吉見義明

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吉見 義明 (よしみ よしあき、1946年 - )は、日本歴史学者中央大学商学部教授。専攻は日本史。日本の戦争責任資料センター共同代表。所属学会は日本史研究会(1977-)、歴史学研究会(1976-)など[1]

人物

日本の戦争責任問題、戦時下の民衆社会やその戦争体験受容の歴史などを研究対象としており、特に日本の慰安婦や、日本軍による毒ガス戦など「日本軍によって被害にあった声を日韓の若い人に伝え受け止めてもらう」ことを使命としている[2]。慰安婦問題では慰安婦は日本による性奴隷制度という立場から、積極的な活動を行っている。吉見の主張する従軍慰安婦の被害者総数は7~20万人は韓国政府によって世界に広められている[3]

略歴

慰安婦問題との関わり

吉見は日本の慰安婦に関する論争において、軍政策としての「強制性」があったと主張する人物である。

吉見の言う「強制性」とは、1910年に日本も結んでいた『婦女売買に関する国際条約』の第2条の「詐欺・暴行・脅迫・権力乱用などにその他一切の強制手段」や戦前の刑法第33章『略取及び誘拐の罪』の第226条の「国外移送目的略奪罪」「国外移送目的誘拐罪」「国外移送目的人身売買罪」「国外移送罪」4つの犯罪に違反する行為のことだという[4]。「騙されて連れていかれ、暴行と強姦を受けた」事は、詐欺による強制であり、「その後も拘束され自由を奪われるならそれも強制である」としている[5]。また、自由意志で慰安婦となった女性についても、職業選択の自由があれば慰安婦となる者はいないとし、貧困や失業、植民地支配といった強制の結果だと1995年の自著で主張をしていた[6](2014年にも人身売買の場合は奴隷制であるという見解を示している[7])。

朝鮮や台湾において軍が奴隷狩りのような強制連行をしたという資料がないことは認めており、自身もそのような主張をしたことはないと述べている[8]。そして「狭義の強制」がないことを唱えて「日本政府に責任なし」という意見は、「国外移送目的略奪罪」に該当するケースだけを罪としているのだと主張している[9]。また「軍が徴募の指示をしていれば、軍が最高責任者である」と述べている[10]

吉見が慰安婦問題で脚光を浴びたのは、防衛庁防衛研究所図書館で閲覧した慰安婦に関する資料をコピーして朝日新聞の記者に渡したことにはじまる。

朝日新聞は宮沢喜一首相(当時)の訪韓直前の1992年1月11日、一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる。この記事では吉見が資料を「発見」したと報道されたが、研究者の間ではこの資料は既に周知のものであったと秦郁彦は書いている[11]。ただし吉見は秦と話したことを否定している[12]。 吉見は朝日の紙面で「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」とコメントした。この記事の説明や同日の社説には「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は8万とも20万ともいわれる」との報道もなされた。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮沢首相には「前向きの姿勢を望みたい」と報じ、1月13日加藤紘一官房長官(当時)が「お詫びと反省」の談話を発表、1月14日、宮沢首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べるに至った。

吉見が「発見した」と報じられたこの資料は「陸支密大日記」に閉じ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(昭和13年3月4日、陸軍省兵務局兵務課起案、北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛)というもので、内容は「内地においてこれの従業婦等を募集するに当り、ことさらに軍部諒解などの名儀を利用しために軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれある」から「憲兵および警察当局との連繋を密にし軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たく」というものであった。これについて吉見は「軍の関与は明白」と主張した[13]

これに対してこの資料が示す「関与」とは、朝日新聞が報道するような「関与」とは全く意味合いが違うものであったとする批判がでた。西岡力小林よしのり高橋史朗などからは、「悪質な業者が不統制に募集し「強制連行」しないよう軍が関与していたことを示しているもので「善意の関与」である」との批判や吉見とは別解釈が出た[14][15]

これらの批判に対して吉見は、(1)通達の主旨は派遣軍が業者を管理すべしというものであり取り締まりの励行ではない、(2)朝鮮や台湾でこのような書類が見つかっていない事を、小林よしのりらは知らず、朝鮮や台湾でもこの通達が出ていると考えているから、そうした考え方をするのだ、と主張している[16]。最近では日本の戦争責任資料センターのホームページなどでも反論を出している。なお、『朝まで生テレビ』において、強制連行を裏付ける物理的な証拠が旧植民地にて発見されていないことを認め、また外務省が非公開としている資料から発見される可能性があることを述べている。

この朝日新聞の報道以降、元慰安婦の訴訟、日韓間の政治問題化、教科書問題などに従い慰安婦問題が取り上げられる事となり、吉見はこれらの動きに応じてその後も慰安婦関係の研究を続け、著作・発言を行っており、現在は『日本軍慰安婦問題の立法解決を求める緊急120万人署名』の賛同人などを務めている[17]

また、慰安婦の強制連行を認める立場の論客の中でも、文書史料などからその証明を行おうとするオーソドックスの歴史学のアプローチを採用する吉見に対して、上野千鶴子などの論者から「公文書史料は支配者側の記録であり、抑圧された『弱者』の側の現実が史料から見出すことはできない」など、研究手法自体について批判がなされ、論争が展開された[18]

2007年(平成19年)4月17日林博史との共同記者会見で、「慰安所は事実上組織的な'性奴隷'だ。慰安婦たちは強圧による拉致誘拐で募集され、監禁された」とし、「安倍総理は狭義の強制性という言葉を動員して強制動員を否認しているが、中国の山西省での裁判資料やフィリピンの女性たちの証言、オランダ政府の資料などを見れば、日本軍や官吏による強制動員が行われたことは明らかだ」と述べ、「安倍総理と政府は、慰安婦の強制動員に伴い、女性の尊厳性を無視したことに対し、明確な立場を示して法的責任を負わなければならない」と要求した[19]

2009年(平成21年)3月、吉見は西野瑠美子林博史らと共同で戦争と女性の人権博物館の呼びかけ人となった[20]

2013年6月4日、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が慰安婦制度について「他国も同じようなことをしていた」と発言したことに対して、「軍の施設として組織的に慰安所を作った国はほかにない。日本の慰安婦制度は特異だった」と主張した[21]。これに対して、池田信夫は、ナチスドイツにおける国営売春施設があったことや、ソ連や英連邦軍にも軍用売春施設があったこと、また戦後の日本でRAAと呼ばれる米軍用の売春施設が設置されたことを示し、吉見の発言は嘘であると批判し、「そもそも公式の施設があったかどうかなんて大した問題ではなく、戦争に強姦や売春はつきもので、どこの国もやっていた」と非難した[22] 。また、日本以外の慰安婦問題として韓国軍慰安婦在韓米軍慰安婦問題なども存在している。

吉見は「RAAついて「占領軍が日本政府に要求して作らせた」といった主張や「国営売春施設はどこの国にも存在する制度である」といった主張に対しては、根拠となる証拠資料は一切挙げられていないと主張している[23][24]。また、吉見義明のこの表現は記者会見の報道記事の一部を要約したものであり、吉見の考えはすでに複数の著作に述べられている[25]。この件に関しての吉見の考えとしては、「これまでの研究では、第二次世界大戦時において日本軍「慰安婦」制度のような国家による組織的な性奴隷制を有していたのは、日本とナチス・ドイツだけであった。」「当時、当初から公娼制のなかったアメリカや、イギリスなどのように公娼制を廃止していた国が多く、将兵が民間の売春宿を利用することはあったとしても、軍が組織的に管理運営することは許されなかった国々が多かった。」「諸外国の軍人による性暴力もあったが、それは「慰安婦」制度とは別のものであり、それらを混同させて、日本軍「慰安婦」制度を免罪することはできない。」などがあり、「何よりも日本自らが犯した深刻な性犯罪である「慰安婦」制度とさまざまな性犯罪を真剣に受け止め、事実を認め謝罪と個人補償をおこなったうえで、他国の問題を提起すべきである。」との考えを述べている[26][27]

日本人の慰安婦について

慰安所に従事していた日本人女性については「10パーセントくらいの日本女性もいたが、前歴が売春婦を主としていた。」と主張している[28]

秦郁彦との対談

2013年6月13日、ラジオで秦郁彦との対談が行われた。この対談で吉見は、人身売買でなく本人の自由意志ならば、たとえ公娼であっても「性奴隷」とは言えないという見解を示した。そして朝鮮では親が子を身売りし、その子は業者により慰安所に連れて行かれたケースが発生していたため、これは人身売買であり、また軍が管理する施設であり、慰安婦は性奴隷であり、軍に責任があると主張した。

また慰安婦に対する見解として、秦は「公娼制において売春に従事していた女性を娼妓と呼び、戦地における娼妓が慰安婦であった。基本的には同じ公娼制の延長戦上にあった。」と述べているのに対し、吉見は公娼と慰安婦制度について「両者に関連があるということは言えるが、明らかに異質のものだ」として、これを否定している[7]。「内地の公娼制度も性奴隷制度である」とする吉見だが、慰安婦制度は「それよりももっと性奴隷制度の性格が強いものだ」と主張している[7]

著作

単著

共著

編纂史料

  • 『資料日本現代史(4)翼賛選挙1』(大月書店, 1981年
  • 『資料日本現代史(5)翼賛選挙2』(大月書店, 1981年)
  • 『資料日本現代史(10)日中戦争期の国民動員1』(大月書店, 1984年
  • 『資料日本現代史(11)日中戦争期の国民動員2』(大月書店, 1984年)
  • 『十五年戦争極秘資料集 第18集 毒ガス戦関係資料』(不二出版, 1989年
  • 『従軍慰安婦資料集』(大月書店, 1992年)
  • 『十五年戦争極秘資料集 補巻2 毒ガス戦関係資料2』(不二出版, 1997年)

脚注

  1. ^ 中央大学 研究者情報データベース
  2. ^ アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件 (韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会)口頭弁論 1997年12月15日13時30分より、東京地方裁判所713法廷 鑑定証人尋問 「慰安婦」問題に関係したのは、1991年12月、金学順〔キム・ハクスン)さんら数人の裁判提訴があり、その語ったことがきっかけだった。「日本軍によって被害にあった声を日韓の若い人に伝え受け止めてもらいたい」といわれたのだが、そういうことが歴史を志したもの、歴史家の使命であると思った。」[1]
  3. ^ [2]
  4. ^ 吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』p11~p14、岩波ブックレット
  5. ^ 俵義文『慰安婦問題と教科書攻撃』p365、高文研
  6. ^ 吉見『従軍慰安婦』p.103
  7. ^ a b c 「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」秦郁彦 vs 吉見義明:「荻上チキ・Session-22」(TBSラジオ、2013年6月13日(木)22:00-23:55)
  8. ^ 展転社『歴史教科書への疑問』p184
  9. ^ 吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』p13、岩波ブックレット
  10. ^ 吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』p13、岩波ブックレット
  11. ^ 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』 新潮社
  12. ^ 林博史『秦郁彦「慰安婦と戦場の性」批判』「週刊金曜日」290号、1999年11月5日
  13. ^ 1992年、1月11日、朝日新聞第一面
  14. ^ 高橋史朗『新しい日本の歴史が始まる』
  15. ^ 西岡力「よくわかる慰安婦問題」
  16. ^ 『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』、大月書店、1997年
  17. ^ 日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名 「166,651筆を集約! 国際的に取り組まれた署名とあわせ、総数610,832筆を政府に提出」
  18. ^ 上野輝将「『ポスト構造主義』と歴史学――『従軍慰安婦』問題をめぐる上野千鶴子・吉見義明の論争を素材に」『日本史研究』509号(2005年1月)。この論争に関するより平易なまとめとしては、小田中直樹『歴史学ってなんだ?』(PHP研究所[PHP新書]、2004年)の第2章がある。
  19. ^ 日本の心臓部で広がった「慰安婦」問題糾弾の声
  20. ^ 「戦争と女性の人権博物館」日本建設委員会/WHR日本建設委呼びかけ人 [3]
  21. ^ 「日本の慰安婦制度は特異」 歴史学者が橋下氏批判 2013/06/04 17:03 【共同通信】 http://www.47news.jp/CN/201306/CN2013060401002072.html
  22. ^ 池田信夫 吉見義明氏の偽造する歴史 [4]
  23. ^ 吉見が共同代表を務めている日本の戦争責任資料センター 「日本軍「慰安婦」問題に関する声明」2013年6月9日 http://space.geocities.jp/japanwarres/
  24. ^ Fight For Justice http://fightforjustice.info/?page_id=166 Q&A 0-8 占領軍は慰安所を要求した?
  25. ^ 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書、1995年など
  26. ^ 吉見が共同代表を務めている日本の戦争責任資料センター 「日本軍「慰安婦」問題に関する声明」2013年6月9日 http://space.geocities.jp/japanwarres/
  27. ^ Fight For Justice http://fightforjustice.info/?page_id=166 Q&A 0-9 特殊慰安施設協会は米軍の国営だった?
  28. ^ アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件 (韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会)口頭弁論 1997年12月15日13時30分より、東京地方裁判所713法廷 鑑定証人尋問 [5]

関連項目

外部リンク