ナスカの地上絵
座標: 南緯14度43分 西経75度8分 / 南緯14.717度 西経75.133度
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ナスカの地上絵
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| 英名 | Lines and Geoglyphs of Nazca and Pampas de Jumana | ||
| 仏名 | Lignes et géoglyphes de Nazca et de Pampas de Jumana | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(i),(iii),(iv) | ||
| 登録年 | 1994年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 地図 | |||
| 使用方法・表示 | |||
ナスカの地上絵(ナスカのちじょうえ)は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に「描かれた」幾何学図形、動植物の絵。
目次 |
[編集] 概要
紀元前2世紀から6世紀の間に、「描かれた」と考えられている。[要出典]
1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見される。ドイツの数学者、マリア・ライヒェがこの地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになった。あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しい。このような巨大な地上絵を何故描いたのかというのが大きな謎の一つとなっている。
近年、自動車の侵入による破壊が著しく、消滅の危機にある。
2011年1月18日、山形大学は、人文学部坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)らのグループがペルー南部のナスカ台地で新たな地上絵2つを発見したと発表した。新たな地上絵二つ(人の頭部、動物)はナスカ川の北岸付近で見つかった。人間の頭部と見られる絵は横約4.2メートル、縦約3.1メートルで、両目・口・右耳の形が確認されている。動物と見られる絵は、横約2.7メートル、縦約6.9メートル。種類は特定できていない。[1]
[編集] 立地と環境及び「描画」の方法
ナスカの地上絵が立地する場所は、ペルー南海岸地方の北から南へ走る丘陵と東方のアンデス山脈の麓との間にあるパンパ=コロラダ、パンパ=インヘニオと呼ばれる細長い盆地である。長い年月の間に、西方や東方の比較的高い場所からの水の流れが浸食した土砂を盆地に運び続けた。このような土砂は細かくて明るい色、黄白色をしている。この土の上に時々大洪水によって多量の石を含んだ土砂が運ばれる。細かい土は、南風によって吹き飛ばされ、比較的大粒の礫や岩石が残される。岩石は早朝は露に濡れるが、日中は焼け付くような砂漠の太陽に照らされることを繰り返すうちに、表層の岩石はやがて酸化して暗赤褐色になる。岩石が日中の太陽で熱をもつので、その熱の放射で地表に対して暖かい空気層をつくり出し、南風による表面の浸食を防ぎ、雨もほとんど降らない気候環境から雨による浸食もほとんどない状況をつくり出した。
ナスカの地上絵は、このような盆地の暗赤褐色の岩を特定の場所だけ幅1m~2m、深さ20~30cm程度取り除き、深層の酸化していない明るい色の岩石を露出させることによって「描かれて」いる。規模によってはもっと広く深い「線」で構成されている。地上絵の線は最初に線の中心から外側へ暗赤褐色の岩、砂、砂利を積み上げる、それから線の中心部分に少し残った暗赤褐色の砂や砂利も取り除いて明瞭になるようにしたと推察される。
様々な図形を大規模に描き上げた方法としては、十分な大きさの原画を描き上げた上で適当な中心点を取り、そこを起点にして放射状に原画の各点を相似拡大する方法、「拡大法」が採られたという説が提唱されている。成層圏などの超高々度からでなければ見えないものもあるため、上記のような方法で本当にできるのかと指摘されたこともあるが、地上絵の端にあった杭の存在や、地上絵の縮小図の発見などを考えると拡大説が妥当と考えられている。
九州産業大学工学部の諫見泰彦准教授[1](建築教育学)はこの方法を参考に、小学校の算数の総合学習として、児童による画鋲2個と糸1本のみを使ったナスカの地上絵の再現(実物大再現を含む)を、グラウンドや体育館で20回以上実践。児童15名から160名により、いずれも開始後150分以内で再現に成功した。ナスカの地上絵を題材として、算数の単元「比例」と測量技術とのつながりを体験的に学ぶこの学習プログラムは、独立行政法人科学技術振興機構の地域科学技術理解増進活動推進事業に採択されて全国各地の小学校・科学館等で実施され、基礎科学教育分野の優れた実践研究成果として第5回小柴昌俊科学教育賞(財団法人平成基礎科学財団主催)を受賞した。この研究成果により、日本の小学校程度の算数の知識があれば、地上絵の描画は充分可能であることが証明された。
[編集] 編年
地上絵にはサル、リャマ、シャチ、魚、爬虫類、海鳥類が描かれ、ナスカ式土器の文様との類似点が指摘されてきた。 1953年、コロンビア大学のストロング(W.Duncan Strong)は、パンパ=コロラダに描かれた直線のうち、土中に打ち込まれた木の棒で終わっているものがあるのに気づいた。こうした棒のうち一本をC14法で年代測定を行ったところ、西暦525年頃、誤差前後80年程度と判明した。また、1970年代のはじめ、G.S.ホーキンズ(Gerald S.Howkins)は、パンパ=コロラダでたくさんの土器の破片を採集し、ハーバード大学のゴードン・R・ウィリー(Gordon R.Willey)とカリフォルニア大学バークレー校のジョン・H・ロウ(John H.Rowe)に鑑定を依頼したところ、そのうち、85%がナスカ様式の土器だと判明した。残りの土器はそれ以後の時代、A.D.900~A.D.1400のものだった。同じ頃、ペルー文化庁のラビーネス(Rogger Ravines)も、パンパ=コロラダの周辺の遺跡から土器片を収集して、観察した結果、全てナスカ様式だった。これは、地上絵の近隣の遺跡は地上絵を描くための一時的な労務者集団の野営地とも考えられている。これらの結果から、時期的には、先行するパラカス文化の終わる紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたものだとほぼ確定されている。
[編集] 地上絵の性格
[編集] マリア・ライヒェなどによる暦法関連説
地上絵の線についてはマリア・ライヒェが、夏至と冬至に太陽が日没する方向に一致するものがあることを明らかにした。さらにマリア・ライヒェは、平行でない一連の直線は数世紀にわたる夏至と冬至に日没する方向を示していると考えている。また、ホーキンズも線の方向についてコンピューター分析を行ったところ、1年の太陽と月の運行の方向に合うものが偶然と考えられる場合の2倍に達するという結果を得ている。
このことからナスカの地上絵には暦学的性質があることがわかる。乾燥した南海岸地域の人々にとって夏至と冬至は、雨季と乾季の始まりであり、当然農業を行う時期や祭儀などに深く関連することが推察できる。
しかし、数百本という線から構成される地上絵で天体の運行と一致する物はあまりにも少ない。暦法関連説では、その一致しない地上絵の説明は全くつかないため、現在この説を単体で支持する学者は多くない。
[編集] 社会事業説
イリノイ大学のザウデマ(R.Tom Zuidema)のインカ社会についての研究に、次のような事例がある。インカの首都クスコからは、あらゆる方向に仮想直線が伸びていて、その位置は、一連の神殿によって示されていた。そして1年中毎日、クスコの住民のうちそれぞれ違う一族がそれぞれ違う神殿を礼拝した。クスコの「谷の広場」には、1年の儀式カレンダーが精密に記され、農耕順序や社会的義務や軍事活動などに関する情報は、その都度、クスコの人々に象徴的に伝えられた。またインカの人々は、クスコを「ピューマ」とよび、そこの住民たちを「ピューマの体内の構成員」と呼んだ。谷間の地形によって多少歪んでいるものの、都市計画としては、クスコはピューマに似たプランで築かれている。
ワリ「帝国」の研究で知られるW.イスベルは、ナスカの地上絵の機能について、この事例が参考になると考えている。
また、ナスカの社会には、ワリやクスコのような中央集権的な食料管理制度と食料貯蔵施設がなく、局所的、家族的なレベルで豊作時の食料を保管していたので、豊作時に人口が増え、不作時に死亡者がでやすい状況にあった。 そのため、豊作だった場合の個人貯蔵分について、大規模な労働力を投入する必要のある儀式活動に注意を向けさせ、祭祀「施設」の「建設」=地上絵を「描く」活動に従事する労務集団に食糧を供給するために強制的に取り立てるシステムができていて不作時に備えていた、とイスベルは考えている。 そして、一方で、暦に関する資料については、暦を特に天文学的観測と詳しく照合する必要のあるときには、キープによる方法は非実際的で、記録することは難しいと考えられる。このことから、利用可能で最も永続する素材としても地表が選ばれた、と考えている。
イスベルのこの考え方は、彼がインカや先行するワリの研究から、日本の律令時代の雑徭のような労働力を税として「公共事業」に提供する制度であるミタ制度の先駆と想定していると推測される。
研究者たちは、「文字を持たない社会がどのように組織を動かすか」という重要な情報を貯えようとする試みが、地上絵に反映されていると考えている。
[編集] 雨乞い儀式利用説
ナスカの地上絵が作られた理由については、「ナスカの地上絵は一筆書きになっており、それが雨乞いのための楽隊の通り道になった」という、ホスエ・ランチョの説もある。ペルーの国宝の壺にもこの楽隊が描かれたものがある。また、現在も続いている行事で、人々は雨乞いのために一列になって同じ道を練り歩く。この道筋としてナスカの地上絵が作られた可能性がある。しかし動物の地上絵の線は幅が非常に狭く、人間が歩行するのには適していない。ゆえにこの説も疑問が残る。
地上絵の線の上や周辺から、隣国エクアドルでしか取れない貴重な貝である赤いスポンディルス貝の破片が見つかっている。当時は雨乞いの儀式でこの貝が使用されたことが他の遺跡研究から分かっている。そのため、ペルー人考古学者のジョニー・イスラも雨乞い説をとっている。
[編集] 主な地上絵の規模
主な動物を描いた地上絵の規模としては、長さ46mのクモ、96mのハチドリ、55mのサル、65mのシャチ、180mのイグアナ、135mのコンドルが挙げられる。最大のものは、ペリカンかサギ、もしくはフラミンゴを描いたと推測される285mの鳥類の絵である。花や木々、装身具や織物のような日常生活の道具を描いたものや「宇宙飛行士」などと呼ばれているもの、片手が4本指の「手」など不可思議な図柄もある。
[編集] 最大の地上絵
近年、アメリカの資源探査衛星ランドサットが南緯14度45分、西経75度15分(南緯14度45分 西経75度15分 / 南緯14.75度 西経75.25度 )付近で撮影した画像に、全長50kmにも及ぶ巨大で正確な矢印を発見したと言われていたが、送電線と道路によって出来た現代の産物の誤認である。
[編集] 世界遺産の登録
1994年12月17日、UNESCOの世界遺産(文化遺産)に登録された。登録名称は『ナスカとフマナ平原の地上絵』(Lines and Geoglyphs of Nazca and Pampas de Jumana)。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[2]からの翻訳、引用である)。
- (i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
- (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
- 所在地:リマから南へ約444kmにあるナスカ高原。
[編集] 脚注
- ^ ナスカ地上絵に人の頭部か 2011年1月19日 読売新聞
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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