スラヴ人
スラヴ人[1]は、中欧・東欧に居住し、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団である。東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)・西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)・南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる。言語の共通性を何よりのアイデンティティとしている。
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歴史 [編集]
古代にはゲルマン人に次ぐ民族大移動の一部を成してポリーシャからヨーロッパ全域に拡張した。スラヴ全体に関する様々な学問をスラヴ学という。英語で「スレイヴ」(奴隷)という誤解を含んだ不名誉なレッテルで語られることも多いが、しかしその語源となったスラヴ語本来の「スラヴ・スロボ」の意味は、『言語』、『言葉』を意味するもの(スラヴ語: словоスローヴォ)である。スラヴ人は奴隷という先入観も、西ヨーロッパ人の誤解や蔑称から来ているのであり、特にナチスドイツではこの説は人気で、ソ連奇襲の公式理由の一つでもあった。これは、「スラヴ」がギリシア語に入ったときに『奴隷』の意味となり(他の民族もそうであるが、スラヴ人も戦争などで捕らえられると奴隷として扱われたためであると考えられる。この時代の捕虜はどの国でも奴隷であり、戦利品のひとつに過ぎなかった)、そのギリシア文化を受け継いだローマ帝国のラテン語から西ヨーロッパ諸言語に広まったと考えられる。
政治・文化 [編集]
スラヴ語の共通性を基盤とするスラヴ全体の共通性を強調する態度は汎スラヴ主義と呼ばれ、国民楽派、第一次世界大戦と民族国家、旧東欧の概念などの重要なアイデンティティともなったが、文化・宗教面ではスラヴ各民族ごとに異なるアイデンティティを持っており、ロシア・ポーランド関係、旧ユーゴスラビアなどのように血を流し合って対立する矛盾した面を持っている。
分布 [編集]
スラヴ人の多くはコーカソイド人種の特徴を持っている。原住地はカルパチア山脈周辺と推定され[2][3]、その後ヨーロッパ各地へと移住する過程で、6、7世紀頃まで言語としての一体性を持っていた[4][3]ものが、次第に東スラヴ人、西スラヴ人そして南スラヴ人といった緩やかなまとまりから、さらに各地のスラヴ民族を多数派とする集団へと分化していった歴史を持つ。
移住先では元々の在来の住民と混交する形で言語的にも文化的にも、次第に現地住民を同化しつつ、在来の住民と相互に影響を与え合う形で発展していった。特にトルコの支配を受けた南スラヴ人については、スラヴ人の移住以前からのバルカン半島の土着的な要素に加えて、オリエンタル地域に由来する文化も持ち合わせている。「ブルガリア」の名前は中世のテュルク系遊牧民であったブルガール人に由来しており、ブルガール人は彼らが支配するドナウ・ブルガール・ハン国で多数派であったスラヴ人と同化してブルガリア人となった。
一方、西ヨーロッパにおいても少数ながらスラヴ民族が現在も住居している。特にドイツ東部においては、古来よりポーランドとの国境付近にはドイツ人とポーランド人との混血集団であるシレジア人を始め、エルベ川東部にもスラヴ系集団が住居し、現代に至るまでドイツ人と共存、発展してきた歴史を持つ。現在もドイツ東部にはソルブ人が住居している。
なお、スラヴ人の中で最大の民族集団であるロシアの語源については、いくつか説はあるが、現代のウクライナの首都、キエフを中心としたキエフ・ルーシ(キーフルーシ大公国)の国号からとられたとも言われている。この「ルーシ」をギリシャ語読みすると「ロシア」となる。本来、地理的にキーフルーシがルーシ(ロシア)の名を引き継ぐべきところであるが、歴史的にモンゴル支配以降、急速に台頭してきた新興国家モスクワ公国(キーフルーシの一構成国でのちにロシア帝国となる)に「ロシア」の主導権を握られ、先を越された感がある。なお、キーフルーシはその後ロシア帝国の一構成集団として取り込まれていった後、ウクライナとして現代ロシアとは別の国家として存続している。
そのため、ウクライナ人の中には、これらの歴史的経緯からウクライナ人とロシア人は同じスラヴ民族であり、近隣同士の間柄としてともに歩んできたものの、ロシア人とウクライナ人とは一線を画している、とする論調が存在し、それが両民族の間にさまざまな軋轢をもたらしていることも、また事実である。なお、ウクライナ人自身も長い歴史の中でゴート人、ノルマン人、スキタイ人そして東スラヴ人との混血によって形成された民族集団である。
ロシアについては、歴史的に民族の行き交う十字路に位置しており、古来にはスキタイ人やサルマティア人、フン人そしてハザール人を始めとする遊牧民族、中世にはモンゴル人やタタール人等による支配を経験している。その後、ロシアが領土を中央アジアからシベリア、極東方面へ大きく拡大し周辺の諸民族を征服する過程で、これらの民族と言語的、文化的に混交、同化していった経緯から、ロシア人はコーカソイドを基調としながらも、東へ向かうにつれてモンゴロイド人種の特徴を含む人々も見られ、人種的に相当なばらつきがあるといわれている。
国旗 [編集]
スラヴ人が多数派を占める国々の国旗には、赤、青、そして白色からなる配色による構成が見られる。この配色は汎スラヴ色と呼ばれ、自由と革命の理想を象徴したものである。
汎スラヴ色を国旗の意匠とする国々は、ロシア、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチア、セルビアなどであり、南スラヴ族のモンテネグロ人を主要民族とするモンテネグロも2004年7月まで、汎スラヴ色を基調とする国旗を使用していた。また、同じ南スラヴ族のブルガリア国旗についても、青色の配色が農業を表す緑色に置き換えられているが、汎スラヴ色に分類される。
主なスラヴ民族 [編集]
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ ウクライナ語: слов'яни、カシューブ語: słowiónie、古代教会スラヴ語: словѣнє、 スロバキア語: slovania、スロベニア語: slovani、上ソルブ語: słowjenjo、下ソルブ語: słowjany、チェコ語: slované、ブルガリア語: славяни、 ベラルーシ語: славяне、クロアチア語: および ボスニア語: slaveni、ポーランド語: słowianie、セルビア語: および マケドニア語: словени、ロシア語: славяне。
- ^ 中世以前のスラブ人は文字を持っていなかったので、初めはどこで居住していたのか、いつ民族として独立したのかなどのことが分かっていない。しかし、初めはカルパティア山脈の北部、プリピャチ川の南に居住していたが、4世紀頃には西はオドラ川流域、東はドニエプル川中流域、北はバルト海沿岸、マズーリ湖沼帯プリピャチ川に至る広い領域に広まっていた。 - 伊藤一郎『歴史の起源』22-23、35ページ
- ^ a b 伊藤孝之・井内敏夫・中井和夫『新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社 1998年
- ^ 伊藤一郎『歴史の起源』22ページ
参考文献 [編集]
- (ウクライナ語) Етимологічний словник української мови: В 7 т. (ウクライナ語語源辞典。7巻) / АН УРСР. Ін-т мовознавства ім. О. О. Потебні; Редкол. О. С. Мельничук (головний ред.) та ін. — К.: Наук. думка, 1982—2006.
- (ロシア語) Свод древнейших письменных известий о славянах: в 2-х Т. (I-VI вв.). М., 1994—1995.
外部リンク [編集]
- (ロシア語) Словопедия (ロシア語の諸辞典集)
- (英語) Lozinski, B. Philip (1964, 2004). “The Name SLAV”. In Ferguson, Alan D.; Levin, Alfred. Essays in Russian History, A collection dedicated to George Vernadsky. Hamden, Connecticut: Archon Books, Vassil Karloukovski. pp. 19–30..
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