正当防衛

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正当防衛(せいとうぼうえい)とは、急迫不正の侵害に対し、自分または他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為をいう。正当防衛は、それが構成要件に該当しても犯罪が成立せず(刑法上の正当防衛)、他人の権利を侵害しても損害賠償責任を負わない(民法上の正当防衛)。本頁では法律用語としての正当防衛について記述する。

刑法上の正当防衛[編集]

正当防衛の意義[編集]

正当防衛とは、急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為をいう(刑法36条1項)。正当防衛はこれを罰しない(同条1項)。また、防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる(過剰防衛同条2項)。

刑法学上、犯罪として処罰するためにはその行為が構成要件に該当し、違法性があり、行為者に責任を問うことができ、かつ処罰条件がなくてはならない。そしてある行為が正当防衛にあたる場合には、これらのうち違法性を欠くとされるため、犯罪は成立しないことになる。このように、構成要件に該当する行為について、その違法性を排除する事由を違法性阻却事由といい、正当防衛はその典型例の一つである。

正当防衛の要件[編集]

正当防衛の要件は

(状況の要件)

  1. 急迫性の侵害
  2. その侵害が不正であること
  3. 自己または他人の権利防衛

(行為の要件)

  1. やむを得ずにした行為(必要性、相当性)
  2. 防衛の意思

である。

急迫[編集]

まず、正当防衛が成立するためには反撃の根拠となる侵害が「急迫」なものでなければならない。この文言を素直に解釈すれば、侵害が差し迫ったものでなければならないようにも思える。つまり、あらかじめ侵害があるのではないかと予測しているのであればその侵害は「急迫」ではないので正当防衛は成立しないとも考えられるのである。

  1. 閑静な住宅街に住むAは、最近治安が悪化してきたので護身用として催涙スプレーを携帯していた。ある夜の帰り道、暴漢に襲われたので、Aは用意してあった催涙スプレーで反撃した。暴漢は目を痛め、全治二週間の傷害を受けた。
  2. ある政治集団Xは近々集会を開こうとしていた。しかしこの集会のときを狙って対立する団体が襲撃を仕掛けてくるという情報があった。そこでXのメンバーらはこれを機に対立団体を壊滅させようと目論み、集会場に角材などを準備していた。集会が始まると案の定襲撃があったのでXのメンバーは用意していた角材を武器に反撃し、多数のけが人を出した。

どちらの例でも侵害をある程度予想している。しかしそれを理由に急迫性を否定して正当防衛が成立しないとすると、特に1の例で不合理である。そこで、ここでいう「急迫」とは侵害を受けた者の受け取り方ではなく、客観的な状況をいうと理解されている。よってどちらの例の侵害も、どんなに侵害を予測していたとしても急迫性が否定されることはない。しかし、2の例では侵害を契機として相手に積極的な加害を行おうとする意思(積極的加害意思)を有している。このような場合にはもはや急迫性の要件を満たさないと考えるのが判例の立場である。なお、積極的加害意思と積極的加害行為を同視する見解も有力である。

不正[編集]

「不正」とは、原則として犯罪成立要件としての違法と解する説もある。ただし、一般に、過失による身体の危険(過失致傷が完成していない場合)や過失による器物損壊の場合も不正にあたり正当防衛が成立しうるとされる。たとえば、隣の部屋のガス漏れで爆発のおそれあるときも「不正」にあたるとされ、隣の部屋に入ることは正当防衛となるとされる。また、刑法上の可罰的違法性がないといえる場合でも「不正」にあたるとされる。 このような不正の要件に関しては、動物や自然力による侵害について正当防衛が成立するかという対物防衛の問題がある。

防衛行為[編集]

防衛行為とは、侵害者に向けられた反撃のことである。

侵害者が第三者所有物を利用して侵害してきたときに、当該第三者所有物に反撃することは防衛行為に当たるかについては争いがある。有力説は、侵害者への反撃ではないとして否定する。一般に対物防衛を否定する説では、この問題は否定する立場が多い。

防衛の意思[編集]

正当防衛について規定した刑法36条1項を見ると、「自己または他人の権利を防衛するため」となっている。この「防衛するため」という文言の解釈には争いがある。つまり、正当防衛が成立するためには、権利(利益)を防衛するために行為するのだという主観的な認識、すなわち「防衛の意思」が必要なのか、あるいは客観的状況から行って防衛行為としての効果を持っていれば十分であり、「防衛の意思」というものは必要でないのかについて見解が二分されている。この論争は違法性の実質についての見解、つまり行為無価値論結果無価値論の対立が根底にある。行為無価値論からは防衛の意思必要説が唱えられ、結果無価値論からは防衛の意思不要説が説かれた。しかしその後の議論においては違法性の実質についての見解と防衛の意思の要否は必ずしも直結しなくなっている。

「防衛の意思」を肯定する立場でも、その内容については様々な違いがある。当初の判例は、防衛の意思とは純粋な防衛の動機や目的に限定して考える目的説をとっていた。この見解によれば怒りや逆上といった防衛とは異なる動機があればもはや「防衛の意思」は存在せず、正当防衛も成立しないと考えた。しかし急に他者から攻撃を受けた場合に冷静さを保って防衛の目的のみから反撃することは困難であり、正当防衛が成立する場合を極端に制限してしまうという批判があった。

その後、判例は防衛の意思の内容について「急迫不正の侵害を認識しつつ、これを避けようとする単純な心理状態」であるというように解釈を変更することで、憤激や逆上から反撃行為を加えても直ちに防衛の意思がないとされることはない、すなわち憤激や逆上していても正当防衛が成立しうる場合があるとしているという立場に変わっている。その一方、防衛の意思が全く無い、防衛に名を借りて積極的に加害する行為(積極的加害行為)については防衛の意思が否定されることを認めている。

相当性の要件(過剰防衛)[編集]

ある行為が正当防衛とされるためには、その反撃行為が権利を防衛するために必要かつ相当な程度で行われなくてはならない。これは刑法36条1項の「やむを得ずにした行為」という文言の解釈から導かれた要件で、必要性と相当性の要件といわれる。この必要性と相当性から逸脱した、行き過ぎた防衛行為は過剰防衛といわれる。過剰防衛は正当防衛の場合と違って犯罪の成立は否定されない。ただし、を軽減したり免除したりすることが出来る(刑法36条2項)。

ここでいう「必要性」の表現する内容はさほど明確ではないが、概ね、その防衛行為を行うことが許されるかどうかという問題として扱われている。そして主に以下の二つが必要性という要件の内容として捉えられている。まず、防衛行為が利益を防衛するために必要であったことである。これは緊急避難の補充性の要件のように「他に採りうる手段がない」ということまでは要求しない。例えば、逃げられるのに敢えて立ち向かって反撃したという場合でも正当防衛は成立しうる。なぜなら、正当防衛は緊急避難と違って不正な侵害に対する防衛だから加害者の法益をそこまで考慮する必要がないからである。次に、その行為が正当防衛に役立つ行為であることである。しかし、通説的見解や判例はこの「必要性」の要件をあまり重視せず、反撃することが合理的な選択肢の一つであることや、防衛に不必要ではないこと、という程度の意味に捉えている。

むしろ議論されているのは「相当性」についてである。これは防衛行為それ自体は認められるにしても、どの程度まで正当防衛として許されるのかという問題である。この相当性の要件には二つの問題が含まれている。一つは防衛しようとする利益と防衛行為によって害される利益とを比較して相当な範囲の行為といえるかどうかの問題であり、もう一つは防衛行為の態様が相当な範囲といえるかどうかの問題である。以下、それぞれについて具体例を示す。

  1. 女性Xは駅のホームで帰りの電車を待っていた。そこへ酔っ払いの男性Yがやってきて、Xに執拗にまとわりついた。周囲の人々は笑いながらこれを眺めるばかりでXを助けようとはしなかった。YはXを「馬鹿女」とののしり、胸から首筋のあたりにつかみかかられる状態となった。そこでXは「あんたなんか死んでしまえばいい!」と言ってYの身体を両手でついた。するとYは酔っていたこともあってふらふらとよろめき、ホームから転落した。そこへ運悪く電車がやってきたため、Yは電車とホームに挟まれて死亡した。
  2. Aは金の無心に来た友人Bと口論になった。すると興奮したBは「貴様、殺してやる」といってAの胸ぐらをつかみ、素手で殴り掛かってきた。Aは命の危険を感じてこれを払いのけ、床の間に飾ってあった日本刀でBに斬りかかって怪我を負わせた。

1の例の場合、女性XはYからの攻撃に対してこれを突き飛ばすという反撃行為に出ており、これによりYは死亡している。つまり、守ろうとした利益に比べて発生した結果(防衛行為によって害された利益)が余りに重大であって、両者の差が激しい。こうした行為は正当防衛の範囲を逸脱するものであるという考えもある。しかし判例や学説の多くは、防衛行為によって生じた結果がたまたま侵害されようとした法益より重大なものであったとしても、そのことからすぐさま正当防衛の成立が否定されるとは考えない。1の例では、Xが周囲からの助けも期待できない状況のもと、Yからの攻撃に対してこれを突き飛ばすという行為は相当なものであって、たまたまY死亡という重大な結果が生じたとしても正当防衛は否定されないと考えるのが主流である。この例に類似した裁判例でも同様の結論が採られている(千葉地方裁判所昭和62年9月17日判決、判例時報1256号3頁、いわゆる「西船橋駅事件」)。

2の例は防衛行為の態様が相当な範囲といえるかどうかの問題、つまり手段の相当性の問題である。この様な場合、判例では武器対等の原則という基準によって相当性が判断される。つまり、素手に対して素手で反撃するならば相当な防衛行為であるが、素手の攻撃に対して刃物で反撃するのは相当な範囲を逸脱した行為であり、過剰防衛と判断されることになる。また、素手同士であっても空手など格闘技の心得がある場合には武器が対等ではないとされる。しかしこの原則を杓子定規にあてはめると不都合が多い。例えば、素手の攻撃に対して日本刀を振りかざしたが、あくまで相手を威嚇して攻撃をやめさせるためである場合や、相手の拳を木刀で打ち据えて攻撃を不可能にする場合、縄でしばって攻撃できないようにする場合などである。また、力の弱い女性が屈強な男性に襲われた際にも相手が素手ならば素手による反撃しか許さないというのも不都合である。判例の態度は明らかではないが、上記原則を形式的に適用するのではなく、当事者の体格や年齢、防御的行為に終始していたかといったことを考慮して実質的に判断をしているようである。

過剰防衛の場合に刑が減免される根拠については争いがある。一つは不正な侵害を行った加害者の法益を保護する必要が減少することを重視する違法減少説である。もう一つは、正当防衛が必要とされるような緊急事態においては適法な行為をするということについては期待可能性が減少することを重視する責任減少説である。両説の違いは誤想過剰防衛のときに浮き彫りとなる。すなわち、違法減少説によれば誤想過剰防衛について36条2項を適用して刑を減免することが否定され、他方、責任減少説によれば誤想過剰防衛にも同条を適用して刑の減免を認めることも可能となる。誤想過剰防衛については錯誤の頁を参照。

自招侵害に対する防衛行為[編集]

急迫不正の侵害を自ら招いた者が当該侵害に対して構成要件に該当する防衛行為を行った場合、正当防衛として違法性が阻却されるのか、という問題である。日本の判例(最決平成20年5月20日)によれば、被告人の不正な行為により自ら招いた侵害に対しては、侵害者の攻撃が被告人自身の暴行の程度を大きく越えるものでないなどの事情の下で、被告人の反撃行為が正当とされる状況における行為とはいえないから正当防衛は認められないとする。通説は、理論構成はともかく、一定の場合には正当防衛の成立を否定する。これに対し、一部の有力説は、正当防衛の成立を認めたうえで、自招行為について構成要件該当性ひいては犯罪の成立を認める。「原因において自由な行為」における判例・通説の理論構成と類似するこの理論構成は、「原因において違法な行為 (actio illicita in causa)」と呼ばれている。

民法上の正当防衛[編集]

民法における正当防衛とは、他人の不法行為に対して自己や他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為のことであり、それによって他者に損害を与えたとしても損害賠償責任は発生しない(民法720条1項本文)。刑法上の緊急避難との違いは、正当防衛が他人の行為からの防衛であり、緊急避難は他人の所有する物から発生した危険に対する防衛が問題となる点である。また、刑法上の正当防衛と民法上の正当防衛は、前者が犯罪の正否に関わる問題である一方、後者は損害賠償責任の有無という問題である。そして両者が成立する場面も一致しない。

例えば、暴漢から逃れるため他人の家の門を壊して敷地内へ逃げ込んだ場合を考える。他人の家の門扉を破壊する行為について、民法上では他人の不法行為から自己の生命身体を防衛するためにした行為であるから正当防衛の問題となる。そして、ここでいう正当防衛の問題とは、壊した門扉を弁償しなければいけないか否かという問題のことである。一方、刑法上は不正の侵害者とは無関係である第三者の財産を侵害しているのだから、緊急避難の問題となる。なお、被害者(門扉の権利者)から不法行為者(暴漢)への損害賠償請求を妨げない(第720条第1項但書)。

自衛、護身のためなどの武器の所持[編集]

日本では原則として自衛の為に武器を所持することを認めていない。 アメリカのように憲法自衛のための武器所持が認められている国では違法性の無い範囲での武器の携帯は合法だが 日本では刃物警棒などを自衛のために所持することは認められていないため正当防衛であった場合でも武器の所持について軽犯罪法銃刀法などで処罰される場合がある。


参考文献[編集]

  • 大塚仁 『刑法概説(総論)改訂増補版』 有斐閣、1992年ISBN 4-641-04117-2

関連項目[編集]

外部リンク[編集]