トランジスタラジオ

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トランジスタラジオ1号機・
TR-52(「国連ビルラジオ」)
東京通信工業(現・Sony)製、5石トランジスタ、スーパーヘテロダイン方式受信機、1952年。その形状がこの年竣工したニューヨークの国連本部ビルを思わせるものだったことから、社内では専ら「国連ビルラジオ」と呼ばれていた。

トランジスタラジオ: transistor radio)とは、増幅回路半導体素子トランジスタを用いたラジオ放送受信機の総称。

それまで主に使われていた真空管の代わりに、半導体素子トランジスタを使うことで大幅な消費電力の低減がもたらされ、それによって小型化・軽量化・携帯化が可能になったもので、1950年中頃に量産が始まり、50代後半から60年代にかけて普及、70年代までに従前の真空管をつかったラジオをほぼ駆逐するに至った。

概要[編集]

真空管を増幅回路として使用するラジオは電源電圧が比較的高く(45-90V)消費電力も大きく、また真空管自体の外形の大きさから筐体が大ぶりで、卓上などに設置して使用するのが普通であった。小型化されたトランジスタラジオは電源電圧が低く(9V)消費電力も小さいため電池で動作して片手で持ち運べる機器となり、野外でラジオを手軽に聞くことができるようになった。

車載用ラジオでは、米国で1927年頃から真空管式のものが発売されていたが、省部品・省電力の観点からトランジスタ化が進んだ。1950年代後半の真空管からトランジスタへの移行期にかけて、日本ではカーラジオ(オートラジオ)市場に参入する企業が相次いだ(東芝、TEN(神戸工業、現:富士通テン)、クラリオン三菱電機、松下電器産業(現:パナソニック)など)。

ビーチやキャンプ場でラジオが聞けるようになることでラジオ放送自体にも野外聴取を前提とする番組構成が取られるようになった。またラジオ自体の小型化・省電力化が進んだ結果、それまで「一家に一台」だったラジオ受信機の所有形態が「一人一台」に急速に変化した。これに対応し、日本ではニッポン放送が先鞭をつけた「オーディエンス・セグメンテーション」編成が1960年代後半以降広く民放ラジオ局に普及するようになった。

日本における歴史[編集]

BCL用トランジスタラジオ ソニー スカイセンサー ICF-5900

トランジスタラジオのプロトタイプは、テキサス・インスツルメンツがトランジスタのデモ用として作成した。東京通信工業(東通工、現:ソニー)の井深大は、1952年アメリカ合衆国での技術研修に出かけた際、ベル研究所の3人のスタッフがトランジスタを開発・特許をとっており、親会社のウエスタン・エレクトリック社(WE社)が2万5000ドル(約900万円)で公開していることを知る。日本の通産省は「ちょっとやそっとのことで、トランジスタなんかできないよ」と否定的で、当初は東通工への外貨割り当てを拒否するほどだったが、1953年盛田昭夫がアメリカに渡りWE社を訪問すると、東通工の技術力が高く評価され「ライセンス料の支払いは後でもいい」ということになったため、同社とライセンス契約を結んだ[1]。その際、WE社は盛田に対して何に使うのかを問うと「ラジオに使いたい」と応じたが、この時WE社はやめるようにと勧告を行った。

初期のトランジスタは温度特性が悪く、またラジオの放送周波数帯で増幅器に用いるには特性が不安定であったため、真空管を代替することはできないと見られていた。商業用の製品としては補聴器が実用化されていた程度であった。

しかし、同行した東通工技術スタッフの岩間和夫はトランジスタの技術開発を取材、「岩間レポートメモ」としてまとめ、それを基にトランジスタラジオの試作品を製作した。だが、この試作品について井深は「とても商品として使えるものではない」と回顧している。

その間、1954年にアメリカのライバル社・リージェンシー(IDEA)がテキサス・インスツルメンツ製4石トランジスタを使った世界初のトランジスタラジオ TR-1(en)を発表(10月18日)、クリスマス商戦にむけ発売($49.95これは2003年換算で$334)。世界初を目指した東通工は落胆したが、その後1955年に複合型トランジスタ5石を使ったTR-52を市販しようと試作した。しかしこの「国際連合ビル」を連想させるTR-52のキャビネット格子(プラスチック製)が夏季の気温上昇により、出荷寸前になって反り返るトラブルが発生したため発売中止となってしまった。その後8月に改めてTR-55を開発し、その年の8月に市販開始。これが日本初のトランジスタ携帯ラジオとなった。

ゲルマニウムトランジスタには製造歩留まりが劣悪[要出典]など問題があったため、TR-55ではシリコンで、低周波回路には比較的歩留まりが高いが高周波特性の悪い合金型トランジスタ、高周波回路には歩留まりが非常に低い[2]ものの高周波特性を改善しやすい成長型トランジスタを使用して製品化にこぎつけた。しかし実際には成長型トランジスタの特性がバラバラで、結局ラジオ工場側ではトランジスタ個々の特性に合わせ回路の修正を行うことになり、量産とは程遠いほぼ手作りの状態で製造を進めることになった[3]

その後東通工では成長型トランジスタの全製品に対する追跡調査を行った結果、トランジスタのN型層を成長させるために使用していたアンチモンが、既に作られているP型層に侵食してトランジスタとしての特性を悪化させていることが判明。そこでアンチモンの代わりにリンを使用してみたところP型層の侵食がなくなる(またそれに伴い高周波特性が改善し、特性のばらつきも大きく減少する)ことが確認できたため、一気にトランジスタ製造ライン全てで製造工程の切り替えを行った[4]

ところがリンへの切り替え直後に、製造したトランジスタ全てが不良品となる事態が発生した。駄目そうな点を調べると、投入量が多すぎたため、リンの濃度が濃すぎたためだった。そこで同社では大量にダイオードを試作してリンの適正投入量を割り出そうとした。この過程で、負性抵抗を示すというそれまでの理論で説明できない現象が発見された。それを江崎玲於奈トンネル効果による現象だと見抜いた、という。結局、不良の原因は、トランジスタ内部のP型層が極めて薄くなった結果、トランジスタ内でトンネル現象が発生していたためだと判明する。適正投入量が割り出され、他の製造工程にも改善を加えた結果、最終的に成長型トランジスタの歩留まりが90%以上に跳ね上がり、東通工は莫大な利益を得ることになった[5]

この原理の利用であるトンネルダイオード(エサキダイオード)を発明(1957年8月とされている)した江崎玲於奈は、半導体内におけるトンネル効果の実験的発見の功績で、1973年のノーベル物理学賞を受賞する(共同で。同時受賞者はやはり確認者のブライアン・ジョセフソン)。しかし、当時東通工内部ではトランジスタの製造方法は最高機密とされていたため、この発見の顛末が明らかにされたのは30年以上後になってからのことであった(ただし江崎本人は、あるとき、リンの大量投入がトンネル効果発見のきっかけだったねと岩間が言ったのに対し、否定も肯定もしなかったという[6])。

以後、各メーカーがこぞってトランジスタ携帯ラジオを開発。ポケットにすっぽり入る名刺サイズラジオや、ラジオカセットレコーダーなどに多用・応用されるようになった。

“身長は低いがグラマラスな女性”を表す「トランジスターグラマー」はこのトランジスタラジオからとられたともされている。

日本では1970年代BCLブームが起き、短波を受信できる高性能な機種が多く発売され、トランジスタラジオの全盛期を迎えた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ NHKスペシャル電子立国日本の自叙伝』上巻(相田洋著、日本放送出版協会1991年)pp.314 - 315
  2. ^ ラジオに使えるレベルの特性の良いものはだいたい1%程度に過ぎなかったという。
  3. ^ 『電子立国日本の自叙伝』上巻・pp.325 - 329
  4. ^ 『電子立国日本の自叙伝』上巻・pp.331 - 335
  5. ^ 『電子立国日本の自叙伝』上巻・pp.336 - 343
  6. ^ 『電子立国日本の自叙伝』上巻・p.343