アタナギルド

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アタナギルドの肖像。スペイン国立図書館所蔵

アタナギルドAthanagild, ?年 - 567年)は、西ゴート王。551年から554年まではアギラ1世の対立王として、555年から567年までは単独で王となった。東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世が派遣した艦隊の協力を得て、554年にアギラ1世をセビーリャで戦死させ、即位した。

即位後ただちに彼は東ローマ帝国との開戦を宣言した。ヒスパニアの地中海沿岸ほとんどを支配下においていた東ローマとの対立は不可避で、彼らはオロスペダ地方をアタナギルドへ移管することを拒否した。一方で、廃位したアギラ1世の支持者たちが次第に勢力を盛り返していた。東ローマはカルタゴ・ノヴァを征服し、ユスティニアヌス1世の艦隊はマラガに上陸した。両勢力とも別の場所から内陸のバサ近郊に侵入した。反乱側についたコルドバは東ローマと同盟した。566年から567年にかけアタナギルドは反乱側のセビーリャを攻め、これを征服したが、コルドバの征服はならなかった。当時、ユスティニアヌス1世は西ゴート王と和平を結び、沿岸地域は東ローマが支配し内陸地域も影響下におくこととした。イベリア半島に東ローマ帝国の存在があることは、属州内での帝国の内戦に西ゴートが巻き込まれ、経済危機も引き起こされることを意味した。

一方で、アタナギルドはフランク王国との関係保持に腐心した。彼らとの自由貿易と安全保障が、政略結婚で保障されたからである。アタナギルドは王妃ゴイスインタとの間に娘を2人もうけた。ガルスインタはキルデリク1世へ、もう一人の娘ブリュンヒルダシゲベルト1世へ娶わせた。夫に先立たれたゴイスインタは、のちにレオヴィギルドと再婚することになる。

アタナギルドは、それまで宮廷のあったバルセロナからトレドへ移った。これ以降、西ゴートの首都はトレドとなった。貨幣学上の証拠から、彼の晩年には王国が財政危機にあったことがわかっている。

先代:
アギラ1世
西ゴート王
555年-567年
次代:
リウヴァ1世