舞風 (駆逐艦)

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Maikaze.jpg
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1940年4月22日
進水 1941年3月15日
就役 1941年7月15日竣工
その後 1944年2月17日戦没
沈没地点 北緯07度45分 東経151度20分 / 北緯7.750度 東経151.333度 / 7.750; 151.333
除籍 1944年3月31日
性能諸元
排水量 基準:2,033トン
全長 118.5m
全幅 10.8m
吃水 3.8m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式衝動タービン2基2軸
52,000馬力
速力 35.0ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個

舞風(まいかぜ/まひかぜ)[1]大日本帝国海軍(日本海軍)駆逐艦一等陽炎型の第18番艦である。1944年2月、トラック諸島沖で米軍艦隊の砲撃によって戦没した。

艦歴[編集]

太平洋戦争緒戦[編集]

マル4計画、仮称第114号艦として藤永田造船所で建造開始。1940年(昭和15年)4月22日起工[2]1941年(昭和16年)2月5日、「舞風」と命名され[1]、一等陽炎型として登録される[3]。同年3月15日進水[2]。7月15日竣工[2]。同日附で横須賀鎮守府[4]。10月31日附で「野分」「舞風」は第4駆逐隊に編入された[5]

太平洋戦争開戦時、「野分」、「」、「萩風」、「舞風」の陽炎型姉妹艦4隻は第4駆逐隊(駆逐隊司令有賀幸作大佐/戦艦大和沈没時艦長)を編制していた[6]。4隻とも竣工したばかりの最新鋭艦である[7]。4駆は第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦「那珂」)に所属しており、南方部隊本隊に加わって南方作戦を支援する。また1942年(昭和17年)2月にスターリング湾を出発してジャワ機動作戦、ベンガル湾機動作戦に参加する。第4駆逐隊第2小隊(指揮官井上良雄中佐/萩風駆逐艦長:萩風、舞風)は第1小隊(嵐、野分)と分離し、南雲機動部隊に所属していた[8]。内地に帰還した後、第4駆逐隊はミッドウェー島攻略を目指す連合艦隊総力をあげた「ミッドウェー作戦」に参加した。

南雲忠一中将を司令長官とする南雲機動部隊には、護衛艦艇として第十戦隊(司令官木村進少将:旗艦「長良」、第10駆逐隊《秋雲夕雲巻雲風雲》、第17駆逐隊《浦風磯風谷風浜風》)が所属していた。第4駆逐隊の4隻は第四水雷戦隊から引き抜かれる形で機動部隊警戒隊指揮官(第十戦隊司令官)の指揮下に入る[9]。機動部隊輪形陣において第4駆逐隊は主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)直衛であり、「舞風」は空母「蒼龍」の左後方に位置していたという[10]。日本時間6月5日午前7時20分以降、米軍機動部隊艦載機SBDドーントレス急降下爆撃機の攻撃により空母3隻(赤城、加賀、蒼龍)は大破炎上する。「舞風」「萩風」は空母「加賀」の乗員を救助した[11]。「加賀」沈没後、「舞風」と「萩風」は空母「赤城」及び同艦救援中の「嵐」「野分」と合流する。戦艦「大和」の山本五十六連合艦隊司令長官より「赤城の処分まて」との電令があり、「嵐」に乗艦する有賀司令は「今夜は赤城の警戒に任じ、敵艦来たらば刺違え戦法をもってこれを撃滅せんとす」と号令した[12]。その後、改めて山本長官より赤城処分命令があった[13]。6月6日現地時間午前4時40分、第4駆逐隊は「嵐」「野分」「萩風」「舞風」の単縦陣となり、「赤城」の右舷に酸素魚雷を発射する[14]。「萩風」砲術長によれば、魚雷を発射したのは「嵐」「野分」「萩風」の3隻で「舞風」は発射しておらず、さらに「野分」の魚雷は不発だったという[15]。「野分」の魚雷は爆発せず、「嵐」「舞風」の魚雷が赤城艦橋附近で起爆したともいう[16]。現地時間4時55分(日本時間午前2時)、「赤城」は沈没した[17]

その後、第4駆逐隊は「赤城」生存者を戦艦「陸奥」(一部著作では榛名も含む)へ、「加賀」生存者を「長門」に引き渡した[18]。次に、アリューシャン攻略作戦を支援するため、空母「瑞鳳」を護衛して北方海面に進出、6月9日附で第二機動部隊(龍驤隼鷹等)に編入された[19]。7月4日をもって作戦終了、7月12日内地着、13日呉入港[20]。7月14日、第4駆逐隊は第四水雷戦隊から第十戦隊(司令官木村進少将:旗艦「長良」)に編入され、第四水雷戦隊には第27駆逐隊(時雨、白露、有明、夕暮)が加わった。

太平洋戦争中盤の戦い[編集]

1942年(昭和17年)8月7日、米軍はガダルカナル島フロリダ諸島に上陸したガダルカナル島の戦いがはじまる。「舞風」以下第4駆逐隊はソロモン諸島へ進出、駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)に従事する事になった。8月18日、第4駆逐隊僚艦「萩風」は空襲を受けて損傷、戦線離脱を余儀なくされた[21]。8月24日の第二次ソロモン海戦参加後、「舞風」は再び鼠輸送に従事する。10月3日[22]、10月6日[23]、10月9日[24]と鼠輸送を実施した。

10月26日、第4駆逐隊(嵐、舞風)は駆逐艦6隻(初風、雪風、天津風、時津風、浜風、照月)と共に南太平洋海戦に参加する[25]。4駆の2隻は第一航空戦隊の空母3隻(翔鶴瑞鶴瑞鳳)直衛として米軍機動部隊艦載機と交戦した。戦闘で空母「翔鶴」「瑞鳳」、重巡「筑摩」「熊野」がそれぞれ損傷、「初風」「舞風」は空母2隻を護衛してトラック泊地へ向かった[26]。 11月2日、「舞風」は第16駆逐隊2小隊(初風、時津風)、第17駆逐隊、駆逐艦「秋雲」等と共に、空母3隻(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)、重巡2隻(熊野、筑摩)を護衛してトラック泊地を出港、日本本土へ向かった[27]。内地で整備修理後、ふたたびソロモン海へ進出する。

12月7日、駆逐艦11隻(嵐、野分、長波、親潮、黒潮、陽炎、浦風、谷風、江風、涼風、有明)による鼠輸送中に「野分」が航行不能となる損傷を受け、半年以上戦線を離脱する[28]。「舞風」はショートランドに停泊中の「野分」をトラック泊地まで曳航した。

1943年(昭和18年)1月5日より、陽炎型5隻(第17駆逐隊《谷風、浦風、浜風、磯風》、舞風)はパプアニューギニアのラエに向かう輸送船団を護衛する[29]。10日、「舞風」と「浦風」は米潜水艦撃沈を報告[30]。米軍の被害報告に依れば、「舞風」以下護衛駆逐艦と日本軍航空隊の共同攻撃により米潜水艦「アルゴノート」 (USS Argonaut, SM-1/SF-7/SS-166/APS-1) が撃沈されている。引き続き「舞風」は第17駆逐隊と共に輸送作戦に従事した。1月14日-15日、駆逐艦9隻(秋月時津風黒潮、谷風、浦風、浜風、磯風、舞風、嵐)で鼠輸送を実施、この任務中に「嵐」が被弾、勝見基「谷風」駆逐艦長が戦死した[31]。1月23日、「磯風」「舞風」はサンタイサベル島レカタ基地への輸送を実施[32]。1月26日、「磯風」「舞風」「喜山丸」でコロンバンガラ島への輸送を実施[33]

その後ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)に参加した。「舞風」は有賀司令が座乗する第4駆逐隊司令艦としての参加である[34]。 第1回作戦では、駆逐艦「巻波」が中破して「長月」に曳航されて退避し、旗艦を「白雪」に変更後作戦続行。撤退作戦は成功したが、駆逐艦「巻雲」が沈没した[35]。 2月4日、日本海軍は駆逐艦「五月雨」「朝雲」等を増強して第2回撤収作戦を実施する[36][37]。零戦29機(1機喪失1機不時着)の護衛に対し、米軍は戦闘機31機・爆撃機32機を投入(10機喪失)[38]。午後2時、「舞風」は米軍機の攻撃を受け、至近弾により航行不能となる[39]。二列縦隊の左側先頭を航行していたために米軍機の標的になり、至近弾で右舷に傾斜、火災も発生したという[40]。「舞風」は駆逐艦「長月」に曳航されてショートランド泊地に避退した[41]。 なお第3回作戦では姉妹艦「磯風」が爆撃により大破、救援の為にまた「長月」が派遣されたが、「磯風」は「江風」に護衛されつつも自力でショートランド泊地へ向かった[42]。「舞風」は工作艦「長浦」の手で応急修理をおこなったのち、第16駆逐隊「雪風」と共に2月10日ショートランド泊地発、12日トラック泊地着[43]。2月20日、有賀大佐が第4駆逐隊司令職を離れ、杉浦嘉十大佐が着任する(太平洋戦争開戦時の第17駆逐隊司令)[44]。「舞風」は同年3月に内地に帰還、7月まで横須賀工廠で修理を実施した。

修理完成後はトラックに進出、「野分」と共に同方面で護衛任務についた。8月6日、コロンバンガラ島輸送任務に従事していた駆逐艦4隻(萩風、嵐、江風、時雨)はレーダーを装備した米駆逐艦6隻に奇襲される[45]。「萩風」「嵐」「江風」は一方的に撃沈され、「時雨」のみ生還した(ベラ湾夜戦[46]。第4駆逐隊は「野分」「舞風」の2隻編制になったため、9月15日附で朝潮型駆逐艦山雲」が第4駆逐隊に編入された[47]。11月17日、第4駆逐隊司令として磯久研磨大佐が着任する。磯久大佐は、駆逐艦「長月」「」「磯風」駆逐艦長を務めた経歴を持っている。

12月11日、「舞風」「野分」は第3戦隊(金剛榛名)を護衛してトラック出港[48]、16日午前10時に佐世保へ到着した[49]。2隻はただちに横須賀へ回航され、18日以降横須賀で待機した[50]。次の任務は、重巡洋艦「愛宕」護衛任務である[51]

1944年(昭和19年)1月4日、「愛宕」「舞風」「野分」は横須賀を出港、9日トラック泊地着[52]。1月15日附で「舞風」「野分」は南東方面部隊に編入され、ラバウル方面の輸送任務に従事した[53]。2月12日、2隻はトラック泊地帰投。第十戦隊所属の第17駆逐隊(浜風、谷風、浦風、磯風)は「舞風」と入れ違いでトラック泊地を去っていた[54]。15日、第4駆逐隊3番艦の「山雲」は輸送船「浅香丸」を護衛してトラック泊地を出発した[55]。2月16日深夜、本土修理のためトラック泊地を出港した第十戦隊旗艦「阿賀野」が米潜水艦の雷撃で沈没する。救援に向かった軽巡洋艦「那珂」も撃沈された。トラック泊地に有力な米軍機動部隊が接近しつつあり、米潜水艦はその先鋒であった。

トラック島空襲[編集]

1944年(昭和19年)2月17日、「舞風」は第4駆逐隊僚艦/姉妹艦「野分」と共に、練習巡洋艦「香取」、特設巡洋艦赤城丸」を護衛(第4215船団)、内地帰還の予定だったが、米軍機動部隊艦載機によるトラック島空襲に遭遇する。同泊地に停泊していた工作艦「明石」、駆逐艦「時雨」、「春雨」は損傷を受けつつ脱出に成功したが、「舞風」達はのがれられなかった。午前8時ごろ、空母「ヨークタウンⅡ」(USS Yorktown, CV-10)飛行隊TBF アベンジャー雷撃機(爆弾装備)3機が「舞風」を攻撃し、3発命中を主張[56]。午前8時30分、空母「エンタープライズ」(USS Enterprise, CV-6)のTBFが前部砲塔に爆弾1発命中、至近弾9を主張[57]。空母「エセックス」 (USS Essex, CV-9)のTBFが艦中央部に爆弾1発の命中を主張[57]。「野分」によれば、午前9時30分に「舞風」から機関室浸水航行不能と、第4駆逐隊司令(磯久研磨大佐)の「野分」移乗を求める通信があった[57]。午前11時に「舞風」から発信された無電によれば、爆弾1発が左舷中央に命中して艦底まで貫通・機械室満水により航行不能となり、「野分」の曳航でトラック退避の予定であった[58]。だが空襲が継続したため、「野分」が「舞風」を曳航する機会はなかった。この時点で「赤城丸」は沈没、「舞風」は航行不能、「香取」は大火災を起こしていた[59]

午後12時10分(12時16分とも)、「舞風」、「香取」、「野分」はレイモンド・スプルーアンス大将自身が指揮するアイオワ級戦艦ニュージャージー」(旗艦)、「アイオワ」、重巡洋艦「ミネアポリス」、「ニューオリンズ」、駆逐艦4隻を水平線上に発見した[60]。午後12時26分、「野分」は「舞風」に対する艦砲射撃を確認した[61]。「舞風」は戦艦と重巡洋艦の集中砲撃を受けて船体が分断され、午後1時43分に黒煙をあげつつ沈没する[62]。米軍記録による沈没地点北緯07度45分 東経151度20分 / 北緯7.750度 東経151.333度 / 7.750; 151.333。磯久研磨第4駆逐隊司令、萩尾力艦長以下240名全員戦死。「香取」も撃沈され、こちらも全員戦死。「野分」は単艦で西方に退避[59]サイパンに脱出したのち、輸送船団を護衛して横須賀に帰投した[63]

同年3月31日、駆逐艦「舞風」はトラック空襲で沈んだ「阿賀野」「那珂」「香取」等と共に帝国艦艇籍から除籍[64]。 不知火型駆逐艦から除籍[65]。 第4駆逐隊は「舞風」の代艦として、所属艦「海風」・「涼風」の喪失により解隊された第24駆逐隊から満潮型駆逐艦満潮」を編入した[66]。7月には駆逐艦「朝雲」を編入[67]。その後、1944年10月下旬のレイテ沖海戦で「満潮」「山雲」「朝雲」はスリガオ海峡夜戦で沈没、「野分」は重巡洋艦「筑摩」救援中に沈没。全滅した第4駆逐隊は1945年(昭和20年)1月10日附で解隊された[68]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』337-338頁による。

艤装員長[編集]

  1. 中杉清治 中佐:1941年 4月10日 -

駆逐艦長[編集]

  1. 中杉清治 中佐:1941年 7月15日 -
  2. 萩尾力 中佐:1943年 6月22日 - 1944年2月17日戦死

脚注[編集]

  1. ^ a b #達昭和16年2月(1)pp.3-4『達第二十四號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等駆逐艦二隻、一等潜水艦一隻、駆潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等駆逐艦 舞風(マヒカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等駆逐艦 夕雲(ユフグモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十一潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第十七號駆潜艇|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 運送艦 伊良湖(イラコ)』
  2. ^ a b c #内令昭和17年5月(2)p.22『舞風|一等駆逐艦|(艦諸元略)|藤永田造船所|15-4-22|16-3-15|16-7-15|(兵装略)』
  3. ^ #内令昭和16年2月p.18『内令第百三十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十六年二月五日海軍大臣及川古志郎|駆逐艦、一等陽炎型ノ項中「萩風」ノ下ニ「、舞風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ||夕雲型|夕雲|| 潜水艦、一等伊九型ノ項中「伊號第十」ノ下ニ「、伊號第十一」ヲ加フ|駆潜艇第十三號型ノ項中「第十六號」ノ下ニ「、第十七號」ヲ加フ』
  4. ^ #内令昭和16年7月(2)p.6『内令第八百三號 駆逐艦 舞風 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル|横須賀鎮守府在籍 駆逐艦舞風 右警備駆逐艦ト定メラル 昭和十六年七月十五日海軍大臣及川古志郎』
  5. ^ #内令昭和16年10月(4)p.19『内令第千三百七號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四駆逐隊ノ項中「萩風」ノ下ニ「、野分、舞風」ヲ加フ』
  6. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録11頁
  7. ^ #戦艦大和最後の艦長96頁
  8. ^ #戦艦大和最後の艦長119頁
  9. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(1)p.16『一.本作戦開始直前ニ於ケル艦隊編制及兵力部署』
  10. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録39頁
  11. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(1)p.42『(ロ)加賀…1025御真影ヲ萩風ニ移シ奉ル。1340ニ至リ遂ニ絶望トナリタルヲ以テ1400総員退去ヲ下令シ駆逐艦萩風舞風ニ移乗ス…』
  12. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録73頁、#戦艦大和最後の艦長162頁
  13. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(1)p.40『1925GF長官ヨリ「処分待テ」ノ命令アリテ待機中6日0150GF長官ヨリ「処分セヨ」ノ令ニヨリ0200自沈ス』
  14. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録81頁
  15. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録82頁
  16. ^ #戦艦大和最後の艦長165頁
  17. ^ #第1航空艦隊戦闘詳報(3)p.14『0200/赤城北緯30度30分西経178度40分ニテ4dgノ魚雷ニテ自沈ス』
  18. ^ #戦艦大和最後の艦長169頁
  19. ^ #戦艦大和最後の艦長170頁
  20. ^ #戦艦大和最後の艦長171頁
  21. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(1)pp.54-55『8月16/佐五特派遣隊(200名)「タイボ」ニ揚陸成功、第4駆ハ佐五特揚陸後「ルンガ」方面ヲ砲撃海上「トラック」2撃沈3ヲ大破ス、萩風空襲ニ依リ損傷ヲ受ク』
  22. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(2)p.39『日進、野分、舞風|10-3|陸兵300、十五榴4、野砲2、牽引車5、糧食ヲ「タサハロング」ニ揚陸セリ』
  23. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(2)p.40『第19駆(2小隊欠)、野分、舞風、秋雲、巻雲|10-6|速射砲4、聯隊砲2、陸兵550、舞四特150、其他弾薬糧秣ヲ「タサファロング」ニ揚陸ス』
  24. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(2)p.41『第15駆(陽炎欠)、龍田、野分、舞風|10-9|陸兵732、龍田、野分、舞風ニ分乗聯隊砲2其他ヲ搭載「タサファロング」ニ揚陸ス』
  25. ^ #戦艦大和最後の艦長193頁
  26. ^ #戦艦大和最後の艦長194頁
  27. ^ #昭和17年11月~第7戦隊日誌(1)p.25『2日2220連合艦隊司令長官/連合艦隊電令作第369号 一.機動部隊中左ノ兵力ハ内地回航急速整備訓練ヲ実施スベシ、第一航空戦隊(第三艦隊司令部ヲ含ム)、熊野、筑摩、第4駆逐隊、第17駆逐隊、秋雲、秋月、第16駆逐隊2小隊|二.11月4日附 第11戦隊、第8戦隊(筑摩欠)、長良(第10戦隊司令部ヲ含ム)ハ第16駆逐隊(2小隊欠)、第61駆逐隊(秋月欠)ヲ前進部隊ニ編入』
  28. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(3)p.60『4dg(嵐、野分)長波、15dg(親潮黒潮陽炎)、17dg(浦風谷風)、24dg(江風涼風)有明|12-7|第三次「ドラム」罐輸送ヲ実施セントセシモ途中敵機ノ来襲及泊地ニ於ケル魚雷艇ノ為遂ニ揚陸ヲ断念ス、戦果艦爆5艦戦1魚雷艇1、被害野分航行不能、嵐小破』
  29. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(4)pp.30-31『谷風、舞風、浦風、浜風、磯風、ぼらじる丸、日竜丸、くらいと丸、智福丸、妙高丸|1-5.6.7.8|十八号輸送ヲ開始ス(51師ノ一部及海軍部隊)敵来襲延6日B-17七P-38一一、7日B-25一二B-17四fb十数機 右ノ外夜間ハ連続触接及爆撃ヲ実施、7日0220日竜丸沈没ス、1500「ラエ」入泊揚搭ヲ開始ス、荷揚中敵機延B-17六B-24六B-25八fc四〇fl二〇計八〇、8日1215妙高丸被爆擱座、2300揚陸完了帰途ニ就ク』
  30. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(4)p.42『舞風、浦風|1-10|潜水艦1』
  31. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(4)pp.26-27『秋月、時津風、嵐、黒潮、谷風、浦風、浜風、磯風、舞風|1-14.15|「エスペランス」ニ揚陸ヲ実施ス。輸送物件:各艦陸兵163「ドラム」罐30ゴム嚢40 小発2、折畳式浮舟10 鳥海、羽黒、熊野機ハ「サボ」島ノ南西5浬ニ於テ魚雷艇6隻ト交戦1隻撃破2隻炎上セシム。15日敵機延B-17 10、fc15小型十数機来襲嵐至近弾ニ依リ航行不能、谷風浦風浜風至近弾ニ依リ若干ノ被害アリ、谷風艦長以下数名ノ戦死二十数名ノ傷者ヲ出セリ、嵐上空警戒ノR方面航空部隊観測機20ハB-17 10・P-39 12ト交戦P-39 1撃墜被害自爆6』
  32. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(4)p.28『舞風、磯風|1-23|「レカタ」輸送ヲ実施ス』
  33. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(4)p.29『舞風、磯風、喜山丸|1-26|「コロンバンガラ」輸送ヲ実施ス』
  34. ^ #戦艦大和最後の艦長212頁
  35. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(5)pp.21-22『巻波、舞風、江風、黒潮、白雪、文月、皐月、長月、10dg(風雲巻雲夕雲秋雲)、17dg(谷風浦風浜風磯風)、16dg(時津風雪風)、8dg(大潮荒潮)|2-1|「ケ」號作戦第一次輸送ノ為出撃1615地点8-30・S158-30Eニ於テ敵機約30機ト交戦巻波中破旗艦ヲ白雪ニ変更文月曳航シテ帰還他ハ任務ヲ続行ス。2130泊地着作業中魚雷艇6隻ト交戦R方面航空部隊水偵ト協力其ノ他4隻ヲ撃沈ス。収容人員陸軍5119、海軍250、船員14。巻雲揚陸作業中触雷(機雷ノ如シ)大破シ夕雲ヲシテ曳航ヲ試ミタルモ見込ナシ処分ス。帰途荒潮長月ハ各敵1機ヲ撃墜ス』
  36. ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(5)pp.22-23『白雪、黒潮、朝雲、五月雨、舞風、江風、10dg(風雲、夕雲、秋雲)、17dg(谷風、浜風、浦風、磯風)、16dg(時津風、雪風)、8dg(大潮、荒潮)、皐月、長月、文月、川内、巻波、夕霧|2-4|「ケ」號作戦第二次輸送ヲ実施ス、敵機来襲情況1330B-17九fc六、1425fcfl三〇、1510fcfl十数機、1740fcfl十数機ト交戦 戦果竝ニ被害 1330直衛機ト協力10機撃墜、舞風舵故障火災長月救援ニ任ズ、「エスペランス」及「カミンボ」ヨリ転進部隊ヲ乗艦セシム、陸軍乗員数4760(海軍40名)』
  37. ^ #昭和18年2月~第17駆日誌(1)p.36『支援隊付属隊|川内、巻波、夕霧|ROニテ待機、RWCニテ待機』
  38. ^ #戦艦大和最後の艦長214頁
  39. ^ #昭和18年2月~第17駆日誌(1)pp.14-15『1352艦首方向敵戦闘機及艦爆計30数機ヲ認ム対空戦|1403打方始ム第五戦速|1405艦爆急降下爆撃開始、舞風至近弾ニヨリ航行不能|1413打方止ム(略)1447長月舞風ノ救援ニ赴キ「ショートランド」ニ回航』
  40. ^ #戦艦大和最後の艦長215頁
  41. ^ #昭和18年1月~2水戦日誌(3)pp.13-14『二.第二次ガ島撤収 参加駆逐艦20隻(黒潮、江風参加)撤収人員4760、舞風爆撃ニ依リ損傷(長月曳航)、江風黒潮爆撃至近弾ニ依リ小破(作戦続行)』
  42. ^ #昭和18年2月~第17駆日誌(1)p.24『二月七日「ケ」號作戦 第二次輸送ニ於ケル対空戦闘(磯風分離行動中ノ経過)』
  43. ^ #戦艦大和最後の艦長219頁
  44. ^ #戦艦大和最後の艦長234頁
  45. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録124-125頁
  46. ^ #戦艦大和最後の艦長235頁
  47. ^ #内令昭和18年9月(4)p.28『内令第千九百三十六號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年九月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|第四駆逐隊ノ項中「舞風」ノ下ニ「、山雲」ヲ加フ』
  48. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(1)p.6『(チ)4dg(野分、舞風)11日「トラック」発佐世保迄3Sノ護衛ニ任ズ』
  49. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(1)p.30『16日1203将旗3S/第三戦隊、第四駆逐隊(野分舞風)佐世保着』
  50. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(1)p.47『16日1000野分舞風佐世保着、1115野分舞風横須賀ニ向ケ佐世保発/18日0830野分舞風横須賀着』
  51. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(1)p.41『30日1447KdBシキ/第4駆逐隊(野分舞風)ハ愛宕艦長ノ指揮ヲ受ケ同艦「トラック」回航中ノ警戒ニ任ズベシ』
  52. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(2)p.36『5日/0900野分舞風トラックニ向ケ横須賀発||9日1000野分舞風トラック着』
  53. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(2)p.5『(カ)4dg15日附南東方面部隊ニ編入セラル』-p.10『四.麾下艦船部隊ノ行動』
  54. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(3)p.5『(ハ)17dg5日「パラオ」発8日「トラック」着10日附遊撃部隊ニ編入4S(愛宕、鳥海)5Sヲ護衛10日「トラック」発13日「パラオ」進出敷島部隊ニ復帰ス』
  55. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(3)p.5『(ト)山雲、浅香丸ヲ護衛15日「トラック」発「サイパン」ヲ経テ23日横須賀着』
  56. ^ #駆逐艦野分物語(1997)109頁
  57. ^ a b c #駆逐艦野分物語(1997)112頁
  58. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(3)p.20『17日1100将旗4dg/4dg機密第171100番電 舞風機械室左舷ニ爆弾1命中艦底貫通機械室満水航行不能基点ノ317度40浬、野分異状ナシ今夜野分ニテ「トラック」ニ曳航ノ予定』
  59. ^ a b #昭和18年12月~第10戦隊日誌(3)p.21『17日2245野分/野分戦闘概報2月17日|一.4215船団0500ヨリ1400迄トラック北口ニ於テ敵飛行機延200機ト交戦1200迄ニ赤城丸沈没、舞風航行不能、香取大火災、1210敵戦艦2隻重巡2隻ノ砲撃ヲ受ケ西方ニ避退、以後船団ノ消息不明|二.浅香丸船団ニ合同スル如ク行動ス|三.残弾主砲58機銃3185|四.弾片ニ依リ二番聯管電気装置全部故障其ノ他戦闘航海ニ支障ナシ、戦死1重傷3』
  60. ^ #駆逐艦野分物語(1997)125頁
  61. ^ #駆逐艦野分物語(1997)127頁
  62. ^ #駆逐艦野分物語(1997)128頁
  63. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(3)p.6『(ヌ)4dg(舞風野分)赤城丸護衛17日「トラック」発内地回航中「トラック」礁外ニ於テ敵機並ニ敵戦艦部隊ト交戦舞風沈没野分避退、野分ハ「サイパン」ニ於テ浅香丸船団ニ合同爾後横須賀迄之ガ護衛ニ任ズ』
  64. ^ #内令昭和19年3月(5)p.41『内令第513号 横須賀鎮守府在籍/軍艦那珂・軍艦香取、呉鎮守府在籍/軍艦阿賀野 右帝国海軍籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍/駆逐艦舞風、呉鎮守府在籍/駆逐艦白雲、佐世保鎮守府在籍/駆逐艦峯風・駆逐艦追風・駆逐艦文月・駆逐艦海風、舞鶴鎮守府在籍/駆逐艦太刀風 右帝国駆逐艦籍ヨリ除カル(略)昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  65. ^ #内令昭和19年3月(5)p.21『内令第199号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和19年3月31日海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等ノ部注「川内型」ノ項ヲ、同阿賀野型ノ項中「阿賀野、」ヲ、同練習巡洋艦ノ項中「香取、」ヲ削ル。駆逐艦一等峯風型ノ項中「峯風、」「太刀風、」ヲ、同神風型ノ項中「追風、」ヲ、同卯月型ノ項中「文月、」ヲ、同初雪型ノ項中「白雲、」ヲ、同白露型ノ項中「海風、」ヲ、同不知火型ノ項中「舞風、」ヲ削ル。駆潜艇、第十四号型ノ項中「第二十二号、」「第四十号、」ヲ削ル』
  66. ^ #内令昭和19年3月(5)p.39『内令第五百十號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四駆逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム|第九駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十六駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十七駆逐隊ノ項中「濱風」ノ下ニ「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第十八駆逐隊/薄雲、霞、不知火|第二十二駆逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル|第二十四駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  67. ^ #内令昭和19年7月p.13『内令第八三八號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年七月十日海軍大臣|第四駆逐隊ノ項中「満潮」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第十駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  68. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7『昭和二十年一月十日海軍大臣|第二駆逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四駆逐隊ノ項ヲ削ル|第七駆逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七駆逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一駆逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十駆逐隊及第三十一駆逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一駆逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08051772000 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。
    • Ref.C08030023800 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(1)』。
    • Ref.C08030023900 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(2)』。
    • Ref.C08030024000 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(3)』。
    • Ref.C08030024100 『昭和17年5月27日~昭和17年6月9日 機動部隊 第1航空艦隊戦闘詳報 ミッドウェー作戦(4)』。
    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030022700 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030022800 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030022900 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030768400 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030100400 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030146300 『昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030050000 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030050100 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030050200 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030050300 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030050400 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C12070108700 『昭和16年1月~6月達/達昭和16年2月(1)』。
    • Ref.C12070149700 『昭和16年1月~4月内令1巻/昭和16年2月』。
    • Ref.C12070162800 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。
    • Ref.C12070152000 『昭和16年5月~8月内令2巻/昭和16年7月(2)』。
    • Ref.C12070153600 『昭和16年9月~10月内令3巻/昭和16年10月(4)』。
    • Ref.C12070180700 『昭和18年9~10月内令4巻/昭和18年9月(4)』。
    • Ref.C12070196900 『昭和19年1月~7月 内令/昭和19年3月(5)』。
    • Ref.C12070195500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。
    • Ref.C12070503600 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(2)』。
  • 倉橋友二郎 『駆逐艦隊悲劇の記録 海ゆかば・・・』 徳間書店、1967年6月。 著者は1941年9月~1942年9月まで駆逐艦「萩風」砲術長勤務。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0461-X
  • 生出寿 『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官』 光人社、1996年12月。ISBN 4-7698-2143-3
  • 佐藤清夫 『駆逐艦「野分」物語 若き航海長の太平洋海戦記』 光人社、1997年ISBN 4-7698-0803-8 著者は1943年12月から144年9月まで「野分」航海長勤務。
    • 佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語』(文庫版)光人社、2000年 ISBN 4-7698-2408-4
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年 ISBN 4-7698-1246-9

関連項目[編集]