第三次ソロモン海戦

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第三次ソロモン海戦
大東亜戦争 / 太平洋戦争
撃墜された日本機から上がる黒煙
1942年11月12日ガダルカナル島近海で撃墜され、黒煙を上げる日本機。
1942年 11月12日1942年 11月15日
場所 ガダルカナル島近海, ソロモン諸島
結果 連合軍の勝利
衝突した勢力
日本の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オーストラリアの旗 オーストラリア
指揮官
日本阿部弘毅中将
日本近藤信竹中将
アメリカ合衆国ダニエル・J・キャラハン少将
アメリカ合衆国ウィリス・A・リー少将
戦力
空母1
戦艦2
巡洋艦8
駆逐艦16
空母1
戦艦2
巡洋艦5
駆逐艦12
被害者数
戦艦2沈没
巡洋艦1沈没
駆逐艦3沈没
輸送船11沈没
航空機64
戦死1,900[1]
巡洋艦2沈没
駆逐艦7沈没
航空機36
戦死1,732[2]

第三次ソロモン海戦(だいさんじソロモンかいせん)とは1942年11月12日~15日にソロモン海で行われた日本海軍アメリカ海軍との間で行われた海戦のこと。米軍の勝利により日本軍増援部隊は阻止され、ガダルカナルの戦いは米軍優勢となった。

経緯[編集]

1942年8月、米軍はウォッチタワー作戦を発動し、ガダルカナル島フロリダ諸島を占領した。日本軍はガダルカナル島の戦力を増強して米海兵隊から占領地を奪還しようと試みたが、その意図は同島のヘンダーソン飛行場から発進した米軍機によって輸送船団が撃退されて阻止される。日本軍は、米軍機に襲撃されると大きな損害を出す輸送船による兵力増強を諦めた。代替手段として、日本海軍は駆逐艦を輸送船のかわりに用いる鼠輸送(連合軍側名称『トーキョーエクスプレス』)で補給を続けたが、敵主力艦を撃沈するために建造された艦隊型駆逐艦にとって不向きの任務だったことは否めない[3]。また駆逐艦の輸送力は輸送船に比べてあまりにも小さく、その補給効果は限定的だった[4]。さらに米海軍の迎撃や米魚雷艇の活動によって駆逐艦の損害も増えた[5]

日本海軍は制空権掌握の障害となるヘンダーソン飛行場に対し4回の艦砲射撃をおこなっていた。特に1942年10月13日深夜から翌14日にかけて金剛型戦艦金剛」、「榛名」が砲撃を行い、一時的に飛行場を使用不能とした(ヘンダーソン基地艦砲射撃)[6]。それでも飛行場の機能を奪うには至らず、逆に米軍の戦力は充実する一方だった。海上からの砲撃と並行して、ニューブリテン島のラバウル基地から日本軍ラバウル航空隊第十一航空艦隊第二五一海軍航空隊等)、ニューギニア島のブナ基地から第二〇四航空隊や空母「隼鷹」・「飛鷹」航空隊がガダルカナル島上空に出撃して飛行場爆撃や米軍戦闘機駆逐を試みたが失敗し[7]、米軍の航空戦力は健在だった。戦争初期、空中格闘戦能力の高さで連合軍機を圧倒した零式艦上戦闘機(以下、零戦)も、制空戦闘では「往路2時間、ガダルカナル上空での空中戦(滞在時間約30分以下)、帰路2時間」[8]、零戦より速度のでない一式陸上攻撃機爆撃隊を掩護する任務では「片道4時間、直掩戦闘、帰路4時間、合計8時間」[9]という長時間の任務となり、損害を増やした。

日本軍が航空戦に苦戦する一方、米軍はエスピリトゥサント島を基地とするB-17大型爆撃機(通称、フライングフォートレス=空飛ぶ要塞)の活動と米軍潜水艦の遊弋によって[10]、日本軍の行動力を著しく妨げていた[11]。ガダルカナル島の日本陸軍に補給物資を届けることがますます難しくなり[12]、日本軍にとってガダルカナル島の戦局は悪化の一途を辿る。そこで日本海軍(連合艦隊)は、大口径砲を装備した戦艦による艦砲射撃をふたたび実施して飛行場を破壊、同時に陸軍第三十八師団と大量の補給物資をガダルカナル島に強行輸送し、同島の米軍を圧倒するという決断を下す[13]。第十一戦隊の金剛型戦艦比叡」、「霧島」2隻を中核として「第五次挺身隊」を編成し、彼らに第三十八師団上陸の前にヘンダーソン基地の砲撃を命じた。「比叡」、「霧島」とも就役してから30年が経過していたが、改装によって速力30ノットを発揮する高速戦艦となり、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦で空母機動部隊の護衛艦をつとめるなど、第一線級の能力を持っていた。特に「比叡」は大和型戦艦のテスト艦として装備が改良されていた。

吉田俊雄(海軍少佐、軍令部勤務)は「本来海軍が担当すべきガダルカナル島で陸軍が苦労している。せめて海軍は艦砲射撃で掩護しなければならない」という、陸軍に対する日本海軍の引け目が作戦の背景にあったと指摘している[14]。「比叡」、「霧島」を擁する第十一戦隊や各艦将校は「柳の下のドジョウ掬いで2回目は危ないのではないか」と懸念を示していたが、山本五十六連合艦隊司令長官がみずから陣頭指揮をとることを示唆すると、作戦を了承したという[15]。それでも、日本海軍は米軍の空母機動部隊が10月26日の南太平洋海戦で壊滅したとみて、米軍による妨害を排除可能と判断[16]。第三十八師団は最大速力15ノット以下の輸送船11隻に分乗し、11月13日を上陸予定日としてショートランド泊地を出港。南東に針路をとりガダルカナル島へ向かった[17]。11月9日、第四戦隊、第三戦隊、第十一戦隊、第八戦隊、第十戦隊(軽巡長良、第十六駆逐隊)、第三水雷戦隊(軽巡川内、第六駆逐隊、第十五駆逐隊、第十一駆逐隊)、第二航空戦隊・空母「隼鷹」がトラック泊地を出撃した[18]

アメリカ海軍は日本軍の動きを察知すると、機先を制するように動き出した。ニューカレドニアヌーメアにいたウィリアム・ハルゼー提督が、ガダルカナル島にいるアメリカ海兵隊のバンデクリフト少将との約束を守るべく行動を開始。ハルゼーはリッチモンド・K・ターナー少将に陸軍第182歩兵連隊、第4海兵隊補充大隊、第1海兵隊航空技術者大隊をガダルカナルに投入するよう命じ、また南太平洋海戦で受けた損傷を修理中の空母「エンタープライズ」を中核に、新世代のノースカロライナ級戦艦ワシントン」、サウスダコタ級戦艦サウスダコタ」、巡洋艦「ノーザンプトン」、「サンディエゴ」、駆逐艦8隻をもって、第16任務部隊を編成した[19]。ダニエル・キャラハン少将に対しては、指揮下の巡洋艦「サンフランシスコ」、「ペサンコラ」、「ポートランド」、「ヘレナ」、「ジュノー」、駆逐艦10隻の第67任務部隊4群をもってターナー輸送船団の護衛を命じた[19]。海兵隊航空地上要員部隊は、輸送艦ゼイリン(USS Zeilin, APA-3)、リブラ (USS Libra, AK-53) 、ベテルギウス(USS Betelgeuse, AK-28)に乗艦し、ノーマン・スコット少将が率いる第62任務部隊第4群(巡洋艦アトランタ、駆逐艦4隻)に護衛され、ガダルカナル島へ向かった[20]

11月11日、第16任務部隊はダンベア湾を出港した[20]。日本艦隊も米艦隊の出撃を第十一航空艦隊の偵察により察知した。当初は「戦艦3、巡洋艦1、駆逐艦4」という規模の艦隊と「重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦11隻」に守られた10隻程度の輸送船団がガダルカナル島に接近しているという情報だったが[21]、12日に「戦艦は防空巡洋艦の誤り」という訂正電報が入った[22]。また第八五一航空隊の偵察機は「敵大機動部隊発見」を報告し、日本軍は米空母の出現を知った[23]。その一方で、日本軍はガダルカナル島の米軍航空戦力を戦闘機20、艦上爆撃機20程度と推測し[24]、11日には第十一航空艦隊が米軍戦闘機11機撃墜[25]、第二〇四空が24機撃墜を報じた[26]。空母「飛鷹」航空隊(陸上基地発進。零戦12、艦上爆撃機9)に至っては、ガダルカナル島周辺の米軍巡洋艦1隻、駆逐艦5隻、輸送船3隻を攻撃して「米軍機撃墜25、駆逐艦1隻、輸送船1隻撃沈(零戦3、艦爆4喪失)」を報告している[27]宇垣纏連合艦隊参謀長は、航空隊の戦果報告と、ガ島日本軍陸上部隊からの戦果報告が全く一致しないことに「全然別個の一群存在するや否や総合判断に苦しむ」と困惑していた[28]。このような状況下、日米両軍は期せずして、船の墓場と両軍がよぶ「アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)」(サボ島とガダルカナル島周辺海域)に引き寄せられていった[29]

11月12日、日本艦隊は戦艦「比叡」を旗艦とするガダルカナル島砲撃艦隊(挺身艦隊)と、第三戦隊(金剛型戦艦金剛榛名)と主力空母「隼鷹」、軽空母「瑞鳳」を含む支援艦隊の二手にわかれた[30]。日本軍より一足はやくガダルカナル島に到着した米軍は、島で待つ米軍海兵隊に増強兵力、補給物資の揚陸を開始した。9:30(米軍時刻)、ブナ基地から発進した空母「飛鷹」航空隊の九九式艦上爆撃機9機が攻撃したが、戦果なく撃退された。11:00、ラバウルから飛来した第十一航空艦隊の一式陸上攻撃機27機がエスペランス岬英語版方面からガダルカナル島上空に出現したが、米軍輸送船団を識別できず、ヘンダーソン飛行場を爆撃して去った。午後12時30分、第二〇四空の攻撃隊がガダルカナル島に向かったが、天候不良のため引き返した[31]。14:10(日本時間午後12時~12時30分)、第二五三海軍航空隊第五八二海軍航空隊の零戦18機に護衛された29機の一式陸攻が出現[32]。29機の所属は、9機が第七〇三空(8機喪失)[33]、7機は第七〇五空(5機喪失)[34]、4機は第七〇七空(3機喪失)[35]である(残9機所属不明)。攻撃隊はフロリダ諸島上空で二手に分かれると、8メートルから16メートルの超低空から攻撃を仕掛けた。米軍戦闘機の迎撃と、防空巡洋艦「アトランタ」、「ジュノー」をふくめた米軍艦艇の対空砲火により一式陸上攻撃機は戦果なく撃退されたが、1機の一式陸攻が「サンフランシスコ」に体当たりし、火災を発生させた。日本挺身艦隊も米軍輸送船団の揚陸作業と護衛巡洋艦について情報を得ていたが[36]、航空攻撃に対する戦果は実際の米軍被害にくらべてかなり大袈裟だった。攻撃隊は「重巡洋艦1、軽巡洋艦1撃沈、輸送船3炎上」と報告[37]。日本軍第十一航空艦隊は「米重巡洋艦1隻撃沈、重巡洋艦4隻炎上中」と各部隊に通知した[38]。第十八戦隊は「米軍輸送船1隻撃沈、米軍重巡洋艦1隻、輸送船1隻大火災、重巡洋艦1隻黒煙噴出、駆逐艦2隻白煙、米軍戦闘機19機撃墜」と受信している[39]

こうして日本軍の航空攻撃は失敗し、米軍はガダルカナル島に増援兵力を輸送することに成功した。12日午後、米軍はB-17爆撃機による航空偵察をおこない、ガダルカナル島に接近する日本軍艦隊を発見する[40]。そこでターナーは自身の護衛艦隊から「アトランタ」、「ジュノー」、「ヘレナ」、駆逐艦2隻を分離させ、キャラハン少将の艦隊に加えた[40]。一方、12日午後3時30分、田中少将率いる輸送船団と護衛艦隊はショートランド泊地を出港した[41]

戦力[編集]

第一夜戦 参加兵力[編集]

日本海軍艦艇[編集]

挺身艦隊指揮官:阿部弘毅中将(第十一戦隊司令官)

アメリカ海軍艦艇[編集]

司令官:ダニエル・J・キャラハン少将

外南洋部隊 参加兵力[編集]

日本海軍艦艇[編集]

指揮官:三川軍一中将

支援部隊司令官:西村祥治少将[43]

東方支援隊司令官:原忠一少将[45]

  • 第八戦隊 重巡洋艦:利根(12日夜、本隊と合流)[46]
  • 第三水雷戦隊(12日夜、本隊と合流)

母艦支援隊[47]

  • 第二航空戦隊[48]
  • 第三戦隊:栗田健男中将[49]
    • 戦艦金剛榛名(11日にトラック泊地で36㎝主砲弾一部を「比叡」「霧島」に譲渡)[50]
    • 駆逐艦:初雪
  • 第八戦隊
    • 重巡洋艦:利根(14日午前8時、第三戦隊指揮下に入る)[46]

輸送部隊指揮官:田中頼三少将[51]

  • 第二水雷戦隊 指揮官:田中頼三少将
  • 収容隊(駆逐艦:望月天霧[52]
  • 待機隊(駆逐艦:黒潮[53]
    • 第一分隊(輸送船:長良丸、宏川丸、佐渡丸、かんべら丸、那古丸)[53]
    • 第二分隊(輸送船:山月丸、山浦丸、信濃川丸、鬼怒川丸、ぶりすべん丸、ありぞな丸)[53]

アメリカ海軍艦隊[編集]

指揮官:トーマス・C・キンケイド少将

第二夜戦 参加兵力[編集]

近藤信竹中将とウィリス・A・リー少将 近藤信竹中将とウィリス・A・リー少将
近藤信竹中将とウィリス・A・リー少将

日本海軍艦隊[編集]

司令官:近藤信竹中将

アメリカ海軍艦隊[編集]

司令官:ウィリス・A・リー少将

海戦の経過[編集]

11月13日第1夜戦[編集]

日本軍挺身艦隊は、本隊(第十一戦隊)「比叡」、「霧島」、直衛隊(第十戦隊、第十六駆逐隊、第六一駆逐隊)、警戒隊(第四水雷戦隊)、ガダルカナル島~ラッセル岬警戒隊(第二十七駆逐隊)から編成されていた[55]。第十一戦隊と第四水雷戦隊は事前の打ち合わせや合同訓練を行ったことがなく、指揮官達は不安を感じていた[56]。挺身艦隊は、戦艦の艦載水上偵察機を事前にイサベル島レカタ基地に派遣している[57]

日本艦隊は26ノットで南進していたが、猛烈なスコールにおそわれ、速力を落とした[58]。砲撃困難と判断した日本軍挺身艦隊はいったん北方に変針したが、天候が回復し[59]、レカタ基地から発進した水上観測機も到達見込みとの報告が入る[60]。午後10時40分、挺身艦隊はふたたび反転し、予定より約40分遅れてガダルカナル島海域に突入した[61]。月齢3.4、月没午後8時のため、ガダルカナル島周辺は闇夜であった[62]。事前の反転2回により、駆逐艦「夕立」は僚艦を見失い[63]、「比叡」「霧島」の前方10km地点で警戒するはずの第四水雷戦隊は「比叡」と並走するように航行する[64]。そのため、日本軍戦艦2隻は事前の計画とは裏腹に、艦隊のほぼ先頭を進んでいた[65]。その事に気付かなかった阿部司令官は「比叡」と「霧島」に、飛行場砲撃のための弾種「三式弾」を36センチ主砲に装填するよう命じた[66]

11月13日金曜日01:00、第67任務部隊第4群はガダルカナル島ルンガ岬の海兵隊陣地前を通過した[67]。キャラハン少将は最新式SGレーダーを装備した軽巡洋艦「ヘレナ」ではなく、やや古いSC海上探知レーダーを装備した重巡洋艦「サンフランシスコ」を旗艦としていた[67]。米艦隊の隊列は[67]前衛に駆逐艦「カッシング」、「ラフィー」、「ステリット」、「オバノン」。中央に巡洋艦「アトランタ」、「サンフランシスコ」、「ポートランド」、「ヘレナ」、「ジュノー」。後衛に駆逐艦「アーロン・ウォード」、「バートン」、「モンセン」、「フレッチャー」というものだった。

01:24、「ヘレナ」は2万7000ヤード(約25km)に日本軍挺身艦隊を発見し、「サンフランシスコ」に連絡[67]。米艦隊は丁字戦法を実施すべく運動を開始したが[67]、前衛の駆逐艦が「艦隊を左へ」という命令を「艦を左へ」と読み違え、混乱が生じた。01:30-40、駆逐艦「夕立」「春雨」が米艦隊先頭を航走する「カッシング」に距離2700mまで迫り、「カッシング」は慌てて左に転舵した[68]。先導艦の予期せぬ変針は米艦隊に大混乱を招いた。一方日本軍挺身艦隊では日本時間午後11時44分、「夕立」が米艦隊発見を報告[69]。続いて「比叡」、「春雨」が米軍艦隊を確認。飛行場に戦艦の主砲を向けて発射直前だった日本艦隊は驚愕した[70]。戦艦「比叡」と「霧島」は既に艦艇の砲撃にはむいていない弱装弾薬・対地攻撃用三式弾を装填していたが、徹甲弾に切り替える余裕なしと判断し、阿部中将は射撃を命じる[71]。日本軍時間11月12日午後11時51分(米軍時間11月13日01:50)、戦艦「比叡」は探照灯(サーチライト)を点灯して闇夜の戦場を照らすと同時に、36㎝主砲砲撃を開始した[72]。「比叡」艦橋から見た米艦隊は左に駆逐艦4隻、中央に巡洋艦部隊、右に駆逐艦4隻が並んで横陣となり、日本軍戦艦を包囲するような運動をしていた[73]

一方の米軍。キャラハンは『奇数番艦は右砲戦、偶数番艦は左砲戦』という命令を出したが、陣形が混乱していることを考慮していなかったため、米艦隊はますます混乱した[74]。海戦は駆逐艦「暁」(山田勇助司令)が探照灯を照射し、これをきっかけに巡洋艦「アトランタ」が砲撃しあうことではじまった[75]。「五月雨」によれば、8個ほどの吊光投弾が輝き、よくわからないうちに戦闘が始まったという[76]。最初の犠牲艦は”ラッキーA”のニックネームをもつ巡洋艦「アトランタ」である[68]。「アトランタ」は旗艦「サンフランシスコ」から誤射され、艦橋に「サンフランシスコ」が使用する緑色の着色弾の痕跡が残った。続いて戦艦「比叡」、軽巡「長良」の砲撃によってノーマン・スコット少将以下幹部が全滅、日本艦隊が発射した魚雷2本が左舷に命中して戦闘不能となった。今度は「サンフランシスコ」、「カッシング」、「ラフィー」、「ステレット」、「オバノン」が、探照灯を照らして戦場を進む日本艦隊旗艦「比叡」を目標とした[77]。主砲から機銃まであらゆる砲が発射され、「比叡」の艦上部構造物に命中する。炎上した「比叡」は通信装置、操舵装置が故障、主砲は2-3斉射したところで電路切断により統一射撃ができなくなり、阿部司令官や西田艦長も負傷した[78]。混乱の中で「比叡」はスクリューによる操艦で戦場を離脱した[79]。「オバノン」は「アトランタ」と共に駆逐艦「暁」を撃沈し、「ステレット」と共に「比叡」に魚雷を発射して2本を命中させたが、これは不発だった[80]。「ステレット」は「比叡」もしくは「霧島」の砲撃を受けて火災が発生、戦場を離脱した[81]

航空機の脅威を排除する防空駆逐艦として建造された秋月型駆逐艦照月」は「カッシング」を主砲長10cm連装高角砲で破壊し[80]、巡洋艦を含む7隻に160発を発射した[82]。「照月」艦橋では、前方に現れた艦影を観察し、シルエットから敵味方を判断して撃っていたという[83]。「五月雨」も「比叡」に向けて機銃を誤射し、射撃中止命令が混乱の中で伝わらないうちに「比叡」から高射砲か副砲の反撃を受けている[84]。駆逐艦「ラフィー」は、発射艦不明の魚雷が命中して沈没した。戦艦「霧島」と駆逐艦「電」、「雷」、「照月」は砲雷撃で「サンフランシスコ」を撃破し、キャラハン司令官、ヤング艦長を戦死させた[85]。日米双方の旗艦が落伍する中、戦闘はいよいよ混乱の度を増した[86]。駆逐艦「夕立」は単艦で米艦隊に突入、午後11時54分に魚雷8本を発射した[87]。1分後に巡洋艦「ポートランド」の右舷後尾に魚雷を命中させ(夕立は轟沈と誤認)、米巡洋艦は翌朝まで戦場の中心で右旋回運動を続けた。さらに「夕立」は米艦隊の中央を突破して巡洋艦1隻、駆逐艦1隻に命中弾を記録[88]。午前0時13-26分、駆逐艦「ステレット」もしくは「フレッチャー」が砲撃を行い[89]、被弾した「夕立」は航行不能となった[90]中村悌次「夕立」水雷長は、味方の軽巡洋艦「長良」に誤射されたと推測している[91]。駆逐艦「バートン」は味方艦との衝突を避けるため急停止、機関を再始動させようとした時に魚雷2本が命中して轟沈した[92]。駆逐艦「モンセン」は「比叡」を砲撃していたが、あらゆる艦から集中砲撃を受けて戦闘不能となる[92]。巡洋艦「ジュノー」は「夕立」を砲撃していたところ、「天津風」が発射した魚雷が命中して大破した[92]。その「天津風」は巡洋艦「ヘレナ」が発射した6インチ砲2発が命中して舵故障、射撃装置も破壊されて戦闘不能になった[92]

第三次ソロモン海戦第1夜戦は、日米双方の索敵が遅れ、旗艦の戦闘不能や偶発的出来事によって『混乱の激しさは、海戦史上にその例を見ないもの』とチェスター・ニミッツ アメリカ太平洋艦隊司令長官が評する夜間水上戦闘になった[93]。日本軍駆逐艦は多数の魚雷を発射し、判明しているだけで「朝雲」8本、「村雨」7本、「夕立」8本、「春雨」2本[94]、「雷」6本で、「五月雨」は発射していない[95]。13日午前1時25分、日本軍挺身艦隊に北方への退避命令が出る[96]。各戦隊は味方と合流できないまま、単艦、あるいは少数艦のグループで戦場を離脱した[97]。日本軍輸送船団に対しては、有力なる米艦隊遭遇の急報により、反転退避命令が下る[98]。連合艦隊司令長官山本五十六大将はラバウルの第十一航空艦隊に対し、ガダルカナル島へ制空隊を派遣するよう命じた[99]

11月13日の訪れとともに、アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)は新たな犠牲艦を飲み込んだ。日本軍は駆逐艦「暁」が沈没、「夕立」が大破航行不能。戦艦「比叡」が舵故障を起こしてサボ島北を微速前進し、駆逐艦「天津風」が中破[100]、「雷」が死傷者80名近くを出して大破[101]、「春雨」が缶室に被弾してそれぞれ退避[102]。戦艦「霧島」と軽巡洋艦「長良」は損傷を受けず、それぞれ単艦で北方へ離脱。第四水雷戦隊各艦と「照月」は午前1時30分から午前2時ごろ「霧島」を発見して合流し、後続した[103]。「五月雨」は「霧島」に後続していたが、命令により引き返して「夕立」の救援作業を行う[104]。「五月雨」は午前3時ごろ魚雷2-3本を発射して「夕立」を処分しようとしたが魚雷命中の水柱が確認できず、砲撃処分中に米重巡洋艦と駆逐艦の砲撃を受けて退避する[105]。「五月雨」はSBDドーントレスの爆撃を回避しつつ午後3時ごろショートランド基地に到着した[106]。放棄された「夕立」は漂流していたが、米艦隊が砲撃して沈めた[107]

米軍は、指揮官のキャラハン少将と次席指揮官のスコット少将が戦死。軽巡洋艦「アトランタ」は掃海艇ボボリンクに曳航されて離脱しようとしたが、13日夜に自沈。「ジュノー」は13日午前中に伊-26潜水艦横田稔艦長)の雷撃を受けて沈没。駆逐艦「カッシング」、「モンセン」、「アーロン・ウォード」、「ラフィー」、「バートン」が沈没した。生き残った重巡洋艦「サンフランシスコ」(大破)、「ポートランド」(大破)、軽巡洋艦「ヘレナ」(小破)、駆逐艦「オバノン」(小破)、「ステレット」(中破)、「フレッチャー」は西方に退避した。日本軍挺身艦隊は米軍に対する戦果を「重巡洋艦5隻撃沈、重巡洋艦2隻大破(1隻座礁)、防空巡洋艦2隻撃沈、駆逐艦3隻撃沈、駆逐艦6隻大破・中破(遁走せる1隻をのぞきいずれも沈没の算大なり)、魚雷艇1隻大破、以上所在敵全勢力を殲滅せるものと認む」と報告している[108]

比叡沈没[編集]

「比叡」を掩護した空母「隼鷹」
戦艦「比叡」。艦橋の形状が姉妹艦と異なる。
空襲を受ける戦艦「比叡」
空母エンタープライズと爆撃機SBD ドーントレス

日本軍挺身艦隊の旗艦/戦艦「比叡」は、鎮火には成功したものの、サボ島北の海域を離脱できずにいた[109]。舵が固定しないため直進できず、僚艦「霧島」が北方へ退避したために、単艦で旋回運動を繰り返していた[110]。午前4時ごろ、重巡洋艦「ポートランド」に主砲を発射し、実際には命中しなかったが、同艦を撃沈したと信じた[111]。阿部司令官は、「霧島」や駆逐艦に対して「日没後に比叡を曳航せよ」と命じる[112]。駆逐艦「雪風」が最初に到着すると、阿部は「比叡」から「雪風」に移乗した[113]。やがて「照月」、「時雨」、「白露」、「夕暮」が到着[114]。護衛を行いつつ、「比叡」を曳航しようと試みた[115]

周囲が明るくなると、米軍は「比叡」にとどめをさすため次々に航空部隊を送り込んだ。阿部司令官や第十六駆逐隊司令官(雪風乗艦)が夜明け前に上空掩護を要請すると[116]、午前3時20分に空母「隼鷹」から零戦6機、九九艦爆2機(誘導機)が発進し、「比叡」上空に急行した[117]。この日、「隼鷹」は延べ23機の零戦、艦爆3機、艦攻5機を直掩任務におくりだし、5機の零戦を失っている[118]。零戦隊に加え、水上機母艦讃岐丸」から飛来した水上機数機も「比叡」の警戒にあたった[119]。一方で、ブナ基地から第二〇四空の零戦6機が出撃していたが、天候不良を理由にラモス島上空で引き返している[120]。「千歳」隊の水上偵察機6機も、天候不良のため基地に戻った[121]。第七〇五空の一式陸攻も零戦隊を誘導しているが、その後の戦果は不明[122]

日本軍航空戦力の足並みが揃わない中、F4Fワイルドキャット戦闘機SBD ドーントレス急降下爆撃機雷撃機B-17による空襲がはじまった。「比叡」は機関部に異常なく全力発揮が可能だったが[123]、舵故障では回避行動もままならない。直掩の「隼鷹」零戦隊も、10機未満のためにF4F隊との空戦が手一杯で、米軍機を排除できない[124]。爆弾命中弾による被害と同時に、回避行動や対空戦闘のたびに応急修理が中断され、「比叡」の操艦能力は回復しなかった[125]。最終手段として指揮官達は「比叡」をガダルカナル島に座礁させることも検討したが[126]、操艦不能のためそれも不可能だった[127]

偶然も米軍に味方した。「ヘンダーソン飛行場に進出せよ」という命令を受け、魚雷を抱いたまま空母「エンタープライズ」を発進した第10雷撃隊(F4F6機、TBFアベンジャー9機)は、サボ島16km北にいた「比叡」と駆逐艦4隻を発見する[128]。雷撃隊は二手にわかれると、「比叡」を挟み撃ちにした。同隊は「比叡」の左舷に魚雷1本、右舷に1本、艦尾に1本が命中する光景を目撃した[129]。日本側は、「比叡」の右舷中部・後部に魚雷計2本が命中したと記録している[130]。エンタープライズ隊によれば、8機の零戦が「比叡」上空にいたが雷撃を妨害しようとせず、F4F隊は全く交戦しなかったという[131]。エンタープライズ隊はヘンダーソン基地に着陸すると、3時間後にTBF6機が再出撃した[131]。今度は米海兵隊のF4F6機、SBD8機が同行する[131]。混成攻撃隊は「比叡」右舷に魚雷1本、艦尾に1本、左舷3本(不発2本)の命中を記録している[131]。「比叡」は黒煙をあげ、完全に停止したとされる[131]。一方で「比叡戦闘詳報」によれば、沈没寸前まで機関部は健在だったと記録している[132]

一連の空襲により、阿部少将が乗艦した駆逐艦「雪風」も至近弾により損傷した。午後3時、ブイン基地を発進した空母「飛鷹」航空隊(零戦9機)が到着したが、手遅れだった[133]。午後4時、阿部は「比叡」の処分を指示したが[134]、40分後に山本長官より「比叡」処分待ての命令(午後2時40分発、午後4時38分着)が届いた[135]。この時、「雪風」は「比叡」に魚雷を発射していたという説もある[136]。ただし戦闘詳報には魚雷発射の記録はない。また阿部が雷撃処分を命じたのは「時雨」、「白露」、「夕暮」が所属する第二十七駆逐隊であり[137]、雪風では白戸水雷長が頭部を負傷し重体で[138]、雷撃処分指令を受理できる状況ではなかった。西田正雄艦長は総員退去とキングストン弁開放の命令を発令した。「比叡」乗組員は周囲を警戒していた駆逐艦5隻に分乗した。その後、5隻はガダルカナル砲撃に向かう第八艦隊と同士撃ちに陥るのを避けるため、一旦西方に退避[139]。夜になって山本長官より「比叡の人員を救助して北方に離脱せよ」との命令があった[140]。「雪風」、「照月」、第二十七駆逐隊らは「比叡」を放棄した海域に戻ったが「比叡」の姿はなく、すでに沈没したものと判断した[141]。5隻の駆逐艦は本隊に合同すべく北上し、13日午後10時に合流した[142]

日本軍の飛行場砲撃と米軍の増援[編集]

米軍第67任務部隊第4群はかなりの損害を受けたが、日本艦隊のガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を阻止したという点で任務を果たした[143]。田中少将の日本軍輸送部隊は挺身艦隊によるガダルカナル島砲撃中止により、13日午後1時にショートランド泊地に戻った[144]。しかし日本軍は諦めたわけではなく、あくまで第三十八師団をガダルカナル島へ投入しようとした。午後2時、輸送船「ぶりすべん丸」と駆逐艦「江風」が泊地を出港[145]。午後3時30分には輸送船団本隊も出港した[145]

11月13日午後2時、残存挺身艦隊はオントン・ジャバ島東岸沖で待機していた第三戦隊(戦艦:金剛、榛名)と合流し[146]、駆逐艦に燃料補給を行った[147]。それに先立つ午前9時55分、戦艦「霧島」と第四水雷戦隊、第十一駆逐隊、第十九駆逐隊に、残敵掃討とガダルカナル島砲撃命令が出る[148]。午後2時43分、第十一戦隊に対してサボ島周辺に残る米軍艦艇への攻撃命令が出たが[149]、この二つの命令は取り消された[150]。なお「霧島」は午後2時14分に米潜水艦から雷撃され、魚雷1本が命中するも不発だった[151]

艦隊が再編される中で、日本軍は再びヘンダーソン飛行場砲撃を計画した[51]。山本長官は「ルンガ方面の残敵を掃討し、13日に外洋部隊巡洋艦、14日に「霧島」がヘンダーソン飛行場を砲撃せよ」という二段構え作戦の実施を各艦隊に求めた[51]。これに伴い、ガダルカナル島から北西に位置するショートランド諸島に停泊していた西村祥治少将率いる第七戦隊(重巡洋艦鈴谷摩耶)に出動命令が下る[152]。その計画とは、カ号作戦支援隊:重巡洋艦「鈴谷」、「摩耶」、軽巡洋艦「天龍」、駆逐艦4隻が13日午後10時にガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を砲撃し、14日午前6時に三川軍一中将率いる第八艦隊(重巡洋艦鳥海衣笠、軽巡洋艦五十鈴)と合流というものだった[153]

米軍では、ハルゼー提督がリー少将の第64任務部隊に対し、「戦艦2隻、駆逐艦4隻は最高速度で北進せよ。あえて指示する。サボ島の東方付近へ向かえ」と命令する[154]。艦隊の任務は日本軍輸送船団の撃退だったが、燃料が最も多く残っている駆逐艦を集めただけの急造艦隊であり、司令官達は艦隊の練度に不安を抱えていた[154]。米艦隊の切り札は、日本の大和型戦艦と同世代艦である新鋭ノースカロライナ級戦艦ワシントン」、サウスダコタ級戦艦サウスダコタ」と、2隻が搭載する計18門の40cm砲であった。戦闘前、リー少将は「われわれは兵員の経験、熟練、訓練あるいは実行能力において、ジャップに優れているとはいえなかった。しかし、われわれはこの戦闘で敵を突き崩すことができると信じる」と記した[155]。「ワシントン」では、乗組員の誰もが待ち望んだ艦隊決戦に興奮していたという[156]

11月13日午前5時40分、第七戦隊はショートランド基地を出港する[157]。14日午前2時、第七戦隊の重巡洋艦「鈴谷」、「摩耶」がヘンダーソン基地の砲撃に成功する。消耗主砲弾数は「鈴谷」主砲504発、「摩耶」485発で、午前2時37分「飛行機の観測したるところ損害相当ありしものと認む」と各艦隊に報告した[158]。だが重巡洋艦の20cm砲で複数の滑走路をもつヘンダーソン飛行場を使用不能にすることは困難であり、実際の戦果は航空機全壊18機、損傷32機におさえられ、飛行場の機能はすぐに回復した[159]

第七戦隊は、重巡洋艦「鳥海」、「衣笠」、軽巡洋艦「五十鈴」で編成される第八艦隊主隊とニュージョージア島南方で合流し、北上退避行動に入った[160]。夜明けと共に、ヘンダーソン基地から偵察機が出動し、第八艦隊を発見する[159]。同時刻、エンタープライズ索敵隊(ギブソン中尉)は『戦艦2隻、巡洋艦2隻、改造空母1隻、駆逐艦4隻発見』を報告した[161]。こうしてガダルカナル島を発進した海兵隊機と、エンタープライズ艦載機による攻撃が始まる[159]。最初の攻撃は、ヘンダーソン基地から発進したF4F7機、SBD7機、TBF6機によるものだった[162]。彼らは「衣笠」の右舷に魚雷3本、左舷に魚雷1本命中を記録した[162]。またSBD隊は軽巡洋艦に爆弾2発命中を主張し、完全に停止したと報告している[162]。続いて帰路についていたSBD2機(ギブソン機とブキャナン機)が到達、右舷に傾き油をひいた「衣笠」を発見すると急降下爆撃をおこない、前部甲板右舷・艦中央に500ポンド爆弾を命中させたと主張する[163]戦闘詳報によれば、午前6時30分頃から午前6時38分、重巡洋艦「衣笠」に爆弾と魚雷が命中、火災が発生して速力が低下した[164]。続いてSBD2機(フーガーヴァーフ少尉機、ハローラン少尉機)が到着した[163]。日本艦隊の隊列は乱れ、炎上した「衣笠」の周囲に2隻の駆逐艦がおり、主力部隊は北西に向かい、軽巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が「衣笠」の15km西、重巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が「衣笠」の20km南西を西に向かっていた[165]。フーガーヴァーフは重巡洋艦を爆撃したが至近弾となった[165]。ハローラン少尉機は行方不明となり、僚機は巡洋艦から激しい煙が上がるのを目撃した[165]。午前7時26分、重巡洋艦「摩耶」には被弾したSBD爆撃機が体当たりし、魚雷発射管で火災が発生している[166]

リー少佐率いるエンタープライズ隊SBD16機は1,000ポンド爆弾を抱えて戦場に向かい、6隻の日本軍巡洋艦と4隻の駆逐艦を発見した[167]。リー少佐は付近に日本空母がいる可能性を考慮して周囲を捜索したが発見できず、結局16機全機が巡洋艦部隊を攻撃した[168]。2機が軽巡洋艦に爆弾を命中させ、左舷に傾いたと主張する[168]。だがそれ以上の戦果はなかった。米軍機の波状攻撃により、「衣笠」は駆逐艦「巻雲」「風雲」が見守る中で午前9時20分に転覆沈没、「鳥海」も多数の至近弾を受けて速力29ノットに低下、軽巡洋艦「五十鈴」も至近弾(直撃弾とも)を受けて2・3罐室が満水となり駆逐艦「朝潮」の護衛でショートランドへ向かった[169]。エンタープライズ隊は転覆した「衣笠」の上空を飛びつつ、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に着陸した[170]。第七戦隊は午後1時にショートランド基地に到着し、補給後再び出撃して輸送船団を護衛した[160]

日本軍輸送部隊も無事ではいられなかった。米軍偵察機に発見された田中輸送部隊は、ラッセル島北西の海域でガダルカナル島から飛来した攻撃隊、「エンタープライズ」攻撃隊、エスピリツ・サントを発進した陸軍B-17高空飛行中隊の反覆攻撃を受けた[171]。「飛鷹」航空隊やラバウル航空隊の零戦千歳型水上機母艦千歳」水上偵察機隊が船団上空を護衛していたが[172]、頑丈で強力な防御火力をもつB-17や、波状攻撃をかけるSBD ドーントレス急降下爆撃機を阻止することは不可能だった。またF4Fワイルドキャット戦闘機との空戦で零戦隊にも被害が出た。「エンタープライズ」はガダルカナル島に接近したので、米軍攻撃隊は何度も反復攻撃をかけることが出来た[173]。一連の攻撃により付近に米軍空母がいることを察知した日本軍第八艦隊は、第十一航空艦隊に索敵と攻撃を依頼した[174]。ラバウル基地から24機の一式陸上攻撃機が発進して米空母攻撃に向かったが、「エンタープライズ」を発見できずに引き返している[175]

零戦隊の戦果は、「飛鷹」隊が8機撃墜を主張(零戦3機喪失)[176]、第二〇四空の零戦12機が4機撃墜(2機喪失)[177]、第二五三空の零戦6機が4機撃墜(3機喪失)[178]、第五八二空の零戦9機が3機撃墜(3機喪失)[179]。水上偵察機1機がSBDと空中衝突[180]。船団の被害は、輸送船11隻中6隻(かんべら丸、長良丸、ぶりすべん丸、信濃川丸、ありぞな丸、那古丸)が沈没[181]、「佐渡丸」が被雷傾斜[182][183]。「佐渡丸」は駆逐艦「天霧」、「望月」に護衛されてショートランド泊地に撤退した[182]

輸送船団は大損害を受けた。さらに午後1時35分、水上機母艦「千歳」偵察機が「空母2、戦艦1、巡洋艦1、駆逐艦4」という米艦隊を発見[184]。午後2時20分、「讃岐丸」偵察機が米軍空母と戦艦2隻を発見[185]、第七〇七航空隊索敵機が米軍艦隊との接触を続ける[186]。偵察の結果、日米双方が戦艦を含む強力な水上部隊をガダルカナル島に投入しつつある事が明白となった[187]。田中はガダルカナル島砲撃を行う第四戦隊(重巡洋艦愛宕高雄)に続行し、同時突入することを決断した[188]

そのためには、米軍制空権の要であるヘンダーソン飛行場を夜間の内に使用不能にすることが必須だった。日中にガダルカナル島で揚陸作業を敢行すれば、ヘンダーソン飛行場発進機と米艦隊の双方から挟み撃ちにされてしまうからである。そこで近藤信竹中将率いる第二艦隊と挺身艦隊残存部隊の再編がおこなわれ、戦艦「金剛」、「榛名」、空母「隼鷹」を分離、戦艦「霧島」、重巡洋艦「愛宕」(旗艦)、「高雄」、軽巡洋艦「川内」、「長良」、駆逐艦9隻からなる艦隊となった[189]。近藤艦隊の使命は、前夜の挺身艦隊とおなじく、ヘンダーソン飛行場の壊滅と米軍艦隊の第三十八師団の露払いである[183]。午後3時35分、前進部隊指揮官は以下の命令を発した[190]

  1. 今夜、敵巡洋艦、駆逐艦各数隻、「サボ島」付近の出現の算大なり。
  2. 右の場合は、一時陸上砲撃を中止し、敵を撃滅したる後、再興の予定。
  3. 計画及び予想に捉わるることなく会敵時の処置に万遺憾なきを期すべし。

第四戦隊の「愛宕」、「高雄」は出撃前にガダルカナル島砲撃を行う可能性を示唆されており[191]、日本軍の予感は的中したことになる。午後7時25分、特設水上機母艦「讃岐丸」がサボ島周辺に米軍巡洋艦2隻、駆逐艦4隻の存在を確認する[192]。この時点で、日本軍は米軍の戦力を「空母1隻、戦艦4隻、巡洋艦2隻、駆逐艦4隻」と判断し[193]、夜間水上戦闘に備えた。突入前、各艦は水上偵察機をレガタ基地に退避させている[194]

11月15日第2夜戦[編集]

戦艦「霧島」
戦艦「ワシントン」
戦艦「サウスダコタ」
戦艦「霧島」を砲撃する戦艦「ワシントン」

11月14日21:00、第64任務部隊はガダルカナル島とルッセル諸島の間を北進し、サボ島を右舷12kmに見て北東に進んでいた[156]。艦隊は駆逐艦「ウォーク」、「ベンハム」、「プレストン」、「グウィン」、戦艦「ワシントン」、「サウスダコタ」の順番で東に針路をかえる[156]。月光の美しい静かな夜だったという[195]。21:48、第64任務部隊はサボ島9km北で南東に変針し、ちょうどサボ島を中心に時計回りとなって鉄底海峡に入った[195]。この頃、リーはツラギ島の魚雷艇部隊から日本艦隊発見の報告を受けた[196]。22:52、艦隊は西に変針し、サボ島とエスペランス岬の間を通過する航路をとった[197]

午後8時(日本時間は米軍時間にくらべて約2時間遅い)、日本軍は艦隊を、戦艦「霧島」、重巡洋艦「愛宕」「高雄」、軽巡洋艦「長良」、駆逐艦6隻(五月雨、朝雲、電、白雲、初雪、照月)の第一部隊(本隊)と[198]、橋本新太郎少将指揮する軽巡洋艦「川内」、第十九駆逐隊(敷波、綾波、浦波)の第二部隊(掃討部隊)にわけていた[195]。ガダルカナル島海域に突入するにあたって、近藤は日本艦隊をさらに4つに分けた。本隊(霧島、愛宕、高雄、朝雲、照月)[199]はショートランド諸島の西岸沖合(日本艦隊からは左舷に島々が見える)を南西に進み、サボ島西9kmを通過して、鉄底海峡に侵入する[200]木村進少将の軽巡洋艦「長良」、駆逐艦4隻(電、白雲、初雪、五月雨)は、サボ島西岸から3km離れた海域を通過し、鉄底海峡に向かう[201]。橋本の第二部隊は、軽巡「川内」と駆逐艦「浦波」、「敷波」がサボ島の東5kmを南下し、駆逐艦「綾波」がサボ島の西側を南進していた。偵察機の報告から、日本軍はガダルカナル周辺の米艦隊勢力を「巡洋艦数隻、駆逐艦数隻」と判断し、米軍新鋭戦艦が遊弋していることに気付いていなかった[202]

午後8時5分、「浦波」が米軍艦艇を発見し[203]、「敷波」が午後8時14分[204]、午後8時18-30分には近藤長官も南13kmに米軍艦隊を発見したが[205]、午後8時57分に発生した急なスコールにより米軍艦隊を見失った[206]。この時米軍第64任務部隊はサボ島の南東方向に向けて移動しており、レーダーがあったにも関わらず、日本艦隊の接近に気付いていなかった。一方、近藤艦隊主隊は分離した「川内」隊を米軍艦隊と見間違え、予定針路を取り消して反転[207]、誤射寸前に味方と気付いて射撃命令を取り消している[208]。また日本軍駆逐艦部隊は、米軍戦力を「新型巡洋艦2隻、駆逐艦4隻」と判断した[209]。このように、両軍とも小さなミスを重ねていった。

第三次ソロモン海戦第2夜戦は、米軍新鋭戦艦と、日本軍5500トン型軽巡洋艦の交戦ではじまった。23:00、第64任務部隊は針路を南東から真西に変え、サボ島とガダルカナル島エスペランス岬の間の海峡(鉄底海峡)に向けて移動を開始した。直後、右舷16kmに四本煙突の巡洋艦(川内)をレーダーで探知[210]。23:17(日本時間午後9時19分)、「ワシントン」が「川内」に40cm砲9門一斉射撃を三斉射[210]、戦艦「サウスダコタ」が「敷波」、「浦波」に斉射を浴びせ[210]、『巡洋艦が転覆した』のを確認した[211]。実際には「川内」と駆逐艦に命中した40cm砲は1発もなかった[212]。両艦は煙幕を展開すると撤退するように見せかけ、第64任務部隊と並走して魚雷発射のチャンスを狙った[213]。近藤艦隊本隊では午後9時30分頃から砲声を確認し、乗組員に戦闘配置を命じた[214]

すると午後9時30分ごろ、駆逐艦「綾波」、軽巡「長良」、駆逐艦「五月雨」、「電」がサボ島西岸をまわって出現し、米艦隊に向け右砲戦・雷撃を開始、「五月雨」は魚雷8本を発射した[215]。米戦艦2隻は日本軍小型艦艇の砲撃をサボ島に設置された日本軍砲台の攻撃と誤認し、サボ島に副砲を撃ち込んだ[216]。一方、トーマス・フレイザー司令官が指揮する米駆逐艦部隊4隻(ウォーク、ベンハム、プレストン、グウィン)は日本軍水雷戦隊と交戦[217]。「ウォーク」は左舷に魚雷が命中、沈みはじめた艦から落下した爆雷が爆発して乗組員を殺傷し、23:42分に沈没した[217]。「プレストン」は砲撃を受けて放棄された[217]。「ベンハム」は右舷艦首を魚雷命中でもぎ取られ、戦闘不能となった[218]。この艦は15日夕刻に自沈した[219]。日本軍は、「綾波」が米駆逐艦の砲撃と戦艦「ワシントン」の副砲射撃により炎上して沈没した[220]

夜戦の第一段階で、米軍第64任務部隊は戦艦2隻を護衛する駆逐艦隊を失った。23:33、“艦隊の疫病神”という異名をもつ戦艦「サウスダコタ」[221]に、思いもよらぬ事態が発生した。日本軍駆逐艦が発射した12.7cm砲弾が艦橋に命中し、人的ミスも重なって電源が落ち、レーダー、射撃管制装置、砲塔発動機、無線が使用不能となったのである[222]。「サウスダコタ」は目隠しをされたまま「ワシントン」の後方を進んだ。戦艦「ワシントン」は前方に米駆逐艦の残骸と脱出者が多数浮遊しているを発見し、救命具を放出すると同時に取舵をとった[223]。「サウスダコタ」は「ワシントン」の運動に気付かず、2隻は分離して行動。このため「ワシントン」は意図せずに、日本艦隊との間に「サウスダコタ」と炎上する米駆逐艦の残骸を置くことになった[223]

その直後、橋本と木村が指揮する日本軍水雷戦隊は「サウスダコタ」を探照灯でとらえたが[224]、「サウスダコタ」と「霧島」の区別がつかず、砲雷撃を中止した[225]。電源が一部復旧した「サウスダコタ」は日本艦隊に向けて主砲と副砲で応戦を再開したが、搭載航空機が火災を起こして絶好の目標となった[226]。「サウスダコタ」が苦境に立たされる一方で、無傷の「ワシントン」は戦艦「霧島」をレーダーで発見し、40cm砲を右舷に向けた[227]。しかし「サウスダコタ」と「霧島」の区別がつかず、リー司令官は射撃中止を命令した[227]

23:55(日本時間午後9時50分-午後10時)、近藤艦隊本隊は探照灯を照射して、約1000m先の進む『敵は高き前檣楼を有し上甲板高く偉大なる新式戦艦』=「サウスダコタ」を発見する[228]。「ワシントン」は「サウスダコタ」の南方を進んでいたため、日本艦隊に照射されなかった。日本艦隊は「高雄」-1500m-「愛宕」-2000m-「霧島」という単縦陣形で米艦隊とすれ違いながら[229]、右砲戦を開始した[230]。日米双方の主砲・高角砲弾、機銃弾が飛交う中、「愛宕」は8本、「高雄」本数不明、「朝雲」は4本の魚雷を発射したが[231]、命中しなかった(日本軍は命中と誤認[230])。それでも砲撃だけで「サウスダコタ」はレーダー機能と通信設備を失い、第三砲塔には「霧島」の36cm砲弾が命中して作動不能となった[232]。近藤艦隊本隊は午後10時6分に反転し、並走しながら「ワシントン」と「サウスダコタ」を追いかけるような陣形となった[233]。この間、「霧島」の水上偵察機(村島中尉機)は対空砲火で被弾不時着し、搭乗員は米軍の捕虜となっている[234]

僚艦「サウスダコタ」が戦闘不能となる中、戦艦「ワシントン」は、「霧島」の探照灯照射により、レーダーで捉えつづけた大型目標が日本戦艦であると確信した[232]。ただちに射撃命令が出され、8400ヤードから40cm砲9門を一斉斉射、「霧島」に至近弾を与えた[235]。つづいて副砲が照明弾を発射し、日本艦隊は闇夜に浮かびあがった[236]。「ワシントン」は主砲斉射を続け、第2斉射、第3斉射とも「霧島」に命中し爆発が発生する。「ワシントン」はそれを確認すると副砲で「愛宕」と「高雄」を砲撃し、「愛宕」に大損害を与えたと信じた[237]。その「愛宕」では艦首醤油庫に副砲弾1発が命中したが、同艦の戦闘力には何の影響もなかった[238]

レーダー射撃で戦闘を有利にすすめていた「ワシントン」もミスを犯した。「霧島」を撃沈したと信じたため、射撃を停止したのである[239]。すると、一息ついた「霧島」は36cm主砲6門で反撃する[239]。また日本艦隊は午後10時14分に「ワシントン」に向け酸素魚雷を発射したが[240]、いずれも自爆(日本軍は2本命中と誤認[240])。「ワシントン」は32回の爆発音を確認し、米駆逐艦の残骸に命中したものと推測した[241]。この砲雷撃の後、近藤艦隊本隊は北西に変針し、「ワシントン」との距離をとろうとした[241]。ふたたびレーダー射撃を再開した「ワシントン」は北西に進みながら「霧島」を砲撃した。「ワシントン」は40cm砲弾75発、副砲40発を発射し、40cm砲弾9発の命中を確認した[242]。そして廃墟となった「霧島」の四番砲塔だけが発砲していたと観察している[243]。「霧島」乗組員の回想によれば、煙突周辺で火災発生後、後部副砲火災、舵故障、後部主砲火災発生、機関故障の順番で被害が累加し、前部主砲のみが健在だったという[244]。「霧島」は右舷に傾き、円を描いて進む事しかできなくなった。この間、大破した「サウスダコタ」は「ワシントン」の後方を通過し、ガダルカナル島の西岸をまわって南西に脱出した[243]。「サウスダコタ」は42発の命中弾を受け、38名が死亡、42名が負傷した。なお、40cm主砲で重巡洋艦1隻を撃沈したと主張している[232]

00:20、「ワシントン」は田中輸送船団を撃沈すべく、単艦で北西に進撃した[245]。すると北西へ撤退する近藤艦隊本隊(愛宕、高雄)と並走する位置関係となり、日本時間午後10時22分、「愛宕」は左舷1万メートルに「ワシントン」を発見した[246]。この時、「愛宕」は「ワシントン」を新たに出現した戦艦だと判断している[247]。「愛宕」は煙幕を展開すると、魚雷3本を発射[248]。約15分間砲撃をおこないながら「ワシントン」と並走し、午後10時38分に見失った。この間、双方の砲弾は1発も命中しなかった。00:30、リー司令官も魚雷攻撃を受ける可能性を考慮し、また日本軍輸送部隊がガダルカナル島に上陸する可能性は低いと判断したため、追撃を打ち切って反転を命じた[245]。この時、軽巡洋艦「長良」、駆逐艦「電」、「初雪」、「五月雨」が「ワシントン」を追跡しており[249]、「ワシントン」はレーダーが機能していたにも関わらず、小艦艇群を発見できなかった[250]。午後23時40-45分、日本軍水雷戦隊は魚雷を発射(長良発射数不明、電90式魚雷5本、初雪3本、五月雨5本)[251]。00:40、「ワシントン」は17本の魚雷が自爆する音を探知[219]。日本艦隊は午後11時54分に命中爆音3を確認した[252]。「愛宕」は別の爆発音を確認している[253]。米軍新鋭戦艦を撃沈したと判断した日本軍水雷戦隊は北方に離脱した。また、田中輸送船団を護衛していた駆逐艦「親潮」がサボ島西18浬でノースカロライナ型戦艦に対し雷撃を行ったことが記録されている[254]。「ワシントン」の損害は、艦橋に命中した12.7cm砲弾1発のみだった。

米軍第64任務部隊が去った戦場では、40cm砲弾多数を被弾した「霧島」に最後の時がせまった。日付変更直前、「霧島」は右に5度傾斜し、舵は故障、中央機械室のみ健在で、微速航行のみ可能だった[255]。火災のため前後部火薬庫に注水、さらにバランスをとろうと両舷に注水しているうちに、完全に航行不能となった[256]。軽巡洋艦「長良」や駆逐艦による曳航を試みたが失敗、最後を悟った艦長は「照月」と「朝雲」に横付けするよう命じている[257]。「霧島」の機関は一部が無事だったが、機関科兵の戦死と、艦尾に命中した魚雷貫通穴(40cm砲被弾孔)により浸水が進んだのである[258]。駆逐艦の横付けと負傷者移乗がすんだ午前1時23-25分、駆逐艦「朝雲」、「照月」、「五月雨」が見守る中、「霧島」は戦死者212名と共に沈没した[259]。駆逐艦隊は艦長以下1128名を救助した[260]

輸送船団の座礁[編集]

ガダルカナル島沖で撃沈された日本の輸送船

日米双方の艦隊は混戦の末にガダルカナル島とサボ島近海から離脱した。輸送船団を指揮していた田中少将は、混乱した状況に活路を見出し、残存する輸送船4隻を揚陸地点の浅瀬に座礁させるという強硬策に出る[182]。日本海軍は、座礁させた艦長を処罰対象していたが、それをふまえての決断だった。第八艦隊参謀長も、輸送船の座礁には「揚陸効率が落ちる。錨泊を行い、状況により擱座せよ」と難色を示している[261]。15日午前2時、船団はガダルカナル島タサファロンガの海岸にのりあげた[262][263]。駆逐艦9隻は、救助した陸軍兵を揚陸すると、午前2時30分にガダルカナル島を離れた。夜が明けると、米軍機による爆撃、陸上部隊からの砲撃により船団は炎上[264]。結局、輸送船団は2000人の将兵、260箱の弾薬、1600袋の米をガダルカナル島に送り届けて壊滅した[265]

結果[編集]

アメリカ海軍は大型艦の絶対数が不足する中で、ガダルカナル島の防衛に成功した。日本海軍はこれらの海戦以降、水上戦闘部隊と輸送船団によるガダルカナル島への増援と補給を諦め、高速の駆逐艦や潜水艦用いた鼠輸送に専念するようになった[266]チェスター・ニミッツ大将は「ガダルカナルの奪還、およびそれに関連する重要な海戦に成功するか失敗するかは、勝利への道の分岐点である」と述べた[267]。米軍史家のイヴァン・ミュージカントは、第三次ソロモン海戦を「ミッドウェイ海戦エル・アラメインの戦いスターリングラード攻防戦」と同じく第二次世界大戦の転換点であると位置づけている[268]

戦艦「ワシントン」と「サウスダコタ」の間には些細なトラブルが発生した。ダンビア湾で修理中、「ワシントンはサウスダコタを見殺しにして逃げた」という噂が広まり、両艦乗組員は留置場が一杯になる程の喧嘩を繰り広げた[269]。「サウスダコタ」のトーマス・L・ギャッチ艦長はアメリカ本国に戻ると”サンデー・イブニング・ポスト”の取材に「戦艦X(サウスダコタ)が霧島を撃沈し、ワシントンは逃げた」と宣伝したので、両艦乗組員の間に太平洋戦争終結後も禍根を残した[270]

米軍側は南太平洋海戦で損傷した空母「エンタープライズ」をヌーメアで応急修理して出撃させ、「比叡」と「衣笠」撃沈に大きな効果を挙げているのに対し、日本側は同海戦で無傷であった瑞鶴・隼鷹を出して第三十八師団と比叡・霧島を護衛しなかったのは甘かったと言うべきで[要出典](実際は、隼鷹飛行隊は比叡を護衛している)、第三十八師団の上陸がガダルカナル島米軍基地航空戦力によって大打撃を受け、ガダルカナル島航空基地を占領しそこなったことは、第2師団の失敗とあいまって同島を『餓島』化した(同島米軍陸上航空兵力によって日本側の補給船が撃沈された)。その意味で陸軍の偵察不備・逐次戦闘加入と並んで海軍が空母を米海軍ほど酷使せず、出し惜しんだ事もガダルカナルの戦い大敗の大きな要因であった[要出典]。ただしこの時期アメリカはすでに32隻もの強力なエセックス級空母の発注・建造を行い続々と就役を控えており、物量で隔絶し艦を喪失すれば補充が容易ではなかった日本にアメリカと同様の運用は困難でもあった。最初は機動部隊も投入する作戦だったが、「なあに、敵は夜になったらでてきはしない」と聯合艦隊先任参謀黒島亀人大佐がいって、手抜き作戦になった[要出典]。宇垣参謀長は12日早朝、米軍がルンガ沖に停泊すると判断して、挺身艦隊と米艦隊が交戦することを懸念した[271]。宇垣が作戦の修正を求めると黒島は「米軍は何時ものように夜になると逃げる。さらに我軍には戦艦2隻がいるから楽に勝てる」と楽観論で答え、宇垣もそれ以上意見を述べなかった[272]。このため、海戦終了後、宇垣は懸念を強く主張しなかった事を後悔している[273]

日本軍は米軍新鋭戦艦に打撃を与える機会を、酸素魚雷の自爆(早爆)によって逃した。重巡洋艦「愛宕」は魚雷19本を発射[274]、1本も命中していない(高雄発射本数不明)。水雷戦隊は戦場を離脱しようとする「ワシントン」に合計20本にせまる魚雷を発射したが、やはり1本も命中しなかった。日本軍も酸素魚雷の自爆に気付き、直ちに詳細調査の必要があるとしている[275]。なお、酸素魚雷の自爆問題は1942年3月のスラバヤ沖海戦でも発生している。同海戦において魚雷命中率の低さは勝敗に直結しなかったが、7ヵ月後の第三次ソロモン海戦では、海戦の結末に大きな影響を与えることになった。ただし、日本軍は戦果をかなり過大に見積もっている。連合艦隊は、11月12日第1夜戦で「重巡洋艦5隻、防空巡洋艦2隻、駆逐艦3隻轟沈、重巡洋艦2隻、駆逐艦10隻大破」と発表[276]。11月14-15日第2夜戦ではノースカロライナ型戦艦に魚雷命中2本(さらに爆発音3)、アイダホ型戦艦に魚雷命中3本(さらに親潮が1本命中)、離脱中の戦艦と思われる大型艦の轟沈を第四水雷戦隊が目撃、合計「戦艦2隻撃沈、戦艦1隻大破、重巡洋艦2隻撃沈、駆逐艦2隻撃沈、重巡洋艦1隻大破、駆逐艦1隻大破」と発表している[277]。もっとも、宇垣は米戦艦2隻がガダルカナル島を離れつつあるという偵察報告を受けて「米戦艦2隻、大巡2隻、駆逐艦8隻が進入し、同一戦艦2隻を逸したり」と述べている[278]

大本営は『新型戦艦3隻、大型巡洋艦2隻、乙巡1隻、駆逐艦1隻撃沈、巡洋艦2隻、駆逐艦3隻、輸送船3隻大破炎上、わが方は戦艦1隻大破、駆逐艦2隻沈没』と報道したが[279]、11月18日午後3時の版では『巡洋艦8隻、駆逐艦4-5隻、輸送船1隻撃沈、巡洋艦3隻、駆逐艦3-4隻、輸送船3隻大破、戦艦2隻中破、わが方の損害戦艦1隻沈没、戦艦1隻大破、巡洋艦1隻沈没、駆逐艦3隻沈没、輸送船7隻大破、本海戦を第三次ソロモン海戦と呼称す』とトーンダウンしている[280]

本作戦について事前に軍令部総長永野修身大将から上奏を受けた昭和天皇は、「日露戦争に於いても旅順の攻撃に際し初瀬八島の例あり、注意を要す」と、一作戦に対しては異例ともいうべき警告を発している[281]。日露戦争時、旅順港閉塞作戦が長引き、作戦がマンネリ化する中で、両戦艦がロシア海軍によって待ち伏せとして敷設された機雷に触雷、沈没し、6隻の主力艦中、一瞬にして2隻を喪失した戦訓を天皇はよく承知していたのである[282]。しかし、この言葉が現地に届いたのは作戦開始後のことであり、そして天皇の危惧は的中することになってしまった。

損害[編集]

鉤括弧内の艦艇名は第二夜戦の損傷艦。それ以外は第一夜戦での損害。

日本軍[編集]

沈没喪失

  • 戦艦:「比叡」、「霧島」
  • 駆逐艦:「暁」、「夕立」(五月雨による自沈処分。戦死26、負傷40)[283]、「綾波」

小破

  • 重巡洋艦:「愛宕」、「高雄」
  • 駆逐艦:「天津風」、「村雨」、「雷」

アメリカ軍[編集]

沈没喪失

  • 軽巡洋艦:アトランタ、ジュノー(撤退中、伊26潜の雷撃により撃沈)
  • 駆逐艦:アーロン・ワード、カッシン、ラフィー、バートン、モンセン、「ウォーク」、「プレストン」、「ベンハム」(応急修理後避退中に破口が開き沈没)

大破

  • 重巡洋艦:サンフランシスコ、ポートランド
  • 駆逐艦:

中破

  • 戦艦:「サウスダコタ」
  • 駆逐艦:ステレット、「グウィン」

小破

  • 軽巡洋艦:ヘレナ
  • 駆逐艦:オバノン

脚注[編集]

  1. ^ Frank, Guadalcanal, 490. Frank's breakdown of Japanese losses includes only 450 soldiers on the transports, "a figure no American flier would have believed," p. 462, but cites Japanese records for this number.
    Miller, in Guadalcanal: The First Offensive (1948), cites "USAFISPA, Japanese Campaign in the Guadalcanal Area, 29–30, estimates that 7,700 troops had been aboard, of whom 3,000 drowned, 3,000 landed on Guadalcanal, and 1,700 were rescued." Frank's number is used here instead of Miller. Aircraft losses from Lundstrom, Guadalcanal Campaign, 522.
  2. ^ Frank, Guadalcanal, 490 and Lundstrom, Guadalcanal Campaign, 523.
  3. ^ #吉田比叡p.188-189
  4. ^ #8艦隊日誌(3)p.13
  5. ^ #8艦隊日誌(3)p.5
  6. ^ #豊田撃沈p.90。弱装薬での発射。
  7. ^ 「204空飛行機隊戦闘行動調書(1)」等
  8. ^ 「204空飛行機隊戦闘行動調書(1)」p.9等
  9. ^ 「飛鷹飛行機隊戦闘行動調書(1)」p.43
     「252空 飛行機隊戦闘行動調書(2)」pp.8-9
  10. ^ #4水雷詳報(2)p.6「敵潜水艦の活動は終始活発にして積極的に攻撃行動に出てその技量もまた侮り難きものあり、警戒を要す」
  11. ^ #愛宕日誌(6)p.5
  12. ^ #4水雷日誌(1)p.3
  13. ^ #戦藻録(九版)p.227、#4水雷日誌(1)p.3、#8艦隊日誌(3)pp.11-17
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  22. ^ #戦藻録(九版)p.230、#豊田撃沈p.129、#4水雷日誌(2)p.15、#4水雷詳報(2)p.1
  23. ^ 「851空 飛行機隊戦闘行動調書(1)」p.15
  24. ^ #2水雷詳報(3)p.21
  25. ^ #2水雷詳報(3)p.23
  26. ^ 「204空飛行機隊戦闘行動調書(1)」p.12
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  • 宇垣纏著・成瀬恭発行人 『戦藻録』 原書房、1968年
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  • 吉田俊雄 『戦艦比叡』 朝日ソノラマ文庫、1985年ISBN 4-257-17051-4
    「比叡」のほか、軍令部参謀。ガダルカナル攻防戦における日本海軍と日本陸軍の対立に言及。
  • 山川新作 『空母艦爆隊 艦爆搭乗員死闘の記録今日の話題社1985年ISBN 4-87565-118-x
    山川は九九式艦上爆撃機パイロット。空母「隼鷹」に乗艦し戦艦「比叡」を掩護した。
  • 相良俊輔 『怒りの海 戦艦比叡・西田艦長の悲劇』 光人社、1985年5月。ISBN 4-7698-0039-8
  • 須藤幸助 『駆逐艦五月雨』 朝日ソノラマ文庫、1988年ISBN 4-257-17097-2
  • イヴァン・ミュージカント著・中村定訳 『戦艦ワシントン 米主力戦艦から見た太平洋戦争』 光人社、1988年
  • 高戸顕隆私記ソロモン海戦・大本営海軍報道部海軍主計大尉の太平洋戦争』 光人社、1999年ISBN 4-7698-2227-8
    高戸は駆逐艦「照月」主計長。第三次ソロモン海戦では全海戦を「照月」艦橋で体験。
  • 豊田穣日米海戦記撃沈「四本の火柱」』 光人社NF文庫、1999年ISBN 4-7698-2234-0
  • 駆逐艦雪風手記編集委員会 『激動の昭和・世界奇跡の駆逐艦 雪風』 駆逐艦雪風手記刊行会、1999年9月。
  • エドワード・P・スタッフォード 著・井原裕司 訳 『空母エンタープライズ THE BIG E 上巻』 元就出版社、2007年ISBN 978-4-86106-157-8
  • 小板橋孝策 『「愛宕」奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』 光人社NF文庫、2008年ISBN 978-4-7698-2560-9
    高橋武士(艦長伝令、艦橋勤務)の戦時日記を元に小板橋が編集。
  • 中村悌次 『生涯海軍士官 戦後日本と海上自衛隊』 中央公論社、2009年ISBN 978-4-12-004006-1 夕立水雷長。

関連項目[編集]