社会科学

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社会科学(しゃかいかがく)とは、自然と対比された社会についての科学的な認識活動及びその活動によって生み出された知識の体系である[1]。人間の社会の様々な面を科学的に探求する学術分野の総体である。

概要[編集]

社会科学とは、社会についての科学的な認識活動、およびその活動によって生まれた知識体系のことである[1]。社会科学という時の「社会」という概念は、自然と対比されているものであるが、この 自然 / 社会 という対比は、遡れば古代ギリシャフュシス / ノモス という対比的概念にまで遡ることができる[1]


「社会科学」に分類される学問領域としては、人類学考古学経済学地理学歴史学法学言語学政治学国際研究コミュニケーションが含まれ、そして、ある文脈上では [2] [3] 心理学もこれに該当する。

国際関係学社会福祉援助技術(ソーシャルワーク)のような題材は、基本的に応用面に重きを置かれる(を考慮する)ものであり、それ自体は「社会科学」の構成要素ではない、とされる。

そもそも、現在存在する学問領域は、歴史を遡れば哲学に含まれていた(哲学の一部であった)ものであり、18世紀後半~19世紀ころに学問の再編成が行われ、専門分野として分化したことによって生まれてきた。現在「社会科学」とされる諸領域の多くも、同様である。

社会科学は、客観的に社会の真実を探求する事とともに、人類にとっての有益を追求する。 社会科学は、文科系学問において基礎となる間主体的な洞察力、及び、自然科学に由来する客観的視点を両立することで成立する。

学問分野[編集]

以下に挙げる学問分野が代表的なものである。

なお人文科学などとの区分が曖昧な学際的学問分野も多い。以下、そうした社会科学の分野を列挙する。

自然科学との隣接分野としては以下が代表例である。

日本の大学では、これらの学問分野の教育研究を主に文学部法学部経済学部経営学部商学部政経学部教育学部などがおこなう。

批評・異議[編集]

社会科学は客観性を重視しているが、社会科学の専門家でない人から、「実証性を欠く[要出典]」「再現性を欠く[要出典]」などとして批判の対象となることもある。

たとえば物理学者のリチャード・ファインマンは、「社会科学は科学に値しない」と主張したことがあった[要検証 ][いつ?][4]

しかし、突き詰めれば、自然科学でも厳密に実在の自然界とまったく同じ状況を再現できるわけでもない。カオス的な現象などは、あくまでも単純化したモデルとして不確定要素を排除し、実験室や数式上で、理論値として再現性を検証するのである。社会科学が自然科学ほど因果関係が立証されにくいと言われるのは、自然科学のような単純系のモデル化が困難なほど、様々な要因が複雑に絡まった複雑系である分野を含んでいるからである。これは自然科学と社会科学の違いと言うよりも、単純系か複雑系かの違いが大きい。

社会科学でも検証実験は不可能ではなく、追試も可能であり、反証可能性も有している。たとえば、もっとも単純に実験で確認できる社会科学的法則とは、法律学や統治論の分野における「殺人罪に対する懲罰」である。法治国家で、多数の人間が見ている場所で、一民間人が明確な証拠を残して殺人を犯せば、その犯人はほぼ確実に逮捕され、懲罰を受ける。この社会科学的法則に疑問があるのなら、試しに実験してみればよいのであり、「殺人罪に対する懲罰」は、物理法則並みの強固さで社会や個人を拘束する。[要出典]

また、国家体制論では、さまざまな国家が闘争や内乱を繰り返した結果、リベラル民主主義体制が現代ではもっとも安定した政治体制として残存することが示された。ケインズ的な有効需要論や財政出動論が、ある経済段階では景気対策として有効であることはさまざまな国で確認、実証されている[要出典]

マルクス主義経済学の衰退については、ソビエトや東欧諸国の共産主義体制という社会科学的実験がなされ、計画経済が長期的に見て不合理であると証明されたと考えられたからである。その他、分業制、三権分立、裁判制度、罪刑法定主義、各種マーケティング理論なども、社会科学的な実験や研究の結果から導き出そうという試みの産物である[要出典]。追試可能で反証可能性を有した研究が準備されれば、社会科学は社会貢献性を有する学問となり得るのである。

ただ、その実証に際して整えるべき条件項目が非常に多岐にわたるとともに、実社会で長期間の適用をせねばならない、という困難さが社会科学研究の難しさであり信頼性の分かれるところである。特に、株式市場や先物相場のように、利害の対立する人間の集団心理がかかわってくる分野では、法則化したり、確定的な予測をすることは事実上不可能である。何かが確定性を増したら、必ずその裏をかこうとする心理が生まれるからである。「日本の土地の値段は有史以来下がったことがない」という日本の土地神話は高度な信頼性を持っていたが、それがゆえに、土地を高値で売り抜けようとする土地転売者にセールストークとして利用され、地価狂乱を招き、その後の地価の暴落を引き起こした。信頼が高まれば高まるほど、結果として法則崩壊を招きやすくなるという例である。逆に互いの利害が一致する状況では、確定性の高い法則が成立しやすい。民主的平和論はその例であり、アメリカとカナダの国境線上が軍事的には無防備なのにもかかわらす、どちらもその隙を突いて侵攻を企てたりしないのは、もはやお互いに軍事的侵攻などにメリットが存在しないからである。

また、マルクス主義経済については、計画経済の不合理のために破綻するのか、経済システムと独立した要因である政治・統治システムが一党独裁などの理由で破綻したのかが切り分けられていないという指摘もある。

例えば国家の経済のように、教育、政治、科学技術、外交、地理などさまざまな要素が複合されるものは、不確定要素を排除して特定の経済理論の正しさを検証する実験を行うことは、その要因の多さや必要とされる「社会」の大きさ故に、社会科学のテーマとして、追試や反証可能性の担保に大いに苦しむ題材であるのも事実である。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 世界大百科事典 第二版
  2. ^ Verheggen et al. 1999. "From shared representations to consensually coordinated actions", in "Theoretical Issues in Psychology", John Morrs et al., ed., International Society for Theoretical Psychology
  3. ^ http://www.staff.u-szeged.hu/~garai/Vygotskyboom.htm L. Garai and M. Kocski: Another crisis in the psychology: A possible motive for the Vygotsky-boom. Journal of Russian and East-European Psychology. 1995. 33:1. 82-94.
  4. ^ The Pleasure of Finding Things Out: The Best Short Works of Richard P. Feynman。

関連項目[編集]