ドナルド・キーン

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ドナルド・キーン
(Donald Keene)
Donald Keene.jpg
2002年10月東京都の自宅にて
ペンネーム ドナルド・キーン
誕生 Donald Lawrence Keene
1922年6月18日(90歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市
職業 文学者文芸評論家
言語 英語
日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 博士
最終学歴 コロンビア大学大学院東洋研究科博士課程修了
ジャンル 文学研究・文芸評論随筆
主題 日本文学・日本文化
代表作 『日本文学史』(1976年〜)
『明治天皇』(2001年)
主な受賞歴 菊池寛賞(1962年)
山片蟠桃賞(1983年)
読売文学賞(1985年)
日本文学大賞(1985年)
福岡アジア文化賞芸術・文化賞(1991年)
勲二等旭日重光章(1993年)
朝日賞(1998年)
毎日出版文化賞(2002年)
文化勲章(2008年)
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キーン ドナルド1922年6月18日 - )は、アメリカ合衆国出身の日本文学者日本学者。日本文学日本文化研究の第一人者であり、文芸評論家としても多くの著作がある。日本国籍取得後、米国籍での氏名「Donald Lawrence Keene」を改め、日本氏名は「キーン ドナルド」とカタカナで表記。通称(雅号)として漢字で鬼怒鳴門(きーん どなるど)を使う[1]

コロンビア大学名誉教授日本文化欧米へ紹介して数多くの業績があり数多くの大学や研究施設から様々な受賞経歴を持つ。称号東京都北区名誉区民[2]ケンブリッジ大学東北大学杏林大学ほかから名誉博士賞歴には全米文芸評論家賞受賞など。勲等勲二等。2008年に文化勲章受章。また、日本ペンクラブの名誉会員であり、2012年11月26日の日本ペンクラブ創立記念懇談会では演説を行った[3]

目次

来歴[編集]

生い立ち[編集]

ニューヨーク市ブルックリン区で貿易商の家庭に生まれる。9歳のとき父と共にヨーロッパを旅行し、このことがきっかけでフランス語など外国語の習得に強い興味を抱くようになる。両親の離婚により母子家庭に育ち、経済的困難に遭遇したが、奨学金を受けつつ飛び級を繰り返し、1938年(昭和13年)、16歳でコロンビア大学文学部に入学。同校でマーク・ヴァン・ドーレンライオネル・トリリングの薫陶を受ける。同じ頃、ヴァン・ドーレンの講義で中国人学生と親しくなり、そのことがきっかけで中国語、特に漢字の学習に惹かれるに至る。

太平洋戦争[編集]

1940年(昭和15年)、厚さに比して安価だったというだけの理由でタイムズスクエアで49セントで購入したアーサー・ウェイリー訳『源氏物語』に感動。漢字への興味の延長線上で日本語を学び始めると共に、角田柳作のもとで日本思想史を学び、日本研究の道に入る。コロンビア大学にて、1942年(昭和17年)に学士号を取得。日米開戦に伴って米海軍日本語学校に入学し、日本語教育の訓練を積んだのち情報士官として海軍に勤務し、太平洋戦線日本語の通訳官を務めた。通訳時代からの友人にオーティス・ケーリ(のち同志社大学名誉教授)やアイヴァン・モリスがいる。

研究者として[編集]

復員後コロンビア大学に戻り、角田柳作のもとで1947年(昭和22年)に修士号を取得。同年、ハーヴァード大学に転じ、セルゲイ・エリセーエフの講義を受ける。1948年(昭和23年)から5年間ケンブリッジ大学に学び、同時に講師を務める。同校ではバートランド・ラッセルに気に入られ、飲み友達として交際した。このころ、E・M・フォースターアーサー・ウェイリーとも交際。この間、1949年にコロンビア大学大学院東洋研究科博士課程を修了。

1953年(昭和28年)、京都大学大学院に留学。京都市東山区今熊野の下宿にて永井道雄と知り合い、生涯の友となり、その後は永井の紹介で嶋中鵬二とも生涯の友となった。1955年(昭和30年)からコロンビア大学助教授、のちに教授を経て、1992年(平成4年)に同大学名誉教授となった(1987年(昭和62年)から1989年(平成元年)の2年間は国際日本文化研究センター教授も併任)。

1982年(昭和57年)から1992年(平成4年)まで朝日新聞社客員編集委員。1986年(昭和61年)にはコロンビア大学に自らの名を冠した「ドナルド・キーン日本文化センター」が設立された。1999年(平成11年)から「ドナルド・キーン財団」理事長。2006年(平成18年)11月1日源氏物語千年紀の呼びかけ人となる。

東日本大震災と日本国籍取得[編集]

2011年(平成23年)3月11日東日本大震災を契機に、コロンビア大学を退職後は、日本国籍を取得し日本永住する意思を表明した[4]2011年(平成23年)9月1日には、永住の為来日し『家具などを全部処分して、やっと日本に来ることができて嬉しい。今日は曇っているが、雲の合間に日本の畑が見えて美しいと思った』と流暢な日本語で感慨を語った。また東北を訪れ仙台市の講演など被災地を訪問して被災者を激励したいとも話している[5]

2012年(平成24年)3月8日、日本国籍を取得した[6][7]雅号の鬼怒鳴門は鬼怒鳴門を組み合わせて作った当て字である[1]。2012年(平成24年)11月17日、トーストマスターズ・インターナショナル日本支部(District76)は、このキーンさんの行動に対して、「日本国籍を取り余生を日本で過ごす」という『言葉』(コミュニケーション)と、日本に移住した『行動』(リーダーシップ)により、希望を失っていた日本人に深い感銘と勇気を与えた」という理由で、第一回コミュニケーション・リーダーシップ賞を贈った。

業績[編集]

日本に関する著作は、日本語のものが30点、英語のものもおよそ25点ほど出版されている。近松門左衛門松尾芭蕉三島由紀夫など古典から現代文学まで研究対象の幅は広く、主に英語圏への日本文化の紹介・解説者として果たした役割も大きい。英語版の万葉集19世紀日本文学、中国文学アンソロジーの編纂にも関わった。

1976年には、日本語版、英語版それぞれの『日本文学史』の刊行が開始された。近世近代現代古代中世の三部に大きく分かれる。2011年冬より、『著作集』(新潮社、全15巻)刊行が始まった。

人物[編集]

婚姻
私生活においては独身を貫いている[8]
養子
浄瑠璃三味線の奏者である上原誠己を養子にしている[9]
本名
日本国籍を取得した際、戸籍上の本名は片仮名表記の「キーン ドナルド」[10]として登録した。また、日本国籍取得時の記者会見の席上、「人を笑わせる時に使います」[11]と述べつつ、漢字で「鬼怒鳴門」と表記した名刺を披露した。
趣味
クラシック音楽、特にオペラの熱心な愛好家であり、関連する著書にエッセイ集『音盤風刺花伝』『音楽の出会いとよろこび』(音楽之友社刊)がある。
交友関係
三島由紀夫とは1957年に知り合って以来、親交深い事で知られている。安部公房も親友として知られていた。
友人であった安部公房からは、明治天皇について書くことを告げると、書けば右翼から脅迫に遭うだろうと忠告された。何年かを経て実際書いてみると、どこからも脅迫されず逆に意気消沈したという。
交流のあった作家らは、上記の他に谷崎潤一郎川端康成吉田健一石川淳司馬遼太郎丸谷才一篠田一士など。かつて大江健三郎とも親しかったが、大江の態度の変化によって疎遠になった。大江から避けられるようになったことについて『私と20世紀のクロニクル』p.223-224では原因不明としている。ただ、大江の縁があって、安部と終生の親友になれた。1994年の井上靖文化賞授賞式の際には、キーンが出席出来なかった代わりに大江がスピーチに参加していた。

受賞・栄典[編集]

受賞歴[編集]

他多数

栄典[編集]

名誉博士[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • 『日本人の西洋発見』藤田豊、大沼雅彦共訳 錦正社 1957
     芳賀徹訳、中公叢書 1968、中公文庫 1982 
  • 『碧い目の太郎冠者』谷崎潤一郎序文、中央公論社、1957 のち中公文庫
  • 『日本の文学』 吉田健一訳 解説三島由紀夫筑摩書房:新書判 1963、のち中公文庫
  • 『文楽』 吉田健一訳 金子弘撮影 谷崎潤一郎序文 講談社 1966
     増補版 「歌舞伎・文楽」松宮史郎補訳、講談社学術文庫 2001
  • 『日本の作家』 中央公論社 1972 のち中公文庫
  • 『日本との出会い』篠田一士訳 中央公論社 1972 のち中公文庫
  • 『生きている日本』 江藤淳足立康訳 朝日出版社 1973
     改題・増補版「果てしなく美しい日本」 足立康改訳 講談社学術文庫 2002
  • 『日本文学散歩』 篠田一士訳  朝日選書 1975
  • 『日本文学史 近世篇』(World in the Wall) 徳岡孝夫
     中央公論社 全2巻 1976-77/中公文庫 全3巻 2011
  • 『ドナルド・キーンの音盤風刺花伝』 中矢一義訳 音楽之友社 1977
     改題 「わたしの好きなレコード」 中公文庫 1987
  • 『日本文学を読む』新潮選書 1977
  • 『日本を理解するまで』新潮社 1979
  • 『日本文学のなかへ』文藝春秋 1979
  • 『日本細見』 中矢一義訳 中央公論社 1980 のち中公文庫、紀行文
  • 『音楽の出会いとよろこび 続 音盤風刺花伝』 中矢一義訳 音楽之友社 1980
     改題 「音楽の出会いとよろこび」 中公文庫 1992
  • 『私の日本文学逍遥』 新潮社 1981
  • 『ついさきの歌声は』 中矢一義訳 中央公論社 1981 音楽論
  • 『日本人の質問』 朝日選書 1983
  • 『日本文学史 近代・現代篇』 (Dawn to the West) 全8巻
     徳岡孝夫・角地幸男・新井潤美共訳 中央公論社 1984-92
  • 『百代の過客 日記にみる日本人』 金関寿夫朝日選書上下 1984、のち函入り全1巻 朝日新聞社、講談社学術文庫 2011
  • 『少し耳の痛くなる話』 塩谷紘訳 新潮社 1986
  • 『二つの母国に生きて』 朝日選書 1987
  • 『続百代の過客 日記にみる日本人 近代篇』 金関寿夫訳 朝日選書上下 1988、のち函入り全1巻 朝日新聞社、講談社学術文庫 2012
  • 『日本人の美意識』 金関訳 中央公論社 1990、中公文庫 1999
  • 『古典を楽しむ 私の日本文学』 朝日選書上下 1990
  • 『声の残り 私の文壇交遊録』 金関訳 朝日新聞社 1992、朝日文庫 1997
  • 『古典の愉しみ』 大庭みな子訳 JICC出版局 1992、宝島社文庫 2000
  • 『このひとすじにつながりて』 金関訳  朝日選書 1993
  • 『日本語の美』 中央公論社 1993、中公文庫 2000
  • 『日本文学の歴史』 中央公論社 全18巻、1994-97、改題「日本文学史」 中公文庫 2011-
    • 『日本文学史』に、古代・中世編(土屋政雄訳)を加えた、ソフトカバー装丁。
  • 『明治天皇』 角地幸男訳 新潮社 上下 2001、新潮文庫 全4巻 2007
  • 足利義政 日本美の発見』 角地幸男訳 中央公論新社 2003、中公文庫 2008
  • 『明治天皇を語る』新潮新書 2003 講演体
  • 『日本文学は世界のかけ橋』たちばな出版  2003
  • 『私の大事な場所』 中央公論新社 2005、中公文庫 2010
  • 『思い出の作家たち―谷崎・川端・三島・安部・司馬』 松宮史朗訳 新潮社 2005
  • 渡辺崋山』 角地幸男訳 新潮社 2007
  • 『私と20世紀のクロニクル』 角地幸男訳 中央公論新社 2007/改題『ドナルド・キーン自伝』 中公文庫 2011
  • 『日本人の戦争 作家の日記を読む』角地幸男訳 文藝春秋 2009 文春文庫 2011
  • 正岡子規』 角地幸男訳、新潮社 2012
  • 『ドナルド・キーン著作集』(全15巻)新潮社、2011-、「日本文学史」以外の代表作を収録
  • 『私が日本人になった理由―日本語に魅せられて』 PHP研究所 2013

共著[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b “「鬼怒鳴門」と申します、よろしくお願いします”. 読売新聞. (2012年3月8日). http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120308-OYT1T01125.htm 2012年3月8日閲覧。 
  2. ^ http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/service/138/013845.htm
  3. ^ ドナルド・キーン名誉会員のスピーチ
  4. ^ “日本国籍取得、永住へ=ドナルド・キーンさん”. 時事通信. (2011年4月15日). http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011041500905 2011年4月16日閲覧。 
  5. ^ 読売新聞2011年9月3日13版37面永住決めたキーンさんが日本到着「希望持とう」
  6. ^ 平成24年3月8日法務省告示第89号。
  7. ^ 「告示」『官報』5755号、国立印刷局2012年3月8日、2面。
  8. ^ 帰化に際し『私は日本という女性と結婚した』と表明したとされるが、これは個人名ではなく、親日性を表明したものである。
  9. ^ 新潟日報』(2013年4月30日)「キーンさん、養子縁組を公表 新潟市出身の浄瑠璃三味線奏者と
  10. ^ 「ドナルド・キーンさん、日本国籍取得――震災後永住を決意」『朝日新聞デジタル:ドナルド・キーンさん、日本国籍取得 震災後永住を決意 - 社会朝日新聞社2012年3月8日
  11. ^ 「ドナルド・キーンさんが日本国籍取得」『ドナルド・キーンさんが日本国籍取得 - 社会ニュース : nikkansports.com日刊スポーツ新聞社2012年3月8日
  12. ^ “日本女子大がドナルド・キーンさんに名誉博士号”. 読売新聞. (2012年6月30日). http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120630-OYT1T00724.htm 2012年6月30日閲覧。 

関連項目・人物[編集]

外部リンク[編集]