遼寧省

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遼寧省
辽宁省
略称: (拼音: Liáo)
遼寧省の位置
省会 瀋陽市
最大都市
省委書記 張文岳(前遼寧省長、元新疆ウイグル自治区常務副主席)
省長 陳政高(前瀋陽市委書記)
面積 145,900 km² (21位)
人口 (2004年)
 - 人口密度
42,170,000 (14位)
289/km² (15位)
域内総生産 (2006年)
 - 一人あたり
9,257 億 (8位)
21,802 (8位)
人間開発指数 (2005年) 0.808 () (5位)
民族 漢民族 - 84%
満州族 - 13%
モンゴル族 - 2%
回族 - 0.6%
朝鮮族 - 0.6%
シボ族 - 0.3%
地級行政区 14個
県級行政区 100個
郷級行政区 1511個
ISO 3166-2 CN-21
公式サイト
http://www.ln.gov.cn/

遼寧省(りょうねいしょう、拼音: Liáoníng)は中国東北地区のの一つ。省都は瀋陽、他の主要都市として大連がある。旧称は盛京省後に奉天省

目次

[編集] 地理

北東部を吉林省、北部を内モンゴル自治区、西部を河北省と接す。また南西部は遼東半島を境に海域が分かれる黄海渤海に面し、南東部は北朝鮮と接する。

[編集] 民族

遼寧省には満族モンゴル族回族朝鮮族シボ族など43の民族が住み、少数民族人口は655万人、全省の16%を占める。1950年代に阜新モンゴル族自治県と喀左モンゴル族自治県が成立し、改革開放後には新賓、清原、岫岩、本溪、桓仁、寛甸の6満族自治県、35少数民族鎮、105民族郷あるいは民族联連合自治郷が創設された。

[編集] 歴史

[編集] 近代以前

戦国時代の勢力が遼河流域に伸び、代に遼東郡が設置されたが、その後の中国の混乱により、鮮卑高句麗契丹女真など異民族が支配する地となった。代には再び漢人勢力が遼東に進出したものの、満州族が興起して朝を樹立、逆に全中国を支配した。北京遷都前の都であった盛京奉天府と改称されて副都として扱われるとともに同地に盛京省が設置された。朝は祖先の地である満州に漢人の入植を禁じる封禁政策をとったが、ロシアの南下政策が顕著になってきた1860年に全面解禁し、山東省などから多数の漢族が入植した。やがて満州をめぐるロシアと日本の勢力争いは日露戦争を引き起こし満州の各地は戦場となる。

[編集] 近現代

清朝末期の1907年に省都のある奉天(府)に合わせて奉天省と改称される。清朝滅亡後の軍閥時代には張作霖とその息子の張学良の奉天軍閥がこの地方を実質支配した。その後、張学良は父の死亡の原因(満州某重大事件)が関東州(大連)を根拠地とした日本の関東軍の陰謀と知ると1929年に省名を「遼寧」、省都を「瀋陽」と改名して日本色を一掃して対決姿勢を見せる。これに対して日本は1931年満州事変を起こし、清朝最後の皇帝溥儀を擁立して満州国を樹立した。日本軍は張学良を追放するとともに先の改称命令を破棄して旧名に復帰させるとともに省自体を3分割した。当時の日本は満州国に多額の重工業投資を行っている。

戦後、日本軍は大陸を引き上げ、満州国は崩壊した。これに伴い、1929年の名称が復活された。一時期、遼東省安東省(後に遼西省と改称)に分割されるなどしたが1954年には再統一されて現在の遼寧省が発足した。敗戦によって日本が大陸に残した鉄道や重工業設備など多額の対外資産は講和条約にて正式に放棄され、これらを中国が継承した。建国されて間もない中華人民共和国の経済地盤を支えたのはこれらの地域であった。中国は遼寧省を中国最大の重工業基地と捉え、多数の国営企業を建設した。

[編集] 改革開放時代

しかし、1980年代以降、改革開放政策の進展にともない、上海を中心とする長江デルタや広州を中心とする珠江デルタが外資を導入して経済的に躍進すると、その反動で遼寧の国営企業は多額の負債を抱える時代遅れの存在となった。現在では大連を中心とする沿海地域が外資を導入し、経済的に成長している。

なお、建国後、遼寧地域は遼東省と遼西省及び瀋陽、旅大、鞍山、撫順、本溪の中央直轄市が成立したが、1954年8月遼東、遼西両省や中央直轄市は廃止され、遼寧省に統合された。

[編集] 行政区域

14の地級市からなる。

[編集] 教育

[編集] 外部リンク