樅型駆逐艦

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樅型駆逐艦
Japanese destroyer Kuri in 1937.jpg
艦級概観
艦種 二等駆逐艦
艦名 草木
前級 楢型駆逐艦
次級 若竹型駆逐艦
性能諸元
排水量 基準:770t
全長 83.82m
全幅 7.93m
吃水 2.44m
主缶 ロ号艦本式罐・重油焚3缶
主機 オールギアードタービン2基2軸 21,500hp
「蕨」ほか3隻は技本・ブラウン式オールギヤードタービン2基2軸 21,500hp
「菱」ほか1隻はパーソンス式オールギヤードタービン2基2軸 21,500hp
「菫」ほか1隻はツェリー式オールギヤードタービン2基2軸 21,500hp
最大速力 36.0kt
航続距離 14ktで3000海里
燃料 重油250t
乗員 107名
兵装 12cm単装砲3門
53cm連装魚雷発射管2基4門
6.5mm単装機銃2基

樅型駆逐艦(もみかたくちくかん)は、大日本帝国海軍駆逐艦の艦級。

概要[編集]

1917年(大正6年)度予算(八四艦隊計画)で18隻、1918年(大正7年)度追加予算(八六艦隊計画)で3隻建造された。同時期に計画された峯風型一等駆逐艦の小型版で、船体や兵装配置などが峯風型と似ている。二等駆逐艦として初めてオールギアードタービンを搭載し、重油専焼缶とする。ちなみにタービンは各艦それぞれ違った型式のものが搭載され、性能が比較されている。

1920年(大正9年)3月、佐多岬沖で実施された楡の公試成績では排水量893t、軸馬力23,165shpにおいて速力34.35ktを記録した。

太平洋戦争開戦時、多くは哨戒艇に転籍したり除籍され練習艦任務に就いていたりしたが、駆逐艦籍に残っている艦もあった。哨戒艇、駆逐艦籍にある艦は船団護衛任務に活躍している。

主機械[編集]

各艦の形式

  • ブラウン・カーチス式(ジョン・ウラウン社製) - 蕨、蓼
  • ブラウン・カーチス式(川崎製) - 榧
  • 高圧インパルス・低圧リアクション式一段減速(三菱製)- 柿
  • パーソン式反動(キャメル・レアード社製) - 蓮、菱
  • ツエリー式(石川島製) - 菫

同型艦[編集]

解説は竣工日(造船所)- その後(カッコ内は沈没場所)。斜体は、太平洋戦争開戦時に駆逐艦籍にあった艦。
※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

樅(もみ)[編集]

1919年12月27日竣工(横須賀海軍工廠)- 1932年4月1日除籍。1936年訓練射撃用標的。
駆逐艦長
大久保義雄 少佐:不詳 - 1920年12月1日[1]
南雲忠一 少佐:1920年12月1日 - 1921年11月1日
(心得)後藤英次 大尉:1921年11月1日 - 1921年12月1日
後藤英次 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
中円尾義三 少佐:1922年12月1日 - 1924年6月10日
(心得)内藤淳 大尉:1924年7月1日[2] - 不詳
内藤淳 少佐:不詳 - 1925年12月1日[3]
(兼)柴田力 少佐:1925年12月1日 - 1926年4月20日
(兼)井原美岐雄 少佐:1926年4月20日[4] - 12月1日[5]
西岡茂泰 少佐:1926年12月1日 - 1928年9月27日
津田源助 少佐:1928年9月27日[6] - 1929年2月1日[7]
江戸兵太郎 少佐:1929年2月1日 - 1929年11月30日
(兼)西村義治 少佐:1929年11月30日[8] -
山本岩多 大尉:1930年11月1日 - 1931年4月15日

榧(かや)[編集]

1920年3月26日竣工(横須賀海軍工廠)- 1940年2月1日除籍。
艤装員長
斎藤直彦 少佐:不詳 - 1920年2月2日[9]
(兼)斎藤直彦 少佐:1920年2月2日[9] -
駆逐艦長
斎藤直彦 少佐:1920年2月2日[9] - 1920年11月20日[10]
(兼)大久保義雄 少佐:1920年11月20日[10] - 1920年12月1日[1]
中島隆吉 少佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日
吉田庸光 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
加藤仁太郎 少佐:1922年12月1日 - 1923年10月15日
池田久雄 少佐:1923年12月1日[11] - 1925年12月1日[3]
清水長吉 少佐:1924年12月1日[12] -
清水他喜雄 大尉:1924年12月1日[12] -
(兼)長谷部喜蔵 少佐:1925年12月1日[3] -
(兼)樋口通達 少佐:不詳 - 1926年12月1日[5]
久宗米次郎 少佐:1926年12月1日 - 1928年12月10日
江口松郎 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
西村義治 少佐:1929年11月30日[8] -
上田光治 少佐:不詳 - 1932年4月1日[13]
村上暢之助 少佐:1932年4月1日 - 1932年12月1日
(兼)吉村真武 少佐:1932年12月1日[14] -

楡(にれ)[編集]

1920年3月31日竣工(呉海軍工廠)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、航海学校付属の練習船。1944年12月17日、楡 (橘型駆逐艦)との区別のため、第一泊浦(だいいちとまりうら)に改称。1945年7月11日、横須賀海兵団(横須賀突撃隊供用)所属の特攻母艦。戦後解体。
駆逐艦長
彭城昌国 少佐:不詳 - 1921年12月1日[15]
岩村清一 少佐:1921年12月1日 - 1922年5月1日
渋谷荘司 少佐:1922年5月1日[16] - 6月16日[17]
山本弘毅 少佐:1922年6月16日 - 1922年12月1日
木幡行 少佐:1922年12月1日 - 1923年5月1日
志賀忠一 少佐:不詳 - 1924年5月1日[18]
佐野哲 少佐:1924年5月1日[18] - 1925年4月15日[19]
佐藤慶蔵 少佐:不詳 - 1926年12月1日[5]
山本正夫 少佐:1926年12月1日[5] - 1928年12月10日[20]
高次貫一 少佐:1928年12月10日 - 1930年12月1日
荘司喜一郎 少佐:1930年12月1日 - 1931年12月1日
藤田友造 少佐:1931年12月1日[21] - 1933年5月25日[22]
井上良雄 大尉:1933年5月25日 - 1934年8月10日
田中正雄 少佐:不詳 - 1935年10月15日[23]
有馬時吉 大尉:1935年10月15日[23] - 1936年12月1日[24]
人見豊治 少佐:1936年12月1日[24] -

(くり)[編集]

1920年4月30日竣工(呉海軍工廠)- 掃海作業中の1945年10月8日釜山港で触雷沈没。1945年10月25日除籍。

梨(なし)[編集]

1919年12月10日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。
艤装員長
安東昌喬 少佐:1919年8月5日[25] -
駆逐艦長
鈴木清 少佐:1920年12月1日[1] - 1921年12月1日[15]
近藤英次郎 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
根岸清八 少佐:1922年12月1日[26] - 1923年11月20日[27]
(心得)藤田類太郎 大尉:1923年11月20日 - 1923年12月1日
藤田類太郎 少佐:1923年12月1日 - 1924年8月20日
(心得)柴田力 大尉:1924年8月20日 - 1924年12月1日
柴田力 少佐:1924年12月1日 - 1926年4月20日
井原美岐雄 少佐:1926年4月20日[4] - 12月1日[5]
橋本信太郎 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
杉本道雄 少佐:1927年12月1日 - 1929年1月15日
岡野慶三郎 少佐:1929年1月15日[28] - 1929年11月30日[8]
松田尊睦 大尉:1929年11月30日 - 1930年11月1日
(兼)吉武真武 少佐:不詳 - 1930年12月1日[29]
直井俊夫 少佐:1930年12月1日[29] - 1932年12月1日[14]
(兼)吉村真武 少佐:1932年12月1日[14] -

竹(たけ)[編集]

1919年12月25日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。除籍後は舞鶴海兵団の練習船。1944年2月10日、機関学校附属の練習船。1948年解体、船体は秋田県秋田港防波堤となるが、1975年、港の外港展開とともに取り除かれた。
艤装員長
染河啓三 少佐:1919年8月5日[25] -
駆逐艦長
染河啓三 少佐:不詳 - 1920年12月1日[1]
石川哲四郎 少佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日
小沢治三郎 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
小橋義亮 少佐:1922年12月1日[26] - 1923年6月15日[30]
石戸勇三 少佐:1923年6月15日 - 1924年12月1日
長谷部喜蔵 大尉:1924年12月1日[12] -
樋口通達 少佐:不詳 - 1927年12月1日[31]
福沢常吉 少佐:1927年12月1日 - 1929年11月30日
(兼)松田尊睦 大尉:1929年11月30日 - 1930年11月1日

柿(かき)[編集]

1920年8月1日竣工(浦賀船渠)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、兵学校付属の練習艦。1945年2月23日、柿 (橘型駆逐艦)との区別のため、大須(おおす)に改称。終戦直後の台風で座礁、解体。
艤装員長
小山泰治 少佐:1919年11月1日[32] -
駆逐艦長
小山泰治 少佐:不詳 - 1920年12月1日[1]
原精太郎 少佐:1920年12月1日[1] - 1921年11月1日[33]
(心得)中田操 大尉:1921年11月1日[33] - 12月1日[15]
中田操 少佐:1921年12月1日[15] - 1922年2月1日[34]
佐野哲 少佐:1922年2月1日[34] - 11月1日[35]
(心得)伊藤長 大尉:1922年11月1日[35] - 1922年12月1日[26]
伊藤長 少佐:1922年12月1日[26] - 1924年5月10日[36]
難波正 少佐:1924年5月10日[36] -
阿部弘毅 少佐:1925年12月1日 - 1926年12月1日
山口次平 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
松永貞市 少佐:1927年12月1日 - 1929年11月1日
則満宰次 大尉:1929年11月1日 - 1930年12月1日
瀬戸山安秀 少佐:1930年12月1日 - 1932年12月1日
天谷嘉重 少佐:1932年12月1日[14] -
(兼)西村祥治 中佐:1933年5月17日 - 1933年5月25日
河野康 少佐:1933年5月25日 - 11月1日
久保田智 少佐:1933年11月1日 - 1934年9月29日
大迫東 少佐:不詳 - 1936年12月1日[24]
相馬正平 少佐:1936年12月1日[24] -

(つが)[編集]

1920年7月20日竣工(石川島造船所)- 1945年1月15日、高雄にて航空機の攻撃により戦没。

菊(きく)[編集]

1920年12月10日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第31号哨戒艇に改称。1944年3月30日、航空機の攻撃により戦没(パラオ西水道)。
駆逐艦長
吉田健介 少佐:不詳 - 1921年12月1日[15]
渋谷荘司 少佐:1921年12月1日[15] - 1922年5月1日[37]
山田定男 少佐:1922年5月1日[37] - 1924年12月1日[12]
鈴木田幸造 少佐:1924年12月1日[12] -
野末信次郎 少佐:不詳 - 1926年11月1日[38]
西村祥治 少佐:1926年11月1日 - 1927年11月1日
伊藤皎 少佐:1927年11月1日[39] - 1928年12月10日[20]
(兼)池田久雄 少佐:1928年12月10日[20] -
(兼)境澄信 中佐:不詳 - 1929年11月30日[8]
(兼)中川浩 少佐:1929年11月30日 - 1930年11月1日
清水利夫 大尉:1930年11月1日 - 1931年10月24日
橘雄次 少佐:不詳 - 1932年11月15日[40]
杉野修一 少佐:1932年11月15日[40] - 1933年11月15日[41]
七字恒雄 少佐:1933年11月15日[41] - 1934年6月1日[42]
前川新一郎 大尉:1934年6月1日 - 11月15日
(兼)鈴木正明 少佐:1934年11月15日[43] - 1935年10月31日[44]
鈴木正明 少佐:1935年10月31日[44] - 1936年12月1日[45]
松原瀧三郎 少佐:1936年12月1日[24] -

葵(あおい)[編集]

1920年12月20日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第32号哨戒艇に改称。1941年12月22日、ウェーキ島上陸作戦で擱座、放棄。
艤装員長
千谷定衛 少佐:1920年11月20日 - 12月20日
駆逐艦長
千谷定衛 少佐:1920年12月20日 - 1921年12月1日
斎藤直彦 少佐:1921年12月1日[15] -
藤森清一朗 少佐:1922年7月20日 - 1922年8月19日
志賀忠一 少佐:1922年12月1日[26] -
平岡貞 少佐:不詳 - 1923年10月15日[46]
古賀七三郎 少佐:1923年10月15日[46] - 1924年11月1日[47]
岩原盛恵 少佐:1924年11月1日[47] - 1925年1月6日[48]
鈴木幸三 少佐:1925年1月6日 - 1925年4月20日
杉本宇市 少佐:1925年4月20日[49] - 1926年10月15日[50]
杉本道雄 大尉:1926年10月15日 - 1927年11月1日
板垣盛 少佐:1927年11月1日 - 1928年12月10日
(兼)福原一郎 中佐:1928年12月10日[51] - 1929年11月30日[8]
(兼)藤田俊造 少佐:1929年11月30日[8] -
丸安金兎 少佐:不詳 - 1932年1月25日[52]
坂野弥三郎 少佐:1932年1月25日[52] - 1932年12月1日[14]
瀬戸山安秀 少佐:1932年12月1日 - 1933年11月1日
竹内虎四郎 大尉:1933年11月1日[53] - 1934年11月15日[43]
鈴木正明 少佐:1934年11月15日[43] - 不詳
(兼)鈴木正明 少佐:不詳 - 1935年10月31日[44]
古賀弥周次 大尉:1935年10月31日[44] -

萩(はぎ)[編集]

1921年4月20日竣工(浦賀船渠)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第33号哨戒艇に改称。1941年12月22日、ウェーキ島上陸作戦で擱座、放棄。1942年1月10日除籍。
駆逐艦長
中島直熊 少佐:不詳 - 1921年12月1日[15]
長井実養 少佐:1921年12月1日[15] -
鈴木田幸造 少佐:1922年12月1日[26] - 1924年12月1日[12]
河瀬四郎 少佐:1924年12月1日 - 1925年5月20日
栗田健男 少佐:1925年12月2日 - 1926年12月1日
(兼)武田喜代吾 少佐:不詳 - 1927年8月10日[54]
伊藤弁之助 少佐:1926年12月1日[5] -
清水他喜雄 少佐:1927年8月10日[54] - 1929年9月5日[55]
木村昌福 少佐:1929年9月5日 - 1930年11月15日
(兼)島崎利雄 少佐:1930年11月15日 - 1930年12月1日
広瀬貞年 大尉:1930年12月1日[29] - 1932年12月1日[14]
岩瀬奥市 大尉:1932年12月1日[14] -
折田常雄 大尉:1933年10月1日 - 1935年4月25日
飛田健二郎 少佐:不詳 - 1936年12月1日[24]
岩上次一 少佐:1936年12月1日 - 1938年2月21日

薄(すすき)[編集]

1921年5月25日竣工(石川島造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第34号哨戒艇に改称。1944年7月3日、航空機の攻撃により戦没(トラック)。
駆逐艦長
西川速水 少佐:不詳 - 1922年12月1日[26]
久我徳一 少佐:1922年12月1日[26] -
長尾惣助 少佐:不詳 - 1924年12月1日[12]
広瀬末人 少佐:1924年12月1日 - 1927年6月20日
(兼)宮武重敏 少佐:不詳 - 1927年12月1日[56]
高橋一松 少佐:1927年11月15日 - 1928年12月10日
中川浩 少佐:1928年12月10日 - 1929年10月3日
村上暢之助 大尉:1929年10月3日 - 1931年11月2日
森可久 少佐:不詳 - 1932年12月1日[14]
野間口兼知 大尉:1932年12月1日[14] - 1934年11月15日[43]
田村礼三 少佐:1934年11月15日[43] - 1935年11月15日[57]
(兼)宇垣環 少佐:1935年11月15日[57] -
(兼)愛甲文雄 少佐:不詳 - 1936年12月1日[24]
(兼)上杉義男 少佐:1936年12月1日[24] -

藤(ふじ)[編集]

1921年5月31日竣工(藤永田造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第36号哨戒艇に改称。スラバヤで終戦。復員輸送中にインドネシア軍に奪取されたが後にオランダ軍が接収。

蔦(つた)[編集]

1940年代に撮られた35号哨戒艇
1921年6月30日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第35号哨戒艇に改称。1942年9月2日、航空機の攻撃により戦没(ビコリア島北東)。
駆逐艦長
斎藤直彦 少佐:1921年4月30日[58] - 1921年12月1日[15]
大熊政吉 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
郷田喜一郎 少佐:1922年12月1日[26] - 1923年6月1日[59]
竹下志計理 少佐:1923年6月1日 - 1923年10月15日
佐倉武夫 少佐:1923年10月15日 - 1924年5月10日
五藤存知 少佐:1924年5月10日 - 1925年12月1日
多田武雄 少佐:1925年12月1日 - 1926年4月20日
大藤正直 少佐:1926年4月20日[4] - 12月1日[5]
宮武重敏 少佐:1926年12月1日[5] - 1928年12月10日[60]
早川幹夫 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
勝原満好 少佐:1929年11月30日[8] - 1930年12月1日[29]
(兼)村上暢之助 少佐:1930年12月1日 - 1931年11月2日
(兼)佐々木丙二 大尉:不詳 - 1931年12月1日[21]
浜野元一 少佐:1931年12月1日[21] -
小山猛男 少佐:不詳 - 1933年11月1日[53]
成冨武光 大尉:1933年11月1日[53] - 1935年11月15日[57]
(兼)宇垣環 少佐:1935年11月15日[57] -
(兼)愛甲文雄 少佐:不詳 - 1936年12月1日[24]
(兼)上杉義男 少佐:1936年12月1日[24] -
岩上次一 少佐:1938年2月21日 - 12月1日

葦(あし)[編集]

1920年11月15日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、航海学校付属の練習船。1944年12月17日、葦 (橘型駆逐艦)との区別のため、第二泊浦(だいにとまりうら)に改称。1945年7月11日、横須賀海兵団(横須賀突撃隊供用)所属の特攻母艦となるが、後に東京湾第二海上堡塁に擱座。
駆逐艦長
西尾三郎 少佐:1921年10月29日[33] - 1922年12月1日[26]
横山徳治郎 少佐:1922年12月1日 - 1923年11月20日
後藤伝治郎 少佐:不詳 - 1924年12月1日[12]
大島四郎 少佐:1924年12月1日 - 1925年12月1日
森友一 大尉:1925年12月1日 - 1927年1月20日
須賀彦次郎 少佐:1927年1月20日 - 1927年11月1日
金桝義夫 少佐:1928年2月10日 - 1928年11月20日
崎山釈夫 少佐:1928年11月20日 - 1929年11月30日
伊崎俊二 少佐:1929年11月30日 - 1930年12月1日
丸山逞 大尉:1930年12月1日[29] -
安武史郎 少佐:1932年10月10日 - 1934年11月1日
三浦晋 大尉:1934年11月1日[61] - 1935年11月15日[57]
山下鎮雄 少佐:1935年11月15日[57] - 1936年12月1日[24]
緒方友兄 少佐:1936年12月1日[24] -

菱(ひし)[編集]

1922年3月23日竣工(浦賀船渠)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第37号哨戒艇に改称。1942年1月23日、米駆逐艦4隻と交戦沈没(バリックパパン)。1942年4月10日除籍。
艤装員長
今泉美啓 少佐:1921年6月1日[44] -
駆逐艦長
高橋忠治 少佐:1922年12月1日[26] -
山田梅蔵 少佐:1923年12月1日[11] -
後藤英次 少佐:1924年12月1日[12] - 1925年12月1日
板垣盛 少佐:1925年12月1日 - 1927年11月1日
篠田勝清 大尉:1928年2月1日 - 1929年11月30日
兄部勇次 少佐:1929年11月30日 - 1930年11月21日
重久親志 少佐:不詳 - 1932年12月1日[14]
桝本要 少佐:1932年12月1日[14] - 1934年11月15日[43]
山下鎮雄 大尉:1934年11月15日[43] - 1935年11月15日[57]

(はす)[編集]

1922年7月31日竣工(浦賀船渠)- 青島で終戦。戦後解体。船体は福井県四箇浦港防波堤。

菫(すみれ)[編集]

1923年3月31日竣工(石川島造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年11月15日、兵学校付属の練習艦。1945年2月23日、菫 (橘型駆逐艦)との区別のため、三高(みたか)に改称。戦後解体。
艤装員長
浅井次郎 少佐:1921年11月20日[62] -
駆逐艦長
浅井次郎 少佐:不詳 - 1923年12月1日[63]
五十嵐恵 少佐:不詳 - 1924年12月1日[12]
神山徳平 少佐:1924年12月1日[12] - 1925年12月1日[3]
河原金之輔 少佐:1925年12月1日[3] - 1926年12月1日[5]
勝野実 少佐:1926年12月1日 - 1927年6月20日
藤田類太郎 少佐:1927年6月20日 - 1927年12月1日
津田源助 少佐:不詳 - 1928年9月27日[6]
(兼)金桝義夫 少佐:1928年9月27日 - 1928年11月20日
植田弘之介 少佐:1928年12月10日[64] - 1930年12月1日[29]
(兼)重久親志 大尉:1930年12月1日[29] -
清水利夫 少佐:1931年10月24日 - 1933年11月15日
中村謙治 少佐:1933年11月15日[41] - 1934年11月15日[43]
吉川潔 大尉:1934年11月15日 - 1935年11月15日

蓬(よもぎ)[編集]

1922年8月19日竣工(石川島造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第38号哨戒艇に改称。1944年11月25日、米潜アトゥルの雷撃により戦没(バシー海峡)。
艤装員長
有馬直 少佐:不詳 - 1922年6月10日[65]
駆逐艦長
有馬直 少佐:1922年6月10日[65] - 1924年12月1日[12]
大藤正直 大尉:1924年12月1日[12] -
帖佐敬吉 少佐:不詳 - 1926年12月1日[5]
大藤正直 少佐:1926年12月1日[5] - 1927年12月1日[56]
古木百蔵 少佐:1927年12月1日[56] - 1929年11月1日
(兼)伊集院松治 少佐:1929年11月1日 - 1929年11月30日
博義王 少佐:1929年11月30日[8] - 1930年12月1日[29]
松原博 少佐:1930年12月1日 - 1931年11月2日
天野重隆 大尉:1931年11月2日 - 1933年5月17日
(兼)帖佐敬吉 中佐:不詳 - 1933年5月25日[22]
中村謙治 大尉:1933年5月25日[22] - 11月15日[41]
山田鉄夫 少佐:1933年11月15日[41] - 1934年6月1日[42]
田代格 大尉:1934年6月1日[42] -
藤田浩 少佐:不詳 - 1935年11月15日[57]

蕨(わらび)[編集]

1920年10月12日竣工(藤永田造船所)- 1927年8月24日、神通と衝突沈没(島根県美保ヶ関沖、美保関事件)。
艤装員長
渡辺彛治 少佐:1921年10月1日[66] -
駆逐艦長
渡辺彛治 少佐:1921年12月19日[67] - 1922年12月1日[26]
藍原有孝 少佐:1922年12月1日 - 1923年12月1日
友成佐市郎 少佐:1923年12月1日 - 1924年6月1日
日台虎治 少佐:1924年6月1日 - 1924年8月1日
久我徳一 少佐:1924年8月1日[68] - 1925年12月1日[3]
池田久雄 少佐:1925年12月1日[3] - 1926年2月5日[69]
直塚八郎 少佐:1926年2月5日 - 1926年11月1日
五十嵐恵 少佐:1926年12月1日[5] -

蓼(たで)[編集]

シーウルフから撮影された第39号哨戒艇の最期
1922年7月31日竣工(藤永田造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第39号哨戒艇に改称。1943年4月23日、米潜「シーウルフ」の雷撃により戦没(与那国島南方)。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  2. ^ 『官報』第3557号、大正13年7月2日。
  3. ^ a b c d e f g 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  4. ^ a b c 『官報』第4095号、大正15年4月21日。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  6. ^ a b 『官報』第529号、昭和3年9月28日。
  7. ^ 『官報』第627号、昭和4年2月2日。
  8. ^ a b c d e f g h 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  9. ^ a b c 『官報』第2248号、大正9年2月3日。
  10. ^ a b 『官報』第2493号、大正9年11月22日。
  11. ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  13. ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。
  14. ^ a b c d e f g h i j k 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  15. ^ a b c d e f g h i j 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  16. ^ 『官報』第2922号、大正11年5月2日。
  17. ^ 『官報』第2962号、大正11年6月17日。
  18. ^ a b 『官報』第3505号、大正13年5月2日。
  19. ^ 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
  20. ^ a b c 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  21. ^ a b c 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  22. ^ a b c 『官報』第1918号、昭和8年5月26日。
  23. ^ a b 『官報』第2638号、昭和10年10月16日。
  24. ^ a b c d e f g h i j k l 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  25. ^ a b 『官報』第2101号、大正8年8月6日。
  26. ^ a b c d e f g h i j k l 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  27. ^ 『官報』第3375号、大正12年11月21日。
  28. ^ 『官報』第612号、昭和4年1月16日。
  29. ^ a b c d e f g h 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  30. ^ 『官報』第3263号、大正12年6月16日。
  31. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  32. ^ 『官報』第2174号、大正8年11月3日。
  33. ^ a b c 『官報』第2776号、大正10年11月2日。
  34. ^ a b 『官報』第2849号、大正11年2月2日。
  35. ^ a b 『官報』第3077号、大正11年11月2日。
  36. ^ a b 『官報』第3513号、大正13年5月12日。
  37. ^ a b 『官報』第2922号、大正11年5月2日。
  38. ^ 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
  39. ^ 『官報』第255号、昭和2年11月2日。
  40. ^ a b 『官報』第1765号、昭和7年11月16日。
  41. ^ a b c d e 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  42. ^ a b c 『官報』第2224号、昭和9年6月2日。
  43. ^ a b c d e f g h 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
  44. ^ a b c d e 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  45. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  46. ^ a b 『官報』第3347号、大正12年10月18日。
  47. ^ a b 『官報』第3659号、大正13年11月3日。
  48. ^ 『官報』第3710号、大正14年1月7日。
  49. ^ 『官報』第3796号、大正14年4月21日。
  50. ^ 『官報』第4245号、大正15年10月16日。
  51. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  52. ^ a b 『官報』第1519号、昭和7年1月26日。
  53. ^ a b c 『官報』第2053号、昭和8年11月2日。
  54. ^ a b 『官報』第186号、昭和2年8月11日。
  55. ^ 『官報』第808号、昭和4年9月6日。
  56. ^ a b c 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  57. ^ a b c d e f g h 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  58. ^ 『官報』第2623号、大正10年5月2日。
  59. ^ 『官報』第3251号、大正12年6月2日。
  60. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  61. ^ 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  62. ^ 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
  63. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  64. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  65. ^ a b 『官報』第2957号、大正11年6月12日。
  66. ^ 『官報』第2752号、大正10年10月3日。
  67. ^ 『官報』第2817号、大正10年12月21日。
  68. ^ 『官報』第3583号、大正13年8月2日。
  69. ^ 『官報』第4034号、大正15年2月6日。

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦Ⅱ』光人社、1990年。
  • 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報