樺型駆逐艦

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樺型駆逐艦
1925年に旅順で撮影された樺
艦級概観
艦種 二等駆逐艦
艦名 樹木
前級 桜型駆逐艦
次級 桃型駆逐艦
性能諸元
排水量 基準:595トン
常備:665トン
全長 水線長:82.29m
全幅 7.32m
吃水 2.36m
機関 ロ号艦本式缶4基
レシプロ機関3基
3軸、9,500馬力
速力 30ノット
航続距離
乗員
兵装 12cm単装砲1基
8cm単装砲4基
45cm連装魚雷発射管2基4門

樺型駆逐艦(かばかたくちくかん)は、大日本帝国海軍駆逐艦の艦級。

概要[編集]

第一次世界大戦への参戦で外洋で作戦活動が行える艦が必要になった日本海軍が急遽建造した中型駆逐艦。本型は10隻が建造されたが、ドイツへの宣戦布告から5日後の1914年(大正3年)8月28日に帝国議会で建造を承認、翌年4月までに全艦竣工させるというスピード建造であった。フランス海軍も日本に本型を発注し、12隻が引き渡されアラブ級駆逐艦としてフランス海軍で運用された。

設計は急速建造に対応するために桜型駆逐艦のものを流用した。そのため排水量、吃水を除く主要寸法、兵装は前型と同一である。ただし主缶のみはロ号艦本式缶を初採用して缶を一つ減らし、代わりに重油搭載量を増やして航続力を増大させている。そのため3本の煙突すべての太さ、間隔が違うという外観上の特徴にもなっている。

本型10隻のうち「樺」「桐」を除いた8隻が1916年秋からシンガポールに、翌年4月からは地中海に進出し船団護衛の任務についた。うち「榊」は同年6月11日にオーストリア潜水艦に雷撃され艦首切断、戦死者59名負傷者16名を出す被害を受けている(詳細は榊の項を参照)。

1932年(昭和7年)4月1日、全艦そろって除籍された。

同型艦[編集]

樺(かば)[編集]

1914年12月1日、横須賀海軍工廠で起工、翌年2月6日出渠、3月5日竣工。1932年4月1日除籍。

榊(さかき)[編集]

1915年3月26日、佐世保海軍工廠で竣工。
1917年4月26日、沈没した客船・「トランスシルバニア」の乗員多数を救助、多くの人命を救ったことに連合国は感謝し、上原太一艦長ほか将兵27名がイギリス国王ジョージ五世から叙勲された。しかし、1917年(大正6年)6月11日、護衛任務を終えマルタ島へ帰還の途上、敵潜水艦の魚雷が命中し艦首切断、上原太一艦長以下59名が戦死した。その後、イギリス工廠で修理の上再就役、艦長は蒲田静三が引き継いだ。
1932年4月1日除籍。

楓(かえで)[編集]

1914年10月25日起工、1915年2月20日進水、 1915年3月25日舞鶴海軍工廠で竣工。1932年4月1日除籍。

桂(かつら)[編集]

1915年3月31日、呉海軍工廠で竣工。1932年4月1日除籍。

梅(うめ)[編集]

1915年3月31日、川崎造船所で竣工。1932年4月1日除籍。

楠(くすのき)[編集]

1915年3月31日、川崎造船所で竣工。1932年4月1日除籍。

柏(かしわ)[編集]

1915年4月4日、三菱長崎で竣工。1932年4月1日除籍。

松(まつ)[編集]

1915年4月6日、三菱長崎で竣工。1932年4月1日除籍。

杉(すぎ)[編集]

1915年3月31日、大阪鉄工所桜島工場で竣工。1932年4月1日除籍。

桐(きり)[編集]

1915年4月22日、浦賀船渠で竣工。1932年4月1日除籍。

脚注[編集]

参考書籍[編集]

  • 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。 ISBN 4-562-01873-9
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

第11駆逐隊第1小隊(松、榊)戦闘詳報アジ暦【 レファレンスコード 】C10080068000