アウトレンジ戦法
アウトレンジ戦法(アウトレンジせんぽう)とは、敵の火砲などの射程外から一方的に攻撃を仕掛ける戦術および戦闘教義のこと。一般的に太平洋戦争で日本海軍の機動部隊が行った戦術を指す。
[編集] 概要
日米開戦以前、日本海軍はワシントン海軍軍縮条約(1922年)やロンドン海軍軍縮条約(1930年)により戦艦・航空母艦・巡洋艦の保有数が制限された。このため数で勝るアメリカ海軍を艦隊決戦で打ち砕くためアウトレンジ戦法を模索し、主砲の有効射程で勝る大和型戦艦を建造し[1]、さらに零式艦上戦闘機や一式陸上攻撃機といった航続距離の長い戦闘機を開発した[1]。
日米開戦後の1944年6月、マリアナ沖海戦で小沢治三郎中将率いる日本海軍機動部隊は艦載機の航続距離の長さ[2]を生かしてアウトレンジ戦法を行ったが、航空母艦沈没3、艦載機378機撃墜などの甚大な被害を出し、アメリカ軍に敗北した[1]。日本海軍の敗因は、アウトレンジ戦法をとったことにより戦闘機搭乗員が実際の戦闘までに2時間半程度の飛行を強いられ[3]、方向を間違えたり途中で撃墜される機が続出したこと[4]、アメリカ軍が高度なレーダーと無線電話で防空部隊を統制できた上に、近接信管(VT信管)装備の対空砲により濃密な艦隊防空能力を誇っていたこと[1]が挙げられる。
小沢治三郎は戦後、防衛庁戦史室でのインタビューにおいてアウトレンジ戦法について次のコメントを残した。
彼我の兵力、練度からしてまともに四つに組んで戦える相手ではないことは百も承知。戦前の訓練、開戦後の戦闘様相を考え、最後に到達した結論は『アウトレンジ、これしかない』であった。戦後になってアウトレンジは練度を無視した無理な戦法とか、元から反対だったとか言い出した関係高官が出て来たが、当時の航空関係者は上下一貫してこの戦法で思想は一致していた。
— 田中健一「マリアナ沖海戦 作戦指導批判に異論あり」『波濤』110号 1994年1月
[編集] 出典
[編集] 参考文献
- 松田十刻 『角田覚治: 「見敵必戦」を貫いた闘将』 PHP文庫、2009年。ISBN 978-4569672885。
- 太平洋戦争研究会 『零戦と日本航空戦史』 PHP研究所、2010年。ISBN 978-4569776309。
- 森山康平 『東条英機内閣の1000日: 権力が集中した時代の悲劇』 PHP研究所、2010年。ISBN 978-4-569-79128-9。