雪風 (駆逐艦)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 計画 | マル3計画 |
| 起工 | 1938年8月2日 |
| 進水 | 1939年3月24日 |
| 就役 | 1940年1月20日 |
| 改名 | 1947年7月6日に賠償艦として中華民国へ引き渡し(丹陽) |
| その後 | 1969年夏、台風により破損、廃艦。解体。 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準:2,033トン |
| 全長 | 118.5メートル |
| 全幅 | 10.8メートル |
| 吃水 | 3.8メートル |
| 機関 | 艦本式衝動タービン2基2軸 ロ号艦本式缶3基 52,000馬力 |
| 最大速力 | 35.5ノット |
| 航続距離 | 18ノット/5,000海里 |
| 兵員 | 239人 |
| 兵装(新造時) | 50口径三年式12.7cm連装砲:3基 九六式25mm連装機銃:2基 九二式61cm四連装魚雷発射管:2基 (九三式魚雷16本) 九四式爆雷投射機:1基 爆雷投下台:6基 爆雷:18乃至36個 |
| 兵装(終戦時) | 50口径三年式12.7cm連装砲:2基 九六式25mm3連装機銃:5基 九六式25mm単装機銃:14基 九二式61cm四連装魚雷発射管:2基 (九三式魚雷16本) 九四式爆雷投射機:1基 爆雷投下軌条:2基 |
| 水測装置 | 九三式探信儀 九三式聴音機 |
雪風(ゆきかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。陽炎型の8番艦である。太平洋戦争を戦い、当時の艦隊型新鋭駆逐艦であった、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦及びその改良型夕雲型駆逐艦、そして「島風」の計50隻の中で唯一終戦まで生き残った。日本海軍の駆逐艦は、激戦区に投入され非常に損耗率が高かったが、本艦は16回以上の主要な作戦に参加し、戦果を上げつつほとんど無傷で終戦を迎え「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた。
目次 |
[編集] 「雪風」としての戦歴
「雪風」は1939年(昭和14年)3月24日に進水、1940年(昭和15年)1月20日に佐世保海軍工廠にて竣工した[1]。開戦直前には「時津風」「初風」「天津風」とともに第十六駆逐隊を組んでおり、「雪風」は駆逐隊司令艦だった。開戦時の駆逐艦長は飛田健二郎中佐。第十六駆逐隊、第二十四駆逐隊と共に、軽巡洋艦「長良」を旗艦とする第四急襲隊を形成していた[2]。
[編集] 緒戦
初陣は1941年12月12日、フィリピンのレガスピに対する上陸支援であった。その後12月24日にはラモン湾上陸支援に参加し、P-40ウォーホーク戦闘機の機銃掃射で重油タンクが損傷、軽傷者6名が出た[3]。12月27日、ミンダナオ島のダバオで工作艦「明石」にて修理を受ける[4]。工事中、B-17爆撃機の空襲を受け重巡洋艦「妙高」が損傷するが、「雪風」は飛田艦長の判断により爆撃回避に成功した[5]。1942年1月9日、高木武雄少将指揮する東方攻略部隊に所属し、第二護衛隊(第二水雷戦隊)としてダバオ湾を出撃した[6]。1月11日にはメナド攻略作戦の一環であるケマ上陸支援に参加[7]、24日ケンダリー、31日アンボン、2月20日チモール島の各上陸作戦支援に従事する。2月27日からは初の海戦となるスラバヤ沖海戦に参加し、約40名の連合軍兵士を救助した[8]。3月3日、スラバヤ北方海域で米潜水艦「バーチ」撃沈を記録している[9]。3月29日、ニューギニア西部方面攻略掃討戦「N作戦」に参加したのち、4月23日アンボンを出港、4月30日に日本本土呉軍港に戻った[10]。
6月のミッドウェー海戦には近藤信竹中将指揮する第二艦隊攻略部隊の一員として参加した。輸送船団の護衛として防空戦にあたるものの、南雲機動部隊主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)の喪失により撤退する。呉に帰還後、艦長は菅間良吉中佐に変わる[11]。7月14日、大規模な艦隊再編成により「雪風」は第十戦隊に所属することになった[12]。空母「飛鷹」の訓練の随伴任務についた後、僚艦「時津風」と共に輸送船「南海丸」を護衛して、7月26日にラバウルに進出した[13]。輸送任務完了後トラック泊地に向かったため、米軍がガダルカナル島に上陸したことにより生起した第一次ソロモン海戦には参加していない[14]。トラックでは、重巡洋艦「最上」(ミッドウェー海戦で大破)の佐世保回航を護衛した[15]。9月4日、軽空母「雲鷹」を護衛して横須賀を出港[16]、トラックに進出した[17]。10月26日の南太平洋海戦には第三艦隊(南雲機動部隊)に所属して参加し、当初旗艦・空母「翔鶴」を直衛、「翔鶴」被弾後は空母「瑞鶴」の護衛艦として米軍機と交戦した[18]。海戦後「瑞鶴」を守り抜いた功績により山本五十六聯合艦隊長官より感状を授与されている[19]。
詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照
11月、ガダルカナル島の戦局は日本軍不利に傾いていた。日本海軍連合艦隊司令部は金剛型戦艦2隻(比叡、霧島)によるガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を行うことを決定する。「雪風」は飛行場砲撃を行う挺身艦隊に編入され、ガダルカナル島に進出する。米軍も日本軍を迎撃すべく集結し、両軍の間で第三次ソロモン海戦が発生した。11月12日深夜から11月13日未明にかけての第三次ソロモン海戦第一次夜戦は予期せぬ夜間艦隊戦となり、大混戦となる。斉藤通信士(艦橋勤務)によれば、激しい撃ち合いは一瞬で終わり、魚雷を発射したかも定かではないという[20]。この戦闘で、第十六駆逐隊からは「天津風」大破という被害を出した。「雪風」も友軍艦艇の誤射により若干の浸水が発生した[21]。第一次夜戦終了後、「雪風」は操舵不能となった旗艦/戦艦「比叡」を駆逐艦「照月」、「白露」、「夕暮」と共に護衛せよとの命令を受ける。早朝、「比叡」に乗艦していた第十一戦隊司令官阿部弘毅中将らを移乗させた[22]。この時、戦艦用の大きな中将旗をマストに掲げた為に敵機の目標となってしまい[23]、至近弾を受けた。汽缶に亀裂が入って最大速力発揮不可能となり、11月14日第二夜戦には参加せず、トラック泊地に撤退している[24]。なお、戦艦「比叡」は「雪風」の魚雷によって処分されたという見解もある。戦闘詳報には米軍戦闘機の機銃掃射により数本の魚雷を投棄したという記載がある。
損傷した「雪風」はトラック泊地で工作艦「明石」から修理を受けた後、12月9日、呉港に帰還した[25]。1943年1月19日、南方に向かう大和型戦艦「武蔵」や軽巡洋艦「大淀」を護衛し、1月23日に到着した[26]。「雪風」は第十駆逐隊と共に南東方面部隊に編入され、さらに外洋部隊(第八艦隊)に編入となり、ラバウルへ向かう[27]。
[編集] 第十六駆逐隊
1943年2月1日より3回におよぶガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加、大成功を収めた[28]。第一次作戦では駆逐艦「巻雲」が沈没、「巻風」が大破した。第二次作戦では駆逐艦「舞風」が大破し、「江風」と「黒潮」が損傷した[29]。第三次作戦では駆逐艦「磯風」が大破した[30]。駆逐艦が次々と損傷する激しい任務を、「雪風」は無傷で完遂した[31]。その後のラエへの輸送部隊護衛任務に従事するが、3月3日、米軍・豪州軍機の空襲(反跳爆撃)によって7隻の輸送船団が全滅し、3000人が戦死するビスマルク海海戦が発生する。「雪風」は護衛の駆逐艦8隻中4隻(白雪、荒潮、朝潮、時津風)が撃沈される戦闘から生還した[32]。開戦から第十六駆逐隊の僚艦として行動を共にした姉妹艦「時津風」も、この戦闘で沈んでいる[33]。その後、約2か月間ソロモン海域で輸送任務に従事した。
1943年5月、アリューシャン列島アッツ島に米軍が上陸してアリューシャン方面の戦いが不利になったため、空母「瑞鶴」などの第一航空戦隊護衛として日本に戻る[34]。5月7日東京湾到着、6月1日に改装のため呉に入港した[35]。呉での改装では25mm機銃の増設とともに、当時の最新兵器であった逆探が装備されている。
6月16日、「雪風」は第二艦隊に編入され、第三戦隊(戦艦金剛、榛名)、第七戦隊(重巡洋艦熊野、鈴谷)を護衛してトラックへ向かう[35]。6月22日に到着後、ナウル島への輸送作戦、ラバウルへ向かう重巡洋艦「鳥海」護衛任務につく[36]。6月30日、「雪風」は外南洋部隊に属し、「谷風」、「江風」、「涼風」、「浜風」と共にラバウルへ向かった[37]。その後、ブイン島とラバウルを往復し、7月6日から9日まで、わずか3日間だけであったが第八艦隊旗艦を務めている[38]。駆逐艦が艦隊旗艦となるのは極めて珍しい記録である。7月12日には第二水雷戦隊(伊藤俊二司令官)指揮のもと、コロンバンガラ島守備隊への物資輸送に参加[39]。7月12日夜、日本艦隊阻止のため出動した米艦隊との間でコロンバンガラ島沖海戦が勃発する。「雪風」の逆探は夜間戦闘において有効に働いた[40]。戦闘序盤に旗艦「神通」が大破(後沈没)したが、「雪風」は「浜風」、「清波」、「夕暮」と共に魚雷を発射、連合国側の軽巡3隻大破、駆逐艦1隻撃沈・2隻大破の戦果を上げ、コロンバンガラ島への上陸作戦も成功した[41]。「雪風」は巡洋艦3隻撃沈を主張した[42]。
7月20日、重巡洋艦「鳥海」、「鈴谷」、「熊野」と共にコロンバンガラ島への輸送作戦に従事中、満月の夜に米軍機の夜間爆撃を受け、駆逐艦「夕暮」、「清波」が沈没、重巡洋艦「熊野」大破という被害を受けた。雪風乗組員は、「夕暮」が「雪風」の身代わりになったと噂している[43]。7月25日、「雪風」はラバウルを出発して4日後にトラックへ到着した。8月28日、前月20日の夜間空襲で損傷した重巡洋艦「熊野」の呉回航を護衛し、9月2日に内地へ帰還した[44]。呉で25mm機銃を増設すると、10月6日に空母「瑞鳳」を護衛して出港し、19日シンガポールに到着した[45]。11月15日から12月17日にかけて、給糧艦「伊良湖」を護衛して日本-トラック泊地間を往復する[46]。この間、第十六駆逐隊の僚艦「初風」がブーゲンビル島沖海戦において重巡洋艦「妙高」と衝突、沈没している[47]。
呉に帰港すると、艦長が菅間良吉少佐から寺内正道少佐に交代した[48]。また第十六駆逐隊司令も、島居大佐から吉川文二大佐に交代し、駆逐隊司令艦も「天津風」になった。この間、「雪風」では3度目の改装が行われた。2番主砲塔(艦尾側)を撤去して九六式二十五粍高角機銃3連装2基を設置するなど、九六式二十五粍高角機銃(3連装、単装)がハリネズミのように増設され、対空装備の強化が図られた[49]。電探(レーダー)は前部マストに対水上用22号、後部マストに対空用13号を装備した[50]。
1944年1月10-11日、「雪風」と「天津風」は軽空母「千歳」と輸送船4隻を含む七三一船団を護衛して北九州・門司を出発、シンガポールに向かった[51]。1月16日、「雪風」は浮上する米潜水艦を発見、すると「天津風」が米潜水艦攻撃に向かい、「雪風」は船団護衛に戻った[52]。直後、「天津風」は米潜水艦「レッドフィン」の雷撃で艦橋を含む艦前部を切断喪失して漂流、吉川駆逐隊司令も戦死した[53]。輸送船団はそれ以上の被害を受けることなく任務に成功し、「雪風」は2月4日に日本へ戻った[54]。その後、空母「千歳」、駆逐艦「初霜」と共に第一航空艦隊のサイパン進出を護衛し(2月5日~3月20日横須賀、3月29日~4月8日呉)、戦艦「大和」と重巡洋艦「摩耶」のリンガ泊地進出に同行し、第一機動部隊に合流した。
[編集] 第十七駆逐隊
開戦時4隻だった第十六駆逐隊は、1944年2月の段階で「時津風」と「初風」が沈没、「天津風」が大破修理中のため、事実上「雪風」1隻となっていた。同隊は解隊し、3月20日、「雪風」は第十戦隊(旗艦軽巡洋艦:矢矧)・第十七駆逐隊の5番艦に編入される[55]。第十七戦隊は「雪風」と同じ陽炎型駆逐艦である「浦風」、「磯風」、「浜風」、「谷風」から構成され、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を始め、常に最前線で活動している歴戦の駆逐艦戦隊だった[56]。「谷風」乗組員の間では「雪風が十六駆で僚艦を全部食い尽くした」との噂が流れ、歓迎する雰囲気ではなかったという[57]。
1944年5月、聯合艦隊主力はタウイタウイ泊地に進出する。第十七駆逐隊は同地で対潜哨戒任務にあたった。5月14日、寺内艦長が前年まで艦長職だった駆逐艦「電」が米潜水艦の雷撃で沈没、「雪風」は救助に向ったが、「電」は既に沈没していた[58]。5月18日、「雪風」は触礁によりスクリューを破損する[59]。戦艦「大和」に横付けし、同艦工作班の手で応急修理を行う[60]。だが全速力を出せない状態のため[61]、翌月のマリアナ沖海戦には駆逐艦「卯月」、「響」と共に第二補給部隊の護衛として参加した[62]。その後、タウイタウイ泊地では米軍潜水艦の活発な行動により次々に駆逐艦が撃沈され、第十七駆逐隊では「谷風」が米潜水艦「ハーダー」(SS-257)の雷撃で沈んだ。同隊は「雪風」加入直後に4隻となった。6月19-20日のマリアナ沖海戦は日本軍の完敗で終わり、「雪風」が護衛していた補給船団も空襲を受けた。「雪風」は探照灯で米軍機搭乗員の目をくらませるという奇策で3機を撃墜するも[63]、米軍機の攻撃全てを撃退することはできず、6月20日、「雪風」は損傷した油槽船「玄洋丸」(清洋丸とも)を魚雷で処分した[64]。6月26日、ペピタン礁で座礁するが駆逐艦「響」等の支援により窮地を脱し、7月3日、日本へ戻った[65]。
7月に因島ドッグでスクリュー交換すると再び対空兵装の強化を行い、25㎜単装機銃10挺・13㎜単装機銃4挺を増設した[66]。西村祥治少将の第二戦隊(戦艦:扶桑、山城)が栗田健男中将の第二艦隊に編入されることになり、「雪風」「浦風」「磯風」「浜風」は老戦艦2隻を護衛して9月22-23日に日本を出発[67]、リンガ泊地には10月4日に到着した[68]。10月20日以降のレイテ沖海戦では第二艦隊第一遊撃部隊(通称栗田艦隊)第2部隊に所属し、第三戦隊(戦艦金剛、榛名)直衛として参加した[69]。「雪風」はターボ発電機の歯車が欠損し、出力の少ないディーゼル発電機のみで海戦に参加している[70]。
詳細は「レイテ沖海戦」を参照
10月22日、栗田艦隊はブルネイを出撃した。レイテ湾突入までに、米潜水艦の襲撃と米軍航空隊の猛攻により旗艦「愛宕」や戦艦「武蔵」を失うなど大きな被害を受けた。姉妹艦「浜風」は被弾して速力が低下し、「武蔵」の護衛として第十七駆逐隊から分離する[71]。また「雪風」が7月に護衛した戦艦「山城」と「扶桑」以下西村艦隊も全滅、小沢機動部隊の空母「瑞鶴」も沈没した。10月25日、午前7時45分、栗田艦隊は米軍護衛空母部隊と遭遇する[72]。この海戦で栗田艦隊将兵は、指揮官・参謀・将校・そして「雪風」問わず、全員が小型の米護衛空母を大型の正規空母と誤認した[73]。「大和」が砲撃する最中、「雪風」を含む第十戦隊は米艦隊に向け酸素魚雷20本以上(矢矧7本、雪風・浦風4本、野分不明、磯風のみ8本)を発射するが、10kmという遠距離雷撃であり、1本も命中しなかった[74]。だが「雪風」は「米軍正規空母1隻撃沈、新型空母1隻大火災、駆逐艦2隻撃破、主砲462発発射(残98発)、機銃1万発発射、魚雷4本発射(残12本)」と報告している[75]。この後、米軍機の攻撃で航行不能となった重巡洋艦「筑摩」の救援に「雪風」は向かうことになったが、「大和」より『雪風は原隊に復帰し、野分は筑摩の救助に当たれ』との命令があった[76]。姉妹艦「野分」は沈没した「筑摩」乗組員を救助すると退避行動に移ったが、戦艦「ニュージャージー」を含む米艦隊に捕捉されて撃沈された。「野分」は生存者なし、「筑摩」は水上偵察機搭乗員と砲塔員1名だけが生存者となった。一方、「雪風」は魚雷誘爆により航行不能となった重巡洋艦「鈴谷」の救援に向ったが、救助活動開始寸前に「鈴谷」は大爆発を起こし、「雪風」は難を逃れた[77]。
レイテ沖海戦後、日本軍艦隊は東南アジアから日本へ撤退することになった。この間艦隊の編成がかわり、第十戦隊は解隊、第十七駆逐隊は第二水雷戦隊所属となる[78]。一時的に第十七駆逐隊司令駆逐艦となるが、空襲による戦死者水葬のため出港が遅れそうになり、司令艦は「浦風」に戻った。11月16日、戦艦「大和」「長門」「金剛」の護衛としてブルネイ泊地を出港した[79]。11月21日、「金剛」と「浦風」は台湾沖で米潜水艦「シーライオン」(USS Sealion,SS-315)の攻撃で撃沈された。「浦風」は谷井保駆逐隊司令官以下全員が戦死した[80]。これで第十七駆逐隊は3隻となる。11月24日に呉に到着するが、「雪風」は戦艦「長門」を護衛して横須賀港に向かい、11月25日、横須賀へ入港した[81]。休む間もなく、第十七駆逐隊は折り返しで空母「信濃」を呉まで護衛する任務につく。「信濃」は大和型戦艦3番艦を空母に設計変更した七万トン級の大型空母だった。
詳細は「信濃 (空母)」を参照
横須賀を出港した空母「信濃」は米潜水艦「アーチャーフィッシュ」(USS Archerfish, SS-311)の追跡をうけていた。「雪風」は「信濃」のレーダーが探知した不審な目標の捜索に向かったが、『味方識別に応ぜざるも、乾舷高く、漁船と思われる』と報告して引き返した[82]。この漁船が「信濃」を浮上追跡中の「アーチャーフィッシュ」だったのである[83]。11月29日、「信濃」は潮岬沖で「アーチャーフィッシュ」の魚雷攻撃を受けて沈没した。1945年1月、第十七駆逐隊は特攻兵器回天の訓練に協力する[84]。3月19日の呉軍港空襲の際には、歴戦の戦艦「日向や軽巡洋艦「大淀」をはじめ多くの艦船が被害を受ける中、川原石の海岸近くでブイに繋留されたまま対空砲火で米軍機を2機(3機とも)撃墜した[85]。
[編集] 連合艦隊の壊滅
詳細は「坊ノ岬沖海戦」を参照
4月6日、戦艦「大和」の沖縄水上特攻作戦に「雪風」は第二水雷戦隊(旗艦矢矧)に所属して参加し、日本を出撃する。4月7日正午過ぎより米軍航空機約400機の猛攻を受け、午後2時23分「大和」は沈没。「朝霜」、「霞」、第十七駆逐隊「浜風」が沈没、「冬月」が中破、「涼月」が大破した。寺内艦長は、艦橋に椅子を置いて天井の窓から首を出し、航海長の右肩を蹴ると面舵、左肩を蹴ると取舵という操舵方法で米軍機の攻撃を殆ど回避した[86]。それでも魚雷1本が命中しかけたが、幸運にも艦底を通過している[87]。また食料庫にロケット弾が直撃したが、信管が作動せず不発だった[88]。機銃掃射と至近弾で3名が戦死、15名が負傷したが、艦の戦闘力に影響はない[89]。この海戦で無傷だったのは負傷者2名のみの「初霜」だけである。寺内艦長は作戦を継続しようとしたが、上級司令部の命令により沈没艦救援作業に従事した[90]。「大和」や航行不能になった僚艦「磯風」の生存者を収容し、午後10時過ぎに「磯風」を砲雷撃で処分する[91]。これで5隻いた第十七駆逐隊は「雪風」1隻を残すのみとなった[92]。
その後「初霜」が第十七駆逐隊に編入され、第三十一戦隊を構成する[93]。5月15日、佐世保を出港して舞鶴港に回航したが6月になると舞鶴も空襲に襲われるようになり、6月15日、宮津湾に移動した[94]。この避難港もB-29爆撃機が投下した機雷で封鎖されてしまう[95]。「初霜」は終戦を待たず、7月30日の空襲回避中に機雷に触れて座礁・沈没した[96]。「雪風」にはロケット弾1発が命中したが不発、機銃掃射で1名戦死・20名が重軽傷、米軍機1機を撃墜した[97]。この戦闘が「雪風」としての最後の戦闘になり、8月15日を迎えた。第十七駆逐隊は「雪風」1隻を残して幕を閉じた。「雪風」は終戦と同時に第四十一駆逐隊に編入され、潜水母艦「長鯨」と共に舞鶴へ回航されたが、この時も「雪風」が通過した直後に機雷が爆発している[98]。8月26日に第一予備艦、9月15日に特別輸送艦となって米軍に引き渡された[99]。10月15日、帝国海軍の艦籍から除かれた[100]。
「雪風」の武名は海軍内で有名であり、同様の幸運艦には呉の雪風 佐世保の時雨と謳われた「時雨」[101]、空母「瑞鶴」、軽巡洋艦「大淀」もあったが、いずれも終戦までに沈没している。戦艦大和沖縄特攻時の寺内正道「雪風」艦長は、「雪風」が生還した理由について、乗員が優秀であると同時に「やはり運だろう」と述べている[102]。
[編集] 終戦後
敗戦後は武装を全て外して、復員輸送艦となった。1946年12月28日まで15回の復員輸送任務を遂行し、1万3千人以上を運んでいる[103]。その中には後に漫画家として有名となる水木しげるもいた。彼の作品『駆逐艦魂』に出て来る駆逐艦「旋風」は、あきらかに寺内艦長時代の「雪風」である。
『雪風』の武勲は戦後も高く評価され、戦後国産護衛艦「はるかぜ型護衛艦」の2番艦は「ゆきかぜ」と命名されるなど、海上自衛隊でも伝承されている。
[編集] 「丹陽」として
1946年12月30日、「雪風」は特別保管艦に指定され、戦時賠償艦として連合国へ引き渡される事となった[104]。乗組員たちは最後まで入念に整備を行い、連合国側から「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と感嘆された[105]。
1947年7月3日、「雪風」は上海に到着、7月6日に中華民国に引き渡されて「丹陽(タンヤン)」(DD-12)と改名された[106]。これより中華民国海軍旗艦として行動することになる[107]。
なお、「雪風」は引き渡し時には武装撤去の状態であったが、再武装化に対し、中華民国軍は接収した旧日本軍の台湾などに残った火器による、九六式二十五粍高角機銃から始め、後部の2番、3番砲塔を九八式10センチ高角砲に、前部の1番砲塔は八九式12.7センチ連装高角砲 に独自な形状の砲塔を付けて装備している。その後弾薬補給の問題から米国式の砲に換えられた。米国式に換装後の武装は、オープントップの38口径5インチ単装両用砲3基(本来の主砲砲塔の位置に搭載)、オープントップの50口径7.6センチ単装両用砲2基(本来の魚雷発射管の位置に搭載)、ボフォース40ミリ連装機銃4基8門(初期)ボフォース40ミリ単装機銃10基10門(後期)、爆雷投下軌条となっている[108]。
国共内戦での国民党軍の敗北に伴い、その他の艦艇とともに上海から台湾の基隆に逃れた。蒋介石総統が渡台した際には、その乗艦になったとされる[109]。その後、左営で再武装工事を受け、引き続き中華民国海軍所属として第一線で活躍した。八二三金門砲戦や料羅湾海戦など、中国人民解放軍との間で発生した幾度かの実戦に参加したとみられる[110]。1953年8月には中華民国海軍総司令馬紀壯中将指揮の元で太昭、太湖とともにフィリピンを訪問した。1954年6月、ソビエト連邦油槽船「トープス」を拿捕した[111]。艦齢20年をこえた「丹陽」は29ノットを発揮するのが限度だったという[112]。1959年8月3日、中国人民解放軍海軍巡洋艦2隻と交戦、1隻撃沈、1隻撃破の戦果をあげた[113]。1964年12月に行われた観艦式では雄姿を見せたが[114]、機関の老朽化によって1965年12月16日に退役、1966年11月16日付で除籍された。訓練艦として就役していたが、1969年夏に暴風雨により艦底破損、艦齢29年で解体処分となった。1971年12月31日までに解体された。
旧乗員が中心となって結成された「雪風永久保存期成会」(会長:野村直邦)などの活動もあり、「最後の日本海軍艦艇」の日本への返還(正当な手続きで中華民国海軍艦艇となったので「返還」ではなく「譲渡」が正式な表現)が希望され、実現一歩手前までこぎつけたとも言われる[115]。だが台風による浸水で損傷した為に不可能になり、1970年に解体されたとの連絡があった[116]。1971年12月8日、中華民国政府より舵輪と錨のみが返還され[117]、舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている[118]。また、スクリューは台湾の左営にある海軍軍官学校に展示されている[119]。
[編集] 歴代艦長
[編集] 艤装員長
- 田口正一 少佐:1939年8月1日 -
[編集] 艦長
- 田口正一 中佐:1939年12月5日 -
- 脇田喜一郎 中佐:1940年11月5日 -
- 飛田健二郎 中佐:1941年7月25日 -
- 菅間良吉 中佐:1942年6月23日 -
- 寺内正道 少佐:1943年12月10日 -
- 古要桂次 中佐:1945年5月10日 -
- 橋本以行 中佐:1945年11月20日 -[120]
- 佐藤精七 少佐:1945年11月27日 -
- 高田敏夫 少佐:1946年10月26日 -
- 東日出夫 中佐:1947年4月 - 8月
[編集] 丹陽艦長
- 第一任 緒廉方 上校 (1949年1月1日就任)
- 第二任 俞柏生 上校 (1952年10月16日就任)
- 第三任 邱仲明 上校 (1954年2月1日就任)
- 第四任 王庭萀 上校 (1957年4月23日就任)
- 第五任 王椿庭 上校 (1957年9月30日就任)
- 第六任 林植基 上校 (1959年3月1日就任)
- 第七任 雷泰元 上校 (1961年12月16日就任)
- 第八任 彭運生 上校 (1963年2月16日就任)
- 第九任 賴成傑 上校
[編集] 雪風のプラスチックモデルキット
- 1/350 有名艦船シリーズ「日本海軍 甲型駆逐艦 雪風」(ハセガワ )
- ハセガワ65周年企画として新規金型で2006年に発売。バリエーション2種。
- 「昭和十五年竣工時」(No.40063)
- 「“天一号作戦”」(No.Z22)
- 1/350 艦船シリーズ No.20 「日本駆逐艦 雪風」(タミヤ)
- 2008年発売。”天一号作戦”時を再現。
- 1/700 ウォーターラインシリーズ No.421 「雪風」(青島文化教材社)
- 1972年発売。旧版。
- 1/700 ウォーターラインシリーズ No.444 「雪風1945」(青島文化教材社)
- 2004年発売。新金型でリニューアルしたもので、旧版とは全く異なる。
- 1/700 フルハルモデル「中華民国海軍旗艦 丹陽」(青島文化教材社)
- 2008年発売。ウォーターラインシリーズ「雪風1945」の金型を一部流用し、中華民国海軍駆逐艦時代の「雪風」=「丹陽」を喫水線下も含めて再現したもの。武装は第2次改装後の状態になっている。「丹陽」としては初の模型商品化である。
- 1/700 ワールドウォーシップシリーズ №W25。「日本海軍 駆逐艦 雪風」(ピットロード)
[編集] 雪風を主役として描いた映画
[編集] 脚注
- ^ #不沈艦生涯(新版)16頁、「特保艇現状調書(1月分)」p.5
- ^ #不沈艦生涯(新版)20頁、#雪風ハ沈マズ新装9頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)23頁、#雪風ハ沈マズ新装30頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装31頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装33頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装35頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装36-37頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)37-38頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)39頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)41頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)48頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装133-134頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)48頁、#一海軍士官74-75頁
- ^ #一海軍士官77頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装135頁、#一海軍士官78頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)50頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装137頁、#一海軍士官79頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装139頁、#一海軍士官80頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装153頁
- ^ #海軍艦隊勤務195頁、#一海軍士官84頁
- ^ #雪風手記342頁。砲弾の弾底に佐世保鎮守府の刻印があった。
- ^ #一海軍士官85頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装172-173頁、#一海軍士官86頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装182頁、#雪風手記342頁
- ^ #海軍艦隊勤務196頁、#一海軍士官88頁
- ^ #海軍艦隊勤務196頁、#一海軍士官89頁
- ^ #一海軍士官90頁
- ^ #海軍艦隊勤務197頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装198頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装201頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装206頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装213-216頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)77頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)81頁
- ^ a b #雪風ハ沈マズ新装230頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装231頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装232頁
- ^ #雪風手記49頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装246頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)87頁、#雪風手記366頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装258頁、#一海軍士官140-141頁
- ^ #海軍艦隊勤務199頁、#一海軍士官142頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装264-265頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装269頁、#一海軍士官145頁
- ^ #一海軍士官148頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)91頁、#一海軍士官148頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装275頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装277頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)93頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装276頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装282頁、#一海軍士官149頁
- ^ #一海軍士官149頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装283頁、#一海軍士官150頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装283頁、#一海軍士官151頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)99頁、#証言田口77頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装287頁
- ^ #雪風手記495頁。山田安治(看護兵曹)談。谷風→浜風→雪風。
- ^ #不沈艦生涯(新版)103頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装293-294頁、#証言田口81頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装296頁、#証言田口82頁
- ^ 「あ号作戦第10戦隊戦闘詳報第12号」p.3
- ^ #不沈艦生涯(新版)105頁、#雪風ハ沈マズ新装299頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)107-108頁、#雪風ハ沈マズ新装306-307頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装308頁、#証言田口p.86、「昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌」p.11
- ^ 「昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌」p.11
- ^ #雪風ハ沈マズ新装313頁、「昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2)」p.6
- ^ #証言田口87頁、「昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)」pp.4-5
- ^ #不沈艦生涯(新版)111頁、#雪風ハ沈マズ新装316頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装321頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装322頁、#雪風手記418-419頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装337頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装346頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装368頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装360頁、#証言田口p.93「会心の魚雷発射」
- ^ #証言田口94頁、「捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)」p.12、「捷号作戦戦時日誌(4)第10戦隊」p.48
- ^ #証言田口96頁
- ^ #雪風手記511,522頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)126頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)126頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)127頁、#雪風ハ沈マズ新装384頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装384頁、#証言田口102頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装389頁
- ^ 豊田穣 『空母「信濃」の生涯』(光人社NF文庫、2000年)225頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)134-135頁、#雪風ハ沈マズ新装402-403頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装406-407頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)145頁、#雪風ハ沈マズ新装419頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装430頁、#証言田口119頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)152頁、#雪風手記443-444頁
- ^ 「昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)」p.31
- ^ #不沈艦生涯(新版)151頁、#雪風手記472頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装435-437頁、#証言田口122頁
- ^ #証言田口123頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)156頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)157頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装439-440頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)158頁、#雪風ハ沈マズ新装442頁、#証言田口127頁
- ^ #雪風手記391頁
- ^ #雪風手記395頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)161頁、#雪風ハ沈マズ新装444頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)161頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装322-323頁、原為一『帝国海軍の最後』124、137頁
- ^ #雪風手記434頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装445頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)169頁、#雪風ハ沈マズ新装446頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)169-170頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装447頁。赤い夕陽、もしくは朝陽という意味。
- ^ #不沈艦生涯(新版)176頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)176頁
- ^ #雪風手記640頁
- ^ #雪風手記56-57頁、#不沈艦生涯(新版)177頁
- ^ #雪風手記636頁
- ^ #雪風手記634頁
- ^ #雪風手記57頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装449頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)178-181頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)195頁
- ^ #不沈艦生涯(新版)203-204頁
- ^ #雪風ハ沈マズ新装450頁、#雪風手記12頁
- ^ #雪風手記356頁
- ^ 発令の翌日、インディアナポリス撃沈の証人として出頭が命じられ、ワシントン行きが決定した為、実際には着任せず
[編集] 参考書籍
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C08011232600「特保艇現状調書(1月分)」
- Ref.C08030146400「昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)」
- Ref.C08030146500「昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)」
- Ref.C08030146600「昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(4)」
- Ref.C08030146700「昭和18年2月1日~昭和19年10月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(5)」
- Ref.C08030713900「昭和19年5月20日~昭和19年6月22日 あ号作戦 第10戦隊戦闘詳報 第12号」
- Ref.C08030724100「昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌」
- Ref.C08030050800「昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)」
- Ref.C08030050900「昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2)」
- Ref.C08030051000「昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)」
- Ref.C08030039400「昭和19年10月1日~昭和19年10月31日 捷号作戦戦時日誌(4)第10戦隊」
- Ref.C08030037400「昭和19年10月17日~昭和19年10月31日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)」(第十戦隊)
- Ref.C08030037500「昭和19年10月17日~昭和19年10月31日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(2)」(第十戦隊)
- Ref.C08030037600「昭和19年10月17日~昭和19年10月31日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)」(第十戦隊)
- Ref.C08030589300「昭和19年10月22日~昭和19年10月28日 第17駆逐隊戦闘詳報」
- Ref.C08030147000「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)」
- Ref.C08030147100「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)」
- Ref.C08030147200「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)」
- Ref.C08030147300「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(4)」
- Ref.C08030147400「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(5)」
- Ref.C08030147500「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(6)」
- Ref.C08030147600「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(7)」
- Ref.C08030147700「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(8)」
- Ref.C08030147800「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(9)」
- Ref.C08030147900「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(10)」
- Ref.C08030103000「昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)」
- Ref.C08030103100「昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)」
- Ref.C08030103200「昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)」
- 永富映次郎『駆逐艦雪風 誇り高き不沈艦の生涯』出版協同社、初版1972年
- 永富映次郎 『駆逐艦雪風 誇り高き不沈艦の生涯』 共版協同社(新版)、1980年4月。ISBN 0020-040104-3350。
- 豊田穣『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦栄光の生涯』光人社〈NF文庫〉、1993年。 ISBN 4769820275
- 豊田穣 『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦栄光の生涯』 光人社NF文庫新装版、2004年。ISBN 978-4-7698-2027-7。
- 宮川正ほか 『証言昭和の戦記*リバイバル戦記コレクション憤怒をこめて絶望の海を渡れ』 光人社、1990年。ISBN 4-7698-0497-0。
- 田口康生(雪風航海長/砲術長)『愛しの「雪風」わが忘れざる駆逐艦海の真剣勝負に勝ちぬいた曳航の武勲艦の記録』
- 駆逐艦雪風手記編集委員会 『激動の昭和・世界奇跡の駆逐艦 雪風』 駆逐艦雪風手記刊行会、1999年9月。
- 斉藤一好 『一海軍士官の太平洋戦争 等身大で語る戦争の真実』 高文研、2001年。ISBN 4-87498-272-7。
1942年6月、雪風航海士着任、後に水雷長。1944年2月転出。 - 池田清・野村実ほか・近現代史編纂会・編 『海軍艦隊勤務』 新人物往来社、2001年。ISBN 4-404-02914-4。
- 斉藤一好(雪風通信士→水雷長)「駆逐艦『雪風』で闘った日々 脳裏から消えぬ残酷な戦場」
別冊歴史読本『日本海軍軍艦総覧 戦記シリーズ37』(新人物往来社、1997)を再録
- 斉藤一好(雪風通信士→水雷長)「駆逐艦『雪風』で闘った日々 脳裏から消えぬ残酷な戦場」
- 立石優『奇跡の駆逐艦「雪風」 太平洋戦争を戦い抜いた不沈の航跡』PHP文庫、2009年。 ISBN 4569673236
[編集] 外部リンク
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