谷沢永一

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谷沢 永一(たにざわ えいいち、1929年6月27日 - )は、大阪府大阪市出身の、日本人文芸評論家書誌学者。専門は日本文学(近代)。

目次

[編集] 人物

旧制大阪府立天王寺中学校から関西大学予科を経て同文学部卒業。同大学院博士課程修了文学博士

長老教授金子又兵衛の世話で同文学部助手となり、講師助教授教授を勤め、1991年に定年より9年早く退職して名誉教授となる。

元共産党員であり左翼であって、最初の著作『大正期の文藝評論』は小田切秀雄の勧めによって書かれた。1976年に東大の三好行雄と論争した際は、小田切編纂の『明示文学全集 北村透谷集』がきっかけであったから、小田切と手を切ったのはそれ以後のことである。

書評コラムを集めた『紙つぶて』で、サントリー学芸賞森鴎外坪内逍遥の論争を論じた『文豪たちの大喧嘩 鴎外・逍遥・樗牛』で、2004年に第55回読売文学賞研究・翻訳賞。

その書評の厳しさに、山口瞳は「の谷沢」と形容した。交友の深い人物として、渡部昇一開高健藤本進治がいる。また個人的な交際はないが、紅野敏郎とはともに近代文学の研究者として、本を媒介に「同志」関係であった。また、桂文珍を、関大文学部の非常勤講師に迎えた。

文学史家としては、普通の学者が無視するような「雑書」に丹念に目を通し、そこから新たな発見をすることの重要性を語っている。

また、数々の批判、論争を行っているが、1977年前後に、思想家の吉本隆明とのあいだで論争(罵倒合戦)があった際には、吉本を論破し、それまで「論争に負け知らず」だった吉本を初めて敗北させたことで知られる。

日本共産党員として知られたが、現在は転向して天皇崇拝者である。ある時期からフジサンケイグループの論客の一人となっており、開高が見かねて「自重するように」と短文を認めたこともあるという。

保守派でありながら、新しい歴史教科書をつくる会の『新しい歴史教科書』には、その記述の杜撰さに猛反発。2001年に反論書『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』で、その歴史認識を厳しく批判した。最後は「国は歴史教育から手を引け」と言う山崎正和の理論で締めくくった。

また、著書内において長年、他の文学史家には無視されている、森銑三の「井原西鶴の真の著書は『好色一代男』だけで、それ以外の『西鶴著』の本はすべて他の作家の筆による」という説を、支持している。

兵庫県宝塚市在住。阪神・淡路大震災で被災した。

彼自身の著作でも明確に述べられているとおり、躁鬱病を患っている。

[編集] 著書

[編集] 対談/鼎談

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