リューリク (装甲巡洋艦・初代)

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「リューリク」
«Рюрикъ»
1904年2月から3月頃の「リューリク」。
1904年2月から3月頃の「リューリク」。
艦歴
起工 1890年5月19日 バルト工場ロシア語版
進水 1892年10月22日
竣工 1895年10月16日
所属 ロシア帝国海軍
沈没 1904年8月14日
要目
艦種 装甲巡洋艦
艦級 「リューリク」級
排水量 11,960 トン
全長 126 m
全幅 20 m
喫水 7.9 m
機関 石炭専焼円缶 8 基
+三段膨張式レシプロ機関 2 基 2 軸推進
出力 13,250 hp
速力 18 ノット
航続距離 10 ノット/6,700 海里
乗員 士官 22 名
水兵 719 名
武装 35 口径 203 mm 砲ドイツ語版 4 門
45 口径 152 mm 単装砲ロシア語版 16 門
45 口径 120 mm 単装砲ロシア語版 6 門
バラノーフスキイ式 20口径 63.5mm 上陸砲ロシア語版 2 門
43 口径 47 mm 砲 6 門
20 口径 37 mm 5 砲身砲ドイツ語版 10 門
381 mm 水上魚雷発射管 6 門
装甲(鉄製) 舷側装甲 中央部:203〜305mm
艦首尾部:76〜127mm
甲板 76 mm(機関部)、51 mm(艦首尾部)
砲郭 305 mm(最厚部)
司令塔 152 mm(最厚部)

リューリクロシア語: Рю́рикъ[1]は、ロシア帝国の保有した装甲巡洋艦日露戦争ではウラジオストク巡洋艦隊に所属して活発な通商破壊戦を行ったが、蔚山沖海戦で日本軍の主力艦隊の遊撃部隊である第二艦隊(司令長官: 上村彦之丞中将)に撃沈された。

概要[編集]

艦形[編集]

長崎に停泊している本艦。

本艦の基本設計は装甲艦の延長で水面からの乾舷が艦首から艦尾まで高い平甲板型船体である。本艦の船体形状は艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に帆走用の3本のマストと中央部に2本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。本級は防御面において前級よりも強化され、船体の側面は203mmから305mmの厚さを持つ板で防御され、砲郭部は305mm、司令塔は最厚で152mmであった。

武装[編集]

武装・装甲配置の概略図。

主砲[編集]

35口径1892年型 203mm 砲。写真は同型砲を搭載した巡洋艦「アドミラル・ナヒモフ」の主砲身。

本艦の主砲には、ライフル砲である35口径1892年型 203mm 砲が採用された。その性能は90kgの砲弾を最大仰角15度で9,150mまで届かせる性能であった。これを単装砲架で舷側ケースメイト配置で4基を搭載した。砲架の俯仰角能力は仰角15度・俯角5度で旋回角度は200度の旋回角度を持っていた。発射速度は毎分1発であった。

副砲、その他武装等[編集]

本艦の副砲は45口径1892年型 152mm 砲を採用した。その性能は41.4kgの砲弾を、仰角13.4度で9,140mまで届かせられ、射程5,490mで43mmの鉄板を貫通できた。これを単装砲架で舷側ケースメイト配置で16基を搭載した。砲架の俯仰角能力は仰角20度・俯角5度であった。旋回角度は狭い砲門から砲身を出すので射界に制限があった。発射速度は毎分7発であった。

その他に12cm単装砲を6基、近接戦闘用に43口径オチキス 47mm 砲を単装砲架で6基、20 口径 37 mm 5 砲身砲ドイツ語版を単装砲架で10基搭載した。

対地攻撃用にバラノーフスキイ式 20口径 63.5mm 上陸砲ロシア語版を単装砲架で片舷1基ずつ計2基を配置した。対艦攻撃用に381mm水上魚雷発射管単装6基を搭載した。

機関[編集]

出典[編集]

  1. ^ 艦名表記は、児島襄日本語)『日露戦争 第一巻文藝春秋東京、1990年、551頁。ISBN 9784165063605http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784165063605 を参照。

関連項目[編集]