僭主

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僭主(せんしゅ、古代ギリシア語: τυραννος (tyrannos); 英語: tyrant)とは、本来の皇統王統の血筋によらず、実力により君主の座を簒奪し、身分を超えて君主となる者。僭帝僭王とも。僭主による政治を僭主政治という。

僭主とは[編集]

僭主と称される君主、及び君主となろうとした者は古今東西を問わず存在するが、多くの国々では反乱謀叛による帝位王位の簒奪、易姓革命により新たな王朝を樹立し君主となる例は数多あり、何をもって僭主と称するかは必ずしも明確には判断しづらいものである。一般には、君主号を称するものの王朝の確立に失敗した者、その国の歴史や法に基づく正当な手続きを経なかった者、一貫した王統の下で続いた君主の座を一時的に簒奪し、元の王統に奪還された者など、それぞれの国の価値で僭主か否か判断されることが多い。

古代ギリシャの僭主[編集]

世界の歴史の中で、特に、君主または政治家に対して僭主の概念が用いられる時代・地域のひとつに古代ギリシアにおける僭主政治がある。古代ギリシアにおける僭主は、基本的に貴族政をとるポリスにおいて、政治的影響力を増大させてきた平民の支持を背景に、貴族の合議制を抑えて独裁的権力を振るった政治指導者をいう。

多くのポリスは、王が神話時代に遡る正統な血統を継いでいることをもってその支配を正当化していた王政から、共和制の形態をとりつつ、貴族階級が実質的にポリスの主導権を掌握する貴族政に移行していた。貴族が貴族であるためには、血統や出身地のほかに、戦争に際して、武器・防具・食糧などの軍需物資とその輸送手段を自費で準備し、残された家族の生活まですべて含めた兵役を負担できるための経済力も必要だった。しかし、平民であっても交易などによって貴族階級に劣らない経済力を備えた富裕な市民が増え、一方で没落して兵役を負担できなくなる貴族も少なくなく、それまではもっぱら貴族によって担われていた兵役を平民が負担するようになり、その力が他のポリスとの戦争の勝敗を左右することになると、平民がポリスの政治から疎外されていることに対する不満が増大していった。

こうしたなかで、平民階級の利害を政治に反映させることを主張して彼らの支持をとりつけ、数の力で貴族階級の担う共和制の制度を廃止または形骸化して、個人として権力を掌握する者が登場してくる。彼らは、貴族階級が独占していた共和制という枠組みを平民階級に開放するというスタンスをとったので「王(バシレウス)」と称することはなく、多くの場合明確な官職・役職につくこともなかった。支持者からは、小アジアに起源を持つ外来語で「支配者」を意味する「テュランノス」の語で呼ばれた。「テュランノス」ということばはもともと価値判断を含まないものであり、その権力の非合法性を強調した日本語訳「僭主」は正確な翻訳とは言えない。

僭主は、実力を高めてきた平民階級と既得権を守ろうとする貴族階級との軋轢のなかで登場した過渡期的存在であったため、アテナイのように、貴族階級と平民階級を包含した市民団が成立し、市民団全体によるポリス運営である民主政の創出に成功したポリスでは、抑圧的な独裁者として糾弾されることとなった。アテナイでは僭主の出現を防ぐために陶片追放の制度が導入された。

古くからの貴族政を維持できたポリスはさして多くなく、またギリシャから地中海黒海沿岸の各地に進出した移民が建設した歴史の新しいポリスもあり、多くのポリスで僭主が出現したが、そのあり方はさまざまであり、王を称して自ら世襲の君主となる者もいた。

イタリアにおける僭主[編集]

13世紀からルネサンス時代にかけてのイタリア半島では共和制を敷いていた各都市国家内で、富裕な一族から公職選挙などを操作し、事実上国家を支配する僭主(シニョーレ)達が出現した。ミラノヴィスコンティ家フィレンツェメディチ家などはその最たる例である。

関連項目[編集]