歴史教科書問題

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歴史教科書問題(れきしきょうかしょもんだい)とは、歴史教科書の記述や、ある歴史の認識解釈をめぐって関係各国で発生した諸問題のことである。

歴史教科書問題がしばしば話題にあがる地域としては、ヨーロッパおよびドイツ連邦共和国の周辺地域や日本国の周辺地域があるが、ほかにベトナム社会主義共和国などがある。

日本国の周辺地域では、日本・中国・韓国間で、教科書の記述と歴史認識について論争となることが多い。中国では歴史認識問題と呼ばれる。韓国では、日本の教科書問題は歴史歪曲問題とも言われるが、韓国国内の右派と左派の対立から独自の教科書問題も抱える。また日本では、教科用図書(教科書)の検定採択も議題になる。これは近隣諸国条項があるためである。

ドイツの歴史教科書問題[編集]

第一次世界大戦後のドイツ(ヴァイマル共和国)の歴史教科書では、多額の戦争賠償金にあえぐ社会情勢の原因を外国の責任であると決めつけるような叙述が相次いでいた(ただし、ジョン・メイナード・ケインズのようにドイツへの賠償請求額が過大であるとする意見は当時にも存在したため、このような記述は事実の反映という側面もあった)。その後、ドイツでは他国を批判する歴史教科書で教育を受けた当時の若い世代が、極端なドイツ至高思想を持つアドルフ・ヒットラーが率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)を支持するようになった。若い世代によるアドルフ・ヒットラーと国家社会主義ドイツ労働者党の支持は、民主主義的なヴァイマル憲法を無効化する独裁政治をヴァイマル憲法下の国民投票によって招き[要出典]第二次世界大戦の原因の一端にもなった。ナチ党の台頭を招いたのは、あまりに高額な戦争賠償金による社会の疲弊と不満であった。

第二次世界大戦後、歴史教育を通じて安定した社会を形成することについて教育関係者を主とした議論が盛んになり、歴史教科書に対しての一般社会における関心も高まった。冷戦時代の西ドイツでは、他国との共同歴史研究が行われ、その成果が現在に引き継がれている。ただし、ドイツは第一次世界大戦直後から他国との共同歴史研究を行っていたが、研究自体が進まなかったこともあり、現場の教科書にはほとんど研究成果が活かされなかったといわれている。このため、歴史教育においては、研究そのものとその有効な利用の双方の点に重要性があるといわれる。ただし、実際の研究方法・研究利用についてはさまざまな見解があり、画一的な合意は見られていないともいわれる。

日本と中国・韓国の歴史教科書問題[編集]

日中間の歴史教科書問題は、第二次世界大戦以前にも存在し、1914年9月13日、東京日日新聞「支那政府に厳談せよ」記事で、中国の反日的な教科書に対する抗議を主張したことをきっかけに、日中両国が互いに相手の教科書を問題として外交問題になった[1]

家永教科書裁判[編集]

1962年、家永三郎らによって執筆された高等学校日本史用の教科書『新日本史』(三省堂)が教科用図書検定で不合格とされ、実際に日本国内の高等学校で使われることはなかった。家永三郎は「教科用図書検定は検閲に当たり、憲法違反である」として3回にわたって日本国などに対して裁判を起こす。第1次と第3次の訴訟では、一部家永側の主張が認められ、国の裁量に行きすぎがあったとされたものの、家永の主張の大半は退けられ、日本国憲法下において教科用図書検定は制度として合憲・適法とされた。教科用図書検定について争われた裁判には、ほかに例が少なく、判決理由として示された事項は、現代社会における教育裁判でも参考にされる。しかし、教育の主体者をどう捉えるかという点について、右派・左派に関わらず批判的な意見があがる。

第一次教科書問題[編集]

新聞1982年昭和57年)6月26日付朝刊が、日本国内の教科用図書検定において、昭和時代前期の日本の記述について「日本軍が「華北に『侵略』」とあったのが、文部省(現在の文部科学省)の検定で「華北へ『進出』」という表現に書き改めさせられた」と報道したことを発端に日本と中国との間で外交問題に発展した。これは第一次教科書問題ともいわれる[2]

日本政府は8月26日、『「歴史教科書」に関する宮澤喜一内閣官房長官談話[3]』を発表、9月8日に中国側が了承した[4]ことで事態は収束した。文部科学省においては、教科用図書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という近隣諸国条項の追加が談話と連動して行われた。

本条項は、学校教育法(昭和22年法律第26号)を大本として公示された文書(告示)の1規定であり、教育法規に付随する文書である。このことから、ほかの教育法規などと同様に近隣諸国条項の解釈も、教育そのものが持っている目的などを踏まえて行うことが妥当であるともいわれる。しかし、教科用図書検定の実施者が政治的責任も有している文部科学大臣であるため、教育法学の枠内に留まらない多面的な解釈が行い得る可能性も指摘されている。

また、この問題が国会で取り上げられたときに日本も外国の教科書について書き換えを要求していた事態も明らかになっている。具体的にはエジプトなどに対し「北方領土ソ連領と記載しているものを日本の固有の領土であるから、そのように書き換えよ」というものであった。

第二次教科書問題[編集]

1986年6月、「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」編の高校用教科書『新編日本史[5]』(原書房) に中国が不満をのべ、中曽根康弘首相が文部省に検討を要請、修正が行われた。これは第二次教科書問題ともいわれる[6]。制度上、文部省が検定合格後に発行者に対して修正を指示することは可能であったが、文部省の指示が適切だったどうかは議論を呼んだ。

『新編日本史』は、検定に合格しているものの、教科書採択率は低かった(最高時の1989年で1%との推計がある)。この教科書は、特に近代の日本に重きをおき、平易な文章で記述されていたため、基本的な事項を重視する高等学校で主に採用されていた。

なお、家永三郎は当時、「立場は違うが、検定で落とせとは口が裂けても言えない」と語り、教科書は自由発行・自由採択であるべきとの持論を述べた[7]

現在に至るまで[編集]

第一・二次教科書問題を発端に、以降も90年代から2000年代にかけて歴史教科書問題は、歴史認識問題と連動してしばしば国際問題となってきた。特に第二次世界大戦中の中国大陸朝鮮半島地域における日本の政策の評価の相違、侵略/進出などの歴史的事実の認識をめぐる記述の表現や量について問題になることが多い。中国・韓国の歴史教科書(韓国は国定教科書が唯一の教科書であり、中国では教科書検定を行っている)では、日本が侵略者であったとする侵攻的側面が重点的に記述され、他方、日本のある教科書では「防衛戦略上、海外進出はやむを得なかった」とする自衛的側面が記述され、侵攻的側面の量は中国・韓国の教科書と比較して少ないもの、また日本の占領植民地政策による近代化など軍事的な被害ばかりではない記述が見られる教科書や、日本に占領された東アジアの抗日運動家を英雄扱いする教科書など、日本には多様な教科書が存在している。そのため、一概に日本と中国・韓国の教科書を同列に比べることはできない。

日本国政府は中国政府・韓国政府に対して、中国・韓国の教科書の内容に関する変更を要求する声明を出していない。その理由は他国の教科書に関する要求は国家主権を侵害する虞があると、日本政府が懸念しているからではないかとの指摘もある。そのため、中国政府・韓国政府からの日本の教科書に関する要望は、一方的なものとなっており、日本側から何も働きかけないことについてかえって日本国と中華人民共和国との相互理解の推進を阻んでいるとの懸念もある。

2001年に教科用図書検定に合格した『新しい歴史教科書』(扶桑社) は、中学校社会科の歴史教科書として新しい歴史教科書をつくる会によって執筆された[8]。この教科書は、大江健三郎[9]17名によって、「検定申請本から「従軍慰安婦」「三光作戦」「731部隊」などへの言及が激減し、日本の朝鮮植民地支配や中国侵略を正当化している事実を強く批判」した「加害の記述を後退させた歴史教科書を憂慮し、政府に要求する」という要望書が公表されている[10]。また、独自の歴史観が記述されているとして中国や韓国から批判を受けた。なお当時の教科書採択率は低い(2001年の推計で0.097%)。

2011年、沖縄県の八重山地区(石垣市与那国町竹富町)で、文部科学省平成14年8月に出した通知、「教科書制度の改善について」[11]に基づく改革の実施に対し、「つくる会」系と称される自由社育鵬社の中学歴史・公民教科書の採択反対を主張する勢力が、「つくる会」系教科書の採択のための改革と主張。改革に対するネガティヴ・キャンペーンとしての教科書採択を巡る騒動へと発展した。当初、この騒動は歴史の教科書に重点が置かれていたが、育鵬社版の公民の教科書が採択されると、与那国島への自衛隊配備反対を主張する勢力も加わり、自衛隊配備に対するネガティヴ・キャンペーンとしての性質も帯びることとなった。

なお、この騒動は厳密には歴史教科書問題ではないが、前述の通り、「つくる会」系教科書反対派が当初、歴史教科書の採択反対に重点を置いたため、便宜上本項に分類する(八重山教科書問題)。

また、2014年3月から韓国で一部採択される教学社による教科書は日本の植民地支配を肯定的に記述し、李承晩朴正煕大統領を肯定的に扱い6・15南北共同宣言を批判的に扱っているため歴史を歪曲するものとして批判されている[12]

争点[編集]

中国や韓国[13]国定教科書[14]と、民間の出版社による何種類もの日本の歴史教科書を比べることは難しく、また対立している部分は非常に多いが、必ずしも中国や韓国の歴史教科書と日本の歴史教科書が全ての部分で対立しているわけではないということにも注意しなければならない。

日本と韓国[編集]

以下に、日韓の教科書の相違点・争点を記述する。

古代史
  • 任那日本府
    日本・・・『日本書紀』には「任那日本府を通じて、朝鮮半島から日本に文化が伝わる」と記述されているなど、任那日本府の存在を否定することは難しい。また、「半島から日本に文化が伝わる」という一部分だけ恣意的に抽出している韓国の歴史教科書はいかがなものか。『広開土王碑文』や『日本書紀』を否定する立場で研究を進めるのではなく、糸魚川産のヒスイ勾玉前方後円墳の朝鮮半島において存在していることをもっと学術的に検証し、任那日本府の実態を明らかにすることを念頭に研究を進めていかなければならない。
    韓国・・・『日本書紀』や『宋書』などを検証しても、任那日本府の神功皇后が韓半島(朝鮮半島)南部の7カ国を支配していた事実を確認することは出来ない。ただ、ヤマト王権任那を軍事的に支配した事実はなかったという点では韓日双方の見解として一致している。そのため任那の存在の有無を研究するのではなく、4世紀当時の韓日関係を双方が新たに研究しなおさなければならない。
中近世史
  • 元寇(蒙古襲来)
    日本・・・日本が、とその服属国だった高麗の連合軍による武力侵攻を二度にわたって受ける。しかし、元による侵攻は失敗に終わる。
    韓国・・・元から軍事的な侵攻で内政干渉を受けた高麗は元軍とともに、二度に渡って日本遠征を試みるも失敗。なお韓国の国定教科書では元寇を日本「征伐」と記載している。
  • 文禄・慶長の役(壬辰倭乱)
    日本・・・韓国が日本に併合されてから文禄・慶長の役という名称が一般に普及したのは事実だが、最近は「朝鮮侵略」という名称も一般化していて韓国側の批判はあたらない。
    韓国・・・国内問題のような名称を使っており、「豊臣政権が朝鮮に出兵した」など日本の侵略性が意図的に隠蔽されている日本の教科書がある。こういう国粋主義的な表現は、昨今の日本の右傾化を助長させている。
近現代史
  • 韓国併合
    日本・・・日帝(日本帝国主義)という言葉を恒常的に使っていることからしても、韓国側の研究者が冷静にこの問題に取り組めているか疑問である。また、日本の植民地政策によって、インフラ整備や李氏朝鮮では禁止されていたハングルの採用など、朝鮮半島の近代化と文化振興が促進された点は否めない。
    韓国・・・日帝による韓国(朝鮮半島)支配は、他の日本の植民地に類を見ないぐらいおぞましいものであった。韓民族が今まで築いてきた経済や文化を奪い、民族の繁栄すら奪った。日本は“朝鮮半島の近代化”を誇るが、誰の・何の為の近代化だったかという観点がすっぽり抜け落ちている。
  • 日韓併合条約
    日本・・・日本が大韓帝国に多少の外交的な威圧は与えていたかも知れないが、国家の代表者である皇帝には圧力を掛けておらず、その当時の国際法上では明らかに合法である。また、日本の併合に問題が在れば、国際的な批判が日本に当然あったはずだが、当時の欧米列強は異議を唱えていない。また、1905年12月26日に交付された韓国の官報で、韓国の外務大臣が署名をし締結された第二次日韓協約の全文が載っている事実と辻褄が合わない。
    韓国・・・当時の大韓帝国は日本に軍事的圧力を受けており、韓日議定書を締結させられたりなど主権侵奪過程に結ばれた韓日併合条約は無効である。また、皇帝の署名国璽がある批准書も存在しないなど不備も見られる。
  • 創氏改名慰安婦皇民化教育など
    日本・・・これらは戦争が激化し始めた1930年代後半以降の「総力戦」の時期に起き始めたことであり、いずれも併合当時から取られた政策ではない。また、他の地域とは違い広範囲でそれらが行われたことは、日韓併合条約などの有効性を示すことにも繋がり着眼すべきである。慰安婦についても日本官憲による組織的強制連行の事実はない。
    韓国・・・1910年の日本の強占(併合)が始まった頃から、こういった日帝による韓国人の民族意識を根絶やしにするような政策が続いた。日帝の残虐性、鬼畜性を語る上で欠かせない歴史的事実である。
  • 竹島(独島)領有権問題
    日本・・・日本固有の領土である。日本が連合国の占領下から脱した翌年の1952年に韓国が不法占拠した。また、漁業をしていた漁夫が殺害されるなど日本側は悲惨な目に遭っている。
    韓国・・・韓国固有の領土である。「日本の領土」だという妄言は日本が侵略戦争を実行したことを反省していない証拠であり、軍国主義が復活している象徴である。
  • 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓国交正常化)
    日本・・・漢江の奇跡に象徴されるよう韓国経済に多大な発展をもたらし、また東アジア地域の安定にも貢献した。また、無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルと当時の日本の外貨準備額18億ドルの半分近い資金を韓国政府に援助するなど、そういう日本が尽力した面を韓国側が2005年まで一般国民に説明しなかったのが誤解の原因である。
    韓国・・・日本の朝鮮半島の植民地が正当化され、日本が果たさなければいけない謝罪と賠償の問題は存在するなど、不備が残る不平等な条約である。
  • 日韓基本条約が現在の問題として議論が続く理由の検証
    日本・・・当時は共産圏勢力の台頭により東アジアには軍事的な緊張が高まっていたなど、関係諸条約を結ぶに至った過程を多角的により一層検証すべきである。従軍慰安婦は当時の世界的な事実であるものの、それらの謝罪や賠償は解決済みであり(日本の戦争謝罪発言一覧日本の戦争賠償と戦後補償)、歴史研究にそういう政治的な議論は控えるべきである。
    韓国・・・歴史教科書問題や、従軍慰安婦など徴用による被害者補償などを含んだ今後の過去の清算を考える上で、大きな意義がある。

日本と中国[編集]

  • 尖閣諸島問題尖閣諸島
    日本・・・日本固有の領土である。単に林子平の著書だけで中国領とすることはできない。国際法的にも日本が占有してきた日本領であり、戦前、中華民国大使が尖閣諸島を日本領と認めていた公文書が存在する。海底油田の可能性が出てきて中国が領有権を主張するのは、あまりに矛盾がある。それ以前の地図には中国、台湾ともに尖閣諸島を日本領と図示しているのに、油田の可能性が出てきてからは地図が変更されてしまっている。
    中国・・・中国固有の領土である。日本国の林子平が1786年(天明6年)に記した三国通覧図説清国の領土と記載していることからも明らかに中国領である。その著書を日本が隠しており、最初からそれを明かせば中国の領土になっていたことは間違いなく、今日まで日本は不法占拠をしている。そもそも小笠原諸島日米和親条約締結時に小笠原には日本人がおらずアメリカ合衆国からの移民のみが島民として存在していたにも関わらず日本の帰属になったのも林子平の三国通覧図説によってである。幕末に同じ林子平の書物をもって日本は小笠原を領有したのであるから同じく林子平の書物に従って尖閣を中国の領土と認めるべきである。
  • ドイツは戦争直後より謝罪し、個人に対する賠償もしている。
    • (現実にはドイツの行った戦争被害への賠償は原則的にドイツ国民に対するものである。「ナチスの不法行為」に対するドイツ国民や外国の個人に対する補償として1956年制定の連邦補償法などがあり、1952年に制定されたイスラエルとの補償協定などの第三国との合意に基づく補償は認めている。ただし「戦争被害」についてはドイツ国民以外の請求権は一切認めておらず、ドイツ政府を相手取った訴訟は全て「個人が戦争で受けた被害について自国以外に請求を行う事は出来ない」として請求が却下されている。)。
  • 現在に至って政府首脳がヒトラーナチス戦犯の墓地への参拝をしていない。
  • 近隣諸国と共同で同じ歴史認識の下、歴史教育を受けていて、近隣諸国の理解を得ている。
    • 実際にはドイツ社会民主党以外の政権、特にドイツ社会民主党よりも政権を担当することが多かったキリスト教民主同盟などは周辺国の反感を買う歴史認識を示すことも多く、2004年のドイツの政権担当政党がドイツ社会民主党であることを好機として捉えたポーランド議会が2004年9月にドイツに対し「戦争被害賠償請求決議」を行い、2010年2月にはギリシャのパンガロス副首相が第二次大戦の賠償をドイツに求めると発言して外交問題になるなど、ドイツの戦後処理を巡り近隣国の批判は強い。政権によっては歴史教科書に関しても「ドイツの侵略」といった記述を変更させたり、戦後のドイツ人追放などドイツに対する加害行為も教科書に記載するよう周辺国に要求し圧力をかけることがある。ユダヤ人大量虐殺いわゆるホロコーストを否定する事はドイツでは違法であるが、戦争責任や一般的な戦争犯罪の否定は別に珍しい事では無く、1995年に行われた「国防軍の犯罪展」は主に保守層を中心に強い批判が行われている。)。

ドイツの歴史認識を参照)

日本と中華民国[編集]

  • 尖閣諸島領有権問題
    日本・・・日本固有の領土である。現在台湾は中華民国の立場をとっており、中華人民共和国とは別国と考えられていることから考えても中華人民共和国の主張を同等と扱うことはできない。また、編入した際から長年なんら抗議せず日本国の領土として認めていたのにもかかわらず突如領有権の主張は矛盾している。
    中華民国・・・中華民国固有の領土である。少なくとも中国の一部と考えられていた台湾は中国と同じ主張をできる。また、林子平の著書によれば釣魚島ではなく釣魚台と記述されている。中華人民共和国のものでも日本のものでもない。漁業権もこちらにある。

韓国と中国の教科書問題[編集]

韓国の教科書問題[編集]

中国と韓国の争点[編集]

  • 高句麗
    中国大陸・・・当時の中国の地方政権の一つであり、高句麗の歴史は中国の歴史である。
    韓国・・・高句麗の歴史が韓国の歴史の一部であることは明白で、中国の歴史であるという言い分は歪曲でしかない。
詳細は東北工程を参照

中国の歴史教科書への指摘[編集]

  • 中国戦線での日本軍との戦いがなければアメリカ軍連合国の勝利がなかったなどと、第二次世界大戦での中国の役割を過大評価している。という記述はない。
  • ソ連日ソ中立条約を反故にし満州侵攻をしたことを、世界平和の貢献を担ったと讃えるなど、その後シベリア抑留など苦痛を味わった日本国民の感情を無視している。
  • 中国は国民党政府軍と英米軍と日本軍のビルマでの戦いを、自国の海外での初めての戦いとしている。しかし、それは李氏朝鮮が実質従属国であったと位置づけ、日清戦争で朝鮮半島と戦った事実を無視していることになる。事実は、抗日戦争で

国民党政府軍と英米軍と日本軍のビルマでの戦いは海外での初めての戦いだ。朝鮮半島で日本と戦ったことと、ベトナムでフランスと戦ったことは明らかに中国の歴史教科書に載せてある。* 日清戦争の最中、旅順で起きた日本軍による清の非戦闘員虐殺に関して、「被害者が慰霊されている万忠墓は、日本軍に刃物などでズタズタになるまで殺されたあの惨劇を忘れてはいけないと警告している」などと、生徒に対し反日感情を抱かせるような記述になっている。

  • 日本の侵略による中国人の死者は約1000万人(要出典)とされているが中国の歴史教科書では約3000万人と多い(事実は死者だけではなく、死傷者だ)。

大連日本人学校用教科書没収事件[編集]

2005年6月27日、中国大連市にある日本人学校が教材として使うため日本から取り寄せた資料集や問題集CDなどが大連の税関で没収されていたことが判明した。小学生用の「社会」や中学生用の「歴史」や「公民」の副教材が初めて差し押さえを受けた。大連当局は、「台湾が独立した国として扱われ、”一つの中国”という大原則に違反している」「尖閣諸島が日本領としている地図がある」などと主張。それらの教材は『違法図書』として罰金を日本人学校の関係者に要求した[15]

日本人学校側が、罰金1千元と始末書を提出することで、事態は沈静化した[15]但し、中国当局はフランスイギリスの在留者学校のそれに対しても同等の処分をしており、「日本人学校を狙い撃ちしたものではない」と回答している[要出典]

日本人学校で使用される教科書は、文部科学省の外郭団体である『海外子女教育振興財団』が手配をしているが、授業を補助するために使用される副教材は日本人学校が選択しているため、中国国内では日本国内の出版物の検閲が強まりつつあるという見方がある[15]

各国の歴史教科書への総合的な指摘[編集]

スタンフォード大学アジア太平洋研究センターによる日中韓米台の歴史教科書比較研究では、「日本の教科書は戦争を賛美せず、最も抑制的」「非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない。」と評価された。韓国の歴史教科書については「韓国は日本が自国以外に行った行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある。」とし、自己中心的にしか歴史を見ていないと指摘した。また、中国の歴史教科書は「共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている。」と批判している 賛美はないものの、否認や美化、歴史の回避はある。[16]

大学入学試験における歴史認識問題[編集]

2004年1月に行われた大学入試センター試験における世界史B第1問, 問5[2]で、「日本統治下の朝鮮で、第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」との選択肢が正答に設定されていたことに対して、ある受験者が「第二次大戦当時の言葉としてはなかった」と、採点からのこの問題の除外を求める仮処分申し立てを2004年2月東京地方裁判所に起こした(2004/2/4 産経新聞)が敗訴した。

各国の取り組み[編集]

歴史教科書問題の解決に向けていくつかの方法が考えられるが、根本的な解決のためには「中国や韓国が持つ歴史認識を日本人も共有しなければならない」という論調がメディアなどでは強い。しかしながら、教育システムが全く違う国において、双方の国が要求するような共通の教育を行うことは難しい。また中国に関しては、民主主義体制を敷いていないが故に広く公正に論じる為には広く客観的に公正に教科書問題について論じなければならないが、反体制・現在や過去の歴史上、中国共産党に非があると記載される事に繋がる記述には検閲や禁止などの政策が敷かれて言論の統制が残る現状では非常に難しい。

2005年5月7日町村信孝外務大臣が李肇星外相と会談し、中国の歴史教科書の偏った記述内容の改善を要求したが拒否されている。同年7月9日、町村外務大臣が日本で採用された歴史教科書の一部(近代歴史)を中国語朝鮮語に翻訳し外務省のホームページで8月ごろに公開することを決めた。

共同の歴史書・歴史教科書の制作[編集]

政府間プロジェクト[編集]

日韓の国家間のプロジェクトとして、日韓歴史共同研究事業がある。しかし、韓国の研究者による、歴史検証よりもまず結論ありきの自国の歴史認識の主張があるなど、双方の研究者の研究姿勢のズレから、現時点での成果は少ない。

大韓民国の国定の歴史教科書は韓民族中心史観が強く、一部では非科学的な歴史の記述も見られる。誤述修正のための見直しには韓国世論の反発も予想され、日本の研究者の新しい見解や事実が受け入れられるのに時間がかかるといわれる。また伊藤博文を殺害した安重根は大韓民国では祖国の独立運動の英雄とされるが、日本国では教科書によっては抗日運動家、あるいは単なる過激な暗殺者などと記述されるなど、双方の超え難い立場や視点の壁も存在する。こういった様々な障壁から、共同研究の結果を出すことがなかなかできない状態であり、その結果を双方の歴史教育に反映させることは今のところ困難である。

また、日本側も、プロジェクト合意の時点で、日本の歴史教育で使用されている文部科学省検定済教科書の著作者があくまでも民間人であることにかんがみ、研究結果は教科書の執筆に直接反映されるわけでないことを明らかにしている。(なお、文部科学大臣が著作の名義を有する文部科学省著作教科書を発行することも制度的には不可能でない。しかし、2005年度の日本国内には、民間の著作による文部科学省検定済教科書が、小学校社会科で5種類、中学校社会科歴史的分野で8種類、高等学校の歴史分野で1科目につき平均9種類以上あるため、文部科学省(文部科学大臣)が教科書を著作することへの需要は低い)。

民間プロジェクト[編集]

2004年(平成16年)8月、中国社会科学院近代史研究所の呼びかけで、日本国・中華人民共和国・大韓民国の3国の一部の識者共同で歴史書を制作することが発表され、2005年(平成17年)5月に3か国で発売された(邦題『未来をひらく歴史:日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史[17]』)。この教材の内容に関しては、賛否両論がある。

  • 肯定的評価
    • 自国中心ではなく、東アジア史の視点で記述されている。
    • 各国の教科書でこれまで記述されていなかったことが、数多く記述されている。
    • 日本・中国・韓国の歴史教育関係者が共同して作成した、初めての歴史教材である。
    • 各国の執筆者がそれぞれの立場でできるだけ公平な歴史認識で記述しようと努めている。
  • 否定的評価
    • 元々このプロジェクトが立ち上げた中国側の意図は「昨今の日本独自の歴史観や自由主義史観による歴史教科書に対抗するため」であった。
    • 反日的な内容が多く含まれている。
    • 戦後60年の各国の動向の記述が少ない(チベット問題、ベトナム戦争など)。
    • あとがきによれば「同じ内容の本を三国の言葉で同時発刊」とのことであるが、日本と韓国で発行された本の間で朝鮮戦争の記述などに全く異なる部分がある。そのようなこの本の現状が、まさに歴史認識の共有の困難さを示している。
    • 各国からの参加者が限定的で、例えば日本からの参加者には 野平晋作ピースボート)、小河義伸(平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)、高嶋伸欣琉球大学教授)、松井やより(元『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク代表)[18]など研究者ではない左翼系の政治運動家・市民運動家だけが参加し、政治的偏向が強い。

脚注[編集]

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  1. ^ 川島真「最初の歴史教科書問題」(日本経済新聞、2009年10月26日)
  2. ^ 清水美和「中国はなぜ反日になったか」文春新書,113-117頁。毛里和子「日中関係」岩波新書,2006年,122頁
  3. ^ 「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話1982年昭和57年8月26日、日本国外務省)
  4. ^ 清水美和「中国はなぜ反日になったか」文春新書,114頁
  5. ^ なお現在明成社から、この教科書の改訂版というべき教科書が「最新日本史」というタイトルで刊行されている。
  6. ^ 清水美和「中国はなぜ反日になったか」文春新書,126頁。毛里和子「日中関係」岩波新書,2006年,122頁
  7. ^ 1993/03/18 読売新聞朝刊[1]
  8. ^ 「新しい歴史教科書」第270頁―日中戦争
  9. ^ 荒井信一、井出孫六、井上ひさし、入江昭、鵜飼哲、大石芳野、金子勝、佐藤学、東海林勤、小森陽一、隅谷三喜男、高橋哲哉、三木睦子、溝口雄三
  10. ^ 坂本義和『人間と国家(下) -ある政治学徒の回想-』岩波書店 岩波新書1317 2011年 208ページ
  11. ^ 教科書制度の改善について(2002年平成14年8月30日、日本国文部科学省)
  12. ^ 「植民地支配で韓国は近代化」歴史教科書合格で騒動=韓国 Searchina 2013/09/03
  13. ^ 高等学校の近・現代史は検定教科書。
  14. ^ 近年一部で検定制度も採用されている
  15. ^ a b c “中国・大連 日本人学校の教材没収 「台湾」「尖閣」記述を問題視”. 産経新聞. (2005年6月28日) 
  16. ^ 読売新聞 2010年12月16日
  17. ^ 日中韓3国共通歴史教材委員会・編著『未来をひらく歴史:日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』(高文研) - ISBN 4874983413
  18. ^ 歴史教育アジアネットワークJAPANを参照

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]