岩手県

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いわてけん
岩手県
Mt. Iwate and Morioka.jpg
盛岡市の北上川畔から望む岩手山
岩手県旗
岩手県旗
日本の旗 日本
地方 東北地方
団体コード 03000-7
ISO 3166-2:JP JP-03
面積 15,278.89km²
総人口 1,292,007
推計人口、2014年2月1日)
人口密度 84.6人/km²
隣接都道府県 青森県秋田県宮城県
県の木 ナンブアカマツ
県の花 キリ
県の鳥 キジ
県の魚
県の歌
ナンブサケ
岩手県民の歌
岩手県庁
知事 達増拓也
所在地 020-8570
岩手県盛岡市内丸10番1号
北緯39度42分12.6秒東経141度9分9.8秒
岩手県庁
外部リンク 岩手県
岩手県の位置

岩手県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキポータル 日本の都道府県/岩手県
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岩手県(いわてけん)は、東北地方に属する日本都道府県の一つ。県庁所在地盛岡市

概要[編集]

東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接している。面積は15,378km²で、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い。県の人口およそ130万人のうち、100万人以上(7割強)は、内陸部の北上盆地に集中している。盆地と海岸部以外は山地や丘陵地が多く、緑豊かな県である。

藩制時代は、現在の岩手県の前身にあたる地域伊達藩北部と南部藩南東部で構成されていた(このため県内において、呼称としての「南部」は地理的な意味とは逆に県北部を指す場合がある)。また、岩手県内で陸前に該当する地域は釜石以南の三陸地方のみである。南部(県北)地域は陸中に当たる。

名称[編集]

「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属名「岩手郡」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされる。

また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくからに献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。

地理・地域[編集]

自然公園[編集]

小岩井農場から見た岩手県最高峰岩手山
平泉高館から見た東北最大河川の北上川(国の名勝

地形[編集]

気候[編集]

気候区分は内陸の那須火山帯の麓は日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候。それに併せて、内陸は内陸性気候で夏は暑く冬は寒く、太平洋側沿岸部は海洋性気候で夏は涼しい。(→東北地方#気候)。三陸海岸沿岸部はケッペンの気候区分では西岸海洋性気候 (Cfb) に分類されることもある。北部内陸地方や西部山岳地帯は亜寒帯湿潤気候 (Dfa, Dfb) に属し、寒さが非常に厳しく、特に藪川は冬季に−30°C近くまで冷え込むこともある本州最寒地として有名である。

県内全域が豪雪地帯に指定されているものの、冬の積雪量には地域差が大きい。西和賀町八幡平市は積雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈では、積雪量が多く雪質も良いため、いくつかのスキー場スキースノーボードの国際大会や国内大会が開かれることが多い。一方、太平洋側に位置する宮古市、大船渡市などは積雪量は概して少ない。

太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になる場合も多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温がかなり低くなる。対して、降雪時や曇天の場合は気温が下がりづらい。北上盆地に位置する盛岡市は、このような放射冷却の影響がある脊梁山脈東側盆地の最北端都道府県庁所在地であるため、(日本海側のため冬季は曇天が多く、放射冷却がおきにくい)青森市札幌市など、より北に位置する都道府県庁所在地よりも最低気温が下回る時が多く、東北地方では勿論、日本の都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。実際、北上盆地の各都市(盛岡市花巻市北上市奥州市)は、今でも厳冬期に−15°C前後まで下がることも珍しくなく、北海道を除き、標高が高くない都市平地部では最も冷え込みが厳しい地域である。しかし、冬場の朝晩は市街地と郊外の気温差は非常に大きく、盛岡、北上、一関を中心にヒートアイランドが顕著に見られる。

一方、北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にあり海洋性気候の傾向もある仙台市よりも気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。

岩手県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
三陸海岸 北部内陸 北上高地
洋野町
種市
久慈 普代 岩泉町
小本
宮古 山田 釜石 大船渡 軽米 二戸 八幡平市
荒屋
八幡平市
岩手松尾
一戸町
奥中山
久慈市
山形
葛巻 盛岡市
藪川
宮古市
区界
平均
気温
(°C)
最暖月 21.1
(8月)
21.6
(8月)
21.4
(8月)
21.5
(8月)
22.2
(8月)
21.9
(8月)
22.9
(8月)
23.0
(8月)
21.7
(8月)
22.7
(8月)
21.7
(8月)
22.3
(8月)
20.8
(8月)
20.9
(8月)
21.5
(8月)
19.4
(8月)
最寒月 −1.1
(1月)
−0.8
(2月)
−1.1
(1月)
−0.6
(1月)
0.2
(1月)
−0.3
(1月)
0.6
(1月)
0.7
(1月)
−3.0
(1月)
−2.3
(1月)
−3.6
(1月)
−3.5
(1月)
−4.8
(1月)
−3.1
(1月)
−3.9
(1月)
−7.0
(1月)
降水量
(mm)
最多月 196.4
(9月)
205.0
(9月)
257.8
(9月)
257.1
(9月)
229.4
(9月)
234.6
(8月)
287.2
(8月)
218.7
(9月)
160.6
(9月)
161.2
(9月)
163.3
(9月)
159.0
(9月)
171.5
(8月)
170.3
(8月)
154.0
(8月)
183.7
(7月)
最少月 36.0
(12月)
30.3
(12月)
36.7
(12月)
38.4
(12月)
39.9
(12月)
42.7
(1月)
47.0
(1月)
36.9
(12月)
28.2
(1月)
32.3
(1月)
70.8
(2月)
38.3
(1月)
53.5
(2月)
45.8
(1月)
34.3
(1月)
30.4
(1月)
平年値
(月単位)
北上高地 中西部 北上盆地
岩泉 宮古市
川井
遠野 住田 西和賀町
沢内
西和賀町
湯田
盛岡市
好摩
盛岡 雫石 紫波 花巻市
大迫
花巻 北上 奥州市
江刺
奥州市
若柳
藤沢
千厩
一関
平均
気温
(°C)
最暖月 22.0
(8月)
22.4
(8月)
22.5
(8月)
22.7
(8月)
21.9
(8月)
22.2
(8月)
22.4
(8月)
23.2
(8月)
22.4
(8月)
22.9
(8月)
22.9
(8月)
23.7
(8月)
23.5
(8月)
23.2
(8月)
23.2
(8月)
23.8
(8月)
最寒月 −1.3
(1月)
−1.4
(1月)
−2.8
(1月)
−1.0
(1月)
−3.4
(1月)
−3.0
(1月)
−3.2
(1月)
−2.1
(1月)
−3.0
(1月)
−2.3
(1月)
−2.5
(1月)
−1.5
(1月)
−1.7
(1月)
−1.7
(1月)
−1.3
(1月)
−0.7
(1月)
降水量
(mm)
最多月 179.2
(9月)
185.4
(8月)
194.2
(8月)
197.7
(8月)
264.8
(7月)
32.1
(1月)
170.0
(8月)
177.8
(8月)
215.3
(7月)
170.6
(8月)
170.5
(8月)
189.8
(8月)
157.1
(8月)
184.5
(8月)
171.7
(8月)
175.5
(8月)
最少月 49.5
(2月)
35.0
(1月)
37.1
(2月)
32.0
(1月)
157.5
(3月)
131.4
(3月)
36.0
(1月)
50.6
(1月)
64.5
(2月)
42.9
(1月)
41.5
(1、2月)
55.1
(1月)
43.0
(1月)
49.6
(1月)
27.4
(12月)
34.6
(12月)

地域[編集]

岩手県 地域区分図

総面積で全国2位だが、可住地面積割合が24.3%と低く全国40位で、可住地面積では全国5位に下がる(都道府県の面積一覧#2006年 面積の順位を参照)。可住地は大別して内陸部(人口100万人程度)と、沿岸部(40万人程度)の2つ。このうち、内陸部には東北新幹線東北縦貫自動車道などの高速交通インフラが整っているが、その他の地域ではインフラが未発達で、地域間移動は国道在来線レベルに留まっている。特に、内陸部と沿岸部を行き来するためには、一般国道県道は急峻な峠を上り下りする道となっており、直線距離の割に、移動に大きな時間を要する結果を招いている。このような状況は、県土が多数のによって構成されている沖縄県とも相似しており、救急医療においてはヘリコプター輸送が行われているほどである。

交通インフラの未整備に起因して、短時間で県庁にたどりつけない県民が多数存在することから、従来岩手県庁は、県内各所に「地方振興局」を設置、県の総合出先機関として機能させてきた。近年にいたって、平成の大合併で市町村数が大幅に減少したことを契機として、2006年(平成18年)4月に地方振興局の再編を実施。高速交通インフラが整った内陸部では、細かい地域圏に分割せず、県の中枢機能が集まる盛岡市広域と、県南地域との南北2分割に統合した。県南地域については、従来多くの広域生活圏の設定があったが、それらを一まとめに統合して、新たに設立した「県南広域振興局」の管轄とした。この結果、従来12だった広域生活圏は、4に減少した。

県内地域区分

自治体[編集]

岩手県-地方行政区分-地図

各振興局ごとに県内市町村を列記する。県内には14市10郡15町4村がある。「町」の読み方は、葛巻町、岩手町、西和賀町、山田町、軽米町、一戸町の6つが「まち」で、他は全て「ちょう」である。

盛岡広域振興局管内 482,482人

県南広域振興局管内 514,132人

沿岸広域振興局管内 218,744人

県北広域振興局管内 133,932人

都市圏[編集]

都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷

1980年 1990年 1995年 2000年
盛岡 都市圏
38 2706人
盛岡 都市圏
41 8459人
盛岡 都市圏
46 1605人
盛岡 都市圏
47 5541人
水沢 都市圏
12 4722人
水沢 都市圏
14 2279人
水沢 都市圏
14 3633人
北上 都市圏
22 0258人
花巻 都市圏
9 7389人
一関 都市圏
11 1629人
一関 都市圏
11 7414人
水沢 都市圏
13 3028人
一関 都市圏
9 2459人
花巻 都市圏
9 8853人
花巻 都市圏
9 9643人
一関 都市圏
11 0034人
釜石 都市圏
8 6538人
北上 都市圏
8 2851人
北上 都市圏
8 7969人
花巻都市圏は
北上都市圏と合一
北上 都市圏
7 6633人
釜石 都市圏
7 1542人
宮古 都市圏
8 7499人
宮古 都市圏
8 4406人
宮古 都市圏
7 3014人
宮古 都市圏
6 8052人
釜石 都市圏
6 7748人
釜石 都市圏
6 4000人

「南北沿岸」の所得格差[編集]

北上市など県の南部では、著しい経済発展によって、所得水準も大きく向上している。しかし、一方の内陸北部・沿岸部では目立った経済的発展がなく発展が遅れがちで、県民所得の水準で見ても、露骨な所得格差が生じ始めている。統計資料で比較しても「格差」の存在は明らかで、県全体の平均所得が242万円なのに対し、県北の中心都市二戸市久慈市では、190万円台にとどまり、50万円以上もの格差が存在している[2]岩手県庁は2006年、「県北・沿岸振興本部」を設置して対策に乗り出したが、南北の格差は逆に拡大傾向すら呈しており、根本的な対策が求められている[3]

隣接自治体[編集]

行政機関[編集]

歴史[編集]

先史・古代[編集]

約4万年 - 3万3000年前には、斜軸尖頭器を出土した柳沢舘遺跡(奥州市)や金取遺跡遠野市)などが存在した。また、ハナイズミモリウシ[4]をはじめとする動・植物化石が多量に発見された金森遺跡一関市)などの遺跡から旧石器時代から人が住んでいたと考えられる[5][6]

古くは縄文時代より豊かな狩猟・漁労生活を実現した地だった。近年の東北学では、上代の北上川流域は蝦夷の中心地で、日高見国とも呼ばれていたという説が唱えられている(また、日高見国の名が北上川という地名や、「日本国」という国名のもととなったとも)。一方で、胆沢角塚古墳は最北の前方後円墳であり、ヤマト王権の影響力が及ぶ北の端でもあった。

北東北地域は、律令国家の形成期である7世紀後半にはまだその支配に組み込まれておらず、蝦夷は朝廷側からは征伐の対象であった。8世紀末の38年戦争では胆沢に蝦夷の軍事指導者アテルイが現れて朝廷軍に抵抗するが、征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂によって滅ぼされる。その後北上川流域は朝廷が掌握し、蝦夷の多くが全国に強制移住させられた。残った蝦夷は、俘囚として支配体制に組み込まれ、同時に胆沢には関東地方から柵戸として入植者が入った。

11世紀までに奥六郡(現在の岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を発揮した俘囚長の安倍氏が半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く奥州藤原氏江刺郡豊田館から磐井郡平泉に拠点を移動して奥州を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現し、その平泉時代を築いた。

中世[編集]

平泉が源頼朝に攻略され再び源氏が統治した鎌倉時代には甲斐国南部の河内地方を領した甲斐源氏南部氏が八戸周辺に移住し、今の青森県から岩手県北及び秋田県鹿角地方にまで勢力を伸ばした。沿岸部では閉伊氏、県央部では斯波氏稗貫氏阿曽沼氏和賀氏などが割拠し、県南部は葛西氏留守氏が有力だったが、次第に福島県伊達郡に根城を置く伊達氏の勢力が浸透し、室町時代には葛西氏留守氏は伊達の馬打ちとして事実上支配下に置かれた。

これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、伊達政宗の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じ頃、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ七戸南部氏の南部信直が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の九戸政実と争い、豊臣秀吉の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした(九戸政実の乱)。大浦氏以外の南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。

近世[編集]

江戸時代には、県の南部は概ね仙台藩伊達氏に62万石、一関藩田村氏水沢には伊達氏城代が置かれ、北部は移封も無く盛岡藩南部氏によって20万石統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた仙台藩・南部藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。

近代以降[編集]

東北新幹線の路線図

1870年(明治3年)7月10日、盛岡藩は財政難により廃藩置県に先立って廃藩を申し出、旧領には明治政府により盛岡県が設置された。盛岡県成立時の管轄地域は陸中国岩手郡稗貫郡および紫波郡和賀郡の一部のみで、新政府に敗れる前の盛岡藩より大幅に縮小された。

その後、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。(ただし盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されており、藩の借金も盛岡に限らず1843年までは破棄、1844年以降の物は明治政府が国債3000万円を起債し肩代わりするなど救済措置も見られた。また官軍側である長州藩は実際に70万両を国に贈与し、萩城も廃城した上で県庁所在地を山口に移し、大森県・日田県に一部を譲渡するなど盛岡藩以上に厳しい措置を自らに課している。) しかし、これをばねに多くの人材を輩出。原敬内閣総理大臣に就任して薩長藩閥政治を終わらせ議会政治の定着を図るなど、近代日本国家建設に多くの功があった。また中央へ優秀な人材を輩出したと同時に原敬と山田線、後藤新平と鈴木商店など金権政治の時代を先駆けた罪も伴う。

県域は1871年(明治4年)の第1次府県統合ではほとんど変わらず、1872年(明治5年)1月8日には盛岡県から岩手県に改称、1876年(明治9年)の第2次府県統合で磐井県から胆沢郡江刺郡磐井郡を、青森県から二戸郡を編入したが、前者はおおむね旧仙台藩領であり、旧藩が分断された状態は是正されなかった。

1876年(明治9年)1月に最初の県議会が開かれ、5月に岩手県が成立した。県名はそれまでの県庁所在地の郡名を採って付けられた。

1889年(明治22年)に、南岩手郡盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、盛岡市となる。1937年(昭和12年)には製鉄業によって発展した上閉伊郡釜石町が市制施行して釜石市となる。1941年(昭和16年)には下閉伊郡宮古町・山口村・千徳村・磯鶏村が合併・市制施行して宮古市となり、戦前までに3市が誕生した。

戦後、1950 - 1960年代には、山岳地帯のため交通の便が悪いことや、主な産業が富士製鐵(現、新日鐵住金)の釜石製鐵所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、自ら「日本のチベット」と呼び、政府の振興策を求めたこともあった。なおこの呼称は、1955年(昭和30年)1月22日封切のニュース映画『カメラルポ 脚光あびる日本のチベット 岩手三陸』において用いられたことから定着したという。

その後、1964年(昭和39年)に花巻空港が開港、1982年(昭和57年)に東北新幹線大宮 - 盛岡間が開業して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市金ケ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展。関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)などの自動車産業、東芝富士通などの半導体工場、塩野義製薬など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びを見せた[7]

2008年(平成20年)には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大地震が発生した。さらにその3年後の2011年(平成23年)3月11日、国内観測史上最大の超巨大地震となるマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震(最大震度7)が発生し、沿岸部の各地で津波による大きな被害が出た。

人口[編集]

Demography03000.svg
岩手県と全国の年齢別人口分布(2005年) 岩手県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 岩手県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
岩手県(に該当する地域)の人口の推移
1970年 1,371,383人
1975年 1,385,563人
1980年 1,421,927人
1985年 1,433,611人
1990年 1,416,928人
1995年 1,419,505人
2000年 1,416,180人
2005年 1,385,041人
2010年 1,330,530人
総務省統計局 国勢調査より

政治・行政[編集]

国政[編集]

衆議院小選挙区が4。参議院では、全県で1区を構成。

県政[編集]

財政と事業[編集]

1995年(平成7年)以降、細川内閣(当時)打ち出した大規模景気対策に乗って公共投資を拡大させ、その後1997年(平成9年)まで、積極投資を拡大させた。当時県知事を務めていた増田寛也は、退任後の取材に「国の財政的限界で、いずれ予算が回らなくなるのは分かっていた(中略)…東北新幹線花巻空港釜石自動車道など(骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている[8]。結果的には彼の読み通り、小泉内閣が発足した2001年(平成13年)以降、公共投資予算は年10%以上の割合で急速に縮減され、財政再建に大きく舵を切った。

県自らも、県議会での質問に答える形で、財政悪化の原因について自己分析している(→増田寛也#財政再建など参照)。

平成20年度
平成19年度
  • 財政力指数 0.31
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中8位
平成18年度
  • 財政力指数 0.29
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中1位
平成17年度
  • 財政力指数 0.27
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中5位
平成16年度
  • 財政力指数 0.26
    • IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中5位

経済・産業[編集]

かつては、産業がほとんどない事を自称していたが、東北新幹線東北縦貫自動車道などの整備に伴って、企業の誘致が進んでいる。企業の誘致には、法人税や、従業員からの所得税収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでにトヨタ自動車系の生産工場、東芝フラッシュメモリ工場、富士通などを誘致した。こうした奏功から、1995年(平成7年)以降は製造品出荷額が伸びを示し、47都道府県中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県で見ると、福島県宮城県山形県に続く数字である[9]

特に自動車産業については、トヨタ自動車が東北地方を新たに生産拠点と位置付けており[10]、今後とも一層の誘致が見込まれる産業分野である。

貯蓄率が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の地方銀行第二地銀を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。県民の貯蓄率は39%で、東北地方平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ[11]

産業[編集]

農業・水産業[編集]

2006年(平成18年)農林水産統計によると、農業産出額は2,544億円。食料自給率は106%であり[12]北海道青森県秋田県山形県などとともに、自給率100%を超える数少ない県の一つである。広大な面積と、山岳に囲まれた地形のため、地域によって気候が大きく異なる所があり、特性に応じてさまざまな形態の農業が営まれている。

穀物畜産業などが伝統的に盛んである。林業は、県が木質バイオマス事業などの自然エネルギー活用に熱心なこともあって、生産高188億円(2005年(平成17年))と、全国5位の数字を出している。

水産業では、三陸海岸周辺が、黒潮による豊かな漁場として知られている。リアス式海岸の岩礁は、ワカメ海苔といった海藻類の養殖にも適しており、ワカメとあわびの養殖で、生産高全国1位の規模を持つ。

商工業[編集]

製造品出荷額は2兆1000億円で、東北地方では福島県(全国順位19位)、宮城県(同24位)、山形県(同28位)に次いで4位(同31位)である。

長らく主要な産業新日本製鐵(現、新日鐵住金釜石製鐵所釜石市)、太平洋セメント大船渡工場大船渡市)ほどしかなく、政府の救済策を求めたこともあったが、1982年(昭和57年)に東北新幹線大宮・盛岡間が開業すると、企業誘致が徐々に進展した[7]1993年(平成5年)に関東自動車工業金ケ崎町(現・トヨタ自動車東日本岩手工場)が進出して以来、製造業は大きく進展し、県民所得は全国40番台後半から、30番台まで向上した。このほか、県南には富士通塩野義製薬東芝などの工場が立地する。

特に、2008年(平成20年)2月に決定された東芝フラッシュメモリ工場の北上市への建設は、波及効果を合わせると1兆円程度の経済効果があるとされ、県は法人税減免や低利融資などを通じて、これを後押しするとしている。東芝が「行政からの融資措置だけでなく、質の高い人材の確保が容易なことが決め手になった」とし、「金のかからない新しい産業誘致モデル」として注目された[13][14]。工場新設に当たって、北上市はこれまでに蓄積した企業誘致と合わせて、法人税固定資産税の大きな増収が見込まれることから、国から地方交付税の交付を受けない「不交付団体」への昇格を果たすことになった。岩手県では、かつて製鉄業が隆盛を極めていた時代に釜石市が不交付団体となっていた前例があり、「それに次ぐ快挙」(2008年(平成20年)2月・岩手県知事定例記者会見)と評された。

自動車産業に関しては、トヨタ自動車が、東北地方を新たな生産拠点とする意向を示しており[10]、すでに金ケ崎町に立地する自動車工場も、現行より10万台増の25万台生産規模まで拡大されることが決まっている。自動車関連産業の集積を進めるため、岩手県は、トヨタ自動車東日本が進出している宮城県山形県福島県などと連携して、今後も誘致活動を展開していくとしている。

県内に拠点を誘致した主な製造業[編集]
盛岡市
八幡平市
岩手郡雫石町
花巻市
北上市
奥州市
胆沢郡金ケ崎町
一関市
宮古市
釜石市
大船渡市
久慈市

サービス業[編集]

観光業の振興に腐心している。2007年(平成19年)には、盛岡市を舞台にしたNHK連続テレビ小説どんど晴れ」が放映され、盛岡さんさ踊りに訪れた観光客が8.7%増えて128万3000人となり[15]、一定の効果が上がっている。2011年(平成23年)には、奥州藤原氏の栄華の遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」(平泉町)が世界遺産文化遺産)に登録された。

交通[編集]

県庁所在地の盛岡市は、県内のみならず北東北の広域交通網を束ねる拠点として機能しており、新幹線に接続して北東北各地への高速バスが多数発着するほか、盛岡駅では東北新幹線「はやて」と秋田新幹線「こまち」の分割・併合も実施している。

鉄道[編集]

東北新幹線で、首都圏仙台青森と結ばれる。その停車駅でもある盛岡駅は県庁所在地にあり、複数の路線が接続するなど拠点性を有している。

旧国鉄のJR東日本のほか、新幹線の新規開業に伴う並行在来線として分離した第三セクター鉄道IGRいわて銀河鉄道および、旧国鉄の既設線および予定線を承継した三陸鉄道がある。

特にJR山田線・岩泉線は国鉄時代から全国一利用者が極端に少ない閑散路線として知られ[要出典]、民営化後も一部区間では列車本数が3 - 4本と数えるほどしかない。後者については事業者より廃止届が提出されており、2014年4月1日に廃止される見込みである[16][17]

貨物扱いについては、盛岡貨物ターミナル駅盛岡市及び紫波郡矢巾町)および水沢駅奥州市)が貨物駅となっている。

県内のその他の路線は下記を参照。

路線バス[編集]

岩手県交通バス

沿岸部と内陸部(特に対北部)を結ぶ鉄道のダイヤが極端に少ないため、公共交通による県域横断の手段としては長距離バスが主力になっている。

自動車交通[編集]

内陸部の縦軸の交通には、東北縦貫自動車道国道4号など、自動車を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの一般国道レベル(国道106号など)に留まっている。また、道路の舗装率も低く全国最下位である。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいることと外環状バイパス道路の整備が不十分であることから、特に朝夕の混雑が激しい。

秋田県秋田市とは、仙岩道路国道46号バイパス)で結ばれており、トンネル橋梁の整備で比較的スムーズな移動が可能である。また地域高規格道路である盛岡秋田道路が整備中で橋場バイパス角館バイパスが一部供用中である。

高速道路[編集]

一般国道[編集]

県道[編集]

自動車のナンバープレート[編集]

陸運支局は広大な県土に対し紫波郡矢巾町の1箇所のみである。

県内で登録される自動車のナンバープレートの地名表記は「岩手」であるが、2014年度より盛岡地域(盛岡市、八幡平市、滝沢市、紫波町、矢巾町)において「盛岡」ナンバー、県南地域(一関市、奥州市、金ケ崎町、平泉町)において「平泉」ナンバーの使用が開始される予定である。 ご当地ナンバーも参照。

空港[編集]

港湾[編集]

重要港湾および主な関連施設を以下に列挙する。

医療・福祉[編集]

災害拠点病院

保育所

教育[編集]

概要[編集]

高校進学率は98.4%と、全国平均を上回るが、大学進学率が逆に10%以上低い[18]私立学校の数が少ないため、公立学校が圧倒的な比重を占めている。

学力向上策

大学入試センター試験の平均点が全国最下位[19]なことから、県は予算を投じて学力の向上に取り組んでいる。2005年(平成17年)度からは、県費で予備校講師を招く事業を行っているが、この取り組みが主要進学校のみで行われていることに、「主要進学校の実績は堅調なのだから、進学率向上には、それ以外の高校での対策も重要」との意見もある。

なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系単科大学となる予定だった岩手県立大学を、総合大学に路線変更したこともある。

教育機関[編集]

大学

国公立

私立

短期大学

公立

私立

高等専門学校

国立

専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

報道・通信[編集]

新聞社[編集]

全国紙・広域(ブロック)紙[編集]

全国紙は全て東京本社発行の紙面となる。なお地域ニュース面は読売・朝日・毎日は岩手面だが、産経・日経・河北は岩手単独ではなく東北6県版として掲載。スポーツ紙(スポーツニッポン日刊スポーツスポーツ報知サンケイスポーツ)の地域ニュース面は全紙が岩手単独ではなく東北6県版となっている。

ラテ欄
  • テレビは、朝日・毎日・読売は在盛(盛岡に所在)局を中心に掲載。それ以外は、青森・秋田・岩手の「北東北」3県をまとめて一つの版とする新聞が多い。ただし青森・秋田は民放3局に対し、岩手は民放が4局存在するため、スペースの都合上、岩手の放送局は一列に並ばず、一部局が下段に下げられる、あるいはいわゆる「ハーフサイズ」で掲載する新聞もある。ラジオは、東北各県のAM・FMを掲載している新聞が多いが、聴取困難な福島県の放送局は割愛される場合もある。

地方紙[編集]

ラテ欄
  • 岩手日報がTVは在盛局を最終面にフルサイズ掲載。ラジオ面(中面)には「第2TV」として在青局&在仙局をハーフサイズ掲載。ラジオは在盛局・コミュニティFMのみで他県局は非掲載。
  • 盛岡タイムスはTV・ラジオ共に最終面に在盛局のみを掲載し他県局は非掲載
  • 岩手日日はTVが在盛局を最終面にフルサイズで、在仙局はその右隣にハーフサイズで各々掲載。ラジオは在盛局と在仙局を中面に掲載し、TV面とは完全に分割されている。
  • デーリーは青森県三八上北地方が取材・購読地域の中心であることから、在盛局はmitのみ最終面に在青局と同一サイズで掲載し、その他在盛局はその右隣にハーフサイズ掲載。ラジオは中面に在盛局・在青局同一サイズで掲載(その右隣には在京AM局=TBS・QR・LFを極小サイズで掲載)。
通信社[編集]

放送局[編集]

県域放送[編集]
日本放送協会 (NHK) 盛岡放送局
地上デジタルテレビ放送(地デジ)リモコンID : 総合1、教育2
IBC岩手放送 (IBC)
テレビ:JNN系列・地デジリモコンID : 6。 ラジオ:JRNNRN系列。1953年(昭和28年)12月25日ラジオ開局・1959年(昭和34年)9月1日TV開局)[20]
テレビ岩手 (TVI)
NNNNNS系列、地デジリモコンID : 4。1969年(昭和44年)12月1日開局[21]
エフエム岩手 (fmi)
JFN系列、1985年(昭和60年)10月1日開局[22]
岩手めんこいテレビ (mit)
FNNFNS系列、地デジリモコンID : 8。1991年(平成3年)4月1日開局[23][24]
岩手朝日テレビ (IAT)
ANN系列、地デジリモコンID : 5。1996年(平成8年)10月1日開局

北東北で唯一、TXN系列の放送局を除く、4波全ての系列民間放送局が揃っている[25](隣県の青森県にはFNN・FNS系列の放送局が、秋田県にはJNN系列の放送局が現在でもそれぞれ存在しない)。地デジリモコンキーIDの組み合わせは関東広域圏を放送対象地域とするキー局と同じである。

一関市を中心とする県南地域では山で隔てられていないこともあり、宮城県の放送電波を直接受信で見ることが比較的容易である。

県域ラジオ放送については、NHK は中継局数が多いため多くの地域で受信状況は良好であるが、民放(IBC、FM岩手)は中継局数が少なく、県内に受信困難地域が散在する。特に二戸地区においては在盛AMの受信状態が3波全て(IBC・NHK 盛岡両AM局共々)悪く、夜間は遠方他地域局と混信して受信困難なことが珍しくない(IBCラジオ684kHzは隣接するNHK東京第二693kHzと混信)。このため、IBCラジオでは2006年(平成18年)1月23日より、IBC自社制作番組に限りコミュニティーFM局「カシオペアFM」で再送信する措置が採られている[26]

コミュニティ放送[編集]

その他[編集]

盛岡市から二戸郡一戸町南部にかけての地区は、紫波新山を受信するアンテナで在仙VHF局(東北放送仙台放送NHK仙台放送局)の仙台親局を直接受信可能[27](ただし電波方向が若干異なるので、強風時は雑音混じりや全く映らない場合あり)。一方で在仙UHF局(ミヤギテレビ東日本放送)はチャンネルが在盛局と隣接しているので当地での直接受信は不可。

AMラジオは札幌から福岡まで、主要都市の民放が殆ど遠距離受信可能である[28][29](特に周波数が近接している1200kHz台の次の局は当地で全て受信可能→HBCラジオ1287kHz[30]、TBCラジオ1260kHz[31]ニッポン放送1242kHz[32]RKBラジオ1278kHz[33])。

また県北の二戸・久慈地区では在青AMの八戸局が、大船渡・陸前高田地区では在仙AMの気仙沼局が各々受信可能。さらに県境付近ではABSラジオ親局936kHz・鹿角局&東成瀬局801kHz・横手局1485kHz、YBCラジオ918kHzも日中を中心に受信可能。

ケーブルテレビ[編集]

県内の民間放送局が2局しか無かった頃は、仙台放送東日本放送を中心に宮城県の民間放送局の再送信が行われていたが、民間放送局が4局揃った現在では再送信は全て中止されている。

文化・スポーツ[編集]

方言[編集]

岩手県の方言研究は、南部藩士である服部武喬が1790年(寛政2年)に著した『御国通辞』において黎明とされる。『御国通辞』では主に日常的に使用される語彙567語を、江戸語の「こほる(凍る)」と盛岡方言の「しみる」に対応させて挙げ連ねる形をとっている。服部武喬前後の研究として、黒川盛隆の『谷の下水(1799年)』と小本村司の『杜陵方言考(1877年)』があり、いずれも語彙集である。

1903年(明治36年)に国語調査委員会の方言調査が実施されたのをきっかけに、各地域の学校・個人による調査・研究が盛んに行なわれた。大きく2地域から4地域に分けられるとされ、洋野町から西和賀町まで秋田・青森県に隣接する帯状の北部方言地域、久慈市沿岸から大船渡市北部までの沿岸方言地域、盛岡を中心に遠野市中部・北上市北部までの中部方言地方、横は金ヶ崎町から釜石市までの南部方言地方がある[34]

食文化[編集]

郷土料理
名産品・料理

伝統工芸[編集]

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

スポーツ[編集]

サッカー
フットサル
ラグビー

観光[編集]

有形文化財建造物[編集]

国宝
重要伝統的建造物群保存地区

岩手県を舞台とした作品[編集]

文芸[編集]

音楽[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

漫画・アニメ[編集]

ゲーム[編集]

岩手県出身の人物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ [1] - 岩手県
  2. ^ デーリー東北 - デーリー東北新聞社2006年(平成18年)3月5日確認
  3. ^ 岩手日報社、2006年(平成18年)2月12日確認
  4. ^ ステップバイソン参照
  5. ^ 細井計「風と人間」2ページ
  6. ^ 細井計伊藤博幸菅野文夫鈴木宏 『岩手県の歴史』 山川出版社〈県史 児玉幸多 監修 3〉、1999年8月ISBN 4-634-32030-4
  7. ^ a b 岩手日報 - 岩手日報社、2008年1月17日確認
  8. ^ 読売新聞2007年3月13日付朝刊 - 読売新聞社
  9. ^ 岩手の統計情報 - 岩手県庁総務部統計課、2008年5月確認
  10. ^ a b ゲンダイネット - 2008年2月28日確認など。
  11. ^ 金融資産と負債 - 金融広報中央委員会、2008年6月確認
  12. ^ 農林水産統計 - 農林水産省提供、2008年8月12日確認
  13. ^ 毎日新聞 2008年(平成20年)2月20日付朝刊 - 毎日新聞社
  14. ^ 岩手日報 - 岩手日報社、2008年2月8日確認
  15. ^ 盛岡タイムス - 盛岡タイムス社、2007年8月6日確認
  16. ^ 岩泉線の廃止について (PDF) - 東日本旅客鉄道(2013年11月8日付)
  17. ^ 岩泉線きょう廃止届 押角トンネルなど無償譲渡 - 読売新聞(2013年11月8日付) ※インターネット・アーカイブ
  18. ^ 「都道府県別進学率・就園率」島根県庁調査、2008年(平成20年)5月確認
  19. ^ 岩手日報社、2007年(平成19年)2月13日確認
  20. ^ JNN系列局の無い秋田県の全国報道取材も行う。CATV経由で秋田市にも再送信。
  21. ^ 開局当初は盛岡市茶畑二丁目に本社演奏所があった。のちに現在地の盛岡市内丸に移転。
  22. ^ 開局当初は盛岡市盛岡駅前通8番17号の小岩井明治安田ビル2階に本社演奏所があったが、2006年(平成18年)に現在のTVI本社ビル7階へ移転。
  23. ^ 開局当初は奥州市水沢区佐倉河に本社演奏所を、盛岡市本宮に業務センターを置いていたが、のちに盛岡業務センターを本社に格上げ・機能拡充する形で演奏所を移転。奥州市の旧本社跡は「めんこい美術館」に衣替えし、業務センターは奥州市に置かれて現在に至る。
  24. ^ FNN系列局の無い青森県の全国報道取材も行う。CATV経由で青森県三八上北地方にも再送信(折爪岳からの電波の直接受信も可)。
  25. ^ 東北6県では宮城・福島に次いで3番目に民放TVが4局出揃った(1996年(平成8年)10月1日の岩手朝日テレビ開局で民放TV4局化)。
  26. ^ JRN および NRN のネット番組は著作権法および放送法の関係上、カシオペアFMでの再送信不可。このため、IBCラジオは2006年(平成18年)4月改編時より自社制作ワイド番組に JRN および NRN の箱番組=ラインネットテープネットを極力内含させず、特定の時間帯に集約放送している。
  27. ^ 新山エリアではアナログ VHF 1 - 3が空チャンネルであるため、4 - 12ch あるいは 4 - 62ch用アンテナを使用している世帯も多い。よって在仙VHF局の直接受信は全帯域(1 - 12ch あるいは 1 - 62ch)用アンテナを使用している世帯のみ可。
  28. ^ 但しNHK盛岡第二1386kHzと近接している1404kHz=HBC釧路局、SBSラジオは内陸部において聴取しづらい事がある。またCBCラジオ1053kHzは奥州市の一部と釜石市周辺においてIBCラジオ奥州前沢局&釜石局1062kHzと隣接しており受信しづらい。さらにラジオ大阪1314kHz、東海ラジオ1332kHz、RCCラジオ1350kHzも久慈市、遠野市周辺ではNHK盛岡第1久慈局&遠野局1341kHzと、山田町周辺ではNHK盛岡第1山田局1323kHz、宮古市・大船渡市周辺ではNHK盛岡第2宮古局&大船渡局1359kHzと各々隣接しているので受信しづらい。またABCラジオ1008kHzも宮古市周辺ではNHK盛岡第1宮古局1026kHzと近接していて受信しづらく、洋野町の一部地区でもNHK青森第1八戸局999kHzの音が被って受信しづらい事がある。
  29. ^ RSKラジオ1494kHzは同一周波数であるHBCラジオ名寄局の音が、SBSラジオ1404kHzは同一周波数であるHBCラジオ釧路局の音がそれぞれ被る事がある。またMBSラジオ1179kHzは陸前高田市周辺において、NHK仙台第1気仙沼局1161kHzの音が被って受信しづらいことがある。
  30. ^ デジタル選局式高感度ラジオを用いた場合、日中は県北部において函館局900kHzも受信可能(但し夜間は同一周波数であるBSSラジオおよびRKCラジオの音が被る事あり)。さらに沿岸部では釧路局1404kHzも受信可能。
  31. ^ 但し夜間は近接するニッポン放送の音が被ることがあり、日中のほうが聴取しやすい。
  32. ^ 但し岩泉町東部、田野畑村周辺ではNHK盛岡第1田野畑局1224kHzと近接しており受信しづらい。
  33. ^ アナログ選局式ラジオでは受信困難。隣接するHBCラジオの音が被ることがある。
  34. ^ 本堂寛作成の『日本言語学地図』を参照

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
盛岡藩

磐井県の一部(陸中国

行政区の変遷
1870年 -
(盛岡県→岩手県)
次代:
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