.85000; 10.51667
標高 19 m
面積 185 km2
ルッカの位置
ルッカの位置
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
テンプレートを表示
ルッカの街並
ルッカの城壁

ルッカ (Lucca) は、人口82,245人のイタリア共和国トスカーナ州ルッカ県コムーネの一つで、ルッカ県の県都である。

トスカ等で知られる19世紀の作曲家ジャコモ・プッチーニの生誕地でもあり、旧市街にあるプッチーニの生家は、現在ではプッチーニ博物館となっている。

目次

歴史 [編集]

ルッカはエトルリア人が開いた街であったが、古代ローマによるイタリア統一の過程の中でルッカも紀元前180年頃にローマ人が住民の多数を占めるまでになったとされる。共和政ローマ期に第一回三頭政治を組んでいたグナエウス・ポンペイウスガイウス・ユリウス・カエサル及びマルクス・リキニウス・クラッススの3者が紀元前56年に「ルッカ会談」を開いた場所として知られている。

西ローマ帝国を消滅させて初のイタリア王となったオドアケルの略奪を受け、553年にはナルセス率いる東ローマ帝国軍に包囲される等、ルッカは都市及び要塞として重要な役割を担った。11世紀にはコンスタンティノポリスと並ぶ絹の交易地として繁栄を謳歌した。14世紀カストルッチョ・カストラカーニが支配し、カストラカーニが死去するまでフィレンツェ共和国と並ぶ勢力を誇った。15世紀からは周辺の有力諸侯の支配を受けた時期もあったが、フィレンツェやジェノヴァと共に独立を維持した。

19世紀ナポレオン・ボナパルトがヨーロッパの覇権を握っていた時代にナポレオンの妹エリザ・ボナパルトはルッカ一帯を支配する「ルッカ=ピオンビーノ大公妃」となり、1809年にはトスカーナ大公国の女大公に封じられたが、ナポレオン没落後にエリザも地位を失った。1815年ウィーン会議ルッカ公国となったが、1847年にトスカーナ大公国に再編された。イタリア統一運動における住民投票で1861年に成立したイタリア王国に組込まれることとなった。

街並 [編集]

コムーネの行政 [編集]

  • 気候区分:zona D, 1715 GR/G

ルッカには81の分離集落がある。

姉妹都市 [編集]

出身著名人 [編集]

外部リンク [編集]