中嶋嶺雄
中嶋 嶺雄(なかじま みねお、1936年5月11日 - )は、日本の政治学者。専門は現代中国政治。東京外国語大学名誉教授・元学長、国際教養大学理事長・学長。社会学博士。
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[編集] 人物
長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校、東京外国語大学外国語学部中国科を経て、東京大学大学院社会学研究科国際関係論修士・博士課程修了。1980年、社会学博士の学位を取得。中華人民共和国時代の中国についての先駆的な研究者として知られ、文化大革命に対する批判など現代中国への冷徹な認識で知られる。東京外国語大学名誉教授(1995年から2001年まで学長)、元北九州市立大学大学院教授。幼少よりスズキ・メソード創始者の鈴木鎮一にヴァイオリンを師事した。
アメリカ政治外交史研究者の中嶋啓雄は息子。長野県知事である村井仁とは高校時代の同級生。
[編集] 来歴
1936年、長野県松本市にて、薬局を経営する父・中嶋高雄と母・綾子の間に一人息子として誕生。その後、地元の源池国民学校に入学。1945年、9歳の時に終戦となり、玉音放送を耳にする。終戦後、松本音楽院の一期生として鈴木鎮一に師事し、バイオリンを習い始める。小学校卒業後、新制の清水中学校へ入学。1953年、清水中学校を卒業し、松本深志高校へ進学。高校入学後、父の経営する薬局の資金繰りが行き詰まり、高校1年生でありながら一人で製薬会社へ直談判に行く。しかし、未成年がゆえに応じてもらえず、債権者に家財一式を渡すこととなった。
当初は、父の後を継いで薬剤師になるために理科系へ進むつもりであったが、家業が暗転したことで世の中の矛盾に気付きマルクス主義に目覚め、社会科学を学ぶために文系へ進路変更した。失恋の影響で高校卒業後、一年間浪人。社会主義革命の息吹に燃えていた中国を専攻したいという思いから、東京外国語大学の中国科を受験して合格する。余談だが入試の面接(当時は入試に面接があった)では、「なぜ外大を選んだのか」という質問に対し、「串田先生(串田孫一)がおられるから」と答えた。また、語学をフランス語で受験したが、受験者中最高点だったという。東京外国語大学へ入学後は学生運動に没頭し、その中で、妻となる奈良女子大学理学部の洋子(後に中学校の理科の教員となる)と出会う。大学を卒業する頃は安保闘争の高揚期であり、企業への就職活動は一切行わなかった。
1960年に大学を卒業した後、「今までの学生運動の経験を生かせる場所はないか」と考え、左翼系の研究所である財団法人世界経済研究所の理事長をしていた小椋広勝の自宅を訪問。その後、入所試験を受けて合格し、世界経済研究所へ採用される。岸信介内閣で安保闘争が敗北した後、香山健一から紹介されて、清水幾太郎が結成した現代思想研究会に参加(後に政治評論家となる全学連リーダーを務めていた森田実も参加していた)。『現代思想』の編集などを担当していたが、第7号をもって停刊し、現代思想研究会も解散となった。現代思想研究会の解散後、世界経済研究所で研究を続けるうちにマルクス主義への憧れが自己の中で崩壊し、「このような気持ちで研究を続けるわけにいかない」と思い、また、学生運動時代の仲間が大学院進学を考えるようになった影響で、自分も大学院を目指すようになる。
東京大学大学院社会学研究科を受験し、合格。国際関係論を専攻する(指導教官は江口朴郎)。大学院在学中、当時の中華人民共和国で吹き荒れていた毛沢東思想へ疑問を感じるようになり、『現代中国論-イデオロギーと政治の内的考察』(1964年、青木書店)を著し、毛沢東を批判する。その後、母校の東京外国語大学の教員である伊東光晴(経済学担当)、鐘ヶ江信光(中国語担当)、小川芳男(当時の学長)から「助手に採用したい」との申し出を受け、1965年に大学院修了後、東京外国語大の教員となる。中国で文化大革命が起こると、人事院総裁に直訴し、禁止されていた「国家公務員の共産圏渡航」を認めさせ、中国を訪問する。1966年、香港・広州・北京・上海などを訪れ、『毛沢東語録』を片手に持つ紅衛兵と共にピアノとバイオリンの合奏を行うなど、様々な交流をした。これらの経験から得た情報を元に、『中央公論』に『毛沢東 北京脱出の真相』と題する論文を投稿した。
1968年、大学紛争が発生して全共闘により、教員として務めていた東京外国語大学も封鎖される。この影響で、中嶋の研究室も荒されて放火された。文化大革命や大学紛争を見ているうちに、左翼思想から完全に吹っ切れて、転向することとなる。大学紛争終息後の1969年から1年間、外務省特別研究員として香港へ留学。当時の日本では文革に好意的なムードが支配的な中、文革を権力闘争として突き放した視座からの論考を多数発表し注目された。その代表的なものは『北京烈烈』に収められ、1981年のサントリー学芸賞を受賞した。以後現代中国論を中心に幅広く執筆活動を展開し、保守派の論客として知られる。
東京外国語大学では国際関係論のゼミナールを担当。1977年、オーストラリア国立大学現代中国センター教員として1年間オーストラリアに在住。1980年、東京大学から社会学博士の学位を取得し、パリ政治学院客員教授となる。1992年、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授となり、中国の政治と国際関係についての講義を1年間受け持つ。この体験で、アメリカの学生の学業に対する熱心さを感じることとなる。その後、東京外国語大学学長を経て、国際教養大学理事長・学長となる。
[編集] 受賞
[編集] 社会的活動
- 教育再生会議民間委員
- 文部科学省中央教育審議会委員(第1期~第3期)
- アジア太平洋大学交流機構(UMAP)国際事務総長
- 財団法人国際教育交流馬場財団理事
- 財団法人日本語教育振興協会理事
- 財団法人国際文化交換協会評議員
- 財団法人本田財団評議員
- 社団法人才能教育研究会(スズキ・メソード)会長
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『現代中国論――イデオロギーと政治の内的考察』(青木書店, 1964年)
- 『現代中国入門』(講談社, 1966年)
- 『中ソ対立と現代――戦後アジアの再考察』(中央公論社, 1978年)
- 『北京烈烈』(筑摩書房, 1981年/講談社[講談社学術文庫], 2002年)
- 『中国――歴史・社会・国際関係』(中央公論社[中公新書], 1982年)
- 『文明の再鋳造を目ざす中国』(筑摩書房, 1984年)
- 『香港――移りゆく都市国家』(時事通信社, 1985年)
- 『21世紀は日本・台湾・韓国だ――いま東アジアが世界をリードする』(第一企画出版, 1986年)
- 『中国に呪縛される日本』(文藝春秋, 1987年)
- 『ゴルバチョフソ連の読み方――新戦略の真意は何か』(第一企画出版, 1987年)
- 『中ソの戦略・日本の選択』(PHP研究所, 1988年)
- 『中国の悲劇』(講談社, 1989年)
- 『中国革命とは何であったのか』(筑摩書房, 1990年)
- 『国際関係論――同時代史への羅針盤』(中央公論社[中公新書], 1992年)
- 『三つの中国――連繋と相反』(日本経済新聞社, 1993年)
- 『中国経済が危ない』(東洋経済新報社, 1995年)
- 『中国はこうなる!――鄧小平なきあとの危険な大国の深層』(講談社, 1995年)
- 『沈みゆく香港』(日本経済新聞社, 1997年)
- 『香港回帰――アジア新世紀の命運』(中央公論社[中公新書], 1997年)
- 『中国・台湾・香港』(PHP研究所[PHP新書], 1999年)
- 『「日中友好」という幻想』(PHP研究所[PHP新書], 2002年)
- 『21世紀の大学――開かれた知の拠点へ』(論創社, 2004年)
- 『米中新戦争――暴走する中国、封じ込めるアメリカ』(ビジネス社, 2006年)
[編集] 共著
- (岡崎久彦)『日本にアジア戦略はあるのか――幻想の中国・有事の極東』(PHP研究所, 1996年)
- (深田祐介)『アジアは復活するのか――経済危機と日本の戦略』(PHP研究所, 1998年)
- (深田祐介)『アジアに未来はあるのか――憂鬱の中国、絶望の北朝鮮、危うい日本』(PHP研究所, 1999年)
- (古森義久)『中国は脅威か――幻想の日中友好』(PHP研究所, 2000年)
- (渡辺利夫・江畑謙介・岡崎久彦・小島朋之)『「台湾問題」の先にある日本の危機――緊急提言田中真紀子外相に捧ぐ』(ビジネス社, 2001年)
- (古森義久)『2008年中国の真実――覇権か、崩壊か』(ビジネス社, 2002年)
- (古森義久)『中国暴発――なぜ日本のマスコミは真実を伝えないのか』(ビジネス社, 2004年)
[編集] 編著
- 『中国文化大革命――その資料と分析』(弘文堂, 1966年)
- 『中国現代史――壮大なる歴史のドラマ』(有斐閣, 1981年)
- 『変貌する現代世界を読み解く言葉』(国際書院, 1997年)
- 『歴史の嘘を見破る――日中近現代史の争点35』(文藝春秋[文春新書], 2006年)
[編集] 共編著
- (石川忠雄・池井優)『戦後資料日中関係』(日本評論社, 1970年)
- (チャルマーズ・ジョンソン)『地域研究の現在――既成の学問への挑戦』(大修館書店, 1989年)
- (溝口雄三)『儒教ルネッサンスを考える』(大修館書店, 1991年)
- (清水透)『転換期としての現代世界――地域から何が見えるか』(国際書院, 1993年)
[編集] 翻訳
- G・パローツィ=ホルヴァート『毛沢東伝』(河出書房新社, 1972年)
- Problems of Communism編集部編『シンポジウム・米中接近』(時事通信社, 1972年)
- 彭述之『失われた中国革命』(新評論, 1980年)
- エズラ・F・ヴォーゲル『中国の実験――改革下の広東』(日本経済新聞社, 1991年)
- フランソワ・ジョワイヨー『中国の外交』(白水社, 1995年)
- ウィリー・ラム『中国政治経済分析――新世紀への展望』(丸善, 1998年)