スラバヤ沖海戦

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スラバヤ沖海戦
Battle of Java Sea - HMS Exeter under Attack.jpg
攻撃を受ける英重巡洋艦エクセター
戦争大東亜戦争 / 太平洋戦争
年月日:1942年2月27-3月1日
場所インドネシアスラバヤ
結果:日本の完勝
交戦勢力
日本の旗 大日本帝国 オランダの旗 オランダ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
オーストラリアの旗 オーストラリア
指揮官
高木武雄少将 カレル・ドールマン少将
戦力
軽空母1
重巡洋艦4
軽巡洋艦2
駆逐艦14
重巡洋艦2
軽巡洋艦3
駆逐艦9
損害
駆逐艦1大破 重巡洋艦1、
軽巡洋艦2、
駆逐艦5沈没
重巡洋艦1小破、
司令官戦死
南方作戦

スラバヤ沖海戦(スラバヤおきかいせん)とは、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)2月27日から3月1日にかけて、インドネシアスラバヤ沖で日本軍ジャワ島攻略部隊を連合国軍が迎撃した海戦である。日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、これにより日本軍のジャワ島上陸・占領が進むこととなった。

海戦の背景[編集]

太平洋戦争の勃発と共に、日本海軍はマレー沖海戦英国東洋艦隊の主力戦艦2隻を撃沈し、東南アジア方面の最大の脅威を排除した。日本軍は資源地帯であるオランダ領インドネシア占領を目標としていた。1942年(昭和17年)2月になると、その中心地であるジャワ島占領を目的として、行動を開始した。そのため、陸軍の上陸船団とその護衛艦隊として重巡洋艦を中心とした第五戦隊を派遣した。日本船団は東西に分かれて進撃し、東部ジャワ攻略部隊として第48師団坂口支隊が輸送船40隻に分乗していた。これを護衛する艦艇も含めると、総数67隻に及ぶ大規模な船団であった。これらはスラバヤ西方のクラガン海岸を上陸目標としてマカッサル海峡を南下、ジャワ海を航行していた。

連合国軍は日本軍の進撃を阻止すべくABDA司令部を設置し、ジャワやオーストラリアの防衛のため艦隊を再編した。トーマス・C・ハート(米海軍大将・アジア艦隊司令長官)はカレル・ドールマン少将を司令長官とするABDA艦隊を編成する[1]。しかし、この艦隊は急遽編成されたアメリカAmerican)・イギリスBritish)・オランダ(Dutch)・オーストラリアAustralian)の各国で構成された寄せ集めで、合同しての訓練は一度も行ったことがない上に、ドールマン少将は英語を解さなかった。

母国をナチス・ドイツに占領されたオランダにとって、極東の植民地は最後の拠点である[2]。オランダ亡命政府は米軍が極東の防衛に真剣でないと判断し、アメリカ人のハート大将を解任し、オランダ人のコンラッド・ヘルフリッヒ英語版中将(東インド諸島出身)を司令官とする人事を連合軍に行わせている[3]。しかし、既にシンガポールの戦いシンガポールは陥落、大規模海軍基地を失ったことで、連合軍は損傷艦の修理や補給も難しい状態になっていた[4]。その上、ジャワ沖海戦バリ島沖海戦などの小規模海戦で連合軍に損傷艦が続出する[5]。ABDA連合は既に現有戦力ではジャワの防衛は不可能として撤退を始めていた。2月21日、アーチボルド・ウェーヴェル大将はウィンストン・チャーチル英国首相に、ジャワの防衛が絶望的であると報告[6]。2月25日の時点でジャワにはドールマン少将指揮の艦隊の他はアメリカ、オーストラリアの少数の航空機が残されているのみで、ABDA司令部の主だったメンバーは既にセイロンやオーストラリアへ脱出しており、残っているのはオランダ軍だけであった。

参加兵力[編集]

日本軍艦艇[編集]

指揮官:高木武雄少将

連合国軍艦艇[編集]

指揮官:カレル・W・F・M・ドールマン少将

  • アメリカ海軍
  • 第5任務部隊 司令官:A・H・ルークス海軍大佐
    • 重巡洋艦:ヒューストン
    • 駆逐艦:ジョン・D・エドワーズ、ポール・ジョーンズ、ジョン・D・フォード、アルデン、ポープ

戦闘経過[編集]

海戦前夜[編集]

ドールマン少将は2月25日、バウエアン島に日本軍襲来との報を得て、機関故障を起こしていた米駆逐艦「ポープ」以外の全艦でスラバヤより出撃した。しかし、この報は事実ではあったものの日本軍はまだ進軍途中で、彼の出撃が早すぎたために会敵に至らず一旦ドールマン少将はスラバヤに帰投する[7]。26日になって再び日本軍接近中との報を得て出撃するも、未だ日本軍は当該海域に達しておらず、26日、27日と索敵行動を続けたものの日本軍は発見できなかった。日本艦隊はPBYカタリナ飛行艇B-17爆撃機小数機の爆撃を受けたものの、爆弾は駆逐艦「天津風」や「初風」の近くに落下しただけで、何の被害も受けなかった[8]。一方連合軍艦隊は日本艦隊との海戦は夜戦になると見て水上偵察機(水偵)を陸揚げして出撃していた。2月27日早朝、日本軍の空襲を受けるが被害はなかった[9]。だが連日の戦闘配置によって乗員の疲労も高まっていた。そこで彼は一旦補給のため、再びスラバヤに帰投することとして艦隊を帰投進路に向ける。ヘルフリッヒ長官は「航空攻撃にかかわらず、貴官は東方に向い敵を捜索、攻撃するものとす」と攻撃続行を命じたが、ドールマンは艦隊乗組員が限界を超えると返答して後退を続けた[10]

しかしその直後の2月27日11時50分、バリクパパン基地所属の日本軍偵察機が連合軍艦隊を発見、触接し日本軍艦隊にその位置を通報した。また同日、カーチスP-40戦闘機32機を搭載してジャワ方面に急行していた水上機母艦「ラングレイ」が[11]一式陸上攻撃機の爆撃で大破、駆逐艦ホイップル」 (USS Whipple, DD-217) および「エドサル」 (USS Edsall, DD-219) によって自沈処理された[12]

第一次昼戦[編集]

「敵艦隊発見」の報を受けたとき、日本艦隊は味方船団の北方40海里、連合軍艦隊の北方120海里に位置していた[13]。日本艦隊指揮官、第五戦隊司令官高木武雄少将は直ちに敵方に向かって増速、第二水雷戦隊に合同命令を出した上で旗艦の重巡「那智」の水偵による偵察を下令[13]。「那智」機は14時5分、連合軍艦隊を発見、日本艦隊に位置を通報した。また第四水雷戦隊(西村少将)も輸送船団の護衛指揮を「若鷹」艦長に任せると、第五戦隊に合同する運動を開始した[13]。日本艦隊は連合軍艦隊が船団攻撃に向うのか、スラバヤに退避するのか判断しかねており、第五戦隊は速度を落とし、第四水雷戦隊は反転して船団護衛の位置に戻った[14]

一方で連合軍艦隊はスラバヤに入港しようとしたところ、総司令部より日本軍船団発見の報が入ったため反転、当該海域へ向かった[15]。これらの動きは全て上空触接していた「那智」機によって逐一日本艦隊へ送信されており、日本艦隊は連合軍艦隊による船団攻撃阻止のために敵艦隊との会敵予想針路を取った。第四水雷戦隊は那智機の電報を受信するのが遅れ、船団護衛を第二十四駆逐隊司令に任せると、第五戦隊・第二水雷戦隊の後を追って予想会敵地点へ向った[14]

16時59分、第二水雷戦隊(二水戦)旗艦「神通」が「敵艦隊発見」を報ずる。一方で連合軍艦隊も先頭を行く英駆逐艦「エレクトラ」が『戦艦2隻を含む艦隊発見』を報じ、すぐに巡洋艦2隻と駆逐艦12隻の日本艦隊と判明した[16]。連合軍艦隊士官の証言によれば、「那智」と「羽黒」には気付いていなかったという[17]。両軍とも直ちに戦闘速度に増速し、敵艦隊方向へと互いに針路を取った。17時20分、「神通」から1機、「那智」「羽黒」から各2機の弾着観測機が射出された[18]。この間、高木司令は第五戦隊直衛の駆逐艦「潮」「漣」「江風」「山風」を二水戦に編入させ、水雷戦隊として行動するよう命じた[18]

海戦はスラバヤ北西約30マイル(48km)の海域ではじまった[19]。日本艦隊は連合軍艦隊に対して右から左へ斜めに前を横切るいわば「T字戦法」を取ろうとしたが、これを嫌ったドールマン少将は艦隊針路をやや左に変針して、日本軍と同航砲戦を取る形とした[20]。17時45分、まず「神通」が距離約17,000mで初弾を発砲[18]。これらは連合軍艦隊先頭を行く英駆逐艦3隻を挟叉したが命中弾は得られなかった[21]。英駆逐艦群も撃ち返すが、搭載していた12センチ砲には距離が遠すぎて日本艦隊へまともに届かなかった[21]。二水戦が攻撃を始めている間に第五戦隊「那智」「羽黒」は連合軍艦隊へ針路を並行とし、距離26,000mで砲撃を開始[18]。これに対して17時48分、連合軍艦隊の巡洋艦部隊が反撃を開始する。英重巡「エクセター」以下が最も近距離の二水戦に向かって猛然と砲撃を始めた。「エンカウンター」、「ジュピター」、「エレクトラ」は魚雷を発射し、日本艦隊に命中したと主張している[22]。初弾から挟叉を浴びた二水戦司令田中頼三少将は形勢不利と判断。17時50分、「神通」は煙幕を展張して離脱を図り、二水戦は一旦戦域からの避退針路を取った[23]

この頃、10機のカーチスP-40戦闘機と3機のA-24急降下爆撃機(SBDドーントレス急降下爆撃機の陸軍型)が戦場に到着、交戦中の日本艦隊を無視し、その北方にいた輸送船団を攻撃して撃沈3隻を主張した(実際は損害なし)[24]。仮にP-40が日本軍水上観測機を撃墜していた場合、海戦の展開は変わった可能性がある[24]。一方、日本艦隊にも増援が加わった。第四水雷戦隊(四水戦)が戦域に到着し、連合軍艦隊を巡洋艦4隻、駆逐艦2隻と判断、接近戦を仕掛けた[25]。「夕立」水雷長の中村悌次は、「デ・ロイテル」がまるで戦艦のように見えたと回想している[26]。中村によれば、第四水雷戦隊は遠距離から魚雷を発射して主力(第五戦隊)の方向に敵艦隊を誘致し、続いて突撃して決戦を挑むという企図だったという[26]。18時13分ごろ、四水戦は15,000mで一斉に27本の魚雷を発射、発射後直ちに煙幕を展張し避退する[27]。しかしこれらは一本も命中せず、さらにこのうち1/3が航走中に自爆してしまった。これは九三式魚雷の信管が鋭敏すぎたため波の衝撃で反応したためである[28]。この爆発による長巨大水柱を日本軍は連合軍敷設の機雷の爆発と考えたため、接近戦戦法を取るのを諦めた[29]。戦艦の砲弾による水柱のようにも見えたという[28]。「那珂」は「敵巡洋艦3隻撃沈ス、船団ハ予定ノゴトク行動セヨ」、「神通」は「本艦魚雷、二・三番艦に命中」と味方艦隊に通知した[30]。一方で第五戦隊「那智」「羽黒」は連合軍艦隊との距離を維持し、砲撃を続けつつ18時22分、魚雷を8本ずつ隠密発射した。18時35分、それまで両軍の砲弾は殆どがはずれ、何発か命中してた日本艦隊の弾も不発弾だったが[31]、遂に「羽黒」の20cm砲弾が「エクセター」の機関部に命中して炸裂。これが「エクセター」の缶室8基のうち6基を破壊し「エクセター」は速力11ノットとなる[32]

「エクセター」は単陣形を維持できなくなったため左に転舵、すると続航していた米重巡「ヒューストン」は「エクセター」の運動をドルーマン提督の命令によるものと判断して取舵をとり、豪重巡「パース」も従った[33]。先頭を航行していた旗艦蘭軽巡「デ・ロイテル」は孤立しかけ、南に変針するなど、連合軍艦隊の隊列が混乱した[34]原為一「天津風」駆逐艦長は魚雷の回避運動と見ていたが、実際は混成艦隊ゆえの陣形混乱だったのである[34]。そこへ、先ほど「羽黒」が放った魚雷が殺到。このうち一本が蘭駆逐艦「コルテノール」に命中する。この魚雷攻撃は、後述の第四水雷戦隊の魚雷の可能性もある[34]竜骨を折られた「コルテノール」はV字型に折れ轟沈した[35]。ここで混成艦隊は日本の潜水艦が近くに居るものと錯覚し、隊列を乱して遁走を始めた[36]。この混乱を見たドールマン少将は一旦戦場を離脱し、体勢を立て直すことを決断する。艦隊の針路を南東へ向け、戦域離脱を図った。

第二次昼戦[編集]

連合軍艦隊の変針を見て、高木少将は直ちに「全軍突撃せよ」を下令。これを見て西村祥治少将の四水戦が真っ先に突撃を始めた。四水戦旗艦、「那珂」は連合軍艦隊に距離12,000mまで近づくと魚雷4本を発射して避退した。四水戦の子隊である、第二駆逐隊、第九駆逐隊は肉薄攻撃をかけるために突撃した。この間に四水戦に続いた二水戦が戦場に到着し、まず田中少将座乗の「神通」が距離18,000mで魚雷を発射し反転離脱。子隊の第七、第一六駆逐隊は9,000mまで接近して魚雷を発射、「神通」の後を追い離脱する。第二水雷戦隊が発射した魚雷は64本にのぼる[37]。「那智」「羽黒」はアウトレンジからの砲撃を続けた。しかし、これら発射した魚雷は連合軍艦隊が再び煙幕を張りつつ大回頭をしたため全て外れ、また砲撃も距離が遠すぎてまともに命中弾が出なかった。なお、「コルテノール」轟沈はこの時点であるという見解もある[38]

こうした膠着状態を打破したのは、連合軍艦隊に肉薄攻撃を仕掛けた第四水雷戦隊子隊であった。第二駆逐隊は7,500mまで接近すると魚雷を発射し反転離脱。しかし第九駆逐隊は隊司令 佐藤康夫大佐が発射命令を出さず、敵艦隊に接近し続けた。友軍各部隊が次々と遠距離での発射、離脱をしてしまったため既に敵艦隊に接近し続けていたのは第九駆逐隊のみとなっており、旗艦「朝雲」では水雷長が司令に「司令、早く撃ちましょう」と何度も催促したが、佐藤大佐は発射命令を出さなかった。たまりかねた艦長 岩橋透中佐が早期の発射、反転を具申すると佐藤大佐が「艦長、後ろを見るなッ!前へ!」と大喝するシーンもあったという[28]。連合軍艦隊と日本艦隊の間には既に連合軍艦隊が展張した煙幕が漂っており、接近しなければ照準は難しい状態であった。距離5,000mに接近しようやく佐藤大佐は「発射はじめ」の号令をかけ、「朝雲」「峯雲」の両艦は一斉に魚雷を発射した[28]。これらの魚雷は結局命中しなかったが、第九駆逐隊はそのまま反転離脱せず、さらに接近を試みた。

これに対してドールマン少将は被弾し速力の低下した英重巡「エクセター」の避退を援護するため、英駆逐艦「エレクトラ」(駆逐隊司令艦)、「エンカウンター」「ジュピター」に対し第九駆逐隊への阻止攻撃を下令[39]。この時エレクトラはエクセターを守ろうとエクセターの日本艦隊側に進出した[40]。「エレクトラ」は煙幕を抜けたところで「神通」以下から集中砲撃を受ける[41]。「エレクトラ」は缶室に被弾して航行不能となるが、反撃の一弾が「朝雲」の機械室に命中、「朝雲」は航行不能に陥った[23]。なおも「エレクトラ」は魚雷で反撃したが命中せず、まもなく戦闘力を完全に失った。艦長C・W・メイ中佐は総員退去を命じ、自身は19時54分、艦と運命を共にした[42]

この戦闘が行われている間に「エクセター」をはじめ連合軍艦隊は全艦戦域を離脱し、また19時50分、戦闘海面は日没して暗くなり、20時5分、これ以上の追撃は危険と判断した高木少将は追撃を中止し、麾下の各艦に対し集結し夜戦準備を整えるように下令した[23]

第一次夜戦[編集]

避退した連合軍艦隊ではあったが、その動向は触接し続けていた「神通」機により逐次、報告されていた[43]。高木少将は敵艦隊の位置と味方船団の中間に自艦隊を置きつつ、昼間に発進させた「那智」「羽黒」の水偵の回収作業を命令した。また、避退した敵艦隊が今後どのような行動を取るか不明確なことから、上陸地点に向かっていた味方船団に対して反転するよう命令。これに従い船団は一時反転した。

一方、ドールマン少将は損傷した英重巡「エクセター」に蘭駆逐艦「ヴィテ・デ・ヴィット」を護衛につけてスラバヤへ帰投させると共に、自艦隊の隊列整理の時間稼ぎのため、米駆逐艦4隻に対し敵艦隊に対して攻撃し自艦隊の援護をするように命令した[44]。これを受けた米駆逐艦4隻は反転北上し、煙幕を突破して第五戦隊「那智」「羽黒」を発見すると距離9,000mで両舷の魚雷を全弾発射したが、魚雷は第五戦隊まで届かず沈んでしまった[45]。当時のアメリカの魚雷では距離9,000mは射程ギリギリの距離であり、これにより米駆逐艦群は全ての魚雷を射ち尽してしまった。因みに日本艦隊は米駆逐艦隊が接近してきたことも、魚雷を発射したことも一切気付かなかった。

ドールマン少将は日本艦隊が追いかけてこなかったことから、日本艦隊は船団護衛のため一旦後退したものと考えて、敵船団攻撃のため反転、進撃を始めた。しかしこの行動は触接していた「神通」機によって全て日本艦隊に筒抜けだった。日本側では、先の昼戦で敵艦隊の主だった艦に損傷を与えられなかったことから、敵艦隊は反転、攻撃してくるものと判断していた。

20時16分、「神通」機から「敵針310°」と通報が入る。明らかに味方船団攻撃に反転したと判断した高木少将は、麾下の部隊に対して、敵艦隊を夜戦にて迎え撃つことを通告し、直ちに準備に入った。ところが、肝心の第五戦隊が丁度先の命令の水偵揚収作業にかかり始めたところであった[43]

20時52分、両軍はほぼ同時に敵を発見した。しかし、第五戦隊は水偵の揚収作業がようやく終わりかけたところで、連合軍艦隊を第三戦隊の金剛型戦艦2隻と錯覚しており、正体に気付くと慌てて航進を開始する[46]。一方で偵察機を持たない連合軍艦隊にとっても、敵情不明のままだったのでこの会敵は想定外だった。距離12,000mで触接していた「神通」機が照明弾を投下する[47]。連合軍艦隊も「ヒューストン」と豪軽巡「パース」が第五戦隊目掛けて照明弾を発射する。第五戦隊は形勢不利と見て煙幕を張りつつ避退行動に移った。これに対して連合軍艦隊は急斉射したが、照準が不正確で結局一発も当たらなかった。この間、二水戦が敵艦隊に対して突撃をかけた。そして「神通」が距離19,000mで魚雷4本を発射したが、この発射を「パース」が確認しておりすぐに回避行動を取った。後続の艦もこれに倣ったため魚雷は命中しなかった。第五戦隊は一旦戦場から避退し、速力を上げて体勢を立て直してから戦場に戻ってきたが、連合軍艦隊が変針してしまったため見失ってしまった。

結局この戦闘は両軍とも互いに一発の命中弾も発生しなかった。

機雷原[編集]

連合軍艦隊は一旦南下し、ジャワ島沿岸に向かっていた。しかし、その動向は相変わらず「神通」機によって日本艦隊に通報されていた。22時50分、「神通」機は「那珂」機と触接を交代する。ドールマン少将は艦隊戦では彼我の戦力差から不利と考えて、ジャワ島沿岸スレスレまで南下し陸沿いに進撃することで日本艦隊の目をくらまし、日本船団に直接突入することを企図していた。ジャワ島沿岸に達すると、ドールマンは燃料が不足してきた米駆逐艦4隻にスラバヤへの帰投命令を発し、艦隊から離脱させた(無断離脱だった可能性もある[48])。この分離で「那珂」機は連合軍艦隊を見失ってしまった(交信が途切れたためとも[43])。「那珂」機が触接を失ったことで日本艦隊は自ら索敵をせねばならなくなり、日本艦隊は各隊に分かれて南下を始めた。

索敵機の目をくらますことに成功した連合軍艦隊はジャワ島沿岸を西進していたが、その先にはオランダ軍がその日の午後に敷設したばかりの機雷原があった。しかし、連絡不達によりその存在をドールマン少将はおろか、連合軍海軍現地司令官のヘルフリッヒ中将すら知らなかった。

22時55分、最後尾の英駆逐艦「ジュピター」が突如大爆発を起こして炎上し『われ雷撃を受く』を報告、4時間後に沈没した[49]。日本潜水艦からの雷撃と判断(誤認)したドールマン少将は急いで海域を離れるべく艦隊を北上させた[50]。しばらく北上すると昼戦時の戦闘海面に達し、ここに撃沈された「コルテノール」の生存者が多数漂流していたため、艦隊に唯一残っていた駆逐艦「エンカウンター」がこれを救助、スラバヤへ後送するため艦隊を離れた[50]

こうして連合軍艦隊は軽巡3、重巡1の巡洋艦戦隊だけとなってしまった。しかし、ドールマン少将はあくまでも日本船団に対する攻撃を諦めず、ひたすら日本船団がいると思われる海域へ北上していった[51]

第二次夜戦[編集]

先述したように日本艦隊は索敵のため南下していた。一方で連合軍艦隊は日本船団攻撃のため北上していた。そして28日0時33分、両軍は会敵した。

連合軍艦隊に最も近かったのは第五戦隊であった。高木少将は0時40分、それまで針路180度(真南)だった戦隊の針路を反転させ針路零度(真北)とし、同航戦の態勢をとった。ドールマン少将も日本艦隊を認めると距離12,000mで砲戦を開始したが、両軍ともかなりの砲弾を消費しており、更に砲員は疲れきっていたため、従って互いに交互打ち方、緩斉射で応戦しあった[51]

0時52分、「羽黒」が4本、「那智」が8本の魚雷をそれぞれ順次発射する。この発射に連合軍艦隊は気づかず進路を変えなかった。1時06分、「デ・ロイテル」後部に魚雷1本が命中して火薬庫に引火・炎上、後続の「パース」と「ヒューストン」は炎上する旗艦と魚雷を回避したが、1時10分に最後尾の「ジャワ」艦尾に魚雷が命中、急速に沈没した[52]

ヒューストン及びパースは我が生存者にかまわずバタビアに避退せよ

カレル・ドールマン

これがドールマン少将の最期の命令となった。通信が終わった直後、「デ・ロイテル」は沈没した。ドールマン少将以下殆どの乗員が脱出できず、救出された生存者は「デ・ロイテル」が17名、轟沈した「ジャワ」に至っては2名のみであった。命令を受けた「パース」とウォーラー艦長(先任士官)は「ヒューストン」を従えて反転すると最大戦速で海域を離脱し、バタビアへ避退して無事に入港、ヘルフリッヒ司令官にドールマン提督の戦死を伝えた[53]

高木少将は「デ・ロイテル」と「ジャワ」の撃破を確認すると、残敵掃討のため水雷戦隊との合同を図った。そのうちに「ヒューストン」と「パース」を見失ってしまった。慌てて「那智」から水偵を射出し索敵させたが、発見できなかった。これは「ヒューストン」と「パース」が東方のスラバヤへ避退したと誤認したためであり、この二艦が実際は西方のバタビアへ避退したために発見できなかったのである。

ところで、ほんの1部の新鋭艦にしか冷房の無かった当時、赤道下の海戦では、太陽光で艦体が焼け、さらに戦闘行動で緊張するため、乗組員にかかる精神的負荷は筆舌に尽くし難く、「那智」では機関科の水兵が発狂し、奇声を発しながら前甲板から後甲板に向かって走り抜け、海に飛び込んで自殺した。

三月一日昼戦[編集]

以下の戦いを、連合軍側は第二次ジャワ海海戦(en:Second Battle of the Java Sea)と呼称している。日本軍側はスラバヤ沖海戦の一部「スラバヤ沖(第二次)海戦」と分類している[54]

スラバヤに帰投した連合軍艦艇は惨憺たる有様だった。無事だった米駆逐艦4隻は魚雷を撃ち尽し、補給も出来ない状態で実質戦闘不能。英重巡「エクセター」は応急修理でなんとか23ktまで出せるようになったものの、本格的な修理が必要な状態であった[55]。従って戦闘に堪え得るのは、機関故障で残留していた米駆逐艦「ポープ」と「コルテノール」の生存者を後送してきた英駆逐艦「エンカウンター」、「エクセター」を護衛してきたオランダ駆逐艦「ヴィテ・デ・ヴィット」の3隻のみであった。「ポープ」は魚雷を満載していたが「エンカウンター」は魚雷の補給ができなかった[56]

連合軍海軍司令部は米駆逐艦4隻はバリ海峡を抜けオーストラリアに回航し、「エクセター」は修理のためセイロンに回航、この護衛に戦闘可能な3隻の駆逐艦を随伴させることに決め、2月28日、出港命令を出した[57]。第58駆逐隊司令官T・H・ビンフォード中佐は命令により「ポープ」を「エクセター」の護衛に残すと、東に向った[58]。しかし、ここで損傷した「エクセター」をどうやってインド洋に脱出させるかが問題となった。バリ海峡は深度が浅いため「エクセター」の航行には向かなかった。後はロンボク海峡スンダ海峡を突破する2通りのパターン(既にシンガポールは陥ちており、マラッカ海峡通過は不可能だった)があったが、先に起きたバリ島沖海戦により日本軍は既にバリ島を抑えていると判断した司令部はスンダ海峡突破を命令した[57]。しかし実際はロンボク海峡には日本軍は殆ど居らず、むしろスンダ海峡を固めていたのであるが、連合軍は空中偵察を行おうともしなかった[59]

2月28日午後6時、夕焼けの中を英国重巡洋艦「エクセター」は「ポープ」、「エンカウンター」を従えて出港した[60]。「ヴィテ・デ・ヴィット」は艦長が乗員に半舷上陸の許可を出していたため出港に間に合わなかった(この艦は3月2日、日本軍の空襲により撃沈)。

3月1日午前4時、連合軍の空襲により輸送船「徳島丸」が被弾座礁、「じょほうる丸」が中破等の損害をうけるも、日本軍はクラガン泊地への敵前上陸に無事成功した[61]。同時に航空偵察により、損傷した連合軍艦艇の動きを探っている[62]。この時点で日本軍は、第一護衛隊(第四水雷戦隊)がクラガン泊地外方、第二水雷戦隊(神通、第十六駆逐隊)は泊地北東側、第四潜水戦隊旗艦・軽巡洋艦「鬼怒」は泊地北西側、第五戦隊(那智、羽黒)「山風」「江風」はクラガン北方海面、第五戦隊(妙高、足柄)第六駆逐隊、「曙」(第七駆逐隊)は哨戒行動中だった[63]

同時刻、バウエアン島近海で「エクセター」は敵らしきものを発見し、これを反転回避する。これは日本軍第五戦隊の「那智」「羽黒」「山風」「江風」であった。この時日本軍は「エクセター」に気づかず、そのまま遠ざかっていった。しばらくして「エクセター」は再反転すると西進を始めた。また日本軍別働隊でも、日本軍偵察機が報告したオランダ病院船臨検のため、駆逐艦「曙」が艦隊から分離した[64]

午前11時3分、クラガン泊地沖を哨戒していた第五戦隊は距離28km先に「エクセター」隊を発見する[65]。既に「那智」「羽黒」共に残弾が底をつきかけており、已む無く高木少将は蘭印艦隊司令長官 高橋伊望中将座乗の重巡「足柄」と重巡「妙高」に応援を要請すると共に弾着観測機を射出し、敵艦隊に触接させた[66]。「エクセター」は戦闘を避けるためジクザク航行しながら北西に転針し、戦域から離脱を図った。午前11時27分、第五戦隊は「妙高」「足柄」の到着を待って追撃を開始した[67]

午前11時40分、「エクセター」は前方左、距離31,000mに新たな敵艦を発見する。同時刻、駆逐艦「曙」は「エクセター」を病院船と誤認し、停止命令を出した[68]。英軍重巡洋艦は14-18kmで砲撃した[69]。第五戦隊も「エクセター」が艦首方向に射撃をしていたことを記録している[70]。午前11時40-44分、「曙」は『(1140発、曙)敵らしき巡洋艦1、駆逐艦2見ゆ、我より方位120度』『我敵巡と交戦中』と報告し、救援を求める[71]。第三艦隊は「曙」に対し、敵艦隊を誘致・拘束するよう命じた[72]

「エクセター」は「曙」が水平線の向こうに逃走したことで砲撃を停止した[73]。やがて左舷に新たな日本艦隊が出現、これは高木少将からの連絡を受け、戦場に急行していた高橋中将率いる重巡「足柄」「妙高」、駆逐艦「雷」の別働部隊であった[74]。「エンカウンター」に乗艦していたサムエル・フォール卿(当時中尉)は、まず英艦隊の右前方に駆逐艦4隻が出現、続いて左前方に最上型重巡洋艦2隻が出現(妙高型重巡洋艦を誤認)、最後に左舷後方に最上型重巡洋艦2隻(これも妙高型の誤認)が出現したと証言している[75]

「エクセター」は距離23000mで砲撃を開始した[75]。「足柄」「妙高」も応戦すべく、弾着観測のため零式水上偵察機を射出した。「足柄」と「妙高」は右砲戦を開始したが、2隻の弾着は非常に悪く、初弾斉射は「エクセター」から1000m離れ、次斉射は2000m離れた海面に着弾した[76]。逆に「エクセター」が「足柄」を夾叉する光景も見られた[77]。だが「エクセター」は数の上で不利であり、東方への逃走を試みる。これを援護すべく「エンカウンター」と「ポープ」が別働隊と「エクセター」の間に割って入り、午後12時7-8分に煙幕を展張した。煙幕の展開は効果的で、「那智」「羽黒」は「エクセター」を見失う[78]。状況を打破すべく、別働隊は「曙」「雷」が「エクセター」に対して突撃をかけ、距離12,000mで砲撃を始めた。「足柄」と「妙高」は「エクセター」に魚雷を発射したが、少なくとも魚雷2本が自爆し、全魚雷が命中しなかった[79]

「エクセター」は必死で東方への逃走を図り、「エンカウンター」「ポープ」と共にスコールの中に飛び込んだ。「足柄」はスコールのため射撃を中止した程である[80]。しかし「エクセター」は損傷で23ktしか出ない。一方、日本艦隊は全艦が30kt以上の速力を発揮可能であった。短い嵐が去った時、「エンカウンター」は右舷9000に駆逐艦隊、「エクセター」の左舷18000mに"最上型巡洋艦"4隻、右舷後方の水平線上に"那智級巡洋艦"2隻を確認している[81]。英艦隊は包囲されていた。

この絶望的な状況下においてフォール卿は「自分は生来楽天的な性格であったため、何とか日本艦隊の包囲網を抜けて脱出できると信じていました。方位盤の横で即的士官と冗談を言い続けていました。」と語っている[82]

午後12時24分、「那智」「羽黒」が距離25kmで「エクセター」に対し射撃を開始した[83]。「エクセター」も反撃し、「那智」の周辺に水柱が上がる[84]。日本軍は英軍艦隊を包囲し、集中砲撃を浴びせた[85]。午後12時30分、「エンカウンター」は「山風」「江風」の砲撃により被弾し[86]、舵故障を起こして速度が低下した[85]。さらに「那智」「羽黒」の方向に艦首を向けたため[87]、第五戦隊は魚雷発射と誤認して回避運動を行っている。「エンカウンター」の士官によれば、主砲弾をほぼ撃ちつくしたところ、砲撃によりオイルポンプが破損して航行不能になったという[88]

午後12時40分頃、第十一航空戦隊司令部より、「エクセター」爆撃のため観測機11機を送るという連絡があった[89]。日本艦隊は距離17kmにて「エクセター」に対し射撃を再開する[85]。同時に魚雷戦を開始し、午後12時50分ごろ「那智」4本、「羽黒」4本、「山風」2本、「江風」4本を発射した[90]。すると日本艦隊と「エクセター」の間に幅5-6m、高さ70-80mという巨大な水柱があがった[91]。 

この時、フォール卿の回想では「我々は日本潜水艦の雷撃を避けるためにジグザグ航行をしておりました。(中略)艦隊は変針を繰り返し、33ノットの高速で走り、対潜警戒と回避行動を繰り返しました。さらに、『エンカウンター』は『エクセター』の周りに煙幕展張を行い、日本側の砲撃をそらそうとしました。しかも、日本軍の包囲網から『エクセター』を突破させようとして、『ポープ』と共に日本艦隊に4000ヤードまで接近し、魚雷発射の擬似運動を行いました。この時だけは日本艦隊が大きくループを描いて回避運動を行いました。この時、包囲網に隙間が生じましたが、僅かの間でした。このため、『エクセター』は包囲網から脱出できなかったのです。」となっていた[92]

これまでの戦闘で「那智」と「足柄」は主砲弾を撃ち尽くし、各門20発の砲弾を残すのみとなっており、砲弾を節約するため各砲1発ずつの交互射撃を行っていた[93]

だが日本軍の魚雷が自爆しても、「エクセター」の命運は尽きようとしていた。20cm砲弾1発がまたも「エクセター」の缶室に命中し、火災が発生した[94]。午後12時54分、動力を全て失った「エクセター」は航行不能となり、主砲も動かなくなる[95]。「エクセター」艦長O・L・ゴードン大佐は総員退去を命じ、乗組員は海に飛び込み始めた。午後12時50分、駆逐艦「雷」が「エクセター」に肉薄して魚雷を発射し[96]、一本が「エクセター」の右舷に命中[97]。続いて「足柄」「妙高」も砲撃を開始した[98]。止めを刺された「エクセター」は午後1時30分、右舷に転覆し沈没した[99]。この時、妙高偵察機が「雷」の雷撃と「エクセター」の被雷・沈没を写真撮影した[100]。この写真[101]写真週報第215号に掲載された。大本営海軍報道部は「エクセター」がラプラタ沖海戦で自沈に追い込んだポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー」の仇を討ったと宣伝している[102]

沈没寸前の「エクセター」

なおも日本軍は残った「エンカウンター」「ポープ」の追撃を行った。「羽黒」「那智」に至っては高角砲も用いて駆逐艦2隻を砲撃する[103]。まず舵の故障を起こして速度の低下していた「エンカウンター」が狙われた。同艦は集中砲火を浴び、完全に戦闘不能となった。

この海戦で「那智」と「羽黒」の主砲弾の残弾はゼロとなっていた[104]

この時の事をフォール卿は「『エンカウンター』は、砲弾を撃ち尽くした直後に日本艦隊の砲撃を受けました。その結果、宙に放り投げられる感覚がしました。」と語っている。

降伏を進言する士官もいたが、モーガン艦長は交戦旗をおろすなと命令している[105]。モーガン艦長を含めて乗組員の殆どが脱出、「エンカウンター」は戦死者7名と共に午後1時38分、沈没した[106]。「ポープ」はスコールに逃げ込み、日本艦隊の追撃から離脱することに成功する。燃料が尽きかけていた第五戦隊は第三艦隊の命令により、午後1時53分に「ポープ」追撃を「足柄」「妙高」に任せて戦場を離脱した[107]

「ポープ」はロンボク海峡からオーストラリアに脱出しようと試みるが、妙高偵察機から逃れることができずにいた[99]。「ポープ」はボルネオ島南岸に沿って全速で東進していたが[108]、午後3時5分、カリマタ海峡を南下中だった軽空母「龍驤」から発進した九七式艦上攻撃機6機(合計250kg爆弾6発、60kg爆弾24発装備)が来襲する[109]。命中はしなかったものの左舷に落ちた至近弾により船腹に大穴が開き、左舷推進軸が捻じ曲がって使用不能となった。水上機母艦「千歳」観測機は陸上攻撃機が攻撃したと報告している[110]。爆撃を受けた「ポープ」は回避運動により浸水が酷くなり、遂には艦尾が沈下してしまった。「ポープ」の艦長W・C・プリン中佐は艦を諦めて総員を退去させ、「ポープ」には爆薬を仕掛けて自沈させることにした[111]

全員が退去し終わった直後、「足柄」と「妙高」が接近してきて、停船している「ポープ」に砲撃を始めた。六斉射目で遂に一弾が「ポープ」に命中。午後3時30分、「ポープ」は大爆発を起こすと僅か15秒で沈んでいった[99]。また妙高偵察機は、戦闘詳報とは違った光景を見た。艦隊型駆逐艦が航行不能になった「ポープ」に距離1000mまで接近し、魚雷3本を発射。全弾が外れ[112]、その日本軍駆逐艦はさらに2本を発射。ようやく1本が命中し、「ポープ」は爆沈したという[113]。漂流した「ポープ」乗員は3日後、1隻の日本駆逐艦に救助された。

一方、オーストラリアに離脱を図った米駆逐艦4隻は、バリ海峡突破に成功していた。3月1日午前二時ごろ、バリ海峡西岸スレスレを航行していた米駆逐艦隊は第21駆逐隊(駆逐艦「子日」「初霜」「若葉」)に発見される。日本駆逐艦隊は距離4,500で火蓋を切った。しかし、魚雷を持っていない米駆逐艦隊は戦闘するつもりは毛頭無かった。会敵した場合に備えて十分に缶圧を上げてあった米駆逐艦隊は、直ちに最大戦速に速度を上げると猛スピードで日本駆逐艦隊を振り切り、バリ海峡を突破したのである。そして全艦無事にポートダーウィンに入港した。

時系列[編集]

海戦前(2月25-27日)[編集]

  • 2月25日、連合国艦隊司令長官カレル・ドールマン少将は日本軍迎撃のため、艦隊を率いスラバヤを出航した。
  • 27日12:00頃、日本軍の偵察機がスラバヤ沖で連合軍艦隊を発見。日本軍はスラバヤへ向かった。
  • 27日午後、ドールマン少将は日本軍を発見できなかったためスラバヤに戻ることにした。
  • 27日16:00頃、ドールマン少将はバウエアン島に日本軍接近中との報を受け反転。

海戦経過(2月27-28日)[編集]

  • 27日
  • 14:05、那智水偵が連合軍艦隊発見。
  • 16:59、神通が敵艦のマストを発見。(第一次昼戦)
  • 17:45、16800mで神通砲撃開始。
  • 17:47、26000mで第五戦隊砲撃開始。
    • 連合軍も砲撃を開始。
  • 17:50、第二水雷戦隊はいったん退避。
  • 18:04、第4水雷戦隊は魚雷を発射。戦果無し。
    • 第五戦隊は遠距離からの砲撃を続けたため、損害を与えられず。
  • 18:22、羽黒魚雷発射。
  • 18:37、高木少将、全軍突撃を命令。
  • 18:38、エクセターに命中弾。速度低下、左へ変針。
    • 後続艦も変針命令が出たものと勘違いして変針。
  • 18:45、コルテノールに魚雷命中、沈没する。
    • 連合軍艦隊は戦場離脱。
  • 19:15、第五戦隊、連合軍を捕捉、砲撃開始。
    • 日本艦隊は魚雷を発射するも、一本も命中せず。
  • 19:40、連合軍も反撃し、朝雲に命中弾。
  • 19:50、日没
  • 19:54、エレクトラ沈没。
    • 両軍、夜戦準備に入る。
  • 20:55、連合軍は那智、羽黒を発見し攻撃開始。那智、羽黒は退避。(第一次夜戦)
    • エクセター、駆逐艦4隻はスラバヤへ退避。
  • 22:55、ジュピター、オランダ軍機雷により沈没。
  • 28日
  • 00:33、第五戦隊、連合軍巡洋艦4隻を発見。(第二次夜戦)
  • 00:50、12,000mで同航戦に入る。
  • 00:53、那智、羽黒魚雷発射。
  • 01:09、デ・ロイテル、ジャワに魚雷命中、沈没。司令官ドールマン少将が戦死。
    • ヒューストン、パースは離脱。

掃討戦[編集]

  • 3月1日
  • 11:30、第五戦隊はバウエアン島西方でエクセター以下の艦隊を発見。
  • 第五戦隊は弾薬不足のため、別働隊(重巡妙高、足柄)の到着を待つ。
  • 11:40、妙高、足柄が到着し、連合軍を挟撃。
  • 11:50、別働隊、24,000mで砲撃開始。
  • 12:25、第五戦隊、25,000mで砲撃開始。
  • 13:30、エクセターに魚雷命中、沈没。
  • 13:35、エンカウンター沈没。
  • 15:20、ポープはスコールに逃げ込むも、日本軍航空隊の攻撃により航行不能となる。
  • 15:40、足柄、妙高の砲撃によりポープ沈没。

評価[編集]

この海戦の大きな特徴としては第一次昼戦から「ポープ」の沈没まで、46時間という長時間に及ぶ戦いとなったことであろう。この間に主要な戦闘は5つ行われているが、太平洋戦争の中で、これだけ長時間の海戦になったのは数えるほどしかない。しかも、対戦した艦艇数から考えると異常ともいえる長さであった。これは、戦力に勝る日本軍がアウトレンジ戦法に固執したため、砲や魚雷の命中率が極端に低下し、致命傷を与えるのに時間がかかったことが主な要因といえる。日本軍艦船の命中率の低さは驚くべきものがあり、例えば第五戦隊の重巡「那智」「羽黒」は主砲弾を1艦あたり定数2000発(200発/門)、魚雷を24本搭載していたが、戦闘終了時の残弾数は「那智」70発・4本、「羽黒」190発・4本とほぼ全弾撃ち尽くしている[114]。これに対して第五戦隊が与えた有効弾と判断されるのは、「デ・ロイテル」、「ジャバ」、「コルテノール」を撃沈した魚雷3本と、「ヒューストン」に命中した2発(2発とも不発)、「デ・ロイテル」に命中した1発(不発)、「エクセター」の缶室に命中した1発程度である。「エクセター」追撃戦に参加した「妙高」「足柄」もこの海戦のみの参加でたった3隻を撃沈するだけのために1171発もの砲弾を消費している。日本艦隊全体を見ても、命中率、特に魚雷の命中率は惨憺たるものである。艦隊全艦で188本の発射のうち命中したものは僅か4本。命中率2%強という酷いものであった。この戦訓は後に活かされ、1万m以上での魚雷発射は以降の海戦では殆ど見られなくなる。だがレイテ沖海戦におけるサマール沖海戦では、軽巡洋艦「矢矧」(第十戦隊)と同艦に従う第十七駆逐隊が米護衛空母群に遠距離雷撃を実施し、27本発射して1本も命中しなかった。

また、このような戦いとなる指揮を取った、高木少将、二水戦の田中少将の戦術指揮は敢闘精神が足りない等と厳しい批判を受けることとなった。一方で、ドールマン少将の最期まで攻撃態勢を取り続けた敢闘精神に対しては称賛する評価もある。

結局この海戦により、ジャワ近海における連合軍艦船はほぼ壊滅した。本海戦に於ける3月1日昼戦直前にバタビア沖で生起したバタビア沖海戦により、第二次夜戦で戦場離脱した巡洋艦「ヒューストン」、「パース」は既に撃沈されており、駆逐艦「エヴァンツェン」も座礁して放棄された。2月27日に自沈した水上機母艦「ラングレイ」の乗組員を救助して戦場を離脱しようとしていた駆逐艦「エドサル」「ホイップル」、油槽艦「ペコス」は、近藤信竹中将の指揮下で行動していた南雲忠一中将の機動部隊に襲われ、「エドサル」は戦艦「比叡」に、「ペコス」は空母「加賀」「蒼龍」艦載機の攻撃で撃沈され、「ホイップル」は幸運にも脱出に成功した[115]。これによって連合軍艦船は全てジャワ近海から消えることとなり、ジャワ島近海の制海権が完全に日本側に移った。日本軍の上陸作戦はほぼ無傷で行われ、また補給を絶たれた連合軍のオランダ領東インドの維持はほぼ不可能となり、日本軍のジャワ島攻略作戦は大きく前進することとなった。

露見した問題[編集]

この海戦で「妙高」と「足柄」が秘密兵器と言われた酸素魚雷を発射したが、全弾が発射直後に水面から飛び出したりしてまともに進まず、さらに「那智」と「羽黒」が発射した魚雷は自爆も発生して、一本も命中しないという事態が発生した[91]。この事態に対して、戦闘終了後に詳細な調査が行われた。原因は開発実験から訓練にいたるまで今まで、艦の速度が30ノットを超える速度での発射を行ったことが無かったため、想定外の34ノットでの魚雷発射を行った結果、水中突入時の蛇行が大きくなりすぎて正常に機能しなかったためであった。もう一つの原因として深度調定(深度設定)を駆逐艦への命中に備えて4メートルと浅くしたことが上げられている。

また、酸素魚雷の自爆は1942年11月14日の第三次ソロモン海戦(夜戦)でも繰り返された。重巡洋艦「高雄」、「愛宕」が発射した酸素魚雷がノースカロライナ級戦艦ワシントン」の艦首波で自爆したのである。サウスダコタ級戦艦「サウスダコタ」も雷撃を受けたが、こちらも1本も命中していない。

敵兵救助作業[編集]

3月1日の戦闘後、第三艦隊司令長官高橋伊望中将は、艦隊に海上を漂流中の連合国軍将兵の救助活動を命じ、駆逐艦三隻が救助にあたった[116]

しかし、捕虜の扱いは各艦で異なる。「那智」での捕虜の扱いは冷淡で、副長の市川重中佐は次のように証言している。「甲板士官が、救助した敵兵7名の処遇に困り、夜間、海に突き落としたいと言って何度も自分のもとを訪れた。」 加えて、第5水雷戦隊は、先任参謀由川周吉中佐が「敵兵救助に関する指示は、作戦行動指示に忙殺されて出していない」と記述している。 一方、南方作戦全般を指揮した第二艦隊司令部は、ジャワ島南方洋上の重巡「愛宕」艦上にあったが、これも全軍に対し、「敵兵救助」の命令を発した形跡は全く残っていない。

この点「電」「雷」は、英国滞在歴があり親英的な感覚を持っていた高橋中将の直属かつ、単艦行動中だった幸運が重なり、艦長の決断と個性が遺憾なく発揮された。 「電」に乗艦していた岡田氏の回想によると「『サンキュウ』と、蒼白な顔の中にも救助された喜びの笑みをたたえ、敬礼して甲板に上がってくる敵兵、激しい戦闘によって大怪我をしている者、シャツは着ていてもパンツのない者等服装もまちまちだ。ズボン、靴下等彼らが身につけているのは純毛だった。『持てる国イギリス』の感を強くした。」となっている[117]

午後2時過ぎ、駆逐艦「曙」が漂流するフォール卿らを発見したが、砲を向けたのみで去った[118]

午後10時頃、「雷」は漂流していたフォール卿らを発見すると、潜水艦による攻撃といった様々な危険を承知で救助作業に入った。 漂流する英国兵は、重傷者の後に「エクセタ-」「エンカウンター」両艦長が上がり、その後、「雷」に殺到して一時パニックに陥ったが、ライフジャケットを付けた英国青年士官が号令をかけると整然となった。この青年士官は、独力で上がれない者には、「雷」が差し出したロープをたぐり寄せて身体に巻きつけ、そして「引け」の合図を送り、多くの者を救助していた。 「雷」艦長伝令だった佐々木氏は「流石イギリス海軍士官」と思ったといい、次のように回想している。「彼らはこういう状況にあっても秩序を守っておりました。艦に上がってきた順序は、最初が『エクセター』副長(安全確認のため、艦長よりも先に上がったと思われる)、次に『エクセター』『エンカウンター』両艦長、続いて負傷兵、その次が高級将校、下士官兵、殿が青年士官という順でした。」「当初『雷』は自力で動ける者を先に上げ、重傷者は後回しにしようとしたのですが、彼らは頑として応じませんでした。その後私は、ミッドウェー海戦で戦艦『榛名』の乗組員として、カッターで沈没寸前の空母乗組員の救助をしましたが、これと対照的な情景を目にしました。」[119]

同艦航海長であった長谷川氏は「何人も舷梯近くまで来ながら次々と沈んでいった。気力、体力の限界だったのだろう」と回想している。 勝又氏の回想によるとペットのサルを抱いて甲板に上がってきた者がいた。谷川氏は「主計長らしき人物が持ってきた札を丁寧に甲板に並べて乾燥させようとしていたのが心に残っている」と回想している[120]。 「雷」に救助された英国兵達は暖かいもてなしを受けた。佐々木氏は「我々は自分達すら貴重この上ない物としている真水や乾パンも、彼らに配給した。彼らはしかし、必要なだけ乾パンを取ると次々と箱をまわし、残ったのをそのままこちらに返してよこした。英国は紳士の国と聞くが、まさしくその通り、我々なら先を争って1個でも余分に掠め取ろうとする根性を丸出しにする場面なのに、まったく整然とした行為だった。これには我々は感嘆した。」と回想し、さらに、主砲塔旋回時に危険なため、立ち入り禁止のロープをはろうとした際、佐々木氏が言った拙い英語を理解した者たちが手伝ってくれたという[121]。 英国兵達がライフジャケット等を着用しているのを見て日本兵は大変驚いた(日本駆逐艦には4つほどしか救命胴衣は用意されていない)[122]。日も暮れ始める頃にはすっかり両軍の兵士達は打ち解け合ってしまっており、私物の物々交換等が盛んとなり、「艦内軍紀を厳守せよ」との指示が出されたほどである[123]。 「雷」の工藤艦長は佐々木氏に対し「おい伝令、もしも彼らに反乱を起こされたら命取りになるなあ。背は高いし、力は強い、どこを壊されても大変だなあ!」と得意のブラック・ジョークを語っていた。 「エンカウンター」の将兵を救助した駆逐艦「雷」の工藤少佐/艦長は、英語で「諸君は果敢に戦われた。今、諸君は大日本帝国海軍の大切な賓客である。私は英国海軍を尊敬するが、日本に戦いを挑む貴国政府は実におろかである」と挨拶している[124]。「雷」での待遇は良かったが、その後の東南アジアでの捕虜生活は「まあまあ」であったという[125]。 「雷」の乗組員は、日露戦争蔚山沖海戦ロシア海軍装甲巡洋艦リューリク」乗組員を救助した上村彦之丞中将の気分だったと回想している[126]


3月2日、潜水艦との戦闘後に海戦海域に戻った艦隊は、再度高橋中将の命令により救助活動を実施した。2回目の救助活動では「妙高」「足柄」他の艦も漂流者を収容している。『望遠鏡で見ると、どの味方僚艦の後甲板も、救助した捕虜が山積みされ、いまにもこぼれ落ちそうであった。』。その後、海上に漂流者多数を残して参謀長命により救助活動は中止された。救助中止は無電によるものと、「足柄」射撃盤員の石井勝は推測している[127]

3月3日午前6時半に浮上した連合国潜水艦へ「足柄」が高角砲射撃を行い、潜水艦乗員たちは海に飛び込んだ。このときは駆逐艦「潮」が救助している[128]

3月5日セレベス島マカッサルに入港した艦隊は、捕虜を陸軍捕虜収容所のトラックへ引き渡している。港内で「足柄」の隣だったオランダ病院船の看護婦たちは甲板上の捕虜たちと手を振り合っていた[129]

損害[編集]

日本軍艦艇[編集]

  • 大破
    • 駆逐艦:朝雲

連合国軍艦艇[編集]

  • 沈没
    • 重巡/エクセター(英)
    • 軽巡/デ・ロイテル(蘭)、ジャワ(蘭)
    • 駆逐艦/コルテノール(蘭)、エレクトラ(英)、ジュピター(英)、駆逐艦エンカウンター(英)、ポープ(米)
  • 小破
    • 重巡/ヒューストン(米)

脚注[編集]

  1. ^ #連合国艦隊壊滅す141頁
  2. ^ #連合国艦隊壊滅すp.152
  3. ^ #連合国艦隊壊滅すp.153
  4. ^ #連合国艦隊壊滅すp.148
  5. ^ #連合国艦隊壊滅すp.175
  6. ^ #連合国艦隊壊滅すp.173
  7. ^ #連合国艦隊壊滅す178頁
  8. ^ #連合国艦隊壊滅すpp.188-189
  9. ^ #連合国艦隊壊滅すp.185
  10. ^ #連合国艦隊壊滅すp.186
  11. ^ #連合国艦隊壊滅すp.193
  12. ^ #連合国艦隊壊滅すpp.196-197
  13. ^ a b c #奇蹟の海からp.116
  14. ^ a b #奇蹟の海からp.117
  15. ^ #連合国艦隊壊滅すp.199
  16. ^ #連合国艦隊壊滅すp.203
  17. ^ #連合国艦隊壊滅すp.204
  18. ^ a b c d #奇蹟の海からp.130
  19. ^ #連合国艦隊壊滅すp.206
  20. ^ #連合国艦隊壊滅すp.207
  21. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.208
  22. ^ #外交官回想p.68
  23. ^ a b c #奇蹟の海からp.131
  24. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.211
  25. ^ #五月雨p.70、#奇蹟の海からp.131
  26. ^ a b #生涯海軍士官38頁
  27. ^ #五月雨pp.70-71
  28. ^ a b c d #生涯海軍士官40頁
  29. ^ #奇蹟の海からp.131、#5戦隊日誌(1)pp.30-31
  30. ^ #五月雨p.71
  31. ^ #連合国艦隊壊滅すpp.212,214
  32. ^ #連合国艦隊壊滅すp.217、#奇跡の駆逐艦p.153
  33. ^ #連合国艦隊壊滅すp.217
  34. ^ a b c #連合国艦隊壊滅すp.218
  35. ^ #外交官回想p.69。エンカウンターは900m離れた位置。
  36. ^ 敵兵を救助せよ!p231
  37. ^ #連合国艦隊壊滅すp.216
  38. ^ #連合国艦隊壊滅すp.219
  39. ^ #連合国艦隊壊滅すp.223
  40. ^ 敵兵を救助せよ!p231
  41. ^ #連合国艦隊壊滅すp.224
  42. ^ #連合国艦隊壊滅すp.226
  43. ^ a b c #奇蹟の海からp.132
  44. ^ #連合国艦隊壊滅すp.227
  45. ^ #連合国艦隊壊滅すp.231
  46. ^ #連合国艦隊壊滅すp.235
  47. ^ #連合国艦隊壊滅すp.236
  48. ^ #連合国艦隊壊滅すp.237
  49. ^ #連合国艦隊壊滅すp.238
  50. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.239
  51. ^ a b #連合国艦隊壊滅すp.240
  52. ^ #連合国艦隊壊滅すp.242
  53. ^ #連合国艦隊壊滅すp.243
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参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.A06031044500『週報 第283号』(昭和17年3月11日)「大東亜海の大殲滅戦」
    • Ref.A06031081000『写真週報 215号』(昭和17年4月8日)「独逸海軍の仇、エクゼターを屠る」
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    • Ref.C08051585800 『昭和16年12月~昭和17年8月 龍驤飛行機隊戦闘行動調書(2)』。
  • 佐藤和正『太平洋海戦1 侵攻篇』ISBN 4-06-203741-6
  • D・A・トーマス著・関野英夫訳 『スラバヤ沖海戦 連合国艦隊壊滅す』 明光社、1968年7月。
  • 須藤幸助 『駆逐艦五月雨』 朝日ソノラマ文庫、1988年ISBN 4-257-17097-2
  • 安永弘 『死闘の水偵隊』 朝日ソノラマ文庫、1994年 著者は「妙高」偵察機操縦者として戦況を観測・報告した。
    • 安永弘 『サムライ索敵機 敵空母見ゆ! 予科練パイロット3300時間の死闘』 光人社、2002年 朝日ソノラマ文庫の改訂
  • 橋本衛 『奇蹟の海から 特型駆逐艦水兵物語』 光人社、1984年3月。ISBN 4-7698-0230-7 橋本は「雷」射撃発令所配置。
  • 駆逐艦雪風手記編集委員会 『激動の昭和・世界奇跡の駆逐艦 雪風』 駆逐艦雪風手記刊行会、1999年9月。
  • 惠隆之介 『敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』 草思社2006年ISBN 4794214995
  • サム・フォール著・中山理訳 『ありがとう武士道 第二次大戦中、日本海軍駆逐艦に命を救われた英国外交官の回想麗澤大学出版会2009年ISBN 978-4-89205-581-2 フォールは当時英国海軍中尉、「エンカウンター」乗艦。外交官時代回想が主題。
  • 中村悌次 『生涯海軍士官 戦後日本と海上自衛隊』 中央公論社、2009年ISBN 978-4-12-004006-1 「夕立」水雷長。
  • 大高勇治 『第七駆逐隊海戦記 生粋の駆逐艦乗りたちの戦い』 光人社NF文庫、2010年ISBN 978-4-7698-2646-0

関連項目[編集]

酸素魚雷