与那国島

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与那国島
最西端之地碑
最西端之地碑
座標 北緯24度28分6秒
東経123度0分17秒
面積 28.91 km²
海岸線長 27.5 km
最高標高 231.4 m
最高峰 宇良部岳(うらぶだけ)
所在海域 太平洋東シナ海
所属諸島 八重山諸島
所属国・地域 日本の旗 日本沖縄県
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立神岩
与那国島の全体図
与那国島の位置

与那国島(よなぐにじま、方言名どぅなんちま)は、日本の最西端の南西諸島八重山列島の西端、日本最西端の地を擁す国境の島。

概要[編集]

八重山諸島の西端、台湾の北東に位置する島。方言名の「どなん」は、渡航が難しいという意味の「渡難」に由来する。行政区分は沖縄県八重山郡与那国町北緯24度26分58秒東経122度56分01秒[1]に位置する西崎(いりざき)は、正式な日本の東西南北端の中で唯一、一般の交通機関で誰でも自由に訪れることができる場所である。

地理[編集]

面積28.91km²[2]、人口1,745人、年平均気温23.6℃、年間降水量2,363.5mm。石垣島からは124kmの国境の島で、台湾宜蘭蘇澳港までは111kmしかなく、年に数回晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができる。島は東西に細長く、ちょうどサツマイモのような形をしていて、起伏は激しいものの自転車でも3 - 4時間で一周が可能な大きさである。

島の地質は、隆起珊瑚礁ではなく主に第三紀堆積岩からなる。面積は小さいながら、200m級の山があるなど大変起伏が激しい。また、島の南海岸は波で浸食され、断崖絶壁が多数ある。南側の太平洋からは一年を通じて強い風が吹くが、中央の山地によって遮られ、高地までは影響があるものの、島の北側では風はそれほど強くない。島の東端には東崎(あがりざき)、西端には西崎(いりざき)の2つの岬がある。

中央北部に祖納(そない)、西部に久部良(くぶら)、南部に比川(ひがわ)の3つの集落があり、町役場は祖納にある。主な産業は、漁業サトウキビ農業畜産観光で、島の南半分及び東崎では牛馬が放牧されている。比川の近くにはエビの養殖場もある。

港などにある船舶用の浮標は「水源に向かって左側は緑色」「水源に向かって右側は赤色」と定められているが、日本列島のほぼ全域の沿岸部分や離島においては浮標の色を緑か赤かを定めるためにどこか特定の地点を「日本列島の水源」として決める必要がある。そのために便宜上として日本ではこの与那国島を「日本列島沿岸部の水源」として定めている。

気候[編集]

熱帯雨林気候(Af)に属する。

  • 最寒月平均気温18.2℃(1月)
  • 乾燥限界612mm<年平均降水量2363.5mm
  • 最少雨月降水量153.7mm(3月)

気象庁 与那国島測候所も参照

自然[編集]

与那国馬

ヨナクニの名を持つもっとも有名な動物は、おそらく、世界一巨大なといわれるヨナグニサン(アヤミハビル)である。ただし日本では与那国島のみでなく近隣諸島にも見られ、中国台湾をはじめアジア各地に分布している。

また、北牧場および東牧場などでは日本在来馬与那国馬が飼育されている。与那国馬は1969年3月25日に与那国町の天然記念物に指定されている。

2010年11月1日に約1,040haの地域が国指定与那国鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)として新規指定された[3]。特別保護地区は63haである。これは国の天然記念物および国内希少野生動植物種に指定されているヨナクニカラスバトおよびキンバトの保全が目的である。これまで指定されていた鳥獣保護区は島の中央部の約187haのみで、今回の指定では地域の変更や大幅な拡充が伴われ、新規指定となっている[4]

歴史[編集]

14世紀沖縄本島の有力者が海上交易を始めると、その中継点として訪れた人々によって文明化されたと思われる。1522年大永2年)に琉球王朝の支配下に組み入れられるまでは、女首長サンアイ・イソバ[5](実在不明)や鬼虎(同じく)の下で独立国であった。1611年慶長16年)、薩摩藩役人毛利内膳正元親が来島し与那国島の測量を行い、初めて検地帳を作製した[6]1879年(明治12年)の琉球処分と共に日本に帰属する。台湾日本領になった時代は、台湾住民との間で砂糖や米の密取引が行われるようになり、人口は2万人まで増加した。

1908年(明治41年)島嶼町村制で間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島とともに八重山村となる[7]1914年(大正3年)八重山村が分村し、与那国村となる[7]

1945年(昭和20年)に米軍の軍政下に置かれ、台湾が日本から分離したため、密取引は行われなくなり人口も急減。1948年(昭和23年)に町へ昇格し与那国町となる[7]1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約米国統治となり、1972年(昭和47年)に日本へ返還されて現在に至る。

1982年(昭和57年)、台湾の花蓮市姉妹都市を締結[8]

1986年(昭和61年)にはダイバーによって海底遺跡のような地形が発見されて話題となる。

1996年(平成8年)、与那国島から約60キロメートルの海上に中国から発射された弾道ミサイル1基が着弾した。台湾も、中国に対抗した軍事演習として、与那国島の沖合で軍事演習を計画するなど、緊張が走った。当時は自衛隊や海上保安庁によるパトロールが行われた。

防衛[編集]

国境の島であるため、台湾有事尖閣諸島問題など周辺地域の有事に巻き込まれる蓋然性がある。2010年12月17日に閣議決定・公開された防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画 (2011)において200人規模の沿岸監視隊配備が盛り込まれ、平成23年度防衛予算では調査費として3000万円が計上された[9]。続く平成24年度防衛予算においては陸自の沿岸監視隊及び空自の移動警戒隊を配備させるための用地取得のため、10億円を計上した[10]。これは中国の軍事的な脅威に対して、南西諸島に存在する警戒網の死角を埋める意味があり、同時に与那国の奇襲占領を抑止するためでもあるとされる。隊員の消費活動による与那国町への経済波及効果も期待されている[11][12]が、10億円がそっくり地代として入るものと皮算用した町側と、工事費用や移転費用を差し引いて土地使用料としては最大1億5千万円しか予算化していない防衛相との間の交渉は難航していたが、与那国町は2013年6月20日、国すなわち自衛隊に年間1500万円で町有地を賃貸することを承認した。沖縄県警察では、島内に常駐している駐在所員2名に対し、けん銃の予備弾10発を貸与して有事への備えを固めた。

交通[編集]

与那国島と台湾間の航空便[編集]

与那国町と台湾間で、期間が限定されてはいるものの、チャーター便が過去に飛んでいる。

2007年(平成19年)10月4日与那国空港から台湾の立栄航空による初の台湾直行チャーター便が台北国際空港に到着。花蓮市との姉妹都市締結25周年を記念した、与那国町の友好親善交流団128人が、乗り換えなしに直接台湾に入った[13]

2008年(平成20年)7月4日、台湾の復興航空によるチャーター便が6日まで台湾花蓮市と与那国島を結び、双方から合わせて91人の乗客が利用している [14][15]

2009年(平成21年)2月27日には、台湾の復興航空のチャーター便が往復。花蓮市から61人が来島し、与那国町からは30人が花蓮市に向かっている[16]

名所旧跡・観光[編集]

名所旧跡[編集]

日本最西端の。最西端之地碑がある。
  • 宇良部岳(うらぶだけ)
与那国島の最高峰(標高231.4m)。
  • 立神岩
  • 軍艦岩
  • 久部良割(くぶらばり)
久部良地区にある岩場にある割れ目で、幅3m、深さ7m。かつて妊婦を集めてこれを飛び越えさせ、飛び越えたものだけが生きて子を産むことが出来たという。しかし無事に飛び越えても腹を強打し流産する者も多かったという。
  • 人升田(とぅんぐだ)
15-50歳の男子を招集し、この田に入りきれなかったものを殺したとの伝承がある。
上記2つの残酷な伝承は、かつて人頭税による過酷な取り立てがあった頃の、人減らしの策であったともいわれる。
  • ダティグチディ
先島諸島火番盛(国の史跡)のひとつ。

ダイビング[編集]

ダイビングの名所として非常に有名な島である。特に冬場に西崎で見られるハンマーヘッド(シュモクザメ)は人気があり、多くのダイバーが訪れる。また、海底遺跡ではないかとの説もあり、「遺跡ポイント」と呼ばれる海底地形にも潜ることができる。このポイントは、非常に潮の流れが速いことがあるため、上級者向けのポイントであるが、状況によっては初級者も見ることができる。ダイビングサービスは島内に5軒ある。

Dr.コトー診療所[編集]

志木那島診療所として撮影に使用された建物

与那国島は、2003年夏に放映されたフジテレビ系列のドラマDr.コトー診療所」の撮影地となった。比川には撮影に使用したセットの「診療所」が残っており,有料で内部を見学できる。2004年11月に放送された2夜連続スペシャル「Dr.コトー診療所2004」や、2006年10月から放送の続編「Dr.コトー診療所2006」でも、与那国島でロケが行われている。与那国空港や港の観光案内所では、ロケ地めぐり用のパンフレットを配布したり、写真展を開催したりしている。

花酒[編集]

与那国島だけで生産が許可されている特産物として、泡盛の一種である花酒(はなさき)がある。「はな」とは初めの意で、泡盛の製造過程で最初に抽出される「ハナタレ」と呼ばれるアルコール度数60度の非常に強く純度の高い蒸留酒である。町内にある3つの酒造所で生産されており、いずれもクバ(ビロウ)の葉で巻かれた独特の瓶に詰めて出荷される。

放送[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]