金嬉老事件

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金嬉老事件(きんきろうじけん)は、1968年2月20日在日韓国人二世の金嬉老(キム・ヒロ、きん きろう)が犯した殺人を発端とする監禁事件

寸又峡温泉旅館に宿泊中の13名を人質として篭城し、在日コリアン差別問題と絡めて警察官に謝罪を要求した。その後、篭城する様子がテレビ等で実況され、関連する警察官がテレビ出演するなどした。評論家大宅壮一がこれを評して「警察をメディアが仲介しているようだ」と述べたように、劇場型犯罪に近い様相を見せていた。寸又峡事件とも呼ばれる。

目次

[編集] 金嬉老

本名、権禧老(クォン ヒロ)。静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれの在日韓国人。敗戦時は17才。同事件で殺人罪監禁罪逮捕服役し、70歳で仮出所。東京保護観察所を経て、更生の為に適当との判断から祖国である韓国釜山に移り住む。

[編集] 事件概要

1968年2月20日、手形トラブルが高じて暴力団から借金返済を求められた金は、借金返済を約束して静岡県清水市(現・静岡市清水区)のクラブで暴力団員と面会。その場で暴力団員のうち2名を射殺したのち、翌日には同県榛原郡本川根町(現・榛原郡川根本町寸又峡温泉の旅館で、経営者・宿泊客ら13名を人質として、88時間にわたり篭城した。篭城の結果、犯人は報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員によって取り押さえられ、逮捕された。

事件の直接のきっかけは借金返済問題であったが、ずっと以前に目撃した警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪することを人質解放条件として要求し、それ以外の要求がなかったため、差別問題と絡めて報道されるに至った。また韓国でも報道が行われた。韓国マスコミでは差別と戦った英雄として取り上げた。

[編集] 帰国後

韓国政府から助力を得、釜山にて新生活を始め、結婚もしたが、愛人の夫への殺人未遂放火容疑で再度韓国でも逮捕され服役した。この事件については韓国内で報道されたが大きな反響は呼ばず、日本では詳細な報道がなされなかった。

[編集] 映像作品

[編集] 参考文献

  • 金嬉老 『われ生きたり』 新潮社、1999年、ISBN-10: 4105392018
  • 鈴木道彦 『越境の時-一九六〇年代と在日』 集英社新書、ISBN-10: 4087203875