強制連行

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強制連行(きょうせいれんこう)とは、ひとを強制的に連行すること[1]。連行とは「本人の意思にかかわらず、連れて行くこと」を意味する[2]。日本語においては拉致・勾引(かどい)も同義であるが文脈において使い分けされることがある。

概念・定義[編集]

戦争などで奴隷として強制連行される事例は歴史上多数あり[3]、近代では英仏戦争の結果カナダからルイジアナへ移住したフランス系カナダ人ケイジャン[4][5]や、ソ連による朝鮮人の強制移住[6]ラーゲリなどの強制収容所、対独協力をしたためウズベク共和国へ移住させられたメスヘティア・トルコ人やコーカサス・ボルガ河流域から強制移住させられたイスラム教徒[4][7]ナチスドイツ中国共産党による強制収容所では強制連行され強制労働に従事させられる事例もある。

日本では奈良時代から東北・蝦夷地を対象とした移配俘囚の制度があったことが知られている。近代では日中戦争以降に国家総動員法国民徴用令に基づき実施し労務動員では朝鮮人中国人などが日本内地、樺太、南方の各地に強制的に送られ[8]、一部の女性は「慰安婦」として強制連行されたとも [9]奴隷狩り」であったともされる[10]が、これについては研究者間で議論がある(本項で述べる)。ほかにも第二次世界大戦当時には日系人の強制収容[11]シベリア抑留[12]などの事例もある。日本軍による強制連行は強制労働とあわせて論じられることも多い[10]

日本における用法[編集]

在日朝鮮人運動史研究家の金英達の著書『朝鮮人強制連行の研究』(明石書店2003年)によれば、「強制連行」という言葉は、「定義が確立しておらず、ひとによってまちまちな受け止め方がなされている」「もともと、強制連行とは、『強制的に連行された』という記述的な用語である。そして、強制や連行は、実質概念であり、程度概念である。その実質や程度について共通理解が確立されないまま、強制連行という言葉だけがひとり歩きして、あたかも特定の時代の特定の歴史現象をさししめす歴史用語であるかのように受けとめられていることに混乱の原因がある」と指摘している[1]

金によれば、日本語の文脈で「強制連行」と記述する場合、ほとんどの場合は国家総動員法を制定した戦時体制下の日本政府(大日本帝国)が朝鮮半島で行った労務動員を指して使われる言葉[13]:32[14]:61とされる。同様の文脈で中国人の強制連行問題(華人労務者)などにも利用される。

また、日本での強制連行の研究について木村幹は「これらの研究の大部分が、そもそもの出発点における研究の目的を、日本による戦争犯罪の追求においており、その結果、必然的に多分な価値判断を含むものになっている」として、その結果、統計のずさんな分析もなされ、また「朝鮮半島における動員を、例えば、内地や或いは他の植民地における動員と比較し、道徳的、倫理的視点を離れて、この問題を客観的かつ学問的にどのように位置づけるにかについて活発な議論が行われてこなかった」と指摘している[10]

また、木村幹は、「強制連行」という用語は朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(1965年)以降に広く用いられて来た点を指摘し、さまざまな論者により様々な含意のもとで用いられた用法には大きく3つあるあるとする[15]。すなわち

  1. 朝鮮半島の人を物理的暴力により力づくで連れてきたもの、という意味で理解するもの。 
  2. 総力戦体制下の戦時動員のすべてを「強制連行」とするもの。
  3. 植民地支配下における朝鮮半島からの内地へのあらゆる労働移動を「強制連行」と見なすもの。植民地支配そのものが「強制」されたものである以上、そこでのあらゆる労働は「強制」であるとするもの。

日本における用例[編集]

もっとも、「強制連行」という語そのものは1939年に使用例[16]が見られ、「連行」としてはそれ以前のものが見られる[17]が、訓読「連れ行く」以上の明確な実力行使の意味があったわけではなく、「連行」という語は国語辞典明治37年12月(林幸行、修学堂)[18]や大日本国語辞典1940-(上田万年・松井簡治 共著、富山房)[19]には採録されていない。「人を捕らえて無理に連れていく」意味である「勾引」[20]という用語は刑事訴訟法(旧:大正11年法律75号)による法律用語でもあり、大日本国語辞典(1940-)に採録されている。

戦後、公式の場でのもっとも古い使用例は1953年11月19日の参議院法務委員会での與謝野光・東京都衛生局長の発言で、街娼を検診のため強制的に連行したことを「強制連行」するという表現を用いて説明している[21]

戦後一般に、「連行」は公的権力によって連れて行かれることについて使われることが多い。

日本における強制連行の定義に関わる議論と研究[編集]

日本においては、戦時中に朝鮮人・中国人を労働者や慰安婦として強制連行したとする主張があり、他方で朝鮮半島での動員の実態については通常の戦時徴用であったとする主張もあり、そもそも「強制連行」と呼ばれるべき事象であったかどうかを巡り議論がある[22][1]。また、強制連行という言葉の定義も論者によって一定せず、議論が混乱する原因になっている[1]


事典の記載[編集]

事典では平凡社世界大百科事典、同MYPEDIA、丸善エンサイクロペディアは独立項目として「強制連行」を記述する。うち平凡社世界大百科事典は田中宏により執筆されている。他の事典は執筆者の明示は無い。

平凡社世界大百科事典第2版では「1937年に日中全面戦争に突入して以降,労働力や軍要員の不足を補うために,日本は国策として朝鮮人,中国人を日本内地,樺太,南方の各地に投入したが,駆り集め方が強制的であったためこう呼ばれる。」とし、「38年4月には国家総動員法が, 翌年7月には国民徴用令が公布され,日本の内外地における労務動員計画がたてられた(徴用)。39年の動員計画数110万のうち8万5000は朝鮮人に 割り当てられ,各事業主にその狩出しを認可し,42年からは国家自身の手になる 〈官斡旋〉に移行した。」ことが紹介されている[23]。丸善エンサイクロペディアでは「(中国人1943-45、朝鮮人1939-45)第二次大戦中、中国人、朝鮮人を強制的に軍需動員したもの。総力戦体制の一環として、中国人労働者、朝鮮人労働者内地移入に関する件が各々閣議、朝鮮総督府により決定された(後略)」と記述する。

同じく平凡社日本史大事典はやはり執筆が田中宏。内容もほとんど同じ[24]

小学館日本大百科全書には「朝鮮人強制連行」[25]という項目があり、「朝鮮人強制連行の記録」の著者である朴慶植が執筆している。そこでは「朝鮮総督府の官公吏・警察官および会社労務係らが一体となって暴力的に各事業所に強制連行した。それらは割当て動員数を満たすため昼夜を分かたず、畑仕事の最中や、勤務の帰りまでも待ち伏せしてむりやりに連行するなど「奴隷狩り」のような例が多かった。(中略)陸軍慰安婦として数万人の女性が女子挺身(ていしん)隊の名のもとに狩り立てられた。」と記載している。

角川新版・日本史辞典には「アジア太平洋戦争」時に日本政府が朝鮮人や中国人に強制した労務動員を指して、一般に使われる。戦時統制経済下で、政府は1939年(昭和14年)に労務動員実施計画綱領を作成し、不足する労働力を「移入朝鮮人」で補おうとする方針を立てた。(以下略)」と書かれている。また「連行先は日本国内だけでなく、樺太、東南アジア、太平洋諸国と広範囲におよび、炭坑・土木工事など、危険な重労働につかされたため死傷・逃亡が多かった。朝鮮人の動員数は72万人とも150万人ともいわれ、中国人は約4万人と見られている。」と書かれている[26]

日本近現代史専攻の研究者・外村大は、辞典によっては朝鮮人を日本軍の兵士や軍属、「従軍慰安婦」としたことも強制連行として説明しているケースもある。このような記述はこれまでの歴史研究の成果を反映したものであると書いている[27]

辞書の記載[編集]

岩波書店の広辞苑は4版以後で「朝鮮人強制連行」として記載が登場する[28]

【朝鮮人強制連行】
  • (4版1991年1月)日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
  • (5版1998年11月)日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
  • (6版2008年1月)日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。

5版(1998年)と6版(2008年)との間の変化をみると、強制連行に関しては「従軍慰安婦」が「慰安婦」に変わるという変化がある。谷沢永一渡部昇一は5版の記載を前提に、これは史実と異なる記述でありイデオロギーにもとづく記述は辞書に値しないと批判し、岩波書店は訂正と謝罪を行うべきであると主張している[29]

強制移住と強制連行[編集]

人類学者の綾部恒雄は、移民と異なり、強制移住や強制連行によって異郷へ送られ少数民族になったケースとして、英仏戦争の結果、カナダからルイジアナへ移住したフランス系ケージアン、第二次大戦中に日本によって強制連行された朝鮮人、樺太カザフ共和国における朝鮮人、対独協力をしたとしてウズベク共和国へ強制移住させられたメスヘティア・トルコ人やコーカサス・ボルガ河流域から強制移住させられたイスラム教徒などをあげている[4][30]。ほか強制移住のケースとしてはアメリカ合衆国におけるインディアン移住などもある(涙の道参照)。

ソ連における朝鮮人移民の強制移住政策[編集]

1920年代から1930年代にかけてソ連では朝鮮人移民が問題視され、1926年1月には「中国人と朝鮮人のソ連領への流入を阻止するため、あらゆる可能な措置をとる」ことを外務人民委員が決定し、1930年12月28日には極東地方執行委員会が、朝鮮人への土地の賃貸を完全停止し、また朝鮮人労働者の雇用を禁止した[6]。さらに1937年8月21日にソ連人民委員会議・全連邦共産党中央委員会は国境地域からの朝鮮人追放と南カザフスタン州、アラル海とバルハシュ湖周辺、ウズベクへの強制移住を命じた[6]

強制連行の歴史[編集]

カリブにおける黒人奴隷[編集]

カリブ海地域の国々では1492年のコロンブスらの到来以降、西欧列強の本格的な海外植民地として、アフリカなどから強制連行されてきた奴隷を使ったプランテーション経営が行われた[31]。カリブ地域は他のラテンアメリカ地域とは異なり、原住民インディオ文化はほぼ完全に絶滅させられたか局所的に残るだけとなり、奴隷として強制連行された西・中央アフリカの黒人の子孫が社会の大多数を占め、アフリカ黒人系文化が重要な位置を占めるに至った[32]

スペイン王国によるインディオ[編集]

インディアス法[編集]

16世紀にみられるカスティーリャ王国(スペイン王国)によるアステカ・インカ征服のさい、先住民(インディオ)の虐待、奴隷化が聖職者から告発され、先住民の処遇が問題となった。モンテシーノス修道士の植民者糾弾によりブルゴス諸法が公布されたが、スペインがインディアスを支配する根拠を明白にする必要が生じ、フェルディナンド王はインディオに対する戦闘を正当化させる方策を検討させた。これは「レケリミエント」(催告・勧降状)というものであって、法王の代理人であるスペイン国王の権威、またキリストの信仰を認めなければ懲罰を加えるというものであった。植民者たちはインディオ狩りに際しこの文書を読み上げることを義務付けられ、公証人も同行した。そしてインディオの側から承諾の返事がなければインディオを強制連行することを許可される、というものであった[33]

アメリカにおけるインディアンの強制移住[編集]

インディアン移住涙の道を参照。

オーストラリアにおける強制連行[編集]

19世紀には太平洋諸島のカナカ人(Kanakas)らが年季奉公として徴募・強制連行された(en:Blackbirding参照)。

また19世紀から20世紀にかけてオーストラリアではアボリジニの子供たちが強制収容所などの施設に強制連行された(盗まれた世代参照)。

第二次世界大戦時の強制連行[編集]

※日本における強制連行については#日本における強制連行問題を参照。

強制収容所[編集]

戦時中の敵国市民や、また政治犯などが強制収容所に強制的に連行され、収容された事例も多数ある。

日系人強制連行[編集]

第二次世界大戦時のアメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア、ペルー、ブラジル、コロンビアなどにおいて日系移民が強制収容されている(日系人の強制収容)。

第二次大戦にともなう米国の強制収容政策の一環として、ペルーを中心としたアメリカ諸国から米国に強制的に連行・抑留された日系人がいた。彼らはいわゆる日系人社会のリーダー層であり、日本軍への協力の嫌疑をかけられ、人数は多くは無いが、米国に強制連行される際、パスポートの携帯を許されずあるいは途中で没収されたかの理由により、米国政府から不法移民の地位を付与され司法省移民局管轄の抑留所に監禁された[34]

ナチスドイツによるKZと外国人労働者政策[編集]

ナチスドイツのコンツェントラツィオンス・ラーガー、KZとよばれる施設があった。

大恐慌以降のナチスによる経済政策の結果、1936年以降高失業率は解消され、軍備拡大政策にともなう諸工業の発展は逆に深刻な労働力不足をもたらした。近隣諸国との労働者派遣に関する二国間協定により国外から労働力が集められたが、それは市民労働者と戦時捕虜としての外国人労働者が含まれていた。1941年以降には強制収容所労働者がドイツ軍需産業に投入され、1942年以降にはフリッツ・ザウケルを中心に3年に渡りヨーロッパ占領地区から労働従事者を強制連行した[35][36]

ソ連におけるラーゲリと強制連行[編集]

ソ連では強制収容所はラーゲリとよばれた。

シベリア抑留[編集]

ロシア国立軍事公文書館の資料によると、ソビエト連邦は第二次世界大戦で日本が降伏すると約76万人の日本人をシベリアなどソビエト各地に連行し、強制労働させたこと(シベリア抑留)が明らかになっている[37]。70万人以上が強制連行されたと言われ、最高数としては200万人以上との説もある[38]。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている[37]

中国共産党による日本人捕虜・居留民への強制連行[編集]

また、第二次世界大戦終結後、中国に残留していた日本人のなかには中国共産党によって中華民国政府との戦争や技術取得のために強制的に連行された者もあった[39]。連行された者には小学生[40]や女子高校生のような10代の若者もおり、数年間に渡って戦争の支援をさせられた[39]1946年2月3日には、 八路軍の圧政に蜂起した日本人が虐殺される通化事件が発生している。

他方、国民党の蒋介石は「徳を以て怨みに報いる」として、終戦直後の日本人居留民らに対して報復的な態度を禁じたうえで送還政策をとった[41]

朝鮮人強制連行[編集]

中国人と強制連行[編集]


大韓民国における強制連行[編集]

朝鮮戦争の時代には、韓国政府や、米軍、国連軍などによって韓国や北朝鮮の女性が強制連行され、国連軍・韓国軍慰安婦にさせられたり、また強姦されたといわれ、近年では訴訟なども行われている[42]

慰安婦問題と強制連行[編集]

「広義の強制連行」[編集]

詳細は朝鮮人強制連行#慰安婦問題と強制連行を参照

従軍慰安婦問題の研究者吉見義明も「強制とは『本人たちの意思』に反する行為をさせること」であり「本人の意思に反して連行していくことは『強制連行』」であると定義している[43]:3。民間人による就職詐欺のケースも強制連行に含め朝鮮半島や台湾で慰安婦の強制連行が行われたのは事実であり、軍はこれに通行許可書を発行するなどの関与をしたと主張している[44]。このように拡大された定義を「広義の強制連行」と呼ぶ[45]:35。吉見によれば、自発的に慰安婦になる女性が存在するはずはなく、「たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果」なのだという[46]:103。1997年に吉見は「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは確認されていない」とした[47]。しかし、フィリピン中国インドネシアでは強制連行があったと主張している[47]。このように吉見らは、インドネシアベトナムといった戦地で兵士によって女性が拉致されたケースも強制連行に含め、日本外国特派員協会などで発表[48]。日本政府に対するニューヨーク・タイムズなどの厳しい論調を引き出した[49]

こうした吉見の「広義の強制連行」論は、貧困・就職詐欺や戦地での軍規違反のケースまで含めるなど、強制(連行)という言葉の解釈を拡大する手法には批判も出ている。秦郁彦はこの拡張した定義について「この論理を適用すると、当今の霊感商法やねずみ講のたぐいまで、国は被害者への補償責任を負うことになってしまう」といっている[50]

挺対協による議論[編集]

挺対協は婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約条約の指定する「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」第2条を引用し「詐欺または、暴行、脅迫、権力乱用、その他一切の強制手段」による慰安婦動員を強制連行とする[51]


現代の強制連行[編集]

南アフリカ共和国のアパルトヘイト[編集]

1950年代から1980年代にかけて南アフリカ共和国の政策においてアフリカ系住民がバントゥースタンなどへ強制移住された(アパルトヘイト参照)。

アルゼンチン軍政期[編集]

アルゼンチンでは軍事政権期(1976-83年)に3万人以上が軍の強制連行により行方不明になったとされる。1979年に「5月広場の母たちの運動」が結成され、行方不明者の調査と不法逮捕者の釈放を求める要望書に2万4000人の署名が集められた[52]

中国共産党による強制連行[編集]

チベット問題における強制連行[編集]

チベット亡命政府大紀元は、チベット人僧侶やダライ・ラマ14世を支持する者が中国共産党によって「強制連行」され続けていると継続的に主張している[53][54]

労働改造所[編集]

北朝鮮の強制収容所[編集]

現在でも北朝鮮では強制収容所が存在する。

アメリカ合衆国グァンタナモ米軍基地問題[編集]

2000年代でもアメリカ軍によってグァンタナモ米軍基地へ非軍人を含むアフガニスタン人、イラク人が収容され、アムネスティ・インターナショナルから「対テロ戦争を口実にした収容所での人権侵害」と告発され、オバマ大統領は閉鎖を命じたが、2013年現在まだ閉鎖されていない(グアンタナモ湾収容キャンプ参照)。

強制連行を扱った作品[編集]

  • 雁屋哲の漫画「美味しんぼ」の中では強制連行を日本人が行った罪としており、強制連行の話が登場する。

脚註[編集]

  1. ^ a b c d 『朝鮮人強制連行の研究』(明石書店2003年)、p45-46
  2. ^ デジタル大辞泉、小学館
  3. ^ 奴隷強制労働
  4. ^ a b c 綾部恒雄「序論 少数民族問題の現状と課題」『文化人類学7』アカデミア出版会、1990
  5. ^ 鄭大均『在日・強制連行の神話』,p18-19
  6. ^ a b c 岡奈津子「http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/45/oka/oka.html ロシア極東の朝鮮人 -ソビエト民族政策と強制移住-」スラヴ研究45号,北海道大学,1998年
  7. ^ 鄭大均『在日・強制連行の神話』,p18-19
  8. ^ 『世界大百科事典 第2版』【強制連行】 http://kotobank.jp/word/%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C
  9. ^ 広辞苑第六版、岩波書店、【朝鮮人強制連行】=「日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた」と記載している
  10. ^ a b c 木村幹「総力戦体制期の朝鮮半島に関する一考察 人的動員を中心にして」(日韓歴史共同研究委員会 2005)[1][2]
  11. ^ [3]賀川真理「第二次世界大戦中に強制収容された日系人に対するもう一つの戦後補償」
  12. ^ 世界大百科事典第2版
  13. ^ 金英達 『朝鮮人強制連行の研究』 明石書店  2003年 2月ISBN 978-4750316819
  14. ^ 鄭大均 『在日・強制連行の神話』 文春新書  2004年 6月ISBN 978-4166603848
  15. ^ 木村幹「総力戦体制期の朝鮮半島に関する一考察 人的動員を中心にして」(日韓歴史共同研究委員会 2005)[4][5]p.335、PDF-P.15
  16. ^ 「八路系共匪の好んでとる清野政策-退却に際して城壁を毀ち、井戸を埋め人民を強制連行する戦法-により、わが軍の占拠地には、まず一物も残されていないのが常であるが・・」大阪朝日新聞(1939.7.16-1939.8.1、昭和14年)[6]神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
  17. ^ 例えば大阪朝日新聞 (1922.10.9、大正11年)「九条署では当日第一号タンク上で作業をしていた瓦斯職工須原弘外数名を連行、深更まで原因について取調べたが・・・」[7]神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
  18. ^ 国会図書館・近代デジタルライブラリ[8]
  19. ^ 国会図書館・近代デジタルライブラリ[9]
  20. ^ goo辞典「勾引」[10](小学館デジタル大辞泉)
  21. ^ 国会会議録 参議院 法務委員会 閉1号 昭和28年11月19日與謝野光・東京都衛生局長の発言「街頭で発見されました街娼と申しますか、これらに対しまして、即日即刻車に強制連行をいたしまして、病院に連れて参りまして、健康診断を実施するという方式をとつて参つたのであります。」
  22. ^ 鄭大均 『在日・強制連行の神話』 p61-63
  23. ^ 「強制連行」 世界大百科辞典第2版 マイペディア(Web版)。なおWeb版、書籍版、「世界大百科事典」「MYPEDIA」には各々言葉の言い回しや解説分量等に差異あり。また各百科事典の掲載版によっても差異あり注意。
  24. ^ 日本史大事典第二巻(かーけ)、1993年第一刷
  25. ^ 「朝鮮人強制連行」 日本大百科全書 小学館 Yahoo!百科事典(Web版)
  26. ^ 角川ワイド版『新版・日本史辞典』1997,9-1、朝尾直弘、宇野俊一、田中琢監修
  27. ^ 外村大『朝鮮人強制連行』岩波新書,p2
  28. ^ 新井佐和子:『広辞苑』が載せた「朝鮮人強制連行」のウソ。正論(1998/5)pp46-53
  29. ^ 『広辞苑の嘘』光文社2001,pp210-211および同書全体
  30. ^ 鄭大均『在日・強制連行の神話』,p18-19
  31. ^ 「不法占領地の合法化と女性のリーダーシップ」江口信清(立命館文学2006.3)[11][12]
  32. ^ 「儀礼の音へのアプローチ(1)」長嶋佳子・柴田佳子(大阪学院大学人文自然論叢1989.12)P.46、PDF-P.3[13][14]
  33. ^ 「インディアス法の形成と発展」中川和彦(成城法学1998)P.8、PDF-P.8[15][16]
  34. ^ 「日系人の強制立ち退き・収容に関する実態分析」山本剛郎(西学院大学社会学部紀要2008.3)P.22、PDF-P.19[17][18]
  35. ^ 「ナチス期ドイツ外国人労働者政策における階層構造」高橋典子(名古屋大学国際言語文化研究科、2005年)[19][20]
  36. ^ 実数など詳細は「第三帝国における強制労働」田村光彰(北陸大学紀要2004)[21]が詳しい。
  37. ^ a b “シベリア抑留、露に76万人分の資料 軍事公文書館でカード発見”. 産経新聞. (2009年7月24日). http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090724/erp0907240115000-n1.htm 2010年3月13日閲覧。 [リンク切れ]
  38. ^ V.A.アルハンゲリスキーの著作およびマッカーサー元帥の統計より。V・A・アルハンゲリスキー『プリンス近衛殺人事件』(2000年、新潮社)
  39. ^ a b 第008回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号”. 衆議院. 国立国会図書館 (1950年10月31日). 2010年9月29日閲覧。
  40. ^ 佐藤和明 (1998-01). 少年は見た 通化事件の真実. 新評論. pp. 171-172. ISBN 4794803869. 
  41. ^ 陳祖恩「上海日本人居留民戦後送還政策の実情」『北東アジア研究』第10号、2006年1月
  42. ^ 韓国軍慰安婦在韓米軍慰安婦問題参照
  43. ^ 季刊戦争責任研究2009年夏号
  44. ^ 吉見中大教授 橋下市長暴言を批判
    「朝鮮・台湾でおこなわれていた業者による連行も、業者は軍、総督府が選定し、誘拐や甘言、人身売買をもちいて連行したのであり、『強制連行』だと指摘」
  45. ^ 吉見義明 『従軍慰安婦資料集』 大月書店 1992年12月 ISBN 978-4272520251
  46. ^ 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書 ISBN 9784004303848
  47. ^ a b 吉見義明・川田文子『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店,1997年,p24
  48. ^ “旧日本軍の「慰安婦」強制動員 証明文書を確認”. 朝鮮新報. (2007年4月23日). http://megalodon.jp/2012-1214-1856-36/www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/05/0705j0423-00001.htm 2012年12月15日閲覧。 
  49. ^ “In Japan, a Historian Stands by Proof of Wartime Sex Slavery” (英語). ニューヨーク・タイムズ. (2007年3月31日). http://www.nytimes.com/2007/03/31/world/asia/31yoshimi.html?pagewanted=all&_r=0 2012年12月15日閲覧。 
  50. ^ 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』p379
  51. ^ 『証言・強制連行された朝鮮人慰安婦たち』明石書店1993.10.3、P.26
  52. ^ 「ラテンアメリカの民衆社会運動」幡谷則子(アジア経済研究所2007年)P.139、PDF-P.17[22]
  53. ^ 2009年3月12日 大紀元日本 自由アジア放送(RFA)チベット事件一周年前、2寺院の僧侶らを連行=青海省
  54. ^ 2007年8月6日 大紀元日本中国四川省:ダライ・ラマ14世の帰国を呼びかけたチベット人、強制連行

参考文献[編集]

関連項目[編集]