旭日旗
旭日旗(きょくじつき)は、日章と旭光を意匠化した日本の旗。元は陸軍の軍旗として考案・使用されたが、祝事やスポーツの試合などでも使用されている。光条は22.5度で開く十六条のものが一般的。本旗はしばしば誤って日本の国旗である「日章旗(日の丸)」と呼称されることもあるが、太陽旗という共通点はあるものの意匠は全くの別の旗である。
第二次世界大戦後の現代において「旭日旗」と言えば、日章位置が旗竿側に寄っている日本海軍の旗(「軍艦旗」)がイメージされることが多いが、後述の通り(#歴史)、「旭日旗」の意匠自体を考案し日本の歴史上初めて定型的に「軍旗(連隊旗)」として採用したのは日本陸軍である。日本海軍は「日本陸軍の軍旗である旭日旗」を模倣し、のちに追随したにすぎない。
日本国外においては、ソビエト連邦などで旭日に相当ないし擬似する意匠が軍旗・国旗として使用されていた(#ソビエト連邦)。
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[編集] 概要
[編集] 歴史
[編集] 日章旗の制定
江戸時代の1854年(安政元年)、島津斉彬と徳川斉昭らの進言によって日本船の船印として幕府に採用された「日章(日の丸)」の幟は、1859年(安政6年)に「日章(日の丸」の旗(「日章旗」)になり、また事実上の日本の国旗(「御国総標」)となった。開国以降、この日章旗は維新政府のもと1870年(明治3年)1月27日太政官布告第57号で「御国旗(御國旗)」(=商船旗・軍艦旗)とされ、改めて日本の国旗として扱われるようになった。もともと「白地に赤丸(日章)」の意匠は平安時代末期から使用され、また縁起物(ハレ)として江戸時代当時には広く普及していたものであり、日章旗の意匠自体はこれに由来する。
[編集] 旭日旗の制定
その日章旗の制定とほぼ同時期、建軍まもない当時の帝国陸軍において、日章位置が「日章旗」と同じく中央に位置し、さらに16条の光線(十六条旭日旗)を放つ図案を意匠とする旗(「旭日旗」)が日本史上初めて定型的に採用された。これは兵部省において考案され、1870年5月15日の太政官布告第355号で「陸軍御国旗(陸軍御國旗)」として制定された。新生帝国陸軍のシンボルであるこの陸軍御国旗は1874年(明治7年)、天皇から近衛師団の近衛歩兵第1連隊と近衛歩兵第2連隊に親授された。1879年(明治12年)、従来の陸軍御国旗は旭日の意匠はほぼそのままに寸法を小さくし、房をつけたものに改正され名称も「軍旗」と変え改めて制定された。この軍旗は陸軍の基幹である歩兵連隊および騎兵連隊に授与されたことから、俗称として「連隊旗(聯隊旗)」とも呼称された。
その陸軍に遅れること19年後の1889年(明治22年)、勅令第111号で従来の日章旗(=軍艦旗)から変更されるかたちで、海軍は陸軍の軍旗とは異なり日章位置が旗竿側に寄る意匠とした十六条旭日旗を「軍艦旗」として制定した。
第二次世界大戦敗戦に伴い、陸海軍共に解体され軍旗としての旭日旗の歴史が一旦途切れるも、1954年(昭和29年)に発足した陸上自衛隊では陸軍時代の軍旗を元に考案された八条旭日旗の「自衛隊旗(連隊旗)」が、同じく1954年発足の海上自衛隊では海軍時代の軍艦旗と同じ意匠の「自衛艦旗」が採用され、旭日旗の使用が復活した。
- 日本陸軍のものは、軍旗#大日本帝国陸軍を参照。
- 日本海軍のものは、軍艦旗#日本の軍艦旗・自衛艦旗、大日本帝国海軍の旗章を参照。
- 陸上自衛隊のものは、軍旗#陸上自衛隊、自衛隊の旗#陸上自衛隊の旗を参照。
- 海上自衛隊のものは、軍艦旗#日本の軍艦旗・自衛艦旗、自衛隊の旗#海上自衛隊の旗を参照。
[編集] 旭日の意匠
「軍旗#軍旗の意匠」も参照
「日章と旭光(=旭日)」の意匠自体は比較的古くから日本に膾炙しており、家紋(「日足紋[1]」)、ハレの祝事などで用いられていたが、あくまで「旭日の旗(=旭日旗)」として日本史上において公式に採用・規定されたのは帝国陸軍の「陸軍御国旗(軍旗)」が初めてである。これは日章旗が当初は船印(=軍艦旗)として採用されたことから、それとは別に陸軍の新たなシンボルたる軍旗(=旭日旗)が必要とされたことによる。
「帝国陸軍の軍旗の意匠たる旭日旗」は、上掲の錦絵の戦争画などに見られるように明治時代初期当時から有名な存在であったと同時に、その意匠は現代の今日に至るまで多方面で使用されることとなった(日章旗と同じく各サイズの旭日旗が大量に生産され軍隊のみのらず民間においても広く普及していた)。
また、チベットのガンデンポタンが1912年(明治45年/大正元年)に国旗として制定したチベット国旗は、意匠の考案に日本人研究者・青木文教が関与していたこともあり、間接的に「帝国陸軍の軍旗(旭日旗)」の影響を受けている(「日本の軍旗の半分を冩し取つた樣な旭日を置き」「此新軍旗は時々風に飜る調子で日本の軍旗の様に見えるので、更に改定する筈であつた」[2]
[編集] 現代日本での受け止め方
旭日旗は国旗の日の丸と共に掲げられることもあり、国旗と同様の扱いを受けている[3]。現在も好んで掲げている人もいる(両方を掲げる際は、国旗掲揚の習慣(国旗を参照)に基づいて上位格の国旗は外側から見て左側に掲げるので旭日旗は右側に掲げる)。
旭日の意匠は「僥倖」(ぎょうこう)を意味し、朝日新聞社の社旗など民間デザインの一部に用いられている。朝日新聞社の社旗は二十四条旭日旗を4等分した意匠で、まず上半分で日の出(朝日)を表し、さらに左半分(大阪本社)と右半分(東京本社)の2種類の社旗がある。日章部分に「朝」の文字が入るのは共通。
旭日旗は前途にある様に勝利の祈願の旗として、サッカーの日本代表戦や赤がチームカラーの浦和レッズのサポーターが応援旗として振っていることもある。日本代表のサポーターの中には、赤色の箇所を青色に変更した旭日旗を応援旗にする者もいる。また他のチームのサポーターも旭日旗の色をチームカラーにしたり、ガンバ大阪や川崎フロンターレの様なチームでも横断幕の一種として掲げてるチームもある。[4][1][2][3]
野球ではプロ野球中日ドラゴンズの私設応援団の全国竜心連合が応援旗として青地に旭日旗を描いた旗を使用している。ただし、野球の日本代表の応援旗としてはあまり普及していない。
また、旭日の意匠は古来からハレの祝辞に掲げられていたことにちなみ、現代においてもめでたいことや「天晴れ」の象徴としても多く利用されており、大漁旗や、「(脳天気という意味も含めて)めでたい」ことの漫画的表現などにも組み込まれることが多いデザインである。
[編集] 日本以外での受け止め方
旭日旗は第二次大戦中に日本軍の侵攻を受けた国、あるいは国策として反日教育を行っている国では、しばしば日本の軍国主義や帝国主義の象徴と受け止められる。特に中国、韓国では旭日旗に対し根強い反感がある[5]。
ただし、逆に歴史的な背景から旭日旗に敬意を示す国もある。また必ずしも政治性が伴うとは限らない。
[編集] ギャラリー
[編集] 陸軍・陸自
[編集] 海軍・海自
[編集] 民間
[編集] ソビエト連邦
ソビエト連邦軍時代のソ連空軍の軍旗、ソビエト連邦構成共和国時代のグルジア共和国の国旗など、旧東側諸国(共産主義国家)でも旭日に相当ないし擬似する意匠は使用されていた。
[編集] マケドニア
マケドニア共和国はユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立した当初はヴェルギナの星と呼ばれる意匠を国旗に使っていたが、もともとこの意匠を自領のマケドニア地域の旗に使っていたギリシャとの間の論争に発展し、1995年に現国旗に変更したが、その意匠が旭日旗に似た意匠となっている。
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マケドニア共和国の現国旗。
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ギリシャ領マケドニアの旗。
[編集] 脚注
- ^ 播磨屋.com 日足紋章
- ^ 青木文教 『祕密之國 西藏遊記』 内外出版、1920年10月19日、近代デジタルライブラリー)
- ^ 19. 帝都丸之内東京駅の偉観 昭和2年
- ^ J'sサッカー Vol.10(2007年12月販売)p11
- ^ 水沼啓子 (2011年2月12日). “【なぜ解きコリア】韓国のサッカー選手がサルの物まねで日本人を侮辱した理由は?”. 産経新聞 2011年5月7日閲覧。