ティモール島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ティモール島
ID - Timor.PNG
面積 3万0780 km²
最高標高 2960 m
最高峰 タタマイラウ山
最大都市 クパン
所在海域 ティモール海サヴ海
所属諸島 小スンダ列島
所属国・地域 インドネシアの旗 インドネシア
東ティモールの旗 東ティモール
テンプレートを表示
ティモール島の衛星写真
  西ティモール

ティモール島ポルトガル語: Timor)は、小スンダ列島の東端にある。南にはティモール海を隔ててオーストラリアがある。面積は約3万0777 km2。人口は東西合わせて約232万8000人(1998)。

「ティモール」はマレー語・インドネシア語で「東」を意味する。

行政区分[編集]

ティモール島は、独立国である東ティモールと、インドネシア東ヌサ・トゥンガラ州の一部である西ティモールとに分かれている。

東ティモールは連続しておらず、飛び地のオエクシ=アンベノがある。

歴史[編集]

分割[編集]

1520年、ポルトガルが領有宣言し、1586年に島を占領した。

1640年、オランダが入植した。1859年の条約により1860年オランダ領ティモールポルトガル領ティモールに分割された。以後、ティモール島は分割統治されている。ただし国境が公式に定まったのは1912年である。

第二次世界大戦・戦後[編集]

第二次世界大戦中の1941年に、オランダ軍オーストラリア軍が、中立国であったポルトガル領東ティモールを占領した。その後、1942年から1945年の間は日本がティモール島全域を占領し、東ティモールについてもポルトガル政府に黙認されて事実上の統治下に置いた。これに対してオーストラリア軍がゲリラ戦を行い、現地住人の一部も両陣営に協力して戦闘を行った。

1949年オランダ領東インドインドネシアとして独立すると、西ティモールはインドネシアの一部となった。

1975年、インドネシアが東ティモールに侵攻し実効支配したが、国連及びポルトガルはこれを認めず、東ティモール人はゲリラ戦法でインドネシアに抵抗した。1999年の国民投票によって東ティモールは独立国となった。インドネシア政府はこれが西ティモールの独立運動へ飛び火することをおそれており、実際に2001年にはティモール島全土統一を目指す「ティモール・ラヤ(大ティモール)」運動が西ティモールで起こりつつある。

ティモール島統治の歴史は、欧州列強のアジア進出による民族分離地域の一例であり、現在のところ統一統治は実現していない。

住民[編集]

ティモールの言語。

ティモールの住民は本来は、周辺の島々との間にも、東西ティモールの間にも、顕著な違いはなかった。しかし、その歴史的・政治的特殊性を受け、若干の特徴がある。

人種・民族[編集]

メラネシア人が多数派である。

ただし、東ティモールには重要なマイノリティーとして、ポルトガル系住民がいる。独立運動の旗手であり大統領となったシャナナ・グスマンジョゼ・ラモス=ホルタも、ポルトガル人との混血である。

言語[編集]

多数派の母語は、アウストロネシア語族マレー・ポリネシア語派ティモール・ババル語群 (Timor–Babar languages) の言語である。この語群は、ティモールの北東のウェタル島や東方のババル諸島でも話されている。

主に西ティモールで話されるウアブ・メト語と、主に東ティモールで話されるテトゥン語が主要で(それらの分布は西ティモールと東ティモールの領域とは対応していない)、その他、いくつかの話者の少ない言語が話される。

公用語は、西ティモールではインドネシア語、東ティモールではテトゥン語とポルトガル語である。ただし東ティモールでも、インドネシア語は多数派の母語と同系の言語であり、インドネシア占領時代の教育と、独立後も隣国からの文化的影響により、限定的に通用する。

宗教[編集]

宗教は、人口の90%がキリスト教である。インドネシアの多数派宗教がイスラム教である中、東部諸島ではキリスト教が散在するが、ティモール島はその中でも特にキリスト教徒が多い。カトリックが主だが、西ティモールには若干がプロテスタントを信仰する。

自然[編集]

動物地理学上のウェーバー線が、ティモールとオーストラリアの間を通る。すなわちティモールは、東洋区の南東端をなす。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]