オヤケアカハチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
オヤケアカハチの像(石垣市大浜)
オヤケアカハチ生誕の地
フルスト原遺跡(石垣市)

オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂、於屋計赤蜂)は、沖縄県八重山諸島石垣島の大浜村(現在の石垣市大浜)を根拠地とした15世紀末の豪族である。「ホンガワラ」(保武川、堀川原、保武瓦)という別名ももつ。

目次

[編集] 生涯

オヤケアカハチの生誕地は波照間島で、幼少の頃から豪傑としての頭角を表していたという。その後渡海し、石垣島の大浜村に居を構えて、石垣島内の有力豪族として勢力を広げていった。そして、石垣村の豪族・長田大主の妹の古乙姥を娶り、長田大主と義兄弟の契りを交わした。しかし、宮古諸島の仲宗根豊見親と対立したことで、沖縄本島首里尚真王の介入を招いた。このことが王府に反旗を翻したとされ、1500年に王が派遣した征討軍3,000人との戦いに敗北し、討ち取られた。これを、オヤケアカハチの乱と言う。

蜂起した理由は、様々な説が挙げられている。琉球王国側の見解では、粗暴な性格と貢納を拒否した反逆行為が原因としている。また、一説では八重山固有の神、イリキヤアマリ神の信仰を王府に禁止されたためとも言われる。しかし、当時オヤケアカハチは、八重山諸島の覇権を巡って宮古諸島の豪族・仲宗根豊見親と対立しており、琉球王国への反逆というよりは、八重山統一を賭けた一大決戦だったというのが真相に近いだろう。

石垣島の「フルスト原遺跡」は、オヤケアカハチの居城跡といわれている。

[編集] 関連する作品など

  • こども演劇オヤケアカハチ「太陽の乱」[1] - オヤケアカハチを題材にして、演出家平田大一が指導。八重山在住の小学校4年生~高校3年生の総勢80名の子供達が歌と踊りと郷土芸能で演ずる現代版組踊りの舞台。
  • 奥田英朗の小説『サウスバウンド』では、オヤケアカハチの乱を中心としたオヤケアカハチのエピソードがとりあげられている。
  • 特撮番組「ウルトラマン」で有名な怪獣「レッドキング」の名前の由来であるとされる。なお脚本を担当した金城哲夫は沖縄県出身であり、地球人と宇宙人との板ばさみに悩むウルトラマンを、沖縄県の立場に似ていると解釈したと、後に度々発言している。

[編集] イベント

2000年には石垣市大浜にて「第1回アカハチまつり」および「オヤケアカハチ慰霊祭」が行われた(主催:オヤケアカハチ500年 実行委員会)[2]。 なお、慰霊祭自体は「アカハチまつり」が始まる以前より、毎年の旧暦3月3日に執り行われている。

[編集] 洪吉童との同一人物説

韓国には、同時期に実在したとされている人物・洪吉童(ホンギルトン)とオヤケアカハチとの「同一人物説」を唱える者がおり、義経=ジンギス・カン説と似たかたちで受容されている。洪吉童は大衆的人気が高く伝統的に小説等で取り上げられるなどしているが、実際にも、盗賊であり朝鮮王朝に対する反逆者であると記録されている。これが八重山諸島に逃れたという「同一人物説」を薛盛景(ソル・ソンギョン/当時・延世大学教授)と梁潅承(ヤン・コンスン)が唱えている。洪吉童は、尊敬される指導者として民を苦しめる日本政府に対抗して戦い、このような事実が日本の歴史の本にも記されているという[3]。この同一人物説によって、オヤケアカハチがしばしば沖縄県と韓国との友好事業・行事の題材にされることがある。

2001年5月4日には、韓国南部の長城郡で「洪吉童国際学術シンポジウム」が開かれ、「同一人物説」について日韓の研究者が議論した[4]。ただし、同・シンポジウムについては沖縄県と韓国の相互交流を強調して報道されており、友好行事としての性格が強い。「同一人物説」そのものについては、時期的な一致やフルスト原遺跡から韓国の陶磁器や古銭が出土した等が根拠として提示されているのみであり[5]、日本では「韓国側の思い込み」として否定する声が多い[6]

2001年7月には、八重山諸島と韓国との友好イベントとして、オヤケアカハチと洪吉童の同一人物説に基づいて創作された韓国の劇団による「ミュージカル・ホンガワラ」の公演が、石垣市で予定された。しかし、歴史教科書問題の再燃により韓国で日本文化の段階的開放が中断されたため、同公演は直前で中止された[7]

[編集] 脚注

[ヘルプ]

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語