吹雪型駆逐艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
吹雪型駆逐艦
天霧
艦級概観
艦種 一等駆逐艦
艦名
前級 睦月型駆逐艦
次級 初春型駆逐艦
性能諸元
排水量 基準:1,680t
公試:1,980t
全長 118.5m、水線長:115.3m
全幅 10.36m
吃水 3.2m
機関 ロ号艦本式缶4基(Ⅲ型は3基)
艦本式タービン2基2軸 50,000hp
速力 38.0kt
航続距離 14ktで5,000浬
燃料 重油:475トン[1]
乗員 219名
兵装 50口径12.7cm連装砲 3基6門
7.7mm単装機銃2挺(Ⅰ型)
12.7mm単装機銃2挺(Ⅱ、Ⅲ型)
61cm3連装魚雷発射管 3基

吹雪型駆逐艦(ふぶきがたくちくかん)とは、大日本帝国海軍(以下海軍)がワシントン条約下で建造した艦隊型駆逐艦である。

通常、海軍艦艇の同型艦の名称は一番艦の名称を付けて呼ばれることが多いが、本型は全てが同型ではないため、III型までを書類上の分類である特型駆逐艦と呼ぶ。ただし日本海軍は書類上吹雪型駆逐艦で統一している[2]

「特型」の呼称は、1924年に艦政本部に対して要求された「新型駆逐艦」の過酷な要求を満たすため艦政本部内に設けられた「特型駆逐艦対策委員会」の名称が、その元となっている。 ネームシップの「吹雪」沈没後白雪型駆逐艦に改定され[3]、さらに初雪型駆逐艦と改められた[4]

概要[編集]

ワシントン条約により、戦艦を始めとする大型艦の建造制限を受けた日本海軍が、条約の制限を受けない補助艦艇の整備を強化する方針を打ち出したことにより建造された新型駆逐艦が本型である。

二段式の甲板や凌波性能を追求した船形による良好な航海性能と、艦橋を露天式から密閉式に改めるなどの居住性の改善、排水量に対して重武装(砲塔式12.7cm連装砲3基、61センチ魚雷9射線を中心に配備し予備魚雷も搭載した)の本型の出現は、当時の列強海軍駆逐艦に衝撃を与えた。

日米戦勃発時には既に旧式艦と見なされていた本型は酸素魚雷こそ装備していなかったものの、太平洋戦争では水雷戦隊の主力や、空母護衛、輸送船団護衛として活躍したが、結果として損害も多く、建造された24隻の中で終戦時まで残存した艦は「潮」と「響」の2隻のみである。

沿革[編集]

ワシントン条約と睦月型駆逐艦[編集]

ワシントン条約により、主力艦航空母艦の保有比率制限(英5:米5:日3)及び巡洋艦の建造制限(排水量10000t以下・搭載砲は重巡で8インチ、軽巡で6.1インチ以下)をうけた。海軍は、それまで八八艦隊計画の予算の都合から中型の一等と小型の二等の2系統で駆逐艦の建造を進めていた。しかし、条約締結によって主力艦の建造保有規模の縮小を余儀なくされたため、それを補完するために制限をうけない軽巡洋艦以下の補助艦艇を整備・強化する事に活路を見出す方針を打ち出した。駆逐艦もこの方針に沿って、計画の見直しで予算の制約もなくなったこともあり、手始めに峯風型駆逐艦の拡大型である睦月型駆逐艦を建造した。

新型駆逐艦[編集]

本型の艦形と武装配置を示した図

睦月型駆逐艦は当時としては高性能かつ重武装艦(速力37.3kt 航続力14ktで4000浬 兵装:61糎三連装魚雷発射管/2基6射線 12糎単装砲四基)であるが、軍令部の要望はそれをはるかに上回る、速力37kt・127mm砲6門・61cm魚雷発射管9射線というものだった。この要請を実現したのが藤本喜久雄造船大佐(当時)である。彼はそれを実現させるため、軽巡洋艦夕張の手法を取り入れ、新技術(半自動溶接等の新方式の電気溶接法など)を積極的に採用することによって徹底的な軽量化を試み、更に後部主砲を背負い型にすることにより、基準排水量1700トン以下でほぼ要望通りの駆逐艦を設計することに成功した(図面上よりはかなり重くなった)。屋根付きのブリッジ、シールド付きの砲塔などこの後の日本海軍駆逐艦の基本形ができあがった。これが本型である。吹雪型は、強い印象を内外に与え、海軍の分類に準拠した特型駆逐艦という呼称が有名になった。軽合金が多様されたのも初期の特徴だが、当時のアルミ合金は耐海水性が悪く腐食が激しく使用を中止された[5]

なお、睦月型以降の日本海軍駆逐艦に搭載された61cm魚雷発射管であるが、本艦型では日本海軍の魚雷として世界的に有名な九三式酸素魚雷が発射できるものではなく、この後のクラスの初春型までは九〇式空気魚雷を使用した。酸素魚雷が搭載可能になったのは白露型以降の駆逐艦である。また、魚雷発射管は初期のタイプではシールドがなく、後に追加された。

「深雪」の喪失と第四艦隊事件[編集]

形式[編集]

本型は、建造期間が長いこともあり、いくつかの種類で分類される。搭載砲によって3タイプ(+1タイプ)に分ける形と、「吹雪」から「潮」までと、機関を改良した「暁」以降4隻の2タイプに分類する形である。本稿では、前者を採る。ただし日本海軍の艦艇類別等級表上はあくまで全隻「吹雪型駆逐艦/白雪型駆逐艦/初雪型駆逐艦」である[6][7]

I型(吹雪型)
大正12年度計画で建造された初期型10隻を指す。この10隻のみA型と呼ばれる127mm連装砲塔を採用している。最終艦の浦波は、後述のII型と同形の船体にA型砲を搭載しており、改Ⅰ型として別タイプに分類する場合もある。
改I型(浦波)
吹雪型10番艦の浦波は、後述のII型と同形の船体にA型砲を搭載しており、I型とII型の折衷的な形態となっている。そのため改I型(またはI型改)と呼ばれる場合がある。当初はII型として完成する予定だったが折しもジュネーブ海軍軍縮会議が開かれておりその交渉の経過から急遽竣工を半年早めることとなった。そのため新型砲(B型砲)が間に合わなくなり砲だけ今までのA型砲を搭載して竣工したのである。
II型(綾波型)
綾波以降潮までの昭和2年度に計画された10隻を指す。艦橋構造物がI型より大型化し、缶室吸気口がキセル型から荒天時海水の吸入による機関停止を防ぐため碗型に変更された(以後日本海軍駆逐艦の基本となる)。また、I型に搭載されたA型の40度の仰角を、75度にまで引き上げたB型砲塔を主砲に持つ。また「朧」、「漣」、「潮」、「曙」の4艦は他のII型艦より煙突の高さが若干低い。そのためこの4艦をIIA型と区別する場合もある。
III型(暁型)
機能付加により肥大化した艦橋及び、主機関の出力増大と空気余熱機の採用に伴い、II型まで缶が4基だったものを3基に減らすことが出来、これにより細くなった一番煙突が、外見上の顕著な特徴である。このことにより航行性能や航続距離は向上したが、缶1基分(約50トン)の重量など喫水線下の重量が減少したこと、先に触れた各種指揮装置の充実化による艦橋の大型化等により重心が高くなり、艦の復元性が悪くなったことが第四艦隊事件などの一因になったといわれている。また、最初に魚雷発射管に防盾を標準装備したのもこの型が最初である。第四艦隊事件後の大幅な改装により、艦橋の小型化、魚雷発射管位置の変更等、事件の前後で最も艦容が変わった特型駆逐艦である。

兵装[編集]

主砲[編集]

日本海軍の駆逐艦として初めて12.7センチ砲を搭載した。この砲は、高角砲を主兵装とした秋月型駆逐艦(乙型)、松型駆逐艦(丁型・改丁型)を除く、これ以降の日本駆逐艦の標準砲となった。

吹雪型には前述の通りⅠ型(改Ⅰ型)にはA型連装砲架、それ以降はB型連装砲架をそれぞれ3基6門搭載した。現在残された写真を見ると友鶴事件第四艦隊事件での改装工事でB型砲はC型砲に近い砲盾に変更、もしくは交換された。

また大戦中に対空砲火増強のため2番砲が撤去されている。この工事は1943年(昭和18年)秋から翌年にかけてと言われている。

魚雷[編集]

前型の睦月型駆逐艦では駆逐艦で初めて61cm魚雷を搭載し、また3連装魚雷発射管も初めて採用された。吹雪型も引き続き61cm3連装魚雷発射管(正式名称は一二年式六一糎三連装水上発射管)を採用したがこれを3基(9射線)搭載し、射線数では1.5倍となっている。次発装填装置はまだ搭載されなかったが、9射線は後の島風(15射線)に次ぐ射線数だった。

魚雷発射管に初めて防盾を装備したのはⅡ型の敷波と言われている。この防盾は荒天時における発射管の操作性向上大いに効果があった。それ以前の艦は改装工事のさいに追加装備した。Ⅲ型以降は標準装備とされ、特型以前の駆逐艦も順次装備していった。試作の盾はジュラルミン製であったが海水の腐食が早く、各艦に装備された盾は3mmの鋼製に変更となっている。

魚雷は当初八年式魚雷18本を搭載し、後に九〇式魚雷(12本から18本、艦により違う模様)に変更された。九三式魚雷(酸素魚雷)への変更は、1943年(昭和18年)以降一部の艦に搭載されたに留まった[8]

機銃[編集]

当初の計画では毘式40mm単装機銃2挺の搭載を予定していたが実現せず、Ⅰ型(改Ⅰ型)は留式7.7mm単装機銃2挺を装備した。Ⅱ型、Ⅲ型は毘式12mm単装機銃(口径は正確には12.7mm)2挺に増強された。

いずれにしても大戦中の対空戦闘には全く不足しており1943年(昭和18年)後半以降順次増強された。吹雪型の場合は

  • 2番主砲を撤去し25mm3連装機銃2基増備
  • 艦橋前に機銃台を設置し25mm連装機銃1基増備
  • 2番、3番魚雷発射管の間に機銃台を設置し25mm3連装機銃2基増備

などがなされた。あ号作戦(1944年6月)時点での各艦の対空機銃は以下の通りである。

艦名 25mm機銃 13mm 7.7mm あ号作戦以後の増強
3連装 連装 単装 単装 単装
4 1 2 25mm単装7挺、13mm単装4挺
4 1 25mm単装8挺、13mm連装2基、同単装6挺
4 1 2 25mm単装12挺
薄雲 4 1 2 2 25mm単装8挺、13mm単装4挺

最終兵装[編集]

終戦時残存した潮と響の最終時の兵装は以下の通り。

  • 主砲:12.7cm連装砲2基4門
  • 魚雷:61cm3連装魚雷発射管3基9門(魚雷15本)
  • 機銃:25mm3連装4基、同連装1基、同単装8挺、合計22挺。13mm単装機銃6挺
  • 爆雷:36個

  • 主砲:12.7cm連装砲2基4門
  • 魚雷:61cm3連装魚雷発射管3基9門(魚雷15本?)
  • 機銃:25mm3連装4基、同連装1基、同単装14挺、合計28挺。
  • 爆雷:36個

電探(レーダー)は前檣を改造して22号1基、後檣に13号を1基装備していた。この時は公試排水量2,300トン、速力34ノットとなっていた。

命名方法と同型艦[編集]

艦番による艦名[編集]

八八艦隊計画による大建艦計画により艦名不足が心配され神風型[II] 、若竹型より駆逐艦は番号名となった。しかしワシントン軍縮条約により計画は中止、艦名不足の心配は無くなり1928年(昭和3年)8月1日付けで固有艦名へ改名した。吹雪型駆逐艦も初期の艦は進水時に番号名で命名され、うち数艦は番号名で竣工した。しかし直後に固有名に改名されている。

艦番 命名 1928年改名
35 第三十五号駆逐艦 吹雪
36 第三十六号駆逐艦 白雪
37 第三十七号駆逐艦 初雪
38 第三十八号駆逐艦 深雪
39 第三十九号駆逐艦 叢雲
40 第四十号駆逐艦 東雲
41 第四十一号駆逐艦 薄雲
42 第四十二号駆逐艦 白雲
43 第四十三号駆逐艦 磯波

同型艦[編集]

建造順に列挙

特I型(吹雪型)[編集]

  1. 吹雪(II) - ふぶき :竣工1928年8月10日(舞鶴工作部) 戦没1942年10月11日 サボ島沖海戦で米水上部隊と交戦しガダルカナル島水域にて沈没
  2. 白雪(II) - しらゆき:竣工1928年12月18日(横浜船渠) 戦没1943年3月3日、八一号作戦でクレチン岬付近にて沈没
  3. 初雪(II) - はつゆき:竣工1929年3月30日(舞鶴工作部) 戦没1943年7月17日ブインにて沈没。
  4. 深雪(II) - みゆき:竣工1929年6月29日(浦賀船渠) 、衝突沈没1934年6月29日 済州島南方沖で演習中
  5. 叢雲(II) - むらくも:竣工1929年5月10日(藤永田造船所) 戦没1942年6月29日 ニュージョージア島沖にて沈没
  6. 東雲(II) - しののめ:竣工1928年7月25日(佐世保海軍工廠) 戦没1941年12月17日 ボルネオ島ミリ攻略作戦で敷設機雷に触れミリにおいて沈没
  7. 薄雲(II) - うすぐも:竣工1928年7月26日(石川島造船所) 戦没1944年7月7日 択捉島北方水域にて沈没
  8. 白雲(II) - しらくも:竣工1928年7月28日(藤永田造船所) 戦没1944年3月16日 釧路厚岸愛冠岬沖で沈没
  9. 磯波(II) - いそなみ:竣工1928年6月30日(浦賀船渠) 戦没1943年4月9日セレベス島プートン水道にて沈没
  10. 浦波(II) - うらなみ:竣工1929年6月30日(佐世保海軍工廠) 戦没1944年10月26日 フィリピンのパナイ島にて沈没。

特II型(綾波型)[編集]

  1. 綾波(II) - あやなみ:竣工1930年4月30日(藤永田造船所) 戦没1942年11月15日 第三次ソロモン海戦で大破、航行不能、翌15日、ガダルカナル島水域にて沈没。
  2. 敷波(II) - しきなみ:竣工1929年12月24日(舞鶴工作部) 戦没1944年9月12日 東シナ海の海南島東方洋上で沈没
  3. 朝霧(II) - あさぎり:竣工1930年6月30日(佐世保海軍工廠) 戦没1942年8月28日 ガダルカナル島タイボ岬付近にて沈没
  4. 夕霧(II) - ゆうぎり/ゆふぎり:竣工1930年12月3日(舞鶴工作部) 戦没1943年11月25日 ニューアイルランド島セント・ジョージ岬沖にて沈没。
  5. 天霧 - あまぎり:竣工1930年11月10日(石川島造船所) 戦没1944年4月23日マカッサル海峡にて触雷により沈没。(ジョン・F・ケネディが艇長を務める魚雷艇PT109と衝突し、撃沈した経歴を持つ。)
  6. 狭霧 - さぎり :竣工1931年1月31日(浦賀船渠) 戦没1941年12月24日 クチン北方水域にて沈没。
  7. (II) - おぼろ :竣工1931年10月31日(佐世保海軍工廠) 戦没1942年12月24日 キスカ島北東方水域にて沈没。
  8. (II) - あけぼの:竣工1931年7月31日(藤永田造船所) 戦没1944年11月13日 マニラ湾にて沈没。
  9. (II) - さざなみ:竣工1932年5月19日(舞鶴工作部) 戦没1944年1月14日 中部太平洋のウォレアイ諸島水域にて沈没。
  10. (II) - うしお/うしほ :竣工1931年11月14日(浦賀船渠) 除籍1945年9月15日 解体1948年8月4日

特III型(暁型)[編集]

  1. (II) - あかつき:竣工1932年11月30日(佐世保海軍工廠) 戦没1942年11月13日 第三次ソロモン海戦でガダルカナル島水域にて沈没。
  2. (II) - ひびき :竣工1933年3月31日(舞鶴工作部) 除籍1945年10月5日
    特別輸送艦(復員艦)として使用後、ソ連に賠償艦として1947年7月5日引き渡し
  3. (II) - いかずち/いかづち:竣工1932年8月15日(浦賀船渠) 戦没1944年4月14日 カロリン諸島のウォレアイ諸島水域にて沈没。
  4. (II) - いなずま/いなづま:竣工1932年11月15日(藤永田造船所) 戦没1944年5月14日 セレベス海西部にて沈没。

駆逐隊の変遷[編集]

当初より4隻ずつで駆逐隊を組んでいたが、一時期は3隻体制に変更していた。開戦前に再度4隻体制に戻った。

第十一駆逐隊[編集]

呉鎮守府籍の吹雪白雪初雪深雪で編成。1924年(大正13年)末に解隊した神風型駆逐艦 (初代)からなる先代に続く七代目の第十一駆逐隊である。

1928年(昭和3年)12月18日:編成。第二艦隊第二水雷戦隊
1931年(昭和6年)12月1日:呉鎮守府予備艦。吹雪は第二十駆逐隊(I)に転出。
1932年(昭和7年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1934年(昭和9年)6月29日:深雪、衝突事故により沈没、8月15日除籍。
1934年(昭和9年)11月15日:呉鎮守府予備艦。
1936年(昭和11年)12月1日:解隊した第二十駆逐隊(I)より吹雪を編入。
1937年(昭和12年)7月28日:第二艦隊第四水雷戦隊に転籍。
1937年(昭和12年)10月20日:四水戦は支那方面艦隊第四艦隊に転籍。
1937年(昭和12年)12月1日:四水戦は支那方面艦隊第三艦隊に転籍。
1938年(昭和13年)4月19日:四水戦解散。呉鎮守府予備艦。
1938年(昭和13年)12月15日:第二艦隊第二水雷戦隊に転籍。
1939年(昭和14年)11月15日:呉鎮守府予備艦。
1940年(昭和15年)11月15日:第一艦隊第三水雷戦隊に転籍。
1942年(昭和17年)3月10日:解隊した第十二駆逐隊より叢雲を編入。
1942年(昭和17年)8月28日:第二十駆逐隊(II)より夕霧天霧を編入(夕霧の修理完了は翌年1月)。
1942年(昭和17年)10月11日:吹雪戦没、11月15日除籍。
1942年(昭和17年)10月12日:叢雲大破により雷撃処分、11月15日除籍。
1943年(昭和18年)3月3日:白雪戦没、4月1日除籍。
1943年(昭和18年)4月1日:三水戦は第八艦隊に転籍。
1943年(昭和18年)5月16日:夕霧大破、修理のため離脱(呉工廠にて修理、11月復帰)。
1943年(昭和18年)7月17日:初雪戦没、10月15日除籍。
1943年(昭和18年)11月25日:夕霧戦没、12月15日除籍。
1943年(昭和18年)12月7日:天霧が秋風と衝突し艦首損傷、稼働艦がなくなったため解隊。
(1944年(昭和19年)3月1日:天霧は第十九駆逐隊に転出。以後は下記第十九駆逐隊の項に譲る。)

第十二駆逐隊[編集]

呉鎮守府籍の叢雲東雲薄雲白雲で編成。1924年(大正13年)12月1日に第6掃海隊に改称した春雨型駆逐艦神風型駆逐艦 (初代)からなる先代に続く二代目の第十二駆逐隊である。

1928年(昭和3年)8月1日:編成。
1928年(昭和3年)12月10日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1931年(昭和6年)12月1日:呉鎮守府予備艦。東雲は第二十駆逐隊(I)に転出。
1932年(昭和7年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1936年(昭和11年)12月1日:呉鎮守府予備艦。解隊した第二十駆逐隊(I)より東雲を編入。
1937年(昭和12年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1938年(昭和13年)12月15日:呉鎮守府予備艦。
1940年(昭和15年)5月1日:第一艦隊第三水雷戦隊に転籍。
1940年(昭和15年)8月15日:薄雲、触雷。修理のため離脱(翌年2月20日、舞鶴防備隊へ転出)。
1941年(昭和16年)12月17日:東雲戦没、翌年1月15日除籍。
1942年(昭和17年)3月10日:解隊。叢雲は第十一駆逐隊に、白雲は第二十駆逐隊(II)に転出。
(1942年(昭和17年)7月30日:薄雲修理完了、第六駆逐隊や第二一駆逐隊に仮編入された後、翌年4月1日に第九駆逐隊に転出。以後は第九駆逐隊の項に譲る。)

第十九駆逐隊[編集]

呉鎮守府籍の磯波浦波綾波敷波で編成。1943年(昭和18年)4月1日以降は、水雷戦隊には属さずに行動した。

1929年(昭和4年)11月30日:編成。
1930年(昭和5年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1931年(昭和6年)12月1日:磯波は第二十駆逐隊(I)に転出。
1932年(昭和7年)12月1日:呉鎮守府予備艦。
1934年(昭和9年)11月15日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1936年(昭和11年)12月1日:解隊した第二十駆逐隊(I)より磯波を編入。
1937年(昭和12年)12月1日:呉鎮守府予備艦。
1940年(昭和15年)11月15日:第一艦隊第三水雷戦隊に転籍。
1942年(昭和17年)11月15日:綾波戦没、12月15日除籍。
1943年(昭和18年)4月1日:南西方面艦隊に転籍。
1943年(昭和18年)4月9日:磯波戦没、8月1日除籍。
1943年(昭和18年)9月20日:南西方面艦隊第16戦隊に編入。
1944年(昭和19年)3月1日:前年12月7日に解隊した第十一駆逐隊より天霧を編入。
1944年(昭和19年)4月23日:天霧、触雷により沈没、6月10日除籍。
1944年(昭和19年)9月12日:敷波戦没、10月10日除籍。
1944年(昭和19年)9月26日:解隊。浦波は第16戦隊付へ。
(1944年(昭和19年)10月26日:浦波戦没、12月10日除籍。)

第八駆逐隊→第二十駆逐隊(II)[編集]

横須賀鎮守府籍の朝霧夕霧天霧狭霧で編成。1924年(大正13年)12月1日に解隊した東雲型駆逐艦4隻からなる先代に続く三代目の第八駆逐隊である。1939年(昭和14年)11月1日付で呉鎮守府に転出したため、二代目の第二十駆逐隊となる。

1930年(昭和5年)12月1日:編成。
1931年(昭和6年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1932年(昭和7年)5月19日:狭霧は第十駆逐隊に転出。
1933年(昭和8年)11月15日:横須賀鎮守府予備艦。
1936年(昭和11年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1939年(昭和14年)11月1日:呉鎮守府に転籍、第二十駆逐隊に改称。呉鎮守府予備艦。
1939年(昭和14年)11月15日:解隊した第十駆逐隊より狭霧を編入。
1940年(昭和15年)5月1日:第一艦隊第三水雷戦隊に転籍。
1941年(昭和16年)12月24日:狭霧戦没、翌年1月15日除籍。
1942年(昭和17年)3月10日:解隊した第十二駆逐隊より白雲を編入。
1942年(昭和17年)8月28日:朝霧戦没。夕霧被弾、座乗司令戦死。夕霧と天霧は第十一駆逐隊に、白雲は第九駆逐隊に転出。
1942年(昭和17年)10月1日:解隊。朝霧除籍。

第七駆逐隊[編集]

横須賀鎮守府籍ので編成。1931年(昭和6年)10月31日に解隊した樺型駆逐艦4隻からなる先代に続く六代目の第七駆逐隊である。なお、吹雪型はすでに3隻体制に移行していたため、漣が所属するのは1939年(昭和14年)11月15日になってからである。また、太平洋戦争開戦時には第一航空艦隊に所属し、その後も同艦隊第10戦隊に属すなど、機動部隊の護衛として行動していた。

1931年(昭和6年)10月31日:編成。
1931年(昭和6年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1933年(昭和8年)11月15日:横須賀鎮守府予備艦。
1936年(昭和11年)12月1日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1938年(昭和13年)11月15日:支那方面艦隊第四艦隊第12戦隊に転籍。
1939年(昭和14年)11月15日:第二艦隊第四水雷戦隊に転籍。解隊した第十駆逐隊よりを編入。
1940年(昭和15年)11月15日:第一艦隊第一水雷戦隊に転籍。
1941年(昭和16年)4月10日:第一航空艦隊第一航空戦隊に転籍。
1941年(昭和16年)9月1日:朧は第一航空艦隊第五航空戦隊に転出。
1942年(昭和17年)4月10日:第一航空艦隊第10戦隊に転籍(朧は横須賀鎮守府付に転出)。
1942年(昭和17年)7月14日:連合艦隊附属に転籍。
(1942年(昭和17年)10月17日:朧戦没、11月15日除籍。)
1944年(昭和19年)1月1日:第五艦隊第一水雷戦隊に転籍。
1944年(昭和19年)1月14日:漣戦没、3月10日除籍。
1944年(昭和19年)11月13日:曙戦没、潮損傷(12月7日に横須賀へ回航、終戦まで係留)。翌年1月10日曙除籍。
1944年(昭和19年)11月15日:10月27日に解隊した第十八駆逐隊よりを編入。
1944年(昭和19年)12月5日:第二艦隊第二水雷戦隊に転籍。
1945年(昭和20年)1月26日:連合艦隊附属よりを編入。
1945年(昭和20年)3月10日:霞は第二十一駆逐隊に転出。
1945年(昭和20年)3月29日:響、触雷。修理のため離脱。
1945年(昭和20年)4月20日:二水戦解散。潮は連合艦隊直属第31戦隊に転出。
1945年(昭和20年)5月5日:第七駆逐隊解隊[9]。潮は連合艦隊附属に転出。響は警備駆逐艦となり、舞鶴鎮守府第105戦隊に転出。
(1945年(昭和20年)6月4日:潮は横須賀鎮守府付に、6月10日予備艦へ。9月15日除籍。)
(1945年(昭和20年)10月5日:響、除籍。)

第六駆逐隊[編集]

横須賀鎮守府籍ので編成。1932年(昭和7年)4月1日に解隊した樺型駆逐艦4隻からなる先代に続く四代目の第六駆逐隊である。なお、吹雪型はすでに3隻体制に移行していたため、暁が所属するのは1939年(昭和14年)11月15日になってからである。太平洋戦争中期には練成部隊である第十一水雷戦隊に所属していたが、空母の護衛や船団護衛などにも従事した。

1932年(昭和7年)11月15日:編成。
1933年(昭和8年)11月15日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1936年(昭和11年)12月1日:横須賀鎮守府予備艦。
1937年(昭和12年)7月28日:第二艦隊第四水雷戦隊に転籍。
1937年(昭和12年)10月20日:四水戦は支那方面艦隊第四艦隊に転籍。
1937年(昭和12年)12月1日:四水戦は支那方面艦隊第三艦隊に転籍。
1938年(昭和13年)4月19日:四水戦解散。横須賀鎮守府予備艦。
1939年(昭和14年)11月15日:第二艦隊第四水雷戦隊(四水戦再編)。解隊した第十駆逐隊よりを編入。
1940年(昭和15年)11月15日:第一艦隊第一水雷戦隊に転籍。
1942年(昭和17年)11月13日:暁戦没、12月15日除籍。
1943年(昭和18年)4月1日:第一艦隊第十一水雷戦隊に転籍。
1944年(昭和19年)2月25日:第一艦隊解隊に伴い、十一水戦は連合艦隊直属となる。
1944年(昭和19年)4月13日:雷戦没、6月10日除籍。
1944年(昭和19年)5月14日:電戦没、6月10日除籍。
1944年(昭和19年)6月25日:解隊。響は連合艦隊附属に転出。
(1945年(昭和20年)1月26日:響は第七駆逐隊に転出。以後は上記第七駆逐隊の項に譲る。)

第二十駆逐隊(I)[編集]

呉鎮守府籍の東雲吹雪磯波で編成。吹雪型を3隻体制に組み替えた際に新編されたが短期間で解隊。

1931年(昭和6年)12月1日:編成。第二艦隊第二水雷戦隊。
1932年(昭和7年)12月1日:呉鎮守府予備艦。
1936年(昭和11年)12月1日:解隊。3隻とも原隊に復帰。

第十駆逐隊[編集]

横須賀鎮守府籍の狭霧で編成。1918年(大正7年)4月1日に樺型駆逐艦4隻からなる先代第十駆逐隊が佐世保鎮守府第二二駆逐隊に転出した後に続く、三代目の第十駆逐隊である。こちらも短期間で解隊。

1932年(昭和7年)5月19日:編成。
1933年(昭和8年)11月15日:第二艦隊第二水雷戦隊。
1937年(昭和12年)7月28日:第二艦隊第四水雷戦隊に転籍。
1937年(昭和12年)10月20日:四水戦は支那方面艦隊第四艦隊に転籍。
1937年(昭和12年)12月1日:四水戦は支那方面艦隊第三艦隊に転籍。
1938年(昭和13年)4月19日:四水戦解散。横須賀鎮守府予備艦。
1939年(昭和14年)11月15日:解隊。3隻とも原隊に復帰。

脚注[編集]

  1. ^ 燃料搭載量は500トンとする資料もある。
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『駆逐艦|一等|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波、敷波、天霧、狭霧、夕霧、朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電、朝霧』
  3. ^ #内令昭和17年11月(4)p.24『内令第二千百十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦、一等ノ部中「吹雪型」ヲ「白雪型」ニ改メ同項中「、吹雪」「、叢雲」「、朧」ヲ、同朝潮型ノ項中「、夏雲」ヲ削ル』
  4. ^ #内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニメ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』
  5. ^ アルミ合金の耐海水性が船舶使用に耐えるようになったのは第二次大戦後で当時の冶金技術では世界的にも不可能だった。
  6. ^ #内令昭和17年12月(3)p.19『内令第二千三百十七号 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十七年十二月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦一等青葉型ノ項中「、衣笠」ヲ削ル 駆逐艦、一等白雪型ノ項中「、綾波」、「、暁」ヲ、同白露型ノ項中「、夕立」ヲ削ル(以下略)』
  7. ^ #第13類艦船(1)p.7『駆逐艦|一等|初雪型|薄雲、浦波、敷波、曙、潮、響』
  8. ^ 田村俊夫「特型駆逐艦の戦時兵装の変遷と行動」『完全版 特型駆逐艦』47-163頁
  9. ^ #内令昭和20年5月(4)p.6『内令第三八二號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年五月五日海軍大臣|第七駆逐隊ノ項ヲ削ル』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13072003500 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/巻3追録/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C05035323800 『公文備考昭和11年P会議巻3(機関長会議2)/帝国海軍造艦術進歩の現状』。
    • Ref.C12070173700 『昭和17年11月(4) 内令(昭和17年11月17日~昭和17年11月25日)』。
    • Ref.C12070166900 『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年12月(3)』。
    • Ref.C12070176200 『昭和18年1月~4月 内令1巻/内令昭和18年4月(1)』。
    • Ref.C12070511300 『昭和20年1月~6月 秘海軍公報/5月(4)』。
    • Ref.C13072031800 『昭和19年7月15日現在 10版内令提要追録第17号原稿/巻3/第13類艦船(1)』。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦Ⅰ』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
  • 「丸」編集部編『軍艦メカ4 日本の駆逐艦』(光人社、1991年)ISBN 4-7698-0564-0
  • モデルアート臨時増刊 No.340 艦艇模型テクニック講座 vol.6 『日本海軍艦艇図面集 戦艦/駆逐艦/小艦艇篇』 (モデルアート社、1989年) 雑誌コード 08734-10
  • 『軍艦メカニズム図鑑—日本の駆逐艦』(森恒英著、グランプリ出版、1995年)ISBN 4-87687-154-X
  • 『軍艦雑記帳(第4刷)』(田宮模型)
  • 雑誌「歴史群像」 太平洋戦史シリーズ Vol.70 『完全版 特型駆逐艦』 (学習研究社、2010年) ISBN 4-05-606020-7

関連項目[編集]