コムーネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

コムーネ: comune)は、イタリア語で「共同体」を指す語であり、現代ではイタリアの自治体の最小単位(基礎自治体)である。また、スイスのイタリア語圏でも基礎自治体をコムーネと呼ぶ(詳細はスイスの基礎自治体を参照)。

解説[編集]

イタリアの自治体には、日本の市町村のような規模による区別はなく、人口100万人を超えるナポリのような都市も、バローロのような1,000人以下の村もすべて「コムーネ」である。そのため日本語に訳す場合には「ナポリ市」や「バローロ村」のように日本の自治体の規模に合わせて翻訳される。この点はフランスコミューンと同様である。コムーネの代表(首長)は、シンダコ(sindaco)と呼ばれる。

中世近世では、イタリア中部・北部に存在した自治都市の都市共同体が存在し、コムーネと呼ばれた。自治都市コムーネは都市の有力市民、地区やギルドの代表によって運営され、都市とその郊外農村地域を統治していた。現代イタリアのコムーネ自治は自治都市の伝統を基礎としているといわれる。

コムーネの規模による一覧[編集]

2001年時点のイタリアのコムーネの数はイタリア国立統計研究所によると8,101である。最も人口の多いコムーネはローマ(254万6804人)、少ないコムーネはロンバルディア州レッコ県モルテローネ(33人)。

以下に挙げたコムーネは2001年時点の統計データに基づいた人口による上位20位である。

コムーネ 人口
1 ローマ ラツィオ州 ローマ県 2,546,804
2 ミラノ ロンバルディア州 ミラノ県 1,256,211
3 ナポリ カンパニア州 ナポリ県 1,004,500
4 トリノ ピエモンテ州 トリノ県 865,263
5 パレルモ シチリア州 パレルモ県 686,722
6 ジェノヴァ リグーリア州 ジェノヴァ県 610,307
7 ボローニャ エミリア=ロマーニャ州 ボローニャ県 371,217
8 フィレンツェ トスカーナ州 フィレンツェ県 356,118
9 バーリ プッリャ州 バーリ県 316,532
10 カターニア シチリア州 カターニア県 313,110
11 ヴェネツィア ヴェネト州 ヴェネツィア県 271,073
12 ヴェローナ ヴェネト州 ヴェローナ県 253,208
13 メッシーナ シチリア州 メッシーナ県 252,026
14 トリエステ フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州 トリエステ県 211,184
15 パドヴァ ヴェネト州 パドヴァ県 204,870
16 ターラント プッリャ州 ターラント県 202,033
17 ブレシア ロンバルディア州 ブレシア県 187,567
18 レッジョ・ディ・カラブリア カラブリア州 レッジョ・カラブリア県 180,353
19 モデナ エミリア=ロマーニャ州 モデナ県 175,502
20 プラート トスカーナ州 プラート県 172,499

以下に挙げたコムーネは2001年時点の統計データに基づいた面積による上位20位である。

コムーネ 面積 km2
1 ローマ ラツィオ州 ローマ県 1,285
2 ラヴェンナ エミリア=ロマーニャ州 ラヴェンナ県 652
3 チェリニョーラ プッリャ州 フォッジャ県 593
4 ノート シチリア州 シラクーザ県 550
5 サッサリ サルデーニャ州 サッサリ県 545
6 モンレアーレ シチリア州 パレルモ県 529
7 グッビオ ウンブリア州 ペルージャ県 525
8 フォッジャ プッリャ州 フォッジャ県 507
9 グロッセート トスカーナ州 グロッセート県 474
10 ラクイラ アブルッツォ州 ラクイラ県 466
11 ペルージャ ウンブリア州 ペルージャ県 449
12 ラグーザ シチリア州 ラグーザ県 442
13 アルタムーラ プッリャ州 バーリ県 427
14 カルタニッセッタ シチリア州 カルタニッセッタ県 416
15 ヴェネツィア ヴェネト州 ヴェネツィア県 412
16 アンドリア プッリャ州 バルレッタ=アンドリア=トラーニ県 407
17 ヴィテルボ ラツィオ州 ヴィテルボ県 406
18 フェラーラ エミリア=ロマーニャ州 フェラーラ県 404
19 マテーラ バジリカータ州 マテーラ県 388
20 チッタ・ディ・カステッロ ウンブリア州 ペルージャ県 387

中世におけるコムーネ[編集]

成立要素[編集]

イタリアの中世都市はその大部分がローマ都市を起源としており、大体数の都市には地中海商業(ただし、古代のものと中世のそれは異なる。詳しくは後述)が伝統としてあった。しかし中世初期のそれがビザンティウム中心の東地中海の商業網と地中海の南岸及び西地中海を覆うイスラム商業網があったが、時代が進むにつれて商業の動脈が内陸へと移って行った。10世紀にアマルフィ、パレルモ、ヴェネツィアは商業圏の発展に伴って成長した。このようにして年には経済的中心地としての機能が備わり、これには帝国崩壊後の支配者たちも着目した。やがて都市は城砦を持つ中心地となった。これらの中世都市の中枢機関が過去のローマ市内の範囲であり、都市発展の連続性が暗示されている。また支配者が頻繁に変わったにもかかわらず司教とその信徒の関係性に大きな変化が起きなかったため、9-10世紀、特に東方のマジャール人と南方のイスラーム勢力から身を守るために司教の周りに人々が集結し、司教は精神だけではなく都市の秩序を守る存在となった。

コムーネの成立には教会の権威が権力者の没落により上昇し、銀貨の品位が司教によって決められるようになった。また、司教権力の増大で都市市民の発言力が増大した。コムーネが出てきたのは11世紀末から12世紀初期で、平和団体であったものが恒常的統治機関となり、その際農村、年に社会的変容を齎した民衆的宗教運動が重要な役割を果たした。特に積極的に動いたのが商人的市民と周辺の土地所有者層であった。領有国家の概念としてコムーネの発展に重要であったのが「コンタード」という概念で、伯の支配領域という意味であったが、これは伯にとっての伯領と同様都市コムーネにとっても司教区の範囲は支配下に入るという考え方である。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 淸水廣一郎『イタリア中世の都市社会』岩波書店、1990年。