檀君

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檀君
各種表記
ハングル 단군
漢字 檀君
発音 タングン
日本語読み: だんくん
2000年式
MR式
Dangun
Tankun
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檀君(だんくん)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄との間に生まれたと伝えられる。『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」の意味であって個人名ではなく、個人名は王倹という。檀君朝鮮の項目も参照。

檀君の実在性[編集]

檀君はあくまでも説話上の存在であり、実在しなかったとされている。

檀君王倹という言葉は、もともと由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたものである。檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』や『三国遺事』が書かれた高麗時代に熱冷ましの薬として檀が大いに持て囃され流行したが、この檀は仏教説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった妙香山がその信仰の中心地だった。檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山で有名であり、高麗時代に檀と称して解熱薬とされたのはこちらであった。王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精とか妖怪に近いもので「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった。『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。

ただし、元になった伝承があったことは夫余の建国神話[1]、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話[2]から察知できる。物語の冒頭の構造は夫余神話からの借り物であって、それにツングース系の獣祖神話を繋ぎ合わせ、物語の結末に檀君王倹という名を嵌め込んだもので、相互に関連のなかった三系統の話を素材にした創作である。

これらの傍証からも、檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための創作説話だろうと推測されており、国家としての檀君朝鮮の実在性も認められない。

李氏朝鮮末期の19世紀末には、中国由来や西洋由来の宗教でなく朝鮮独自の宗教を振興して民族主義のよりどころとしようという動きが現れ、檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する民族宗教が多く登場した。その中でも羅喆らがおこした大倧教は勢力が大きく、独立運動団体としても活動したほか大韓民国臨時政府などへ与えた影響も大きかった。檀君が即位して檀君朝鮮を建国したことを記念する開天節も大倧教が始めたものである。

現在でも、朝鮮人の中には檀君を実在の人物と主張する人々も大勢いる。大韓民国の国定教科書では韓国の歴史が非常に長いことを示すために「史実」として教育するように指導されている。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、1993年の発掘調査で檀君のものらしき骨が発見され、「電子スピン共鳴法」による解析で5011年前のものと分かったため、檀君は実在人物であったと主張されている。しかし、神話に基づく檀君朝鮮の建国年との間に700年近い差があり、また解析方法についても詳細が公表されていないことから、信憑性は低いと見られる。2010年3月、日韓関係史につき調査・研究を行うために、日韓双方の学者・専門家によって構成された日韓歴史共同研究委員会において、メンバーである井上直樹は、「韓国の教科書が、朝鮮民族の始祖とされる檀君の神話をそのまま認めるような記述をしているのは、資料考証に基づく結論なのか疑問である」と指摘している[3]

三国遺事における檀君[編集]

古朝鮮王儉朝鮮
魏書云 乃往二千載 有壇君王儉 立都阿斯達經云無葉山 亦云白岳 在白州地 或云在開城東 今白岳宮是 開國號朝鮮 與高同時
古記云 昔有桓因 謂帝釋也 庶子桓雄 數意天下 貪求人世 父知子意 下視三危太伯 可以弘益人間 乃授天符印三箇 遣往理之 雄率徒三千 降於太伯山頂 即太伯今妙香山 神壇樹下 謂之神市 是謂桓雄天王也 將風伯雨師雲師 而主穀主命主病主刑主善惡 凡主人間三百六十餘事 在世理化 時有一熊 一虎 同穴而居 常祈于神雄 願化爲人 時神遺靈艾一炷 蒜二十枚曰 爾輩食之 不見日光百日 便得人形 熊 虎得而食之 忌三七日 熊得女身 虎不能忌 而不得人身 熊女者無與爲婚 故毎於壇樹下 呪願有孕 雄乃假化而婚之 孕生子 號曰壇君王儉

以唐高即位五十年庚寅 唐高即位元年戊辰 則五十年丁巳 非庚寅也 疑其未實 都平壤城 今西京 始稱朝鮮 又移都於白岳山阿斯達 又名弓 一作方 忽山 又今彌達 御國一千五百年

周虎王即位己卯 封箕子於朝鮮 壇君乃移藏唐京 後還隱於阿斯達 爲山神 壽一千九百八歳[4]

13世紀頃に成立した『三国遺事』は、『魏書』と『古記』から引用したとあるが、現存する『魏書』に檀君に関する記述はない。また『古記』は現在伝わっていない。『三国遺事』は、檀君王倹は1500年にわたって朝鮮を支配し、箕子朝鮮に朝鮮を譲ったあと、1908歳の余生を終え、阿斯達の山神になったと伝えている。

他の書の檀君[編集]

帝王韻紀』(1287年)、『応制詩註』(14世紀)、『世宗実録地理志』(1432年)、『東国輿地勝覧』(1481年)などにも記述があると韓国では主張されている。ただしいずれの資料も現存しておらず、真偽のほどは確認できない。

偽書とされる書における檀君[編集]

桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編[5]によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。

檀君複数存在説を唱える偽史書の中では、『揆園史話』(1675年、北崖子著、近年になって原本が発見された)が最古に属し、他に『檀奇古史』、『神檀実記』、『神檀民史』、『符都誌』がある。

北朝鮮韓国国定教科書に引用が見られる。

檀君紀元[編集]

檀君の即位年は、紀元前2333年とすることが現代韓国では一般的になっており、かつてこれを元年とする檀君紀元1961年まで公式に用いられていた。即位年に関する記述は、文献によって一定しないが、いずれも中国の伝説上の聖人の在位中とされている。紀元前2333年説は、『東国通鑑』(1485年)の檀君即位の記述(堯の即位から50年目」)によったものである。『三国遺事』では堯の即位から50年目としつつ、割注で干支が合わず疑わしいとされている。他には、『世宗実録地理志』(1432年)には「唐堯的即位二十五年・戊辰」、つまり堯の即位から25年目とあり、李朝の建国が洪武25年であることに合わせてある。

関連事項[編集]

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  1. ^ 夫余の建国神話に登場する天神「解慕漱(ヘモス)」と檀君神話の「桓雄(ハムス)」は漢字の当て字の違いで元々は同じ音を表しており、同名同一の神であった。雄の字を「ス」と読むのは韓訓
  2. ^ ツングース系の獣祖神話においては人間の男女、熊の牡牝、虎の牡牝の組み合わせがすべて存在するが、民族の祖先となるのは人間の女性から生まれた場合だけで、父系の祖先が獣(虎か熊かはその民族または部族によって異なる)である。人間の男と牝虎の間には子供はできず、牝熊との間に生まれた子供は男が逃亡しようとしたため怒った母熊によって殺されてしまう。つまり本来の獣祖神話においては母系が獣の民族は存在できないことになっている。
  3. ^ 日韓歴史研究報告書の要旨[1]
  4. ^ 古代史獺祭 三國遺事 卷第一 紀異 第一 序および古朝鮮 王儉朝鮮
  5. ^ 檀君世紀