岡崎久彦

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岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年4月8日 - )は、日本の元外交官・元サウジアラビア・タイ駐在大使、外交評論家、NPO法人岡崎研究所所長。

新しい歴史教科書をつくる会賛同者、日本李登輝友の会副会長、歴史事実委員会会員など、保守派の政治運動でも知られる。ただし、経済思想では、消費税増税による高負担の大きな政府をつくることを主張しており、社会民主主義の立場である。

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[編集] 人物

外務省の情報畑を長く歩いた国際情勢判断の大家。中公新書の「戦略的思考とは何か」は日本人による国際戦略論の基本的図書としてロングセラーになっている。田久保忠衛古森義久などとともに親米保守派の代表的評論家の一人である。“アングロサクソンとの協調こそが日本の国益アジアの平和につながる”と一貫して主張。また、自ら本を出すなど気功に傾倒している。

イラク戦争では、開戦前の2003年2月19日に採択した日本国際フォーラムの「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」に名を連ねていた。3月19日の開戦後、米国をいち早く支持した小泉首相を絶賛し、「日本が唯一指針とすべき事は、評論家的な善悪是非の論ではなく、日本の国家と国民の安全と繁栄である。」と主張した[1]。また、著書の中で「極東軍事裁判以来、歴史を論じる時には歴史的事件の当事者の善悪、責任を論じるのが習慣のようになっているが、そんなことばかりしていると是非の論争にこだわって歴史の真実を見失ってしまう恐れがある。歴史は流れであり、その流れの中で戦争も平和も起こる」と述べている[2]

対米協調志向は若い頃からのもので、先輩から「君はおじいさんの世代(大正デモクラシーを根幹とするオールド・リベラリスト。人物としては吉田茂)のようなことを言うんだなあ」と評されたこともある。また、安保騒動後に全学連で安保反対運動をしていた人間と話した際「お前たちのような教育のある人間がどうしてああいうことをするんだ。大学に行っているインテリがどうして安保反対など言うんだ」と聞いて「あの時の雰囲気がわからない人に話してもわかりませんよ」と返され「雰囲気とは何だ。インテリたるものが理屈で説明できないことを『雰囲気がそうだったから』では説明にならないではないか」と問い詰めたことがあるという。

また、エリート学歴志向が強く、米英などのイラク戦争を支持した東大教授田中明彦北岡伸一の発言を受けて、「昔は重大な国際的国内的政治問題が起こると、新聞は社会面に東大の政治学の教授の意見を掲載し、国民は「ああ、そういうことなのか」と啓発されたものである。その後、東大法学部は長い間左傾して権威を失墜して、誰もその発言を顧みなくなっていたが、そういう時代も終わっている。本来なら、この二教授の発言でこの論争は決着している」と主張した[3]

祖父は陸奥宗光従兄弟立憲政友会の幹部だった岡崎邦輔

[編集] 来歴

関東州大連生まれ。府立高等学校を経て、東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、外務省へ中退入省。ケンブリッジ大学留学を経て、防衛庁参事官、駐アメリカ公使、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使を歴任した。

1992年に退職し、博報堂千代田化工建設などの特別顧問を務める。松下政経塾、防衛法学会各顧問、上野学園、國語問題協議會、国際経済政策調査会各理事。他に日本財団笹川陽平会長)、博報児童教育振興会、中東調査会日本国際フォーラム各評議員。日本戦略研究フォーラム副理事長、国際生命情報科学会特別顧問、平河総合戦略研究所名誉相談役などを務める。

1977年、『隣の国で考えたこと』で日本エッセイストクラブ賞受賞。 1981年、『国家と情報』でサントリー学芸賞を受賞。第11回正論大賞受賞。

[編集] 略歴

[編集] 著書

[編集] 単著

[編集] 共著

[編集] 編著

[編集] 共編著

[編集] 訳書

[編集] 歴史認識問題との関わり

[編集] 「新しい歴史教科書をつくる会」教科書への執筆

2005年検定合格版の教科書の執筆に参加し、旧版の記述のうち反米的な箇所をすべて削除し書き換えたとテレビで発言している。西尾幹二は自分の担当した箇所を断りなく書き換えられたことについて、担当した岡崎やそれを認めた藤岡らに不信感を募らせ、会の離脱に至ったと述べている。

[編集] 靖国問題

2006年8月24日の産経新聞朝刊「正論」欄に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と題した記事を掲載。この記事で、遊就館の展示説明の論理性を求めている。主張の内容は遊就館の展示中にある、「アメリカ不況の脱却のために資源の乏しい日本を経済制裁により戦争に追い込み、これによりアメリカ経済は回復した」という旨の主張が不適切だというものである。また、この発言の影響から靖国神社は反米的な展示物の多数を一掃し、日本兵の手紙などに展示物を置き換えた。また遊就館はアメリカに関する記述以外(日中戦争・韓国・台湾植民地支配等)については記述内容を訂正しなかった。

  • なお、翌日の産経新聞の記事によると靖国神社も同年4月より展示の当該部分の修正を検討し岡崎に指摘を願い出ており、7月から内容の見直し作業に入ったとしている。
  • アメリカ下院国際関係委員会委員長であるヘンリー・ハイド共和党議員も2006年9月14日の同委員会公聴会で遊就館の展示内容を日本を西洋帝国主義からの解放者のように教えるものとして批判している[4]
  • 富田メモの存在が日本経済新聞で報道された際「本物であるはずがない」「昭和史の基礎的な知識があれば(富田メモに)信憑性があると考えるはずがない」と複数のテレビ番組において断言した。富田メモ研究委員会による最終報告が発表されて以降、岡崎はこの種の発言を行わなくなった。その後、現在に至るまで、近現代史を扱う研究者の間で富田メモの信憑性を疑う議論は確認されていない。

[編集] 慰安婦問題

親米派であるが、慰安婦問題に対してはアメリカ下院での決議案に異を唱えている。慰安婦は売春婦である、性奴隷・性的搾取などの事実もないとして、歴史事実委員会名義でワシントン・ポストに掲載された反論の為の全面広告にも賛同者として名を連ねている。但し、2007年5月14日の産経新聞朝刊正論に寄稿しているように、「慰安婦制度が女性の尊厳を傷つける人権違反の行為であったことに謝罪するのが正しいというのが昨今の道徳的基準である」とし慰安婦には謝罪すべきだとしている。

[編集] 語録

  • 古来、軍事バランスなくして戦略はあり得ません。相手の方が明らかに強い時、同じ位で戦ってみなければどっちが勝つかわからない時、相手の方が明らかに弱い時、それぞれの場合で戦略戦術が異なってくるのは、子供でもわかる話です。
  • 国際情勢判断というものは、客観的な事実の認識であって、そんなに伸び縮みがきくものではない。
  • 日本をとりまく国際情勢の力関係を考えれば、ソ連と米国という二つの強大な力を持つ国の間にあって、しかも戦略的に高い重要性を有する日本のような国にとっては、生存と平和を維持するためだけでも、どちらかの力と協力し、他の力を抑止する以外に方法がない。
  • 私の戦略論は、日本が置かれている客観的な状況の中で、いかにして日本民族の安全と繁栄を維持するかということであって、それを考える側の個人的な経験や主観は、これとは全く無関係な話(以上「情報・戦略論ノート」より)
  • 戦略が良ければ、戦術の失敗は挽回できますが、戦略が悪いと戦術的に成功すればするほど傷が深くなります。
  • 全ての戦略の基礎には、良質の情報と正確な情勢判断があります。
  • 米国と協力しようとしまいと、それは日本が自然権を行使できる自然体の国家となれば、自分で国益に基づいて判断することです。そして結論は日米同盟の維持となることは十分想定できます。それなのに、自分で自分の手を縛っておきながら、自らを責めず、よその国-日本の重要な同盟国-に恨み言を言い、楯ついてみせて主体性を求めるという惨めなことになっているのが現状です。(以上「百年の遺産」より)
  • 1980年という年を採って、この段階で、中国、韓国、日本のメディアをみても、現在のような歴史認識問題や過去の謝罪問題など出てきてはいない。(「国家戦略からみた靖国問題」)
  • 北朝鮮に対して日米は一体となって交渉に当たるべきだ。(2009年5月13日付正論「日米一体で北に正常化圧力を」)

[編集] 脚注

  1. ^産經新聞2003年3月25日「正論」欄
  2. ^ 『重光・東郷とその時代』PHP文庫、213ページ
  3. ^ 米のイラク攻撃支持 勇気ある小泉発言 岡崎久彦(読売新聞「地球を読む」2003年3月30日掲載)
  4. ^ アメリカ下院国際関係委員会公聴会およびこの中にある ハイドの発言のpp. 9--10。

[編集] 関連人物

[編集] 関連項目

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