浄土教
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浄土教(じょうどきょう)は、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想とも。
「浄土」という語は中国での認識であるが、思想的にはインドの初期大乗仏教の「仏国土」がその原型であり、多くの仏についてそれぞれの浄土が説かれている。しかし、中国・日本においては阿弥陀仏信仰の流行にともない、浄土といえば一般に阿弥陀仏の浄土をさす。その意味は、唐代の善導が「念念に浄土教を聞かんことを思い」(『法事讃(転経行道願往生浄土法事讃)』)という場合の「浄土教」がそれである。
目次 |
[編集] インド
浄土教が成立したのはインドにおいて大乗仏教が興起した時代であり、およそ紀元100年頃に『無量寿経』と『阿弥陀経』が編纂されて始まる。時代の経過とともに浄土教はインドで広く展開した。
阿弥陀仏や極楽浄土に関説する大乗経論は非常に多く、浄土往生の思想を強調した論書としては以下がある。
- 龍樹(150年 - 250年頃)作と伝える『十住毘婆沙論(婆沙論)』(全十七巻の内、巻第五の「易行品 第九」)
- 天親(4-5世紀)の『無量寿経優婆提舎願生偈(浄土論・往生論)』
なお、『仏説観無量寿経』 は、サンスクリット語の原典が発見されておらず、おそらく4-5世紀頃中央アジアで大綱が成立し、伝訳に際して中国的要素が加味されたと推定される。しかし中国・日本の浄土教には大きな影響を与えた。
[編集] 中国
中国では2世紀後半から浄土教関係の経典が伝えられ、5世紀の初めには廬山の慧遠(334年 - 416年)が『般舟三昧経』にもとづいて白蓮社という念仏結社を作った。 やがて「浄土三部経」を根本経典として、
それぞれ著し、五濁悪世の末法の世に適した称名念仏を中心とする浄土教が確立された。
のちに慧日(680年 - 748年)や五会念仏の法照(? - 777年頃)らが出て、浄土教を禅などの諸宗と融合する傾向が強くなった。
[編集] 日本
日本では7世紀前半に浄土教(浄土思想)が伝えられ、9世紀前半には円仁(794年 - 864年)が中国五台山の念仏三昧法を比叡山に伝えた。やがて良源(912年 - 985年)が『極楽浄土九品往生義』、源信(942年 - 1017年)が『往生要集』を著して、天台浄土教が盛行するにいたった。藤原頼通が築いた平等院も浄土思想に基づくものである。
平安時代の浄土思想は主に京都の貴族の信仰であったが、空也(903年 - 972年)は庶民に対しても浄土教を広め、市の聖と呼ばれた。良忍(1072年 - 1132年)は「一人の念仏が万人の念仏と融合する」という融通念仏(大念仏)を説き、融通念仏宗の祖となった。天台以外でも三論宗の永観(1033年 - 1111年)や真言宗の覚鑁(1095年 - 1143年)のような念仏者を輩出した。
平安末期から鎌倉時代に入ると、
- 法然(1133年 - 1212年)は、『選択本願念仏集(選択集)』を著して浄土宗を開創し、根本経典を『仏説無量寿経』(曹魏康僧鎧訳)、『仏説観無量寿経』(劉宋畺良耶舎訳)、『仏説阿弥陀経』(姚秦鳩摩羅什訳)の「浄土三部経」に、天親の『浄土論』加え制定した(「三経一論」)。
- 法然の弟子の親鸞(1173年 - 1262年)は、『教行信証』等を著して継承発展させ、後に浄土真宗の祖となる。[1]
- 一遍(1239年 - 1289年)は、諸国を遊行して時宗を開いた。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて興った融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗は、その後それぞれ発達をとげ、日本仏教における一大系統を形成して現在に及んでいる。
[編集] 脚注
- ^ 親鸞の著書に「浄土真宗」・「真宗」とあるのは、宗旨としての「浄土真宗」のことではなく、「真の宗教である浄土宗の教え(法然の教え)」のことである。なお浄土真宗の開祖は親鸞とされているが、それは親鸞歿後に制定されたものである。親鸞自身は独立開宗の意思は無く、法然に師事できた事を生涯の喜びとした。
[編集] 関連項目
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