三式潜航輸送艇
三式潜航輸送艇(さんしきせんこうゆそうてい)は、日本陸軍の潜水艦。通称のまるゆ(○の中に「ゆ」と書く)で知られる。1型と2型があり、主に輸送任務で用いられた。
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概説 [編集]
太平洋戦争中のガダルカナル島の戦いで、日本陸軍が補給に苦しんだことをきっかけに開発された。ガダルカナル島の戦いでは日本の輸送船団が壊滅し、高速の駆逐艦を利用した輸送部隊(鼠輸送)さえもが海上で撃破され、食料弾薬の十分な補給ができなかった。そこで敵に発見されにくい潜水艦での補給を行うことが計画された。
設計及び建造は海軍には秘匿され、日本陸軍が独自に行った。建造する工場も発注する陸軍も潜水艦の建造は全く経験がなかったことから、設計は困難を極めた。第一次世界大戦でドイツが開発した輸送潜水艦の図面と、民間で使用されていたサンゴ採取用の西村式潜水艇を参考とした。機関は、石油掘削用動力として使われていたヘッセルマン型エンジンを2基直列して搭載した。耐圧隔壁の資材は戦車用16mm装甲板を転用した。
建造は日立製作所、日本製鋼所、安藤鉄工所及び朝鮮機械製作所のボイラー製造工場で、主機の製造は相模陸軍造兵廠、神戸製鋼所、大阪金属工業(ダイキン工業)で行われた。試作一号艇が1943年10月に竣工し、海軍関係者も招待して潜行試験が行われたが、当初はトリムの調整に失敗し、艦首が沈むと艦尾が浮く、艦尾が沈むと艦首が浮くなどして全く潜水できなかった。そこで試行錯誤を繰り返し、やがて艦体はなんとか水面下に完全に没したが、今度は単に沈没しただけだった。その様子を見て「落ちた(沈没した)」と見学していた海軍が騒然となる横で、陸軍一同は潜水成功と勘違いし、満面の笑みで万歳三唱する有様だった。幸い、一号艇は浮上に成功して乗員は無事に救出された。
その後改良を加えながら量産が行われ、38隻が1型として建造された。航行能力が低かったため、昼間は沈座してやり過ごし、夜間だけ浮上して航行することとされ、急速潜行能力は求めないものとされた。1型は1944年から就役して潜行輸送隊に配備され、フィリピンや沖縄への補給任務を行った。
積載できる物資が少なかったことや航続距離が短かったことから2型の開発が行われた。2型は海軍の協力のもとに開発されたが、就役を待たず終戦を迎えた。
小型なこともあり、要目表に現れない居住性能は劣っていた。中島篤巳『陸軍潜水艦隊 極秘プロジェクト! 深海に挑んだ男たち』によると、便所はドラム缶を使用したために艇内に臭気が充満していた。各国海軍の潜水艦では専用の便所が備えられ、汚物は圧縮空気で外部に排出できるようになっていた。日本海軍でも、一部の旧式艦を除いては各国同様に潜航中も使用可能な水洗式便所が備えられていた。狭いまるゆは艇長室でさえ1畳大の広さしかなく、乗組員達は「本物の」潜水艦に出向く度に、その「広さ」にため息をついた。
第二次世界大戦中に陸軍で潜水艦を建造していたのは日本陸軍だけである。そのため、日本の陸海軍の意思疎通の悪さの例として挙げられることが多い。
なお、日本海軍も、伊三六一型潜水艦、波一〇一型潜水艦など輸送用潜水艦を建造している。
諸元 [編集]
1型 [編集]
- 全長:41.41m
- 全幅:3.9m
- 吃水:2.97m
- 排水量:274.4t(水上)・370t(水中)
- 主機:ヘッセルマンエンジン
- 速力:7.5kt/h(水上)・3.5kt/h(水中)[1]
- 積載量:24t(米換算)、もしくは兵員40名
- 乗員:23名
- 武装:四式37mm舟艇砲×1
2型 [編集]
- 全長:55m
- 排水量:430t(水上)・540t(水中)
- 速力:14.5kt/h(水上)・4.5kt/h(水中)
- 積載量:40t(米換算)
脚注 [編集]
- ^ 『写真日本の軍艦 第12巻』によると水上速力10kt、水中4kt。
参考文献 [編集]
- 国本康文『陸軍潜航輸送艇隊出撃す!』(自費出版、1999年第3版)
- 土井全二郎『決戦兵器 陸軍潜水艦 陸軍潜航輸送艇マルゆの記録』(光人社、2003年) ISBN 4-7698-1081-4
- 中島篤巳『陸軍潜水艦隊 極秘プロジェクト!深海に挑んだ男たち』(新人物往来社、2006年) ISBN 4-404-03413-X
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8