広辞苑

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広辞苑』(こうじえん)は、岩波書店が発行している中型の国語辞典

広辞苑第二版

概要[編集]

昭和初期に出版された『辞苑』(じえん)(博文館刊)の改訂作業を引継ぎ、第二次世界大戦後新たに発行元を岩波書店に変え、書名を『広辞苑』と改めて出版された。中型国語辞典としては三省堂の『大辞林』と並ぶ両雄で、携帯機器に電子辞書の形で収録されることも多い。収録語数は、第六版で約24万語。

出版以来版を重ね、国内はもとより、海外の社会情勢や約3,000点の図版、地図などを収録し、百科事典も兼ねる働きを持っている。

沿革[編集]

『辞苑』誕生[編集]

『広辞苑』の出発点となる素案は、大正末期から昭和初年にかけ、民族民俗学考古学の名著を多数世に送り出した岡書院店主の岡茂雄による。1930年(昭和5年)末、不況下の出版業が取るべき方策を盟友岩波茂雄に相談の折、「教科書とか、辞書とか、講座物に力を注ぐべし」との助言を得て、中・高生から家庭向き国語辞典刊行を思い立ち、旧知の新村出に依頼したのが発端となる。当初、新村は興味がないと断るも、岡の重ねての依頼にしぶしぶ引き受ける。その際、新村の教え子の溝江八男太に助力を請い、その溝江の進言により百科的内容の事典を目指すこととなる。書名は、岡が新村のために企画した、長野県松本市での「国語講習会」での懇談の席上、新村考案の数案の中から決められた。「辞苑」とは、東晋の葛洪の『字苑』にちなんだもの。

しかし編集が進むに連れ、零細な岡書院の手に余ると判断した岡茂雄は、大手出版社へ引継ぎを打診。岩波茂雄には断られるも、岡の友人渋沢敬三を通して事情を知った博文館社長大橋新太郎より強い移譲の申し入れがあり、『辞苑』は博文館へ移譲された。『辞苑』移譲後も、編集助手の人事や編集業務上の庶務、博文館との交渉等の一切は岡茂雄が担当し、新村出を中心とする編集スタッフを補佐した。1935年(昭和10年)に『辞苑』は完成。刊行されるやベストセラーとなる。

『辞苑』改訂作業の挫折[編集]

『辞苑』刊行後、岡茂雄はすぐに改訂版の編集を新村出に進言。しかし『辞苑』編集中の博文館の新村に対する態度には心ないものがあり、これを不快に感じていた新村は改訂版作成に難色を示す。しかし岡と溝江の説得に思い直し、『辞苑』改訂に取り組むこととなった。岡茂雄は1935年(昭和10年)頃に出版業界から身を引くが、『辞苑』改訂版の編集では引き続き庶務その他一切の雑務を担当しつつ、編集・執筆者間の連絡調整にも腐心して、新村等の作業を補佐し続けた。改定作業半ばに外来語を考慮していないことに気付き、少壮気鋭のフランス文学者であり、思想上の理由で投獄され丁度釈放されたばかりの、新村の次男新村猛を編集スタッフに加えるよう進言したのも岡茂雄である。

しかし作業は遅れ、完成の目途が立たない内に第二次世界大戦が勃発。編集作業はさらに遅滞し、空襲開始と共に編集部は場所を転々とし、最後は博文館社長邸の一室で新村猛と2名程の婦人スタッフで実務に当たった。遂に印刷用紙を保管していた倉庫と、数千ページ分の銅版(活字組版)を保管していた印刷所が空襲で被災し、『辞苑』改訂版の編集は中絶する。しかし、万が一を恐れた岡茂雄が、版下の清刷りを必ず5通印刷し、博文館と岡、溝江3名に各1通、新村家に2通をバックアップとして保管していたお陰で編集作業の成果は残り、後の『広辞苑』へ引き継がれる。

戦後、疎開先から帰京した岡茂雄が『辞苑』改訂版刊行の意思を博文館に尋ねるが、社長以下博文館側は拒絶、その旨は新村出にも報告された。その後、新村猛の交渉により、改訂版は岩波書店から刊行されることとなる。その際、博文館との軋轢を懸念した岡茂雄は、書名の『辞苑』の引継ぎに異を唱えたが、結局書名は『広辞苑』と決まる。その後岡の予想通り、岩波書店と博文館の間で裁判沙汰が起こることとなった[1]

また、三省堂の『広辞林』と表題が類似していたことから、三省堂からも訴えられたが、和解にこぎ着けた。[要出典]

『広辞苑』誕生から現在[編集]

戦後生じた大きな社会情勢の変化、特に仮名遣いの変更や新語の急増などにより、編集作業はさらに時間を要することになる。新村父子をはじめとする関係者の労苦が実り、1955年(昭和30年)5月25日岩波書店から『広辞苑』初版が刊行された。『辞苑』改訂作業開始より既に20年が経過していた。

1991年11月15日には第四版が発行され、さらに翌年の1992年11月17日にはこれをもとにした『逆引き広辞苑』が発行された。『逆引き - 』には見出し語のみで語義は掲載されていないが、言葉を最初の文字からではなく最後の文字から引くという独特さ、詩作の際の押韻クロスワードパズルなどの言葉遊びにも利用可能な点が話題を呼んだ[2]

1998年11月11日に発行された第五版では23万余語を収録。累計発行部数は初版〜第五版までで1140万部[3]、第六版は2009年6月時点で37万部[3]。中型国語辞典では売り上げ1位を誇る。発行部数のピークは1983年12月発行の第三版であった。

2008年1月11日に発行された第六版は24万余語が収録される。製本の際に薄くて丈夫な新しい紙を作るために、紙にはチタンが入っている。また、チタンを入れることで薄くても透けない効果がある。第五版よりページ数が約60ページ増え、厚さでは僅かに薄くなったが、チタン入りのため重くなった。第六版の発行に際しては、第五版に掲載された全23万語の見出しと説明文を縮小コピーした駅貼りポスターの作成[3][4]や、ユニクロと提携して挿絵の図案をあしらったTシャツを販売する[3][5]などの販売戦略を行った。そのこともあって、2009年6月時点で第六版の発行部数は当初目標の22万冊を大きく上回っている[3]。この販促手法が評価され、岩波書店は第1回日本マーケティング大賞を出版業界で唯一受賞している(奨励賞)[3]

『広辞苑』刊行年譜[編集]

記載内容[編集]

新語・商標[編集]

『広辞苑』は、時事用語を多く扱う事典である『現代用語の基礎知識』・『イミダス』・『知恵蔵』のように、新語が毎年追加される性質の書籍でないことから、改版時に採用される新語にあっては、その言葉が一般的に日本語として定着しているかどうかの目安とされることがある(例:フリーター着メロ等)。1980年代初頭に流行した「ナウい」は2008年改訂の第六版においてやっと収録された[6]。逆に、「猛暑日」は2007年4月1日より気象庁が使用を開始した、かなり新しい用語だが、「今後は頻繁に使われるであろうと判断したため[7]」、2008年の第六版で早くも収録された。[8]

なお、特撮関係のキャラクターで記載されている項目は(第六版では)「ゴジラ」と「ウルトラマン」の二つのみで、その他『商標』の掲載についてはあまり積極的ではなく、商標権を持つ企業名(商標権者)まで掲載しない場合が多い。広辞苑編集部の上野真志は、第五版まで世相・時代相を表す用語は第二次世界大戦前までに限定していたからで、第六版で昭和40年代まで拡大したと説明している[9][10]

『広辞苑』では一度登録した単語は財産のため削除をしない」という方針があるが、[要出典]第二版刊行時に約2万項目を削除し、新たに約2万項目を追加した。これは初版で多く収録されていた古代中国の漢文用語や国史の古典用語を整理したためである。なお第六版では、「上高森遺跡」の捏造が発覚したため削除された例など、新たな事実判明・発覚での改変も行っている。

なお日本人の人名は物故者(故人)の掲載のみに限定し、存命の人名については掲載していないが、他の国語辞典もほぼ同様の処置を取っている(学研「新世紀ビジュアル百科辞典」は辞典と名乗るが、存命の人名も掲載している)。

誤記・誤述と論争[編集]

那智黒論争[編集]

粘板岩の「那智黒」の項目では、実際の産出地が三重県熊野市であるにも関わらず、1955年の初版から産出地が「和歌山県那智地方」と誤って記載されていた、と2013年に複数のメディアで報道された。報道によると、熊野市からは1997年頃に訂正の申し入れが岩波書店になされたが、その後に刊行された第五版・第六版でもそのままになっていたとしている[11]。これに対して、岩波書店は、1997年頃に熊野市から指摘を受けて検討した結果、『紀伊続風土記』等の江戸時代の史料に那智地方で産出する旨の記述があることから、1998年刊行の『広辞苑 第五版』で解説文を「那智地方に産した」という過去形に変更しており、現在の採石地が那智地方であるとは説明していないと主張するとともに、これら一連の報道は「事実経過を歪曲し、また『広辞苑』の記述を誤りと決めつけた不当な内容となってい」るとウェブサイト上で反論している[12]

第六版[編集]

2008年に発行された第六版では、その記載内容について複数の誤記が発見されている。まず、芦屋・蘆屋の項目では、「在原行平松風・村雨の伝説などの舞台」と記載されているが、正しくは須磨である。広辞苑編集部は、ウェブサイト上で「お詫びと訂正」を行い、早期の訂正を行いたいとしている[13]が、これは第五版から残っていた誤りである。さらに、「横隔膜ヘルニア」の項目では、「横隔膜の欠損部や筋肉の弱った所を通って腹部内臓が腹腔へ逸脱する現象」などと記載されているが、腹腔内の内臓が腹腔に逸脱するというのはおかしく、この文脈であれば「胸腔へ逸脱」とすべきである。編集部は2008年1月にこの誤りを認め、第二刷から訂正したいとしている[14]

種類[編集]

  • 通常版(菊判
  • 机上版(B5判) - 第六版では「あ~そ」「た~ん」までの二分冊となった。
  • 総革装広辞苑(菊判)
  • 総革装広辞苑机上版(B5判) - 発売は第六版のみ。通常の机上版と同じく二分冊である。
  • 装丁安井曾太郎
  • DVD-ROM版 - 使用にあたってはコンピュータを用いる。書籍版に比べて収録項目は同数であるが、文学作品・憲法等の文献資料、カラー画像、動画、鳥の鳴き声、クラシック日本民謡の楽曲を含み、検索機能が付加されている。
  • 電子ブック版 - 電子ブックプレイヤーを用い、収録項目は書籍版と同数。書籍版とCD-ROM版の中間的なデータと機能を有する。電子ブックプレイヤーのバンドル版と市販品では、マルチメディアデータの収録状況に差がある。
  • 電子辞書版 - 電子辞書内に収録された一辞書として広辞苑を含む場合がある。収録語数は書籍版と同数だが、地名項目が市町村合併に伴い増補されているものもある。辞書の立ち上げはCD-ROM版や電子ブック版、携帯電話版よりも早く、ほぼ瞬時に起動する。更に、携帯電話版を除くと最も軽量、小型でもある。
  • 携帯電話版 - 携帯電話の有料サービスの一つで2001年4月から開始した。一定の月額利用料金を支払うことで携帯電話のメニューから単語検索や漢字検索が行なえる。

脚注[編集]

  1. ^ 岡茂雄 「『広辞苑』の生れるまで」『本屋風情』平凡社、1974年。
  2. ^ 逆引き広辞苑 第五版対応” (日本語). 岩波書店. 2010年12月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 「広辞苑 販促の妙 駅に全長14メートルポスター ユニクロとコラボ」『日経産業新聞』2009年6月18日付、7頁。
  4. ^ 「広辞苑」全23万語がポスターに-渋谷駅にユニーク広告、シブヤ経済新聞、2007年12月28日。
  5. ^ ユニクロが、『広辞苑』の面白さをTシャツに表現した『広辞苑』Tシャツをデザインしました、ユニクロ、2007年10月23日。
  6. ^ 国語辞典に載ることば” (日本語). ことばおじさんの気になることば. NHK (2010年11月24日). 2010年12月22日閲覧。
  7. ^ 第30回 [前編『広辞苑』とデジタル辞書 ~第六版刊行の舞台裏]” (日本語). 連載Front Edge. KDDI (2008年5月28日). 2011年10月27日閲覧。
  8. ^ 同様の事例で、以前から存在する語句でありながら、法律の成立・施工により語彙を改められた「少子」などがある。
  9. ^ あの『広辞苑 第六版』はこうして作られた! 後編” (日本語). - Just MyShop -. ジャストシステム (2008年). 2011年11月4日閲覧。
  10. ^ ただし、1954年(昭和29年)初公開のゴジラは第五版で既に追加されている。また、第六版では1983年(昭和58年)放映の「おしん」なども追加された。
  11. ^ 広辞苑 誤記60年 那智黒石三重産を「和歌山産」に 東京新聞 2013年8月27日
  12. ^ [https://www.iwanami.co.jp/topics/index_k.html 岩波書店HP 謹告
  13. ^ 岩波書店「『広辞苑第六版』お詫びと訂正」
  14. ^ 「広辞苑の「横隔膜ヘルニア」の項目に記述ミス―長井の男性が指摘、第2刷から訂正へ」『山形新聞』2008年1月31日

関連項目[編集]

関連文献[編集]

単行本[編集]

雑誌掲載文献[編集]

  • 武藤康史「「広辞苑」改版の歴史(徹底比較)(最新日本語読本)」『新潮』89(臨増)、1992年、104 - 114ページ。
  • 井上ひさし「ベストセラーの戦後史-11-新村出編「広辞苑」 昭和30年」 『文藝春秋』 66(4)、1988年、372 - 377ページ。

外部リンク[編集]