呉港

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呉港
Rekishi-no-mieruoka 20130303-1.JPG
歴史の見える丘付近からの中央桟橋付近
ドックの奥に中央桟橋が見える
所在地
日本の旗 日本
所在地 広島県呉市
座標 北緯34度14分26.3秒
東経132度33分23秒
詳細
開港 1889年(明治22年)
管理者 呉市
種類 重要港湾
係留施設数 14バース[1]
統計
統計年度 2007
貨物取扱量 23,755,000トン[2]

呉港(くれこう)は、広島県呉市にある港湾。港湾管理者は呉市。港湾法上の重要港湾港則法上の特定港に指定されている。

概要[編集]

呉港は、瀬戸内海のほぼ中心に位置し、東は尾道糸崎港西は広島港がある[3]。3つのエリアからなり、呉市中心部の「呉港区」(川原石・宝町地区)、それより東にある「広港区」(広地区・阿賀マリノポリス地区)、更に東にある仁方地区の「仁方港区」、とある。

明治時代に第二海軍区鎮守府が設置されたことが契機となり軍港として開港、現在は造船を中心とした重化学工業地帯の中にある工業港として、周辺芸予諸島を結ぶフェリー港として、広島港と四国松山港を結ぶ中継点として発達している[3]

沿革[編集]

元々この地は江戸時代まで半農半漁の寒村で歴史の表舞台に立つことはなかった[3]。現在もこの地域の主要航路である音戸の瀬戸が、1164年(長寛2年)に開通したと伝えられている[4]

1886年(明治19年)第二海軍区軍港に指定され、1889年(明治22年)呉鎮守府が開庁したことにより、軍港として急速に発展していく[3][4]。1903年(明治36年)呉海軍工廠が設立されると[4]、日本一の海軍工廠と言われる程にまで発達していく[3]。当初は安芸郡和庄村・宮原村・荘山田村・警固屋村の4村つまり現在の呉港区で開発が始まり[5]、1921年(大正10年)呉鎮守府広支廠(広海軍工廠)が設立されると広港区が、戦中である1942年(昭和17年)内務省直轄工事として仁方港区が開発された[4]

こうした状況から太平洋戦争末期にはアメリカ軍の爆破目標となり、1945年(昭和20年)3月呉軍港空襲を受け機能停止に陥った。戦後は呉工廠は閉鎖され運用停止[4]、空襲により都市機能も落ち[3]、その中でイギリス連邦占領軍の管轄となった。1948年(昭和23年)「呉港貿易港」に指定され改めて民間も利用できる貿易港として開港することとなる[3]。1950年(昭和25年)旧軍港市転換法施行により占領軍から返還され、旧呉工廠に民間企業招致が始まる[4][3]

そして1951年(昭和26年)呉港は「重要港湾」に指定され、1952年(昭和27年) 呉市が港湾管理者に認可され、現在に至っている[4][3]

航路[編集]

呉港区[編集]

呉中央桟橋(海上側)桟橋の他、ヤマトミュージアムやゆめタウン、背後に灰ヶ峰が見える
呉中央桟橋(海上側)
桟橋の他、ヤマトミュージアムやゆめタウン、背後に灰ヶ峰が見える
呉中央桟橋(陸側)
呉中央桟橋(陸側)
呉中央桟橋
天応桟橋(呉ポートピアパーク隣接)

広港区[編集]

阿賀港

仁方港区[編集]

休止・廃止航路[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 呉港区・広港区の合計。呉港の施設(公式サイト)
  2. ^ 呉港の統計(公式サイト)
  3. ^ a b c d e f g h i 呉港の概要”. 呉市. 2013年11月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 呉港の歴史”. 呉市. 2013年11月9日閲覧。
  5. ^ 杉山輯吉「呉港土工ノ実況 (PDF) 」 、『工学会誌』第63巻第6号、日本工学会、1887年2013年11月9日閲覧。
  6. ^ 呉〜小用航路の運航会社の社名変更について”. 呉市産業部港湾振興課 (2011年6月1日). 2011年8月6日閲覧。
  7. ^ せと観光ボート有限会社のダイヤ変更について”. 国土交通省四国運輸局 (2011年3月3日). 2011年4月1日閲覧。
  8. ^ 大長-今治航路が廃止 豊島大橋の開通で利用客減少”. 47NEWS (2011年8月21日). 2011年8月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]