鄭大均

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鄭 大均(てい たいきん(정대균チョン・ テギュンとも)、1948年 - )は、日本の学者首都大学東京都市教養学部特任教授。専攻は東アジアのナショナル・アイデンティティ、日韓関係論、在日外国人。韓国系日本人

人物[編集]

岩手県生まれ。父親は1922年、当時の京城から東京にやってきた朝鮮人で、1923年に出版され、朝鮮人によって書かれた最初の日本語小説として知られる『さすらひの空』の著者である鄭然圭。母親は岩手県和賀郡黒沢尻町(現在の北上市)出身。結婚してしばらくは東京に住んでいたが、1944年に空襲を避けて岩手県に疎開。大均はその地で戦後に生まれた。岩手県立黒沢尻北高等学校立教大学文学部および法学部を卒業。1973年から74年にかけてアメリカ合衆国東部で暮らす。1978年カリフォルニア大学ロサンゼルス校修士課程修了(M.A、アジア系アメリカ人研究)。履歴については自叙伝的作品である「在日の耐えられない軽さ」(中公新書)に詳しい。

米国から東京に戻り、英語学校で教えながら1980年頃から在日論を書き始める。その後70年代に東京で会った留学生・崔吉城の誘いを受け、慶南大学校師範学部(韓国馬山市)、東亜大学校人文学部(韓国釜山市)、啓明大学校外国学学部(韓国大邱市)で14年間教鞭をとる。

啓明大学校副教授から転じ、1995年東京都立大学(現首都大学東京)人文学部に助教授として着任、1999年に教授、2013年3月に定年退職。同年11月から特任教授となる。2004年に日本に帰化。妻は韓国の大学教員。

妹は鄭香均。香均は、日本国籍でないことを理由に東京都の管理職選考試験の受験を拒否されたとして都を訴え、二審で一部勝訴(慰謝料支払のみ認定)するも、最高裁において(最大判平成17年1月26日民集59-1-128)敗訴が確定した(東京都管理職国籍条項訴訟)。これに関し、鄭大均は正論ニューズウィーク日本語版の誌上等で妹に苦言を呈している。

日韓関係を集団アイデンティティの視点から分析。従来の歴史・道徳史観濃厚の日韓関係論とは異質の議論を展開。在日韓国・朝鮮人論も、その被害者性を強調する従来の在日論とは異質の議論を展開している。在日コリアンに日本への帰化を勧めるとともに、韓国系日本人(元在日外国人)の立場から、永住外国人への地方参政権付与に反対し、国会で参考人招致を受けた際も反対論を展開している。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『日韓のパラレリズム――新しい眺め合いは可能か』(三交社, 1992年)/「韓国のナショナリズム」に改題、(岩波書店[岩波現代文庫], 2003年)
  • 『韓国のイメ-ジ――戦後日本人の隣国観』(中央公論社[中公新書], 1995年)
  • 『日本(イルボン)のイメ-ジ――韓国人の日本観』(中央公論社[中公新書], 1998年)
  • 『在日韓国人の終焉』(文藝春秋[文春新書], 2001年)
  • 『韓国ナショナリズムの不幸――なぜ抑制が働かないのか』(小学館][小学館文庫], 2003年)
  • 『在日・強制連行の神話』(文藝春秋[文春新書], 2004年)
  • 『在日の耐えられない軽さ』(中央公論新社[中公新書], 2006年)
  • 『韓国のイメ-ジ――戦後日本人の隣国観 増補版』(中央公論社[中公新書], 2010年)
  • 『姜尚中を批判する』(飛鳥新社, 2011年)
  • 『韓国が「反日」をやめる日は来るのか』(新人物往来社, 2012年)

共編著[編集]

  • 川村湊)『韓国という鏡――戦後世代の見た隣国』(東洋書院, 1986年)
  • 古田博司)『韓国・北朝鮮の嘘を見破る――近現代史の争点30』』(文藝春秋[文春新書], 2006年)

脚注[編集]

関連項目[編集]