6世紀

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千年紀: 1千年紀
世紀: 5世紀 - 6世紀 - 7世紀
10年紀: 500年代 510年代 520年代 530年代 540年代
550年代 560年代 570年代 580年代 590年代
ホスロー1世を描いたサーサーン朝時代の大皿。
禅宗の祖師達磨。仏教の保護者として有名な梁の武帝との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は雪舟等楊の「慧可断臂図」。
文帝。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。
6世紀に畿内での埴輪作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。「国宝武装男子立像(群馬県太田市出土)」東京国立博物館蔵。

6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す。

できごと[編集]

  • 502年 - 中国の南朝からにかわる。
  • 503年 - 「癸未年八月」の干支銘をもつ人物画像境が和歌山県橋本市隅田八幡宮に伝わる。(癸未年を443年とする説もある)。
  • 507年 - ブイエの戦いでフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。
  • 510年代 - エフタルのトラマーナ王と続くミヒラクラ王がインドにたびたび侵入する。
  • 511年 - フランク国王クロヴィス1世が死去し、領土はソワソンパリランスオルレアンの各王国に分割される。 
  • 520年 - インドのグプタ朝が分裂し統一王朝は崩壊。グプタ朝の版図は北ベンガルとビハールに限定される。
  • 523年 - 北魏六鎮の乱が起こる。
  • 527年(継体天皇の21年)- 磐井の乱起こる(『日本書紀』)。
  • 527年 - 梁の武帝建康同泰寺で最初の捨身を行う。
  • 527年 - 東ローマ帝国ユスティニアヌス1世皇帝に即位(- 565年
  • 528年(継体天皇の22年)- 磐井斬殺される(『日本書紀』)。
  • 529年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がアテネアカデメイアを閉鎖し、学者を追放する。
  • 529年 - ベネディクトゥスイタリアモンテ・カッシーノに修道院を創設。
  • 530年 - ユスティニアヌス1世が古代ローマ法の集大成である『ローマ法大全』編纂を命じる(533年完成)。
  • 531年 - サーサーン朝ペルシア帝国でホスロー1世が即位(- 579年)。サーサーン朝の最盛期を迎える。
  • 532年1月 - ユスティニアヌス1世がニカの乱により退位寸前まで追いこまれるが、皇后テオドラの励ましにより反徒を武力鎮圧し、専制支配を固める。
  • 532年6月 - 東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」を結んで東方国境を安定させる。
  • 533年 - 東ローマ帝国が北アフリカのヴァンダル王国を征服。
  • 534年 - フランク王国(パリ・ソワソン)がブルグンド王国を征服。
  • 534年 - 東ゴート王国女王アマラスンタが廃位される。翌535年にアマラスンタが殺害されると東ローマ帝国が軍事介入を開始。
  • 534年 - 北魏が東魏西魏に分裂。
  • 534年 - 西魏の宇文泰が郷兵を結集する(府兵制の始まり)。
  • 535年 - 地球規模の大異変が起きた。世界各地の古文書、年代記、伝承などに異常寒波、自然災害、飢饉、疫病が発生し、その結果政変や文明の崩壊がおきたことが記されている。[1]
  • 537年 - 東ローマ帝国でニカの乱で焼失したハギア・ソフィア大聖堂ユスティニアヌス1世による再建が完成。現存している「アヤソフィア」とは再建されたこの3代目の建物を指す。
  • 538年 - 日本に仏教伝来
  • 541年 - 東ローマ帝国で「ユスティニアヌスのペスト」が大流行。
  • 541年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌスがローマ共和政以来の執政官(コンスル)を廃止する。
  • 548年 - 梁で侯景の乱。翌年には建康が陥落し梁の武帝が憤死。
  • 550年 - 北斉が東魏を滅ぼす。
  • 550年頃 - インドでグプタ朝が完全に滅亡。
  • 552年 - 北アジアで柔然が分裂する。突厥が建国される。
  • 553年 - 第2コンスタンティノポリス公会議で「三章問題」が討議されその著作が排斥される。
  • 554年 - 東ローマ帝国がイタリアの東ゴート王国を征服。
  • 554年 - 東ローマ帝国が西ゴート王国領イスパニア南部を征服。
  • 554年 - 西魏が江陵を陥落させ、梁の元帝を殺害。
  • 557年 - 西魏に代わり北周が建国。
  • 557年 - 梁に代わりがおこる。
  • 559年ごろ - サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥と同盟してエフタルを滅ぼす。
  • 560年 - 西ゴート王国がトレドに遷都。
  • 567年 - ゲピド王国がランゴバルド族に征服され、国王クニムンドが殺害される。
  • 568年 - ランゴバルド人がイタリアに侵入し、ランゴバルド王国を建国。
  • 574年 - 北周の武帝の廃仏が始まる(三武一宗の法難の一つ)。
  • 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。
  • 580年ごろ - スラブ人が北ギリシャに侵入する。
  • 581年 - 中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼしてを建国。「開皇律令」が公布される。
  • 582年 - 隋の都・大興城が整備され、大興善寺が国寺として置かれる(仏教治国策)。
  • 583年 - 突厥が東西に分裂する。
  • 583年 - 隋の文帝が郡を廃止し、州県制を導入。
  • 584年 - 東ローマ皇帝マウリキオスラヴェンナに総督府を設置。
  • 587年 - 蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす(丁未の乱)。
  • 589年 - 隋が南朝の陳を滅ぼし、中国を統一。
  • 589年 - 西ゴート国王レカレド1世がカトリックに改宗する。
  • 590年 - ローマ教皇にグレゴリウス1世が即位。
  • 591年 - 東ローマ皇帝マウリキオスがカルタゴに総督府を設置。
  • 592年 - 隋で均田法が施行される。
  • 592年 - 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。
  • 593年 - 聖徳太子が推古天皇の摂政となる。
  • 598年 - 隋で科挙が行われる。高句麗遠征(隋の高句麗遠征)に失敗する。
  • 600年 - 日本が第1回遣隋使を派遣。(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない)

日本[編集]

日本では古墳時代にあたる。ただし、崇峻天皇が暗殺され推古天皇が立てられた崇峻天皇5年(592年)以降、または聖徳太子摂政になった推古天皇元年(593年)以降は、飛鳥時代に区分される場合もある。

  • 畿内では前方後円墳がつくられなくなり、天皇陵含む大型古墳も方墳となる。関東で群集墳が盛んに造られる。

人物[編集]

地中海世界とヨーロッパ[編集]

イタリア(東ゴート王国からランゴバルド王国まで)[編集]

フランク王国[編集]

イングランド・アイルランド[編集]

西ゴート王国[編集]

東ローマ帝国[編集]

西アジア[編集]

中央アジア[編集]

南アジア[編集]

東アジア[編集]

南朝[編集]

  • 蕭衍464年 - 549年) - 南朝梁の初代皇帝(武帝)(在位502年 - 549年)・仏教保護政策により「皇帝菩薩」と称される。
  • 朱异483年 - 549年) - 南朝の梁の政治家・東魏から亡命した将軍侯景を受け入れ反乱を誘発させた。
  • 侯景503年 - 552年) - 北朝東魏から南朝梁へ降った武将・侯景の乱を起こし建康を占領・梁の武帝を餓死させる。
  • 宝誌418年 - 514年) - 南朝宋から梁の僧侶・神異や予言で知られ「野馬台詩」の作者に擬せられる。
  • 陶弘景456年 - 536年) - 南朝梁の医学者・科学者・梁の武帝の信任が厚く「山中宰相」とも呼ばれる。著作に『真誥』など。
  • 劉勰(466年? - 532年) - 南朝梁の文学評論家。中国で最初の体系的な文芸理論書『文心雕竜』を著す。
  • 周興嗣470年? - 521年) - 南朝斉から梁の官僚・文章家・初学者の漢字習得用テキスト『千字文』の撰者。
  • 慧皎497年 - 554年) - 南朝梁の僧侶・後漢から梁までの中国僧の事跡を集めた『高僧伝』の撰者。
  • 昭明太子501年 - 531年) - 南朝梁の武帝の皇太子・文章家・詩文のアンソロジー『文選』の撰者。
  • 達磨(ボーディダルマ)(? - 528年頃?) - インド出身の僧侶で禅宗の開祖。梁の武帝と交流があったか。
  • 王僧弁(? - 555年) - 南朝梁の将軍・侯景の反乱を鎮圧し元帝を擁立・江陵失陥後は陳覇先と対立し敗死する。
  • 陳霸先503年 - 559年) - 南朝陳の初代皇帝(武帝)(在位557年 - 559年)。王僧弁の残党の反乱に苦慮する。
  • 徐陵507年 - 583年) - 南朝梁から陳の文学者・政治家・梁の太子蕭綱(後の簡文帝)の命で『玉台新詠』を編纂。

北朝[編集]

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朝鮮[編集]

  • 武寧王462年 - 523年) - 百済の第25代国王(在位502年 - 523年)・宋山里古墳群の武寧王陵からは墓誌や副葬品が発見される。
  • 聖王(? - 554年) - 百済の第26代国王(在位523年 - 554年)聖明王・日本に仏教を伝える(仏教公伝)・新羅との戦いで戦死。

日本[編集]

10年紀と各年[編集]

500年代 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509
510年代 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519
520年代 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529
530年代 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539
540年代 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549
550年代 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559
560年代 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569
570年代 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579
580年代 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589
590年代 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599
600年代 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 84ページ

参考文献[編集]

関連項目[編集]