佐藤勝巳

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佐藤 勝巳(さとう かつみ、1929年3月5日 - 2013年12月2日)は、日本評論家雑誌編集者人権活動家。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」前会長。現代コリア研究所所長。

略歴[編集]

新潟県出身。元日本共産党員。旧制中学を卒業後、新潟県立巻高等学校を中退し、川崎汽船に勤務するが、1950年労働組合専従だったためにレッドパージを受け失職。在日朝鮮人の帰還事業に参加し、北朝鮮から2度(1962年11月10日1964年9月23日)にわたり勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与される。在日韓国・朝鮮人差別反対運動にも大きくかかわった。

その後、北朝鮮の実態に失望し、日本共産党を脱党、反北朝鮮的立場へと転向した。北朝鮮に拉致された日本人の救出運動に乗り出したが、一方で自らが北朝鮮へ送り出した人々の支援救出運動にはかかわらなかった。存在しないとされていた拉致事件と被害者が北朝鮮から帰って来た事に対して「救う会」会長としてどう思っているのか?とのTV局の質問に対して、暫く押し黙った後に「拉致事件を報道してくれたのはニシ(2紙誌)だけでした」とだけ答えた。

争論[編集]

2004年6月23日兵本達吉が、会への寄付金1000万円を着服した疑いがあるとして、佐藤と(横領行為の証拠を隠滅したとして)西岡力副会長(現:会長代行)を刑事告発した。兵本は「週刊新潮」(2004年7月29日号記事「灰色決着した救う会『1000万円』使途問題」)で次のように述べている。「私が監査人から聞いた話では、情報提供者とは韓国亡命した北朝鮮の元工作員です。970万円は、500万円、170万円、300万円の3回に分けて支払われたそうです。しかし、1人の元工作員にそんな大金が渡っているとは信じられません」「500万円の一部は、元工作員がソウルに所有しているマンションのローンの返済に充てられたそうです。生活費も出していたとのことですが、いくら何でもやりすぎ。やっぱり、佐藤氏らが辻褄あわせをしたのではないか」。同記事によれば、肝心の佐藤は「取材は受けられない」と逃げるばかりだった。佐藤は西岡、島田洋一増元照明らがカンパ費で飲食しており、「救う会」「家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)」で問題になっていると批判した[4]

佐藤によれば、西岡力(現「救う会」会長)は平田隆太郎事務局長とともに、横田滋元「家族会」代表、増元照明事務局長に身を寄せ、組織内部で佐藤の意見を抑えてきた[5]。佐藤によれば、横田はNGOレインボーブリッヂの小坂浩彰としばしば飲食をし、運動の内部情報を小坂を通じて北に流している。佐藤は激怒し、横田を家族会代表から更迭すべきと主張したが、西岡と平田は「そんなことはできない」と頑強に反対した[6]。佐藤は西岡と平田が横田を辞めさせられないから、北に甘く見られるのは当然だと述べている[6]

著書[編集]

他多数。

脚注[編集]

  1. ^ 横田めぐみの失踪は当時新潟県だけでなく、海流の流れる山形県秋田県の警察にも捜査協力を要請し、新潟市内でもこの事件を記憶している人は少なくなかった。佐藤の講演には、複数の失踪事件を抱えていた新潟県警の関係者も事件解決の手がかりとなる話が聞けるかもしれないということで参加していた。講演後の懇親会の場で、佐藤が北朝鮮の元工作員の証言を「現代コリア」に記載した、女子中学生失踪事件の件に触れると、すかさず新潟県警関係者から「それは横田めぐみちゃんのことだ」と声が上がったという。北朝鮮による拉致の可能性を確信した佐藤は水面下で情報を流し、2か月後の一斉報道に繋がっていく。
  2. ^ 横田めぐみのことを報じた「新潟日報」記事は、1997年1月頃「現代コリア」のホームページに掲載されていた。
  3. ^ 佐藤勝巳さん死去 拉致被害者「救う会」の元会長朝日新聞2013年12月5日閲覧
  4. ^ 「拉致問題との関わり」(15)、「統一日報」2013年10月17日掲載論考
  5. ^ 「拉致問題との関わり」(12)、「統一日報」2013年9月28日掲載
  6. ^ a b 「拉致問題との関わり」(19)、「統一日報」2013年11月20日
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外部リンク[編集]