カムランの戦い

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カムランの戦い
How Mordred was Slain by Arthur.jpg

アーサー王がモードレッド卿を打ち負かすが、アーサー王もまた重傷を負う様子、アーサー・ラッカム
537年(カンブリア年代記)
場所 カムラン(現在のどこかは諸説あり)
結果 アーサー王側の勝利。
指揮官
アーサー王 モードレッド
戦力
不明 不明
被害者数
数人を残し全滅 全滅

カムランの戦い(Battle of Camlann)はアーサー王の最後の戦い。キャムランの戦いとも。『カンブリア年代記』などの歴史資料にもこの戦いについての記述が記されている。また、伝説によればこの戦いにおいてアーサー王は死亡した、あるいは重傷を負ってアヴァロンで治療を受けているとも説明される。


目次

[編集] 史書

史書の類に現れる記録のうち、最古のものは『カンブリア年代記』である。それによると、西暦537年に「アーサーとメドラウト(Medraut、モードレッドと同一人と見られる)カムランの戦いで死亡した」、との記載が見られる。しかし、別に「アーサー王とモードレッドが戦った」との記述が見られるわけではなく、アーサー王とモードレッドが味方同士だったと考える余地がないわけでもない。

ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王伝』以降の文献では一般的に、「アーサー王の遠征中にモードレッドが反乱を起こし、それをアーサー王が討伐したが、重傷を負ったため治療のためアヴァロンへ向かう」という設定になっている。ちなみに、『ブリタニア列王伝』によればカムランの戦いは、ベイドン山の戦いから20年後ということになっている。

カムランの位置については、諸説あるが不明である。北サマセットのクィーンキャメルや、キャメルフォード付近などが候補として挙げられている。位置について混乱を招くのは、「カムラン(camlann)」という名前であるからには、「ねじまがった土手(crooked bank)」のある場所でなければならない点である。そのため、カムランを探すとすれば、古戦場を探し、その周囲にねじまがった土手を探すことになるのだろうが、その作業が簡単なことではないのである。

[編集] アーサー王物語

[編集] 開戦までの流れ

アーサー王に対し裏切りを働いたランスロット卿と戦うべく、アーサー王たちがフランスまで遠征している間、留守を任されていたモードレッド卿が突如として王国を簒奪したとの知らせが入る。アーサー王らはランスロット卿との戦いをやめ、ブリテンへ帰還することになる。しかし、ランスロット卿との戦いにおいて重傷を負っていたガウェイン卿はブリテン上陸時の戦いで戦死してしまった。

アーサー軍、モードレッド軍がカムランに集結したが、アーサー王のもとへ、ガウェイン卿の霊が現れ、援軍としてランスロット卿の到着するまで、開戦を伸ばすように忠告する。これを受け入れ、アーサー王はモードレッド卿と休戦の申し入れをした。しかし、調停の途中、一人の騎士が蛇を殺そうとして剣を抜いたところ、疑心暗鬼から殺し合いに発展し、ついにカムランの戦いが始まってしまう。


[編集] 最終結果

既にめぼしい騎士は死亡してしまっているか、ランスロット卿とともに離反しているので、双方ともに名の知れた騎士はあまり参加していない。ケイ卿については、この戦いで戦死したとの説がある。最終的に、戦場にのこったのはアーサー王軍側が、アーサー王、ベディヴィアルーカン、モードレッド軍がモードレッド一人にまで消耗した。ついにアーサー王は槍[1]でモードレッド卿に致命傷を与えるが、同時にモードレッド卿の攻撃によってアーサー王もまた重傷を負い、満身創痍だったルーカン卿もまもなく死亡。アーサー王はベティヴィエールにエクスカリバーを湖に投げ入れるように依頼したあと、行方不明になる。このとき、アーサー王は死亡したとも、アヴァロンで治療を受けており、有事の際には再び現れるとも伝えられている。

  1. ^ マロリー版など多くの伝説によれば、どういうわけかアーサー王はエクスカリバーを使っておらず、槍で戦っている。画像も参照のこと。

[編集] 関連項目

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