瑞鳳 (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
航空母艦 瑞鳳
艦歴
起工 1935年6月20日
進水 1936年6月19日
就役 1940年12月27日竣工
喪失 1944年10月25日
除籍 1944年12月20日
性能諸元(竣工時)
排水量 基準:11,200トン
公試:13,100トン
全長 205.50m
全幅 水線幅:18.0m
吃水 6.64m
飛行甲板 長さ:180.0m x 幅:23.0m
(1943年に長さ195.0mに延長)
エレベーター2基
機関 主缶:ロ号艦本式重油専焼水管缶4基
補助缶:ロ号艦本式重油専焼缶2基
艦本式オール・ギヤード・タービン2基
2軸、52,000馬力
速力 28 ノット(計画)
航続距離 18ノットで7,800カイリ
燃料 重油2,320トン
乗員 792名[1]
兵装
(竣工時)
40口径12.7cm連装高角砲4基
25mm機銃 連装4基
兵装
(最終時)
40口径12.7cm連装高角砲4基
25mm3連装機銃10基
12cm28連装噴進砲6基
搭載機 艦上戦闘機18機、艦上攻撃機9機
補用3機(艦戦)
着艦識別文字 づほ

瑞鳳(ずいほう)は、大日本帝国海軍祥鳳型航空母艦2番艦。

概要[編集]

日本海軍はロンドン海軍軍縮条約による航空母艦の保有制限から逃れるために、戦時に航空母艦に迅速に改造できる艦船の保有計画を持っていた。その計画により建造されることになったのが、瑞鳳の前身である「高崎」であり、当初は給油艦として設計された。

その後、建造途中で軍縮条約から脱退したために、より航空母艦に改造しやすい潜水母艦に計画変更され、さらに潜水母艦から航空母艦へと計画を再変更、艦名も「瑞鳳」と改名した。

1940年(昭和15年)12月27日、航空母艦「瑞鳳」として竣工。

太平洋戦争では、ミッドウェー海戦における主力空母四隻の喪失後に、軽空母ながら貴重な空母戦力として大型正規空母に伍して活躍。南太平洋海戦マリアナ沖海戦に参加し、また危険が多い硫黄島周辺海域での索敵や南方拠点への航空機輸送などを歴戦し、日本機動部隊最後の戦いとなったレイテ沖海戦でも囮役である小沢機動艦隊の一翼として参加した。

艦隊はエンガノ岬沖にて複数回にわたってアメリカ艦載機群の空襲を受け、集中的に攻撃された空母は次々に沈没または行動不能に陥る。そして最後の空母となった瑞鳳も至近弾82発、魚雷2発、爆弾2発の被害を受け、午後3時27分に沈没。これにより日本海軍最後の機動部隊となった小沢艦隊の空母は全滅した。

駆逐艦」に艦長以下847名、戦艦伊勢」に98名が救助された。

艦歴[編集]

歴代艦長[編集]

最終時の「瑞鳳」艦型図。一部推定。

艤装員長[編集]

高崎
  1. (兼)大塚幹 大佐:1936年10月7日 - 12月1日
  2. 柿本権一郎 大佐:1936年12月1日 - 1937年6月15日
瑞鳳
  1. 江口松郎 大佐:1940年4月24日 -
  2. 野元為輝 大佐:1940年10月15日 -

艦長[編集]

高崎特務艦長
  1. 水崎正次郎 大佐:1936年6月19日 - 10月7日
瑞鳳艦長
  1. 野元為輝 大佐:1940年12月15日 -
  2. 大林末雄 大佐:1941年9月20日 -
  3. 山口文次郎 大佐:1942年12月5日 -
  4. 服部勝二 大佐:1943年7月5日 -
  5. 杉浦矩郎 大佐:1944年2月15日 -

同型艦[編集]

参考文献[編集]

  • 軍艦瑞鳳運転公試成績摘要表(横須賀海軍工廠、国立公文書館返還文書(旧陸海軍関係)・返還文書7) アジア歴史資料センター レファレンスコード:A03032270000
  • 桂 理平『空母瑞鳳の生涯 われ等かく闘えり』(霞出版社、1999年) ISBN 4-87602-213-5
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0454-7
  • 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』(グランプリ出版、1997年) ISBN 4-87687-184-1
  • 福井静夫『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』(KKベストセラーズ、1982年) ISBN 4-584-17023-1

脚注[編集]

  1. ^ 『艦長たちの軍艦史』によると最終時の乗員は909名。
  2. ^ 『艦長たちの軍艦史』によると12月5日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]