大鷹 (空母)

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Japanese aircraft carrier Taiyō cropped.JPG
艦歴
起工 1940年1月6日
進水 1940年9月19日「春日丸」として進水
就役 1941年9月5日特設航空母艦として竣工
その後 1942年8月31日航空母艦籍に編入「大鷹」に改名
沈没 1944年8月18日
除籍: 1944年10月10日
性能諸元
排水量 基準:17,830t 公試:20,000t
全長 180.24m
水線幅 22.5m
全幅
吃水 8.00m (公試状態)
飛行甲板 長さ:162.0m x 幅:23.5m
主缶 三菱式水管缶4基
主機 三菱ツェリー式タービン2基2軸 25,200hp
速力 21.0ノット
航続距離 18ktで8,500浬
乗員 747名
兵装
(竣工時)
12cm単装高角砲4基
25mm連装機銃2基
13mm4連装機銃2基
搭載機
(常用+補用)
艦上戦闘機 9+2機
艦上攻撃機 14+2機
合計23+4機

大鷹(たいよう)は、旧日本海軍航空母艦[1]大鷹型航空母艦の一番艦[2]。日本郵船の新田丸級貨客船三番船「春日丸」を空母に改造したもので、太平洋戦争では航空機輸送任務や船団護衛任務に投入された。

建造[編集]

「大鷹」の前身である「春日丸」は、昭和初期に好況を博していた欧州航路の老齢船を置き換える目的で、またドイツの新型貨客船3隻(シャルンホルストグナイゼナウポツダム)に対抗しつつ1940年(昭和15年)開催予定の東京オリンピックを見込んで、日本郵船が建造した豪華客船「新田丸」級三姉妹船の第3船であった[3]。新田丸級三姉妹船(新田丸八幡丸、春日丸)は、日本郵船を象徴する客船であり、日本郵船株式会社のイニシャル“NYK”に因んでそれぞれNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruと命名されている。建造費用は優秀船舶建造助成施設による補助を受けていた。また3隻とも三菱長崎造船所で建造され、「新田丸」(起工1938年5月9日、進水1939年5月20日)、「八幡丸」(1938年12月14日、進水1939年10月31日)、「春日丸」の順番で建造された。

「春日丸」は1940年(昭和15年)1月6日に三菱重工業長崎造船所で起工、船台上で徴用され「仮称艦名第1003号艦」となり、商船用の装備を取り外したのち9月19日に進水した[4]。同年11月1日には長崎造船所で大和型戦艦武蔵」の進水において、艤装岸壁に向かう「武蔵」を「春日丸」の船体で隠し日本海軍期待の秘密兵器「軍艦武蔵」の存在への防諜に貢献した[5]。この時、「武蔵」の隣では客船「橿原丸」(のち飛鷹型航空母艦隼鷹」)の建造が進んでいた[6]1941年(昭和16年)5月1日、「春日丸」は海軍に徴用され特設航空母艦「春日丸」となり、同日附で佐世保鎮守府所管となった[7]。佐世保海軍工廠へ回航後、航空母艦としての改装工事が行われた(八幡丸、新田丸は呉工廠で改造)[8]。基本的に客船に戻すのは難しいほどの改造を行ったが、三姉妹艦においてはもっとも簡単な工事であり、木造部分も多く残されるなど商船としての構造や艤装が残されていた[9]。また「春日丸」は商船として完成する前に改造されたので、空母として三姉妹艦中最初に完成[10]。このため貨客船としては「新田丸」がネームシップであるが、空母としては「春日丸」がネームシップとなり、『春日丸級特設航空母艦』と呼称された[11]

「春日丸」は日米開戦前の同年9月5日に竣工した。予想される日米の艦隊決戦に際して、艦隊用補助空母としての役割を期待されていた[12]。しかし本型は小型のうえに速度も遅く、用途は限られていた。さらに日本海軍は終戦まで空母用カタパルトを実用化できなかったため、連合国軍の軽空母護衛空母と比較して、本型の航空機運用能力は非常に見劣りするものになってしまった[13]。特に、大戦中盤以降に登場した比較的大型の新型機(天山彗星流星艦上攻撃機彩雲)をカタパルトのない本型が運用するのは困難であったとみられる[13]

戦歴等[編集]

特設空母「春日丸」として[編集]

1941年(昭和16年)9月1日、空母2隻(翔鶴、春日丸)、駆逐艦2隻(秋雲)という戦力で第五航空戦隊が新編された。だが「春日丸」が五航戦として本格的に活動する機会はなく、9月25日附で第一航空艦隊第四航空戦隊(司令官角田覚治少将:旗艦「龍驤」、第3駆逐隊《汐風帆風》)に編入された。太平洋戦争開戦時、特設空母「春日丸」は九六式艦上戦闘機九六式艦上爆撃機を固有艦載機として搭載していた[14]。本艦の艦載機は旧式ながら哨戒任務で活躍している。南方作戦~蘭印作戦において同方面に投入された航空機運用艦は、第11航空戦隊(千歳瑞穂)などの水上機母艦が主力であり、当初から参加していた空母は「龍驤」と「春日丸」の2隻だけだった。「春日丸」は南方へ航空機と搭乗員、物資の輸送作戦に従事した。1942年(昭和17年)5月3日クェゼリン環礁に於いて米潜水艦「ガトー」は「大鷹」に魚雷5本を発射するが、命中しなかった[15]。1本は命中寸前であった[16]。「ガトー」は護衛艦や一式陸上攻撃機(哨戒機)に反撃されたが、無傷で避退している[17]

1942年(昭和17年)8月7日、米軍はガダルカナル島フロリダ諸島に上陸を開始、ガダルカナル島の戦いが始まる。8月17日、戦艦「大和」(山本五十六連合艦隊司令長官座乗中)、特設空母「春日丸」、第7駆逐隊()は桂島泊地を出撃し、トラック泊地に到着へ向かった[18]。「春日丸」「曙」は27日になって搭載機の一部をマロエラップ環礁タロア島(当初はルオット島)へ陸揚げするよう下令され、「大和」と分離した[19]。なお「大和」「潮」「漣」は、トラック泊地到着直前の28日、米潜水艦「フライングフィッシュ」に雷撃されている[20]。29日、「春日丸」はタロア島マロエラップ環礁)へ到着後、艦爆4・戦闘機4・搭乗員・整備員を揚陸、かわりに別部隊の戦闘機10機を搭載してラバウルへ向かった[21]

軍艦「大鷹」として[編集]

ラバウル方面へ航海中の8月31日、特設航空母艦「春日丸」と「八幡丸」は、それぞれ軍艦「大鷹(タイヨウ)」および「雲鷹(ウンヨウ)」と改名される[1]。2隻は同日附で正規の航空母艦となった[22]。「大鷹」は佐世保鎮守府籍、「雲鷹」は呉鎮守府籍となる[23]。艦容に変化はない。 9月2日、ラバウルに到着して航空機輸送任務を終えた[24]。つづいて第21航空戦隊、第23航空戦隊の戦闘機・艦爆輸送任務に従事する。13日にミンダナオ島ダバオを出発、17日カビエン沖合で航空隊を発艦、22日ダバオ~25日カビエン沖合で発艦、これで輸送任務を終了し、「潮」「曙」の護衛下で9月28日にトラック泊地へ帰還したが、到着直前に雷撃される[25]。トラックの南水道南方で米潜水艦の発射した魚雷1本が艦尾に命中したのである[26]。この潜水艦は「トラウト」であった。「大鷹」は羅針儀の故障により、附近を航行していた「漣」に水路嚮導を依頼する[27]。機関科勤務者を中心に死傷者13名(戦死3、重傷3、軽傷7)を出し[28]、速力16ノット(戦闘詳報では14ノット)で入泊した[29]。10月1日、九六式艦上戦闘機3機、九六式艦上爆撃機5機を収容する[30]。10月4日、駆逐艦2隻(時津風、漣)と共にトラックを出発し14日呉着[31]。到着と共に「時津風」は「大鷹」の指揮下を離れた[32]。修理後の「大鷹」は横須賀へ回航され[33]、11月1日に横須賀を出発、6日にトラックへ到着した[29]。以後も航空機輸送任務に従事する。ガダルカナル島の戦いが激化するにつれて航空機の消耗は増える一方であり、大鷹型航空母艦は内地と前線を幾度も往復、航空機輸送任務に奔走した[34]

1943年(昭和18年)2月上旬から8月中旬まで、空母3隻(大鷹、雲鷹、冲鷹)は横須賀・トラック・フィリピン・スラバヤ方面の陸海軍機輸送任務に従事した[35]。海軍機だけでなく、陸軍機の輸送も行った。3月上旬、日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」部隊のラバウル進出が決定する[36]。三式戦闘機を搭載した「大鷹」「冲鷹」は、重巡「鳥海」、駆逐艦4隻(漣、黒潮親潮)に護衛されて4月4日に横須賀を出発[36]。9日、米潜水艦「タニー」は「大鷹」に魚雷4本、「冲鷹」に魚雷6本を発射するが、早爆に終わった[37]。10日、トラック泊地に到着して任務を終えた。だが三式戦部隊はトラックからラバウルへの空輸において、液冷エンジンの故障・航空機による航法誘導の失敗により、不時着機や行方不明機を多数出してしまった[36]

7月23日より、トラックへの輸送に3回従事した。8月4日、「大鷹」は駆逐艦「舞風」、「大波」(駆逐艦長吉川潔中佐)と共にトラックを出港[38]。「舞風」は4日夕刻に分離したため、「大鷹」を護衛するのは「大波」1隻となる[39]。8月6日13時、対空訓練のため「大鷹」は之字運動をやめ速力18ノットで直進していた[40]。この時、米潜水艦「パイク」は魚雷6本を発射する[41]。右舷に雷跡4本を認めた「大鷹」は左舷に転舵[42]、すると右舷中央部(煙突附近)に魚雷1本が命中したが不発だった[43]。負傷者2名。不発魚雷は水線下5mに窪みを生じさせた[44]。「大鷹」は潜望鏡に向けて高角砲と機銃を発砲、後方の「大波」も制圧射撃に加わったが[45]、「パイク」は損傷なく離脱して行った。8月9日、「大鷹」「大波」は横須賀へ到着した。

9月21日、トラック泊地を出発[46]。24日、艦隊は島風型駆逐艦「島風」を先頭に、空母「冲鷹」、「大鷹」という速力20ノットの単縦陣で航行していた[47]。悪天候の中、父島の北東200浬北緯28度2分 東経145度59分 / 北緯28.033度 東経145.983度 / 28.033; 145.983で輸送艦隊は敵潜に襲撃される[48][49]。午前7時前後、暗号解読により待ち伏せていた米潜水艦「カブリラ」は魚雷6本を発射。輸送艦隊の誰もが「カブリラ」に気付いておらず、「大鷹」が右舷500mに多数の雷跡を認めてから15秒後、すくなくとも魚雷3本(艦尾《起爆》、前部火薬庫《不発》、爆弾庫《不発》)が右舷に命中した[50]。前部弾薬庫にも1本が命中していたが、不発であった[51]。一方、艦尾附近に命中した魚雷は舵取機室を破壊、機械も停止して「大鷹」は航行不能となる[52]。被雷による死傷者は、戦死9名、重軽傷者24名と報告されている[53]。衝撃で海に投げ出された乗組員のうち、2名は「大鷹」の救助艇に、8名は「島風」に収容された[54]。「島風」は『敵潜撃沈』を報告しているが「カブリラ」は沈んでおらず[55]、また「カブリラ」も「島風」の反撃と悪天候により「大鷹」にとどめをさすことが出来なかった。午後2時すぎに「冲鷹」による曳航準備は完了、「大鷹」は速力11ノット程で横須賀へ向かった[56]。なお駆逐艦「漣」も「大鷹」救援に向かっていたが、会合点に艦隊を発見できず、25日13時に相手の位置を尋ねている[57]。また横須賀に停泊していた第27駆逐隊「白露」も25日に「大鷹」救援のため出動、護衛部隊に加わった[58]。26日16時30分、「大鷹」「冲鷹」「島風」「漣」「白露」は横須賀に到着[59]。ドックにて調査したところ右舷への不発魚雷命中痕跡は五ヶ所にのぼり、さらに左舷にも命中時期不明の不発魚雷命中痕跡がいくつかあったという[60]。「大鷹」の修理は長期間に及んだ。 12月4日、空母「瑞鳳」「雲鷹」と共に日本本土へ向かっていた姉妹艦「冲鷹(旧新田丸)」が米潜水艦「セイルフィッシュ」に撃沈された[61]

船団護衛任務[編集]

1944年(昭和19年)4月上旬、修理を終えた「大鷹」は海上護衛総隊として本格的に行動することになった。門司とシンガポールを結ぶヒ船団の護衛に使用されることとなり、4月19日に対潜哨戒用として第931航空隊所属の九七式艦上攻撃機12機が搭載された。5月3日、最初の護衛航海としてヒ61船団(輸送船11隻・護衛艦9隻)を守って門司を出港、輸送船1隻小破の損害のみで5月18日にシンガポールに送り届けた。折り返し、ヒ62船団(輸送船8隻・護衛艦6隻)を護衛して5月23日出航、6月8日に無傷で門司へ到着した[62]。その後、航空機輸送任務でヒ69船団に加入して7月13日出航、マニラへ第一航空艦隊再建用の機材を輸送。荷揚げ後、ヒ68船団に合流して8月3日に日本へ帰還した。

8月8日、3度目の護衛航海として、「大鷹」は駆逐艦3隻、海防艦9隻とともにタンカー陸軍特殊船、貨物船などからなる重要船団ヒ71船団を護衛して、8月17日台湾の馬公よりフィリピンマニラ湾へ20日午後5時到着の予定で出撃。しかし、当初より船団は3隻の米潜水艦よりの追跡を受けており、8月18日早朝より雷撃を受けて脱落し高雄へ帰港する輸送船が複数出た。8月18日午後10時ごろ、本艦は、ルソン島東方にてアメリカ海軍ガトー級潜水艦ラッシャー」(USS Rasher, SS-269)の雷撃により、魚雷1本が命中し沈没した。なおラッシャーは18本の魚雷を「ヒ71船団」に発射したが、命中したのは「大鷹」への一本のみであった。ヒ71船団の輸送船「能登丸」二等運転士として船橋にいた宇野公一によれば、「大鷹」は輸送船団の中央後方にいて、速力12ノット程度で航行していたという[63]。「大鷹」は被雷から10分程度で沈没、動転したヒ71船団は統制のとれないまま思い思いの方向に四散し[64]、壊滅した[65]

9月17日、ヒ74船団を護衛していた「雲鷹(旧八幡丸)」は米潜水艦「バーブ」に撃沈され、旧新田丸級貨客船3隻は全て沈没した。10月10日、「大鷹」は 軍艦籍[66]、 大鷹型航空母艦[67]のそれぞれから除籍された。

現時、「大鷹」の慰霊碑が長崎県佐世保市の旧海軍墓地東公園にある。

艦歴[編集]

  • 1940年(昭和15年)
  • 1941年(昭和16年)
    • 5月1日 - 徴用され特設航空母艦となる。佐世保鎮守府所管。
    • 9月5日 - 竣工。
  • 1942年(昭和17年)
    • 5月3日 - 米潜水艦「ガトー」に雷撃されるが命中せず。
    • 8月17日 - 「大和」、駆逐艦3隻(潮、漣、曙)と内地を出撃。
    • 8月27日 - 「大和」と分離、「曙」と共にタロア島へ。
    • 8月31日 - 「大鷹」に改名。これ以降、南方方面への航空機輸送任務に就く。
    • 9月2日 - ラバウル着。
    • 9月28日 - 「曙」「潮」と共にトラック泊地着、だが寸前に米潜水艦「トラウト」に雷撃され小破。
    • 10月4日 - 「時津風」「漣」とトラック発、14日呉着[68]。16日~26日呉第四船渠で修理[69]。その後、横須賀回航。
    • 11月1日 - 横須賀発。6日トラック着[34]。カビエン冲経由16日横須賀着[34]
    • 11月19 - 横須賀発。25日トラック着[34]
    • 11月26日 - トラック発。12月5日横須賀着[34]
    • 12月15日 - 横須賀発。12月21日トラック着[34]
    • 12月22日 - トラック発、カビエン経由で横須賀着[34]
  • 1943年(昭和18年)
    • 2月1日 - 横須賀発。2月7日トラック着[34]
    • 2月11日 - 「雲鷹」と共にトラック発。2月17日横須賀着[34]
    • 2月24日 - 「雲鷹」と共に横須賀発。3月2日トラック着。
    • 3月6日 - 「雲鷹」と共にトラック発。3月12日横須賀着。
    • 4月4日 - 「冲鷹」「鳥海」、護衛駆逐艦(響、漣、黒潮、親潮)と共に横須賀発[70]。4月10日、トラック着[71]
    • 4月16日 - 「冲鷹」、護衛駆逐艦(時雨、有明)と共にトラック発[72]。21日、横須賀着。
    • 5月1日 - スラバヤ発。5月6日マニラ着。5月8日マニラ発。5月13日スラバヤ着。
    • 5月16日 - スラバヤ発。5月18日昭南着。5月21日昭南発。5月25日馬公着。5月27日馬公発。5月29日佐世保着。
    • 7月23日 - 横須賀発。7月28日トラック着。
    • 8月4日 - 「大波」とトラック発。 8月6日米潜水艦「パイク」に雷撃されるが不発。8月9日横須賀着。
    • 9月24日 - 「冲鷹」「島風」と横須賀回航中、米潜水艦「カブリラ」に雷撃されて大破。26日横須賀着。
  • 1944年(昭和19年)
    • 4月29日 - 海上護衛部隊に編入。
    • 8月18日 - ヒ71船団の護衛任務中に米潜水艦「ラッシャー」の雷撃により沈没。
    • 10月10日 - 除籍。

歴代艦長[編集]

※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』75-76頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 石井芸江 大佐:1941年5月1日 -
  2. 高次貫一 大佐:1941年8月11日 -

艦長[編集]

  1. 高次貫一 大佐:1941年9月5日 -
  2. 篠田太郎八 大佐:1942年10月24日 -
  3. 松田尊睦 大佐:1943年5月29日 -
  4. (兼)松野俊郎 大佐:1943年11月17日 - (本務:横須賀海軍港務部長[73][74]
  5. 別府明朋 大佐[74][75]:1944年2月15日[74] - 1944年3月20日[75]
  6. 杉野修一 大佐:1944年3月20日 -

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和17年8月p.39『達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝国艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)』
  2. ^ #編制(昭和19年1月31日現在)p.4『艦艇類別等級別表|軍艦|航空母艦|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹』
  3. ^ #日本空母物語105、298頁
  4. ^ #日本空母物語308頁『(2)大鷹(旧春日丸)』
  5. ^ 内藤初穂『戦艦大和へのレイクイエム』156頁
  6. ^ #艦と人129頁
  7. ^ #内令昭和16年5月(1)p.8『内令第四百七十一號 汽船 春日丸 右特設航空母艦トシ佐世保鎮守府所管ト定メラル|昭和十六年五月一日 海軍大臣及川古志郎』
  8. ^ #日本空母物語307頁
  9. ^ #日本空母物語309頁
  10. ^ #日本空母物語105頁
  11. ^ #内令昭和16年4月(5)pp.39-40『内令第四百四十號 特設艦船部隊特修兵配置表中左ノ通改正ス|昭和十六年四月二十六日 海軍大臣及川古志郎|特設航空母艦ノ欄ヲ左ノ如ク改ム |特設航空母艦||飛鷹、隼鷹|春日丸級|(略)』
  12. ^ #日本空母物語299頁
  13. ^ a b #日本空母物語312頁『(4)わが商船改造空母の問題点』
  14. ^ 坂井三郎ほか『零戦搭乗員空戦記』(光人社、2000)37頁
  15. ^ #昭和17年5月横鎮日誌(2)p.9『3日1230春日丸船長|午前11時22分クエゼリン入口(ミルー島ノ330度750米)ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃(五射線キョーサ)ヲ受ケタルモ回避被害ナシ』
  16. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.7『(ロ)敵潜水艦後方発射管ヨリスル斜進発射ニ依ル魚雷ニ対シ特ニ警戒ノ要アリト認ム 本艦四月末「ルオット」沖ニテ受ケタル雷撃ノ発射雷数ハ5本ニシテ始メ左右舷2本宛通過シタル後1本ノ魚雷ハ本艦ノ直極メテ近ク斜ニ通過セリ(略)』
  17. ^ 「ガトー (潜水艦)」」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2014年8月17日(日)03:46、UTC:[URL: http://ja.wikipedia.org]
  18. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)83頁『南東方面部隊の編成と聯合艦隊長官のトラック進出』
  19. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)140頁『ラバウルへの戦闘機の増派と哨戒要領の一部改定』
  20. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)155頁『米潜に襲撃された「大和」』
  21. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)141頁『「矢風」の編入と春日丸のタロア、ラバウルへの飛行機輸送』
  22. ^ #内令昭和16年10月(3)p.37『内令第千二百八十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦ノ項中「飛鷹」ノ下ニ「、大鷹、雲鷹」ヲ加フ』
  23. ^ #内令昭和17年8月(4)pp.12-13『内令第千六百二十四號 汽船 八幡丸 右特設航空母艦トシ呉鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|汽船 春日丸 右特設航空母艦トシ佐世保鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』~『内令第千六百二十五號 軍艦 雲鷹 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|軍艦 大鷹 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 照月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 高波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル(中略)|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  24. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)142頁『飛行艇のラバウル派遣解除と一式陸攻の派遣』
  25. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)163頁『南西方面部隊からの航空兵力の転用』
  26. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.5『1325右舷2本左舷ニ1本ノ雷跡ヲ認メ続イテ右185番ビーム水線下ニ1本命中、機械停止、防水ヲ下令ス 位置北緯7度46分 東経151度46分 / 北緯7.767度 東経151.767度 / 7.767; 151.767(南水道入口ヨリ189度17.4浬)』
  27. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.5『1340転輪羅針儀故障ノ為附近航行中ノ駆逐艦漣ニ水路嚮導ヲ依頼ス』
  28. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)pp.10-11『9月28日軍艦大鷹死傷者調査表 昭和17年9月28日』
  29. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)180頁『第二航空戦隊のトラック進出と米軍と誤認された「瑞鳳」』
  30. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(2)p.2『17.10.1|竹島飛行場ヨリ九六艦戦3機九六艦爆5機収容』
  31. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.28『4日|一.駆逐艦曙漣警戒呉ニ向ケ出港 二.警戒航行|一.1045大鷹機密第040705番電(大鷹、時津風、漣)行動予定GF参謀長横鎮参謀長宛報告』、p.29『損傷箇所修理ノタメ4日トラック発呉ニ回航14日呉着』
  32. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.29『8日|0850(略)大鷹内地帰着後時津風本艦警戒任務解除ノ命令受領』
  33. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.20『第252航空隊基地進出協力ノタメ横須賀回航28日呉発29日横須賀着』
  34. ^ a b c d e f g h i #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)215-217頁『航空母艦による航空機輸送』
  35. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)294頁『航空母艦による航空機の輸送』
  36. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)322頁『三式戦闘機(陸軍)の輸送』
  37. ^ 「タニー (潜水艦)」」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2013年10月26日9:53、UTC:[URL: http://ja.wikipedia.org]
  38. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.3『本艦ハGF電令作第627号ノ任務ヲ終了シGF電令作第642号ニ依ル次期軍事機材輸送任務ノ為横須賀回航ヲ要シ便乗者431名托送品零戦3艦攻3水戦1発動機5其ノ他ヲ搭載ノ上4日0415「トラック」港出港9日1700横須賀着ノ予定ヲ以テ同地ニ向フ』
  39. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.3『4日1745舞風分離迄左右130度1500米ニ駆逐艦各1ヲ配ス舞風分離後大波本艦艦尾1000米ニ占位シ昼夜間共艦内哨戒第三配備之字運動A法(時隔5分)ヲ実施ス』
  40. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.2『本艦6日1300ヨリ高角砲機銃教練射撃開始ノ予定ヲ以テ之字運動ヲ止メ針路40度18節ニテ直進ス、警戒駆逐艦大波ハ大鷹ノ後方約1500米ヲ続行ス』
  41. ^ 「パイク (SS-173)」」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2014年2月14日08:03、UTC:[URL: http://ja.wikipedia.org]
  42. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.7『6日1320大鷹艦長|発大鷹艦長6日1300北緯21度32分 東経153度20分 / 北緯21.533度 東経153.333度 / 21.533; 153.333ニテ近巨離ニ潜望鏡発見雷撃四ヲ受ケタルモ回避シ被害ナシ大波制圧中』
  43. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.9『同日1050大鷹艦長|大波|魚雷1本本艦右舷中部ニ撃角20度ニテ觸衝セシモ爆発セズ頭部切断沈没セリ』
  44. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.13『(ハ)船体 横須賀入港後調査ノ結果 水線下約5米ニテ104番ビーム前方63糎ニ経約45糎深3.5糎ノ円形凹部ヲ発見、円形凹部ハ魚雷頭部ニテ三日月型凹部ハ頭部脱落後再ビ気室前端ニテ衝撃セツモノト認ム両者共変形セルノミニテ支障ナシ』
  45. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.5『大鷹ノ射撃ニ依リ大波ノ前方1500米ニ潜望鏡ヲ認メ直ニ之ガ攻撃ニ移ル』
  46. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.19『(ロ)(略)次期軍事機材輸送任務ノ為横須賀回航ヲ要シ便乗者840名托送品零戦6其ノ他若干ヲ搭載ノ上21日0400「トラック」港出港…』
  47. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.18『(二)我軍ノ兵力配備及行動 横須賀回航ノ途次島風冲鷹本艦ノ順ニテ単縦陣ニテ之字運動A法(時隔五分)ヲ実施基準針路320度速力20節ニテ航行中ナリ』
  48. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)403-404頁『「大鷹」被雷航行不能』
  49. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.24『(三)天候及戦場ノ状況 天候曇雨量9風向北東風速10米波浪4驟雨屡々来襲シ水平線附近特ニ視界不良ナリ本艦ノ北緯28度2分東経145度59分』
  50. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)pp.20-21『0658|射点右110度400乃至500米ヨリ将ニ開進セントスル雷跡多数ヲ発見直ニ取舵一杯前進一杯ヲ令シタルモ約15秒後1本艦尾ニ命中爆発1本前部火薬庫(不爆)1本爆弾庫(頭部脱落不爆)ニ命中、2本前方1本後方通過防水ヲ令ス、高角砲機銃ヲ以テ攻撃ス、当時潜望鏡ヲ認メタル者ナシ』
  51. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.25『行動圖 註 艦底通過ト報告セルモノハ入渠調査ノ結果前部弾薬庫右舷ニ命中不爆ナリシ事判明ス』
  52. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.24『五.我ガ兵力ノ現状 大鷹船体 右10番「ビーム」附近ニ大破孔ヲ生ジ舵取機室大破シ操舵不能右舷主機械ハ推進軸屈曲左舷機械ハ電源切断ニヨリ強圧ポンプ停止セル為焼損停止運転不能』
  53. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)pp.30-31『25日0612大鷹艦長|(被害詳報)発大鷹艦長(略)戦死者4名行方不明5名重傷3名軽傷21名』
  54. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.22『1010|本艦2名島風8名溺者救助』
  55. ^ #昭和18年6月~2水戦日誌(3)p.5『島風、冲鷹護衛中24日(28度0分N140度10分E)敵潜1隻撃沈』
  56. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.23『1515|冲鷹320度ニ定針速力16節(實速9.2節)爾後曳航實速力11.2節』
  57. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(3)p.30『1256漣艦長|本艦1200ノ位置北緯29度16分東経145度34分針路340度速力20節1100予定会合点ニ於テ貴艦ヲ発見スルヲ得ズ貴艦1200ノ位置針路速力知ラサレ度』
  58. ^ #昭和18年6月~2水戦日誌(3)p.95『25日|白露大鷹部隊合同ノ為横須賀発2000合同護衛ニ就ク』
  59. ^ #昭和18年6月~2水戦日誌(3)p.80『26日1630冲鷹|冲鷹大鷹島風漣横須賀着(略)』、p.95『26日|島風白露冲鷹大鷹護衛任務終了横須賀着』
  60. ^ #日本空母物語310頁
  61. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)529頁『米潜水艦の跳梁と「冲鷹」の被雷沈没』
  62. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1971年、379-380頁。
  63. ^ #特攻船団145-146頁
  64. ^ #特攻船団150頁
  65. ^ #特攻船団156-157頁
  66. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.36-37『内令第一一六五號 呉鎮守府在籍:軍艦白鷹/佐世保鎮守府在籍 軍艦 大鷹 /舞鶴鎮守府在籍:軍艦長良、軍艦名取 右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍:驅逐艦朝風、驅逐艦五月雨/呉鎮守府在籍:驅逐艦敷波/佐世保鎮守府在籍:驅逐艦夕凪/舞鶴鎮守府在籍:驅逐艦松 右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和十九年十月十日 海軍大臣』
  67. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)p.35『内令第一一五九號 艦艇類別等級別表中次ノ通改正ス 昭和十九年十月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等長良型ノ項中「長良、」「、名取」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「大鷹、」ヲ、同敷設艦ノ部中「、白鷹」ヲ削ル|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、朝風」「、夕凪」ヲ、同初雪型ノ項中「、敷波」ヲ、同白露型ノ項中「、五月雨」ヲ、同松型ノ項中「松、」ヲ削ル(以下略)』
  68. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.19『損傷箇所修理ノタメ4日トラック発呉ニ回航14日呉着』
  69. ^ #昭和17年9月~大鷹詳報(1)p.19『10月16日損傷箇所修理ノタメ呉工廠第四船渠ニ入渠26日修理完了出渠』
  70. ^ #昭和18年1月~2水戦日誌(4)p.34『大鷹艦長/一.大鷹、冲鷹、響、漣、黒潮、親潮ヲ率ヰ4月3日「トラック」ニ向ケ横須賀発ノ予定 二.黒磯、親潮ハ出撃準備完成ノ後燃料満載4月1日迄ニ横須賀ニ回航スベシ』
  71. ^ #昭和18年1月~2水戦日誌(5)p.6『4月4日-同10日|親潮、黒潮|冲鷹、大鷹|横須賀→「トラック」』
  72. ^ #昭和18年1月~2水戦日誌(5)p.30『AdB指揮官|4月14日1447対潜掃蕩隊|掃蕩隊(略)4月16日0600「トラック」発予定ノ大鷹冲鷹(護衛艦時雨有明)ノ護衛ニ協力(礁外300浬附近迄)シツツ敵銭掃討ニ任ズベシ』
  73. ^ 昭和18年11月18日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1264号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072094500 で閲覧可能。
  74. ^ a b c 昭和19年2月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1324号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072095800 で閲覧可能。
  75. ^ a b 昭和19年3月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1382号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072096800 で閲覧可能。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13072024200 『昭和19年1月31日現在10版 内令提要追録第14号原稿(防衛省防衛研究所)巻3/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C08051772000 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。
    • Ref.C12070150500 『昭和16年1月~4月内令1巻/昭和16年4月(5)』。
    • Ref.C12070151200 『昭和16年5月~8月内令2巻/昭和16年5月(1)』。
    • Ref.C12070164700 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月(4)』。
    • Ref.C12070115300 『昭和17年1月~12月達/達昭和17年8月』。
    • Ref.C12070497400 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。
    • Ref.C08030317700 『昭和17年5月1日~昭和17年5月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030582900 『昭和17年9月28日~昭和18年9月24日軍艦大鷹戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030583000 『昭和17年9月28日~昭和18年9月24日軍艦大鷹戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030583100 『昭和17年9月28日~昭和18年9月24日軍艦大鷹戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030116200 『昭和17年12年1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030100500 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030100600 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030100700 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030101200 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 宇野公一 『雷跡!!右30度 特攻船団戦記』 成山堂書店、1977年
  • 飯尾憲人 『艦と人 海軍造船官八百名の死闘』 集英社、1983年7月。ISBN 4-08-772441-7
  • 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ、光人社、1989年
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』 光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 長谷川藤一、軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦、グランプリ出版、1997年
  • モデルアート臨時増刊、艦船模型スペシャルNo.18-商船改造空母、モデルアート社、2005年
  • 雑誌「歴史群像」太平洋戦史シリーズ Vol.64 『睦月型駆逐艦』、学習研究社 2008年、ISBN 978-4-05-605091-2
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9

関連項目[編集]

外部リンク[編集]