神鷹 (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Aircraft carrier Shinyo.JPG
艦歴
起工
進水
竣工 1935年4月30日客船「シャルンホルスト」として竣工
就役 1943年12月15日空母への改装完了
その後 1944年11月17日戦没
除籍 1945年1月10日
性能諸元
排水量 基準:17,500トン 公試:20,900トン
全長 198.34m (198.64mの資料もある)
水線幅 25.6m
吃水 8.18m (公試状態)
飛行甲板 長さ:180.0m x 幅:24.5m
主缶 客船時:ワグナー式缶4基
空母時:ロ号艦本式缶2基
主機 AEGターボ電気推進2軸 26,000hp
速力 21.0ノット
航続距離 18ktで8,000浬
乗員 834名
兵装
(最終時)
12.7cm連装高角砲4基
25mm3連装機銃10基
搭載機
(常用+補用)
艦上戦闘機9+3機
艦上攻撃機18+3機 合計27+6機

神鷹(しんよう)は日本海軍航空母艦である。第二次世界大戦勃発時に神戸港に係留されていたドイツ客船シャルンホルストを日本海軍が買収し、航空母艦に改造した。1944年(昭和19年)11月17日済州島沖でアメリカ軍潜水艦スペードフィッシュ魚雷攻撃によって撃沈された。

空母に改造されるまで[編集]

写真は1935年に撮影された貨客船「シャルンホルスト」。
  • ドイツの大手海運会社である北ドイツ・ロイド汽船(en:Norddeutscher Lloyd)の貨客船として、ブレーメンのデシマグ社(DeSchiMAG en:Deutsche Schiff- und Maschinenbau)にて建造され、1935年(昭和10年)4月30日に竣工。蒸気タービン動力だが、当初からAEG製発電機2基を搭載したターボ・エレクトリック駆動を採用していた。姉妹船には同年竣工のグナイゼナウ、ポツダムの2隻があり、これら3隻はブレーメン-横浜間の極東定期航路に就航した。
  • 1939年(昭和14年)8月26日深夜に神戸港を出港しマニラに寄港した後シンガポールへ向かっていた時にドイツ本国からの暗号無電により9月1日神戸港に戻った。第二次世界大戦勃発によりドイツ本国へ帰れなくなりそのまま神戸港で係留される。乗組員・乗客は当時まだ国交があったソ連シベリア鉄道を経由してドイツに帰国した。
  • 1942年(昭和17年)6月ミッドウェー海戦によって正規空母4隻が失われたことによって、日本海軍は商船を空母に改造していった。
  • 日本政府の駐日ドイツ大使館との交渉によってドイツからシャルンホルストの売却の約束を取り付けた。
  • シャルンホルストを呉海軍工廠に回航し、1942年(昭和17年)9月から空母への改造工事が始まった。
  • 1943年(昭和18年)12月シャルンホルストの空母への改造完了。「神鷹」と命名された。遠藤昭によると候補艦名として飛隼があったという[1]

艦歴[編集]

命名後呉鎮守府に編入されたが、その直後に1943年(昭和18年)11月に設立されたばかりの海上護衛総司令部属となり、船団護衛任務につくことになった。

竣工後、試験運転の際に機関系統のトラブルが相次ぎ、主缶のワグナーボイラーを日本海軍のボイラーである艦本式ロ号に切り替えるという再改修工事をおこなった。そのため就役は予定より大幅に遅れ、編入されたのが1944年(昭和19年)6月になった。

当初の機関はドイツ製で缶圧力45気圧、45000馬力×2基で24ノットの出力だが、当時の日本には主缶のワグナーボイラーを整備運用の能力がなく、日本製缶圧力38気圧、40000馬力×2基22ノットに低下し、合成風力の低下により新型の天山艦上攻撃機彗星艦上爆撃機の発艦が不能で、旧式の九七式艦上攻撃機九九式艦上爆撃機を使用となった。

就役後、第931航空隊の九七艦攻14機を搭載し、シンガポール航路の石油船団であるヒ船団の護衛に従事した。最初の護衛航海は、1944年7月14日に門司出航のヒ69船団(輸送艦船14隻)で、護衛の海防艦1隻が小破しただけでシンガポールへ到着した。折り返し、シンガポール8月4日発・門司8月15日着のヒ70船団(輸送船8隻)を無傷で護衛。さらに、門司9月8日発・シンガポール9月22日着のヒ75船団(輸送船11隻)とシンガポール10月2日発のヒ76船団(輸送船10隻)の護衛を担当し、わずかな損害のみで輸送を成功させた。これらの護衛作戦の間、本艦搭載機は数度の敵潜水艦撃沈を報じたが、アメリカ海軍に該当する喪失艦は無い[2]

最期[編集]

マニラ行きの軍隊輸送船とシンガポール行きのタンカーで編成されたヒ81船団の護衛の任務につき、1944年(昭和19年)11月13日九州伊万里湾から東シナ海を横断し、中国東岸の舟山列島の経由でマニラ・シンガポール方面へ向かった。しかし、対馬海峡付近で米軍潜水艦群に船団の存在が完全に探知されてしまった。11月15日五島列島西の海上で陸軍特殊船あきつ丸が雷撃で撃沈された。

このため船団は危険を感じ途中で針路を変え、巨済島や済州島の島影に避泊しながら舟山列島を目指し航行を続けた。しかし、11月17日に陸軍特殊船の摩耶山丸が雷撃によって沈没した。

その日の23時7分に米バラオ級潜水艦スペードフィッシュが発射した魚雷6本のうち4本が神鷹の右舷に命中した。この魚雷の爆発によって航空機用燃料槽が爆発し、大量のガソリンの爆発により大火災が発生し、魚雷命中後30分で沈没した。生存者は全乗組員1160名中わずか60名であった。

歴代艦長[編集]

  • 石井芸江 大佐:1943年12月15日 - 1944年11月17日戦死(中将に特進。1944.10.15少将)

参考文献[編集]

  • 長谷川藤一、軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦、グランプリ出版、1997年
  • 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ、光人社、1989年
  • モデルアート臨時増刊、艦船模型スペシャルNo.18-商船改造空母、モデルアート社、2005年

脚注[編集]

  1. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。
  2. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1971年、380-381頁。

関連項目[編集]