下地島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

下地島
座標 北緯24度49分5秒
東経125度8分58秒
面積 9.54km²
海岸線長 11km
最高標高 21.7m
所在海域 東シナ海
所属国・地域 日本(沖縄県
  
北西上空から
左:伊良部島、右:下地島
下地島空港へ着陸する航空機
下地島空港事務所

下地島(しもじしま)は沖縄県宮古島市に属する島。伊良部島の西隣に位置し、6本の橋で繋がっている。国内で唯一のパイロット訓練施設を備える下地島空港がある。

目次

[編集] 地理

島全体が第四紀更新世の多孔質の石灰岩で覆われている。河川はなく、伊良部島との間には数十mの狭い水路が約3kmにわたって続く。南側は単調な海岸で、西側は激しい海食崖が続き、北海岸は下地島空港の滑走路が海に突出し、小さな入り江がある。

[編集] 歴史

15世紀後半に朝鮮の船が宮古島に漂着した記録の中に下地島に比定される「時麻子島」の記述があり、宮古島と下地島など近隣の5島の島民は互いに往来していたという[1]。遺跡は見つかっていないが、当時人が住んでいた事がうかがえる。また、古琉球の頃にはキドマリ村(木泊村)が伊良部島の佐和田にあったとされ、村跡が残る。この村は古琉球の間に津波で壊滅したとされるが、16世紀嘉靖年間に喜屋泊与人に関する記述があり、この喜屋泊が木泊とするならば当時まで村が存在したと考えられる[2]

近世初頭に伊良部村の伊安姓国仲与人が八重山で牡牛・牝牛を2匹購入してきて放牧したといい[3]、以降は牧場があった。乾隆32年(1767年)に与世山親方は、馬が風雨や寒暑をしのぐためにアダンや諸木を植えるよう指示している[4]。乾隆34年(1769年)に伊良部島との間に佐和田矼(ナカユニ橋)が築かれた[5]が、乾隆36年の八重山地震にともなう明和大津波により一部が破壊された。この津波では下地島に13(約40m)もの高さの大波が打寄せ、西岸の帯岩などが打上げられた。平坦なため放牧地やが水没し、馬や牛、などが溺死している[6]

[編集] 観光スポット

通り池

サーモクラインによって色が変わって見え、古くから神話が伝わる幻想的な池。中央に天然の石橋が架かり、二つに分かれているように見える。水中の洞窟から海へと繋がっており、絶好のダイビングスポット。県の天然記念物。周辺にはカルスト地形のカレンフェルトが発達している。

帯岩

1771年明和8年)に起きた八重山地震の際に打ち上げられたと伝わるもの。人がを締めているように見えることからこの名称がついたとされる。現在は島の信仰の中心。

白鳥崎

伊良部島の北部の岬。サンゴ礁が下地島の北海岸から続く。

[編集] 交通

[編集] 空路

[編集] 航路

[編集] 島内交通

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)
  1. ^ 『李朝実録』 世祖8年(1463年
  2. ^ 『伊安氏正統家譜』
  3. ^ 『宮古島記事』
  4. ^ 『与世山親方宮古島規模帳』
  5. ^ 『白川氏支流家譜』
  6. ^ 『御問合書』 伊佐家文書