江風型駆逐艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
江風型駆逐艦
谷風
艦級概観
艦種 一等駆逐艦
艦名 江風、谷風
前級 磯風型駆逐艦
次級 峯風型駆逐艦
性能諸元
排水量 基準:1,180トン
常備:1,300トン
全長 水線長:99.59m
全幅 8.84m
吃水 2.83m
機関 ロ号艦本式重油専焼缶4基
オールギアードタービン2基
2軸、34,000馬力
速力 37.5kt
航続距離 14ktで3400浬
乗員 128名
兵装 12cm単装砲3門
45cm魚雷発射管連装3基6本
6.5mm単装機銃3基

江風型駆逐艦(かわかぜかたくちくかん)は、かつて大日本帝国海軍に所属した駆逐艦の艦級。

概要[編集]

谷風は大正5年度八四艦隊計画により、江風は大正6年度八四艦隊計画でイタリアに譲渡した浦風型江風(初代)の代艦として建造された。先行計画の谷風よりも江風の竣工が早かったので、本型は江風型として類別される。

前型である磯風型の設計を大幅に改良し、4基のを全て重油燃焼とし、日本海軍駆逐艦として初めてオールギアードタービンを搭載したことによって37.5ノットの高速力を実現した。雷装は前型と同一[1]。主砲は1基減の3基だが装備位置を高くして荒天時の砲戦能力向上を図った。竣工当初はタービン翼の折損事故が頻発したが、造機技術官の努力により逐次解決されていき、本型以降の駆逐艦の主機関は重油専焼缶とギアードタービンの組合せとなった。

同型艦[編集]

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

江風(かわかぜ/かはかぜ)[編集]

1918年(大正7年)11月11日横須賀海軍工廠で竣工。全力航試では計画値を上回る40,000馬力、39ノット強を記録した。1934年(昭和9年)4月1日除籍。
艤装員長
村原彪一 少佐:1917年12月1日[2] -
駆逐艦長
(心得)村原彪一 少佐:不詳 - 1919年12月1日[3]
(心得)岩崎本彦 少佐:1919年12月1日[3] - 1920年12月1日[4]
岩崎本彦 中佐:1920年12月1日[4] -
石川哲四郎 中佐:1924年3月15日 - 12月1日
境澄信 中佐:不詳 - 1929年11月30日[5]
中川浩 少佐:1929年11月30日 - 1931年12月1日
(兼)村上暢之助 少佐:1931年12月1日 - 1932年4月1日

谷風(たにかぜ)[編集]

1919年(大正8年)1月30日舞鶴海軍工廠で竣工。1935年(昭和10年)除籍。終戦時呉にあり、戦後解体。
駆逐艦長
後藤章 中佐:1919年12月1日 - 1920年11月15日
(兼)岡本郁男 中佐:1920年11月15日 - 12月1日
岩村兼言 中佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日
横山徳治郎 少佐:1925年8月20日 - 1925年10月15日
中原達平 少佐:不詳 - 1925年12月1日[6]
清水長吉 少佐:1925年12月1日[6] -
福原一郎 中佐:不詳 - 1929年11月30日[5]
藤田俊造 少佐:1929年11月30日[5] -
村上暢之助 少佐:1931年11月2日 - 1932年4月1日

駆逐隊の変遷[編集]

江風型は2隻で打ち切りとなったため、駆逐編成時は江風・谷風の2隻編成となった。翌年、樅型駆逐艦の菊・葵を追加し、異例の2等級2種からなる混成駆逐隊となった。

第三駆逐隊→第一四駆逐隊[編集]

第14駆逐隊。左から葵、谷風、菊、江風。

大正8年2月1日、横須賀鎮守府籍の江風谷風で編成した。当日、神風型駆逐艦からなる先代が第六駆逐隊にスライドしたことを受けて、三代目の第三駆逐隊となった。同年11月1日に呉鎮守府に転籍した。前年に神風型からなる先代が横須賀に転出して以来、1年ぶりに二代目第一四駆逐隊となった。9年12月25日、樅型のを受入れ、2等級2種となった。両者の性能に大きな差があることから、艦隊への編入は、第一艦隊第一水雷戦隊1年間にとどまり、要港部部隊に派遣され沿岸警備に従事する。除籍を前に昭和7年度から江風型2隻は駆逐隊から除外されたが、第一四駆逐隊は菊・葵が継承し、若竹型駆逐艦夕顔、のちに同型のを編入し、菊・葵・萩の哨戒艇改造をもって解散した。

大正8年2月1日 谷風の竣工を機に編成。当日より第二艦隊第二水雷戦隊に編入。
大正8年11月1日 呉鎮守府に転籍、第一四駆逐隊に改称、二水戦に残留。
大正9年12月25日 新造した菊・葵を追加、依然二水戦に残留。
大正10年12月1日 呉鎮守府予備艦。
大正12年12月1日 第一艦隊第一水雷戦隊。
大正13年12月1日 呉鎮守府予備艦。
大正14年12月1日 馬公要港部に派遣。
昭和3年12月10日 呉鎮守府予備艦。
昭和5年12月1日 舞鶴要港部に派遣。
昭和6年12月1日 江風・谷風、駆逐隊より離脱。代艦として夕顔編入。舞鶴駐留を継続。
昭和10年11月15日 夕顔転出、代艦として萩編入。

          以後、舞鶴要港部・呉鎮守府部隊として沿岸警備に従事。

昭和14年12月10日 解隊。菊・葵・萩は哨戒艇改造に着手。

脚注[編集]

  1. ^ 江風型はこれまで53.3センチ魚雷を初装備したとされてきたが、中川務の考証により45センチ魚雷を装備していたことが判明した。『日本駆逐艦史』世界の艦船1月号増刊、海人社、2012年12月、p.63
  2. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  3. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  4. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  5. ^ a b c 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  6. ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。

参考書籍[編集]

  • 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年 ISBN 4-7698-0386-9
  • 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』(原書房、1969年)ISBN 4-562-01873-9
  • 『海軍制度沿革 巻四(一)』(原書房、1971年)
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]